夢追人ニュース

 新渡戸記念館館長 新渡戸常憲さん
 notobetunori1.jpg十和田市立新渡戸記念館館長新渡戸常憲さんがこのほど、『藝術とノエシス評論 ・エッセイ選集』を出版した。
 新渡戸さんはもともと日本では数少ない音楽学博士で、音楽評論家である。
 三本木開拓をした新渡戸家8代目という立場から、新渡戸家を継ぎ、館長の傍ら今も音楽評論としての二足のわらじを履き活動している。
 『藝術とノエシス評論 ・エッセイ選集』は、新渡戸さんがこれまで『音楽の友』や『音楽現代』などに書いた音楽評論や、地元の新聞「東奥日報」や「デーリー東北」に書いたエッセイなどをまとめたものである。
 第一章「音楽芸術 評論」は、ショパンやリスト、あるいは新渡戸さんが注目する若手ピアニストたちへの評論で、非常に高い次元での専門的な追求が行なわれ、クラシック音楽を知ったひとでないとわからないであろう。
tunenorinohon.jpg 第二章「自然界の音楽を聴く 私の精神風土」は、「自己紹介」に始まり、「トンボを追って」、「建築と創造など。また、「新渡戸家の祖先」や、「昆虫学者・新渡戸稲雄」、「身近にある自然」などのエッセイで、新渡戸さんの人柄がにじみ出ている。また、新渡戸家のことも、あ、そうであったかとエピソードを通してわかるように書かれている。
 そして第三章は、「これからの日本」で、新渡戸さんが館長になって取り組んだ「未来遺産」運動や、「寺小屋稲生塾」のことなどが書かれている。
 新渡戸さんのことは、これまでも度々紹介してきているので、経歴などははぶくが、昨年4月より新渡戸記念館の館長に就任して以来、十和田市のまちづくりの新しい担い手になっていることを伺わせる。

101歳日野原重明先生原案・脚本作品
日野原重明先生が十和田市の皆さんにとメッセージ
 

happanosiki1.jpg 医師や看護師、薬剤師などで構成するNPO法人キャトル・リーフの音楽劇「葉っぱの四季フレディ」が、このほど十和田市民文化センターで行なわれた(主催/中央病院芸術サポートボランティアアルタ・ノヴァ)。
 キャトル・リーフは、ミュージカルで、病院や特別支援学校、高齢者福祉施設などを訪問するボランティア団体で、平成13年(二〇〇一)に結成。これまで200回以上の公演を行なっている。
 『葉っぱの四季フレディ』は101歳の日野原重明聖路加国際病院理事長の原案及びシナリオによるもの。
happanosiki2.jpg 昨年8月、日本スピリチュアルケア学会(日野原重明)があったとき、蘆野吉和中央病院院長(当時)も出席。そのとき樹齢約400年の日本一のブナ「森の神」を見て感激。それがきっかけとなって十和田市での上演となった。
 上演に先立って日野原先生から「十和田の皆様」へのビデオレターが紹介された。
 『葉っぱの四季フレディ』は、一本の木の葉っぱの四季を通して、生まれてきた意味、生きるとは何か、意味のない命なんて一つもないなど、音楽を通して命の大切さを訴えるもの。
 出演者は皆医師や看護師などいわば素人。しかしながら歌も演技も素人ばなれをしており、楽しみながらも、知らずしらずのうちに命の大切さを理解する音楽劇であった。

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 ケント・ギルバードさんユーモア交え

 アメリカと日本の文化の違いを紹介
 

kentogiruba-do.jpg市民の企画運営委員会が運営する十和田市民大学講座が今年も始まった。
 その第1講座は、タレント・カリフォルニア州弁護士であるケント・ギルバートさん。
 ケントさんはまず、会場に「日本に外国人は何人いますか」と問いかけた。正解を答えたひとはいなかったが、約200万人、人口の約2㌫であるという。
 それでは十和田市には?これも正解者はいなかったが約200人、人口の約0・3㌫で、十和田市は外国人の少ないまちであることがわかった。
 続いて、日本にどこの国の人が多いかという問いにも正解者がいなかったが、1位はブラジル、2位は中国、3位は韓国であるという。
 また、日本とアメリカの文化の違いでは、日本は縦社会、アメリカは横社会。日本は集団社会、アメリカは個人社会。日本は恥の文化、アメリカは罪の文化。日本は本音と建前の社会、アメリカはずばりの社会など、日本とアメリカの文化の違いを、ユーモアを交えて語り、会場は笑いに溢れていた。

  9月7、8の両日、官庁街通りにて

 10万人の集客を目指し着々と準備進む
 

B-1guranpuri.jpg 食でまちづくり、北海道・東北B‐1グランプリが、9月7、8の両日、官庁街通りで行なわれるが、開催2ヵ月をきった今、10万人の集客を目指す、準備が着々と進められている。
 まず、6月3日には、実行委員会から十和田市タクシー協会(田中宏一会長)に対してPR用の車輌マグネットを寄贈。7月2日には、実行委員会に対して、安斉研究所(安斉将所長)から、「ウマジン」の特別版を寄贈。7月16日には、実行委員会(今泉湧水委員長)が100円10枚綴りで1冊1000円のチケットの販売を開始。
 また、7月17日には、バラ焼きキッズである市立三本木小学校6年生の児童約100名が、三本木農業高校の畑に行って、バラ焼きの材料である玉ネギを収穫。県立十和田西高校では、同高の文化祭で空缶約7000個を使って、B‐1グランプリの空缶アートを作成した。
 このように、9月7日の北海道・東北B‐1グランプリに向けて、その宣伝や雰囲気づくりなど、着々と準備が進められている。
 そして、7月16日で、北海道・東北B‐1グランプリに参加する21団体が決まった。以下、参加団体を紹介しよう。
 オホーツク北見塩焼きそば推進協議会、小樽あんかけ焼きそば親衛隊、第746なよろ煮込みジンギス艦隊、八戸せんべい汁け研究会、青森おでんの会、やきそばのまち黒石会、北上コロッケまるっとLab、久慈まめぶ部屋、いちのせきハラミ焼なじょったべ隊、とよま油麩丼の会、石巻茶色い焼きそばアカデミー、横手やきそばサンライ,S、男鹿のやきそばを広める会、本荘ハムフライ・ハム民の会、「大曲の納豆汁」旨めもの会、かほく冷たい肉そば研究会、山形芋煮カレーうどん寄合、浪江焼麺大国、甲府鳥もつ煮でみなさまの縁をとりもつ隊である。
 B級グルメ味の北海道・東北巡りである。どこのグルメが美味しかったか、食べて投票しよう。
 前売り券の問い合わせは℡0176‐24‐1635迄。
 

3.11東日本大震災支援がきっかけで、このほど全国コンサートツアーを行なった

sakuiradamakoto.jpg 6月29日、十和田市文化センターで行なわれた満席の「桜田まことコンサートツアー2013 inとわだ」は熱気に包まれた。
 これは、4月19日、宮崎市から始まり、福岡、東京、京都など全国16ヵ所で行われた最終回のコンサートであった。
 地元十和田市で、楽器屋をやりながら音楽活動を始めたのは平成6年(一九九四)。それから19年、全国に仲間ができ、「ライブをして欲しい」と声をかけられ、今年は16ヵ所の全国ツアーを行なった他、昨年はカナダから声がかかり、12都市14公演を行なった。
 桜田まことというと、RABラジオ「桜田まこと 風のうた、音の旅」のパーソナリティや、ソフトバンクホークスの応援歌『ぼくたちのホームラン』の作詞・作曲及び歌などで知られている。
itabasikazuyuki.jpg 全国に飛び出すそもそものきっかけは、3・11東日本大震災の支援であった。
 3・11の惨状を見て桜田さんは、被災地の人たちを勇気づけるために音楽で支援できないものかと、遠野市を拠点に、三陸沿岸の子どもたちへの支援活動を行なっているプロジェクトNextに問い合わせた。早速5月に入り、山田町からぜひ来て下さいとの連絡が入り、避難所である保育園でコンサートを行った。さらに、音楽仲間である秋田県出身で元オフコースのメンバーである大間ジローさんらとグループを結成し被災地を廻った。
 今はネットの時代である。その活動をインターネットで見ていたカナダの人たちが、私たちも日本の被災地を応援したいからまことよ来てくれということになった。
 こうして昨年(二〇一二)9月にカナダに行き、12都市14公演をやり、カナダの人たちから行った先々で熱烈な歓迎を受けると共に、多くの義援金を預かり帰ってきた。
 それらの活動の中で生まれた歌の一つ『Rising Sun』の一節を紹介する。

さあ見えるだろう
新しい夜明けが
もう迷わない
振り返らず進もう
涙は全て流してしまおう
夢の種を育てる時が来た

a-suga-ruzu.jpg 桜田まこと 昭和43年(一九六八)十和田市に生まれる。3歳のとき、原因不明の髪が抜け落ちる病気になった。そんなことで子どもの頃はコンプレックスの塊であった。
 中学校に入ったとき、三つ下の妹が習っていたピアノが今は使われず埃をかぶっていた。オフコースが好きだった桜田さん、そのピアノで何気なくオフコースの曲を弾いてみた。自分で弾くピアノの音と、オフコースの音は新鮮だった。それから、学校から帰ると毎日ピアノに向かった。
 コンサートでは、見事なピアノの弾き語りをするが、ピアノの先生についたことなく、運指法もこのとき以来自然に身についたものである。
 三本木高校ではバンドを組み、盛岡大学4年生のとき、カナダに1年間留学。帰国後盛岡で3年間活動。平成6年に帰郷。十和田市で音楽活動を行った。
 最初の10年はコンサートだけでは食えなかったから楽器店を経営しながら活動。平成15年(二〇〇三)よりコンサート活動一本に絞った。それから10年、作曲やコンサート他、音楽プロデュースと活動を広げ、作曲は300曲を超えている。

 桜田さん満45歳。人間としても成熟期に入った。そして全国へと活動も広がった。45歳の新しいスタートでもある。
 弁証法に「量から質への転換」の法則がある。これまで量を積み重ねてきた桜田さん。成熟期に入りどう質的に変化するか楽しみである。

桜田さんがプロデュースするアースガールズと応援に駆けつけた盲目シンガーソングライターの板橋かずゆきさん



  

独学で作曲・編曲を学んだあと飯島俊成氏に師事。今は作曲家としての道を歩みはじめた
 nosakakimonori.jpg十和田市出身で、様々な分野で活躍する若手の文化関係者が出始めてきた。作曲家の野坂公紀さんもその一人である。
 十和田市出身の作曲家では、『月がとっても青いから』や『お座敷小唄』などで知られる菅原都々子の父親である陸奥明(本名・菅原陸奥人)。旧十和田湖町出身の桜田武男ぐらいのものである。
 野坂さんは昨年10月、自らが作曲した『air scape~木管五重奏の為の三章~』をひっさげて、首都圏を中心に活動する木管五重奏団「Rai‐0n」のコンサートを行い、大好評であった。いわばふるさとに錦を飾ったのである。
 野坂公紀。昭和59年(一九八四)1月、十和田市に生まれる。三本木中学、七戸高校を卒業。そして大学は音楽大学とか思いきや、ナントいわき明星大学の人文学部現代社会学科を卒業している。
 それが何で作曲家に?ということになるが、そこが人生の面白いところである。
 野坂さんは、北園小学校、三本木中学、七戸高校、そして大学と吹奏楽部に入っていた。高校のとき作曲家になりたいと思った。が、青森には教えてくれる先生がいない。そこで、吹奏楽から管弦楽まで100人くらいの音楽家のCDを片っぱしから聞いた。その中でこれはすごいと感動したのが飯島俊成さんの作品であった。
 早速、飯島先生のホームページに作曲を習いたいんですけれどとメールした。偶然にも飯島先生は、三本木高校吹奏楽部のために作曲しているときであった。飯島先生から、「その時にお会いしましょう」との返事が来た。まさに想えば叶うである。これをきっかけに飯島先生に作曲を師事した。
 が、大学に進むときに、野坂さんもさすがに作曲で食って行けると思っていなかったから、取りあえず社会科の先生になろうと、前述の大学に進学した。
 ところが、大学を卒業して教員の試験を受けたが、見事に落ちてしまった。しかたなく、広島県の音楽関係の会社に就職した。
 そこで音楽関係の仕事をしているうちに、やっぱり俺の進む道は音楽だと、会社をやめて上京。昼はアルバイトをしながら、夜間の音楽専門学校に入った。そこでピアノや音楽の基礎を学び、独学で作曲や編曲を学んだ。
 また、文化庁の芸術家海外留学制度を利用して、フランスの音楽学校に半年間留学し作曲を勉強。帰国後飯島先生に再び師事し、作曲家の道に一歩踏み出した。
 現在は、管弦楽や吹奏楽、室内楽の他、舞台や映像、放送のための楽曲、コンピューターミュージックなどと、作曲の幅を広げている。
 音楽大学の作曲科を出たから作曲家になれるのではない。夢を持ち、それに向かって行動するから作曲家になれるのである。

 将来が楽しみな新進若手作曲家の一人である。

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 写真は、野坂さんの曲を演奏した木管五重奏団「Rai‐on」

 鷹山宇一記念美術館
 takayamauiti.jpg鷹山宇一記念美術館の今年最初の企画展は、箱根・芦ノ湖成川美術館所蔵の現代女流作家展である。
 現代女流画家展は、82歳のときに青いケシ「ブルーポピー」を求めてヒマラヤに行き、92歳を過ぎて『命といふもの』を画集にまとめ、95歳になった現在なお描き続けている堀文子さんの作品(40点)をはじめ、次代の日本画を託される今をときめく森田りえ子さん(15点)など、14名の女流画家の作品が展示されている。
 展示室に入ったとたん、あっ女性の絵だなと、女性特有の優しさと華やかさが伝わってくる作品展である。
 展示作家は、堀文子、森田りえ子、松本祐子、鳥山玲、伊藤深游木、安田育代、吉澤照子、林美枝子、清水操、米倉正美、鈴木紀和子、青木淑江、宮本和胡、毛利やすみの皆さん。
 会期は、6月16日(日)迄。問い合わせは、℡0176‐62‐5858.

5周年記念展「フラワーズ」は9月8日迄
ゴールデンウィーク中だけで25,700人入る
 

hurawa-zu1.jpg hurawa-zu2.jpghurawa-zu3.jpg 十和田市現代美術館(坂戸勝館長)が開館5周年を迎えた。平成20年(二〇〇八)4月26日開館から5月9日まで5年間の入館者数は約83万人である。
 4月27日から始まった、開館5周年記念展「flowers(フラワーズ)」は、4月27日~5月6日までのゴールデンウィーク期間中だけでも、官庁街通りの桜と相まって2万5713人が入館した。
 この「flowers」は、「花」をテーマに14人のアーティストが作品を創るというもの。
hurawa-zu4.jpg しかもその作品は、美術館の中だけに留まらず街に飛び出し、中心商店街の14店舗に展示。観客は案内図を見ながら、街を回遊し観る、街にも「花」を咲かせる、美術館と商店街が一体となった「flowers」である。
 作品を展示した店主は、
 「北海道とか東京、大阪からも来ていました」と喜びを語る。
 展示アーティストは、青山悟、安斉研究所、大庭大介、大巻伸嗣、草間彌生、工藤麻紀子、須田悦弘である。、高橋匡太、チェ・ジョンファ、チームラボ、奈良美智、蜷川実花、藤森八十郎、山本修路の皆さん。 

 写真上/オープニングセレモニーに参加したアーティストたち

       (但し左側3人は館長、副館長、市長)

 写真下/草間彌生さんの花

 写真右/チェ・ジョンファさん(韓国)の花
 写真左/奈良美智さんの花

 一歩街に出て見ると
hurawa-zu8.jpghurawa-zu6.jpg hurawa-zu5.jpg 写真上/十和田市に移住したイラストレーター安斉将さんの花(七丁目バス停前)
 写真中/展示のために店まで変えてしまった山本修路さんの作品(高村食料品店)

 写真下/色とりどりのほうきやモップの花が(AST)

 会期は、9月8日(日)迄

映画『渾身』の原作は、十和田市出身の小説家川上健一さん
 kawakamikeniti.jpg1月中旬より全国で上映され、「手に汗握るとはこういう時だな」とか、「映画でこんなに熱くさせてくれるのなんて、近年みたことがない、涙が止まらなかった」、「近年稀にみる本格的な邦画であった」、「原作小説はシンプルでさわやかな佳作である素晴らしい相撲エンターテインメント映画である」などたくさんの感動の言葉が寄せられている映画『渾身KON‐SHIN』。
 実はこの映画は、十和田市出身の小説家川上健一さんの原作『渾身』(集英社文庫)である。
 4月20日、十和田市民文化センターで、川上さんを迎えて、『渾身KON‐SHIN』の特別上映会が行なわれた。
 上映前に、舞台で挨拶に立った川上さんは、
 「30年ほど前に、テレビで隠岐諸島で20年に一度行なわれている古典相撲のニュースを見たんです。その相撲で、力士の背中に塩を浴びせるように投げつける場面があったんです。その時テレビから『これはお前が書く物語だよ』と聞こえてきたんです。それからしばらくして、編集者から『次は何を書きますか』と聞かれたんで、隠岐の古典相撲の話をしたら調べてくれて、『1週間後にある』といわれて、取材にいったんです」と、『渾身』を書くきっかけを話した。
 小説は、坂本多美子(映画では伊藤歩)は夫の英明(映画では青柳翔)と、まだ「お母ちゃん」と呼んでくれないが、前妻の娘である5歳の琴世と幸せに暮らしていた。
 隠岐島一番の古典相撲大会。夜を徹して行なわれた大会もすでに昼過ぎ。いよいよ結びの大一番。最高位の正三役大関に選ばれた英明は、地区の名誉と家族への思いを賭け土俵に上がる。息詰まる世紀の大熱戦、勝負の行方やいかに!?型破りのスポーツ小説にして、感動の家族小説である。
konsin.jpg 川上健一さんは、昭和24年(一九四九)十和田市に生まれた。十和田工業高校では野球部に入り、剛速球のエースとして、当時三沢高校の大田幸司投手と対戦、一勝一敗で引き分けているスポーツマンであった。が、肩を壊し野球を諦めた。卒業後上京、広告製作事務所などをやっていたが、昭和52年(一九七七)、『跳べ、ジョー!B・Bの魂が見てるぞ』で「小説現代」新人賞を受賞。これをきっかけに小説家の道を歩み、平成14年(二〇〇二)に『翼はいつまでも』で坪田譲冶文学賞を受賞。
 また、『雨鱒の川』及び『四月になれば彼女は』は映画化されている。川上さんの小説の映画化はこれで3本目である。

これは注目だ!! 寺山が生前に出版した全著作187点を展示
 terayamashuuji1.jpg「私が死んでも墓は建てて欲しくない。私の墓は私のことばであれば充分」と書き残した寺山修司。その言葉の通り、初出版である『われに五月を』(作品社刊)、昭和32年(一九五七)。47歳で急逝する最後の本となった『ニーベルンゲンの指環・ラインの黄金』(新書館刊)、昭和58年(一九八三)までの26年間に、俳句、短歌、詩、小説、評論など実に187冊の本を出している。1年間に7冊以上である。その他に演劇公演をやり映画を制作しているのである。
 自分は長生きできないと悟っていた寺山修司。生原稿見ると、そう推敲した跡もない。頭から出たそのままが本になっている。まさに天才であり、寺山の1分1秒は、無駄にできない1分1秒であったに違いない。
 そして、生涯に出版した全著作187点が展示されている。絶版になっている本も多いであろう。その本を手にとって見ることもできるのだ。
 今回の「寺山修司の原稿と本」展は、寺山修司ファンにとっては、1日居ても見切れない宝物がたくさん展示されている。
 会期は、~7月28日迄。 

terayama2.jpgterayama3.jpg 

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