歴史・文化・自然

十和田市・十和田湖観光

信仰と伝説の湖十和田湖案内

十和田湖は今から400年ほど前に人々の願いを叶える信仰の湖として開山されたといわれている。
 十和田湖の入口子ノ口の三叉路の角に、今から320年ほど前の元禄6年(1693)に、五戸の代官木村又助が、南部公の命令で五戸から十和田湖までの参詣道路をしたという工事碑があることからも、相当古くから信仰の湖として十和田湖は開かれていた。

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かん湖台から見る十和田湖の姿

 十和田湖は20万年前ころから噴火し、最後の噴火は今から1100年ほど前の平安時代の延期15年(915)の大噴火で今の形が出来上がった。この噴火によるマグマの噴出量は50億トンで過去2000年間に日本で起こった最大規模の噴火であった。
 京都では「朝日に輝きがなく、まるで月のようだった」。秋田では「灰が降って二寸ほど積もり、桑の葉が各地で枯れた」と書かれた記録が残っている。

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 平成22年(2010)に海底調査会社㈱ウインディーネットワークが高性能超音波ソナーで計測した十和田湖の湖底。二重カルデラの様子がはっきりとわかる。








青森県と秋田県の境神田川

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 十和田湖畔休屋地区に入ると神田川という小さな小川がある。この神田川が青森県と秋田県の境の川である。
 この神田川をはさんで湖に向かって左側には秋田方面から参詣に来た人たちの宿泊小屋が、右側には南部(青森県)から来た人たちの宿泊小屋があった。小屋にはそれぞれ集落の名前が書かれており、祭礼日に多いときに400人を超える人たちが来て、大変な賑わいであったという。

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江戸後期の旅行家菅江真澄が描いた200年ほど前の休屋の様子


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十和田湖開業之碑。明治2年(1869)にそれまで参拝者しか来なかった十和田湖に、花輪(秋田県)の栗山再助が南部藩の命令で十和田湖に入り、初めて十和田湖を開拓した。その記念碑である。
 







十和田神社と占い場

 なぜ人々は十和田湖に来たのか。この占い場があるからである。占い場に来てお米と小銭を半紙で包み願をかけて湖に投げる。その半紙に包んだものがすぐ沈むと願いが叶う。沈まないでいつまでもふわふわ浮いていると願いが叶わないといわれたようである。
 その願いを叶うためにたくさんの人たちが険しい山道を二日がかりで上り十和田湖に来て参詣した。
 明治36年(1903)以降4回に渡って、岩手県種市の海女たちがこの占い場に潜って賽銭を回収した。その額「青銅三千予円、古釼(こけん)、古鏡」などを引き揚げ、未だ幾千円が水中にあるも知れざる」といわれている。

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 昨年復活された十和田神社への旧参道と十和田神社。













kohan9-5.gif占い場。絵は十和田湖を世に紹介した一人鳥谷幡山の描いた占い場。kohan11-6.gif




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明治36年(1903)に岩手県種市海女たちが潜って古銭をひきあげた。


高村光太郎作「乙女の像」


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 高村光太郎作「乙女の像」。昭和28年(1953)に、十和田湖を世に出した3恩人、大町桂月、武田千代三郎、小笠原耕一の功績を記念して建立された。
















十和田ビジターセンター

 十和田湖の成り立ちから十和田湖の四季、十和田湖の生き物などを案内します。


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「八郎太郎と南祖坊」の伝説の湖十和田湖

 十和田湖には、十和田湖を造った八郎太郎と、その八郎太郎と戦って十和田湖の主となった南祖坊の伝説伝わっています。その十和田湖伝説を語り部がお聞かせいたします。

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