歴史・文化・自然

十和田市・十和田湖観光

復活十和田湖への 古道

約100年ぶりに十和田湖への古道を復活しました

genrokunohi3-4.gif
十和田湖は今から400年ほど前に開かれたといわれている。十和田湖への奥入瀬渓流の道は明治36年(1903)に初めて開通された。それ以前の十和田湖への青森県太平洋岸からの道は、月日山道と松浦武四郎の道しかなかった。
 ここではそのうち月日山道を紹介する。
 十和田湖の入口子ノ口(ねのくち)に約320年前の元禄6年(1693)に、五戸代官木村又助秀晴が、南部の殿様の命により十和田湖への新道を開通した碑がある。いわば十和田湖への道を工事したという道路工事の記念碑である。
 この道は、八戸の漁師たちが十和田湖へ豊漁と安全の祈願のために行った道で、奥州街道五戸の大学沢から入り、月日山から月日長根を通り、惣辺で松浦武四郎の道と一緒になり、銚子大滝の上に出る比較的緩やかな道である。この間に様々な歴史的石碑が残されている。
 NPO十和田湖未来は、十和田湖へのその古道を100年ぶりに復活した。


 ①五戸大学沢の追分の石

kodou1-2.gif
 五戸町大学沢の旧奥州街道のY字路角に「右七戸 左十和田」と彫られた「追分の石」、つまりむかしの道路標識がある。これを見てもわかるように昔は十和田湖への道は重要な道であった。
 「右七戸」は、もちろん奥州街道で、奥入瀬川の藤島の渡しを船で渡り、三木野ヶ原(現十和田市街)を通り、洞内の茶屋で一服し七戸に向かった。
 一方「左十和田」は、柏木、笊畑、森ノ越と向かった。この柏木、笊畑、森ノ越の3集落は、十和田湖へ行く最後の宿泊所でもあった。この3集落のいずれかで一泊し、翌朝早く十和田湖に向け出立した。
 「復活十和田湖への古道」は、これらの集落は通過するだけで、古い信仰の山であり太平洋岸が一望できる月日山へと向かう。


 ②月日山の日月神社

 月日山は三本木台地に飛び出た標高549㍍の山で、ここからは十和田市の全景はもちろん小川原湖から八戸の工業地帯、太平洋まで見渡せる絶景の場所である。
 ここには日月神社がある。何故だろう。山は「月日山」なのに、神社は「日月神社」なのである。神社には薬師観音の石仏が本尊として祀られており、神仏混淆時代の名残をとどめている。薬師観音には享保3年(1726)と建立した年号が刻まれている。
 また、この日月神社の周辺には「日月山」と彫られた大岩や、石を積んだ「賽の川原」、古墳らしきものがあり、古くから信仰地であったことがわかる。

kodou17-2.gif
kodou18-2.gif
 日月神社には神仏混淆時代に祭られていた頭が半分割られた薬師如来が今でも祀られている。山奥であったために廃棄処分がまぬがれたようである。




kodou4.gif
 月日山から望む三本木台地。天気のいい日は遠く米軍三沢基地から八戸の工業地帯、太平洋に浮かぶ船まで見える


 ③月日長根にある石塔

 月日山から、なだらかな月日長根を通り惣辺で松浦武四郎の道と合流する。その惣辺までの途中に石塔が2ヵ所に残されている。石塔には享和3年(1803)と建立年、寄進者、石工名などが刻まれている。

kodou5.gif
kodou6-3.gif

kodou7-2.gif

 月日長根を行くと、所々に完全ではないが石塔がいくつか残されており、むかし十和田湖へ参詣に行く人たちがこの道を通ったことがうかがわれる。









 ④惣辺(そうべ)

 惣辺は、十和田湖へ行く道の一番高いところにあり、ここから八甲田連峰が見渡せる。松浦武四郎が「南の方を見るに遥に華表1基見えたり。是は五戸より上る道なるよし...」と書いているように、惣辺に入る手前に鳥居があったようである。その鳥居をくぐり松浦武四郎の道と合流した。

kodou19.gif


 ⑤念願の遥拝場へ
kodou12-2.gif

kodou11.gif
 木々の間から青々と水を湛えわずかに見える神秘の湖十和田湖。十和田湖はむかし女性禁制の湖であった。それでも女性ちは十和田湖を一目観たいと二日かけてここまで来て、十和田湖に願をかけた




⑥五十曲がりと銚子大滝

 一般の参拝客たちはここから「五十曲」という急斜面を下り、銚子大滝の上に出たが、今は五十曲は危険防止のために金網が張られ降りられず、NPO十和田湖未来が開発した山道を降ります。

kodou14.gif
 奥入瀬渓流の道ができるまでは五十曲がりという急坂を降り、この銚子大滝の上に降りた。


⑦今から160年ほど前に松浦武四郎が描いた銚子大滝周辺の絵

takesiroue.gif
 魚も遡上できなかった銚子大滝。松浦武四郎が「絶壁屏風を立たるごとく、此方には此大岩の脇ニ大杉弐株。麓に小祠を建たり」と書いている。この大杉及び祠は現在もある。
 明治36年(1903)に奥入瀬渓流の道を通したとき、どのようにしてこの銚子大滝を上ったかわからないが大正に入りハッパ(ダイナマイト)で岩を砕き道を通した跡がある。むかしの人はこうして苦労して十和田湖へ参拝に行ったのである。
 松浦武四郎が今から160年ほど前に十和田湖に来たときに描いた絵。これには下り坂、大タキ、小タキ、大杉の木などの文字が見える。下り坂は「五十曲」で現在は金網を張ったために残念ながら下りられない。大タキは銚子大滝、小タキは寒沢の流れ、杉の木の下に祠が見える。


⑧元禄の碑
kodou16.gif
和田湖子ノ口の三叉路の角にある道路工事碑。今から320年ほど前の元禄6年(1693)に、五戸代官木村又助秀晴(YS11を設計した木村秀政博士の先祖)が、南部の殿様の命により十和田湖への新道を開通した道路工事碑である。

 













 十和田湖への古道を書いた本

十和田湖はむかし信仰の湖だった 古道を歩く

kodouwoaruku.gif
 
東 正士 案内
小笠原カオル 著
(文化出版刊


歴史・文化・自然
十和田市・十和田湖 観光案内

お問合せ・お申込みのご案内

  • メール

    お問合せ、ご相談、お申込みなどの内容をご記入の上、下記までメールを送信してください。

    contact@bunka-sinbun.jp

  • 電話

    090-2602-8097

    担当:小笠原カオル
    受付時間:AM9:00~PM18:00