夢追人ニュース

 十和田市出身㈱東京組中野渡利八郎会長語る

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 十和田市出身で、東京・世田谷で住宅建築会社を経営、東京の一等地で年間300棟以上を建設する㈱東京組の創業者・同会長の中野渡利八郎さんの「地域づくり講演会」(十和田市主催)が3月10日、十和田市民文化センターで行われた。
 中野渡さんは住宅大手メーカーのミサワホームに長年勤めていた。独立するきっかけは、最も悪い上司に恵まれたことであった。この上司のもとにいたら自分の人生がだめになる。そう思い会社を辞め、退職金で会社を設立した。この悪い上司に出会わなかったなら、私は会社を辞めなかったろうし、現在もなかったと思います。
 そのとき同級生が世田谷で不動産業をやり大成功していた。その同級生が俺の下請けにならないかといって私は建売業者をやることになった。それが東京組の始まりであった。その不動産屋は、街をきれいにすることを考えている不動産屋だった。街をきれいにすれば土地の価値も上がる。これはいいなと思った。
 東京組とつけたのは、フランスはパリ、アメリカはニューヨークというように街の名前の方が有名である。日本は世界から見れば東京です。などと、人との出会い、街づくりの考え方などを話し参加者に感銘を与えた。

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 毎年70万匹のひめますを放流している十和田湖。十和田湖での遊びの醍醐味の一つはこのひめます釣りである。
 ひめますは、日本では北海道の阿寒湖、チミケップ湖を原産とし、支笏湖や十和田湖、中禅寺湖、芦ノ湖、西湖、本栖湖、青木湖など釣られる場所が限られており、釣り人にとっては幻の魚として憧れの魚でもある。しかも十和田湖での釣りは、きれいな湖水に春は新緑、夏は深緑、秋は紅葉と美しい自然が満喫できる。
 その十和田湖でのひめますの釣り好きが集まるグループが「十和田湖釣りクラブ」(中野渡政男会長・会員40名)である。クラブ員はそれぞれ自前のモーターボートを所持しなければならないという釣りファンにとってはちょっと贅沢な遊びの釣りクラブである。釣りクラブでは、会員交流の釣り大会や船置場の清掃や除雪などのボランティア活動も行っている。
 解禁日は、春は4月1日~6月20日までの80日間、夏は7月11日~7月20までの10日間、秋は10月1日~12月31日までと限られている。
 また、近年は湖岸での釣り客も増え昨年は1000人を超えるなど、十和田湖でのひめます釣りはただ今増殖中である。
 夏のある日、十和田湖釣りクラブの会員の一人である鳥谷部保さんの釣り船に同船した。

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夜明けとともに船の準備をする釣りクラブの会員

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 まず針に餌をつける
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そして湖に糸を垂らす

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 ひめますが食いつくと竿の先に付けてある鈴がなる。引き上げると形の良いひめますが二匹釣れてきた。釣りの醍醐味の瞬間である。

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 どう、結構大きいでしょうと鳥谷部さん。釣りマニアを自称する鳥谷部さん。退職したら十和田湖に移住したいという太公望である。

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  この日の鳥谷部さんの釣果

社会福祉法人福祉の里第2回生涯学習講座
「健康で生きるための免疫力」を語る

 創立20周年を迎えた社会福祉法人福祉の里(山本孝司理事長)の、その記念事業としての第2回生涯学習講座が、このほど世界的な免疫学者安保徹新潟大学名誉教授を迎えて十和田市民文化センターで行われた。
安保さんは青森県出身で、平成8年(一九九六)に「白血球の自律神経支配のメカニズム」を発見した他、『体温免疫力』(ナツメ社刊)、『「まじめ」をやめれば病気にならない』(PHP新書)、『病気知らずになる免疫力の高め方』(中経出版刊)など、免疫に関するたくさんの著書がある。
 安倍さんは「健康で生きるための免疫力」と題し、日本人のようにまじめで責任感の強い民族は、職場で悩みを抱えたとき全部一人で解決しようと思って、悩みに悩んで身体を壊すひとが多い。身体の無理も心の悩みも原因は違って見えるけれども、起きてくる体調はよく似ている。それは自律神経のうちの交感神経が刺激されることによって起こるわけです。
 私たちは日中活動して、夜は睡眠をとって疲れを癒して生きているわけです。この活動を支えるときの体調を無意識につくってくれているのが自律神経のうちの交感神経なわけです。交感神経が働くと脈が早くなるし、血圧が上がり、血糖が上がる。それで血液に酸素と栄養を送って働いたりスポーツができるわけです。
 ところが働いてばかりいると疲れますから、夕方あたりから自律神経のうちのもう一方の副交感神経が働きだして、脈を少なくし、血圧、血糖を下げるという形で休息、睡眠に入ってバランスをとっているわけです。
 この自律神経のメリハリのいいひとは、日中バリバリ仕事ができる。夜は十分眠り足りて翌日に疲れを残さず60歳になっても70歳になってもいつまでも健康で生きられるわけです。
 自律神経の次に覚えていただきたいのは白血球の働きですと、細菌などの外敵から身体を守るマクロファージ、リンパ球、顆粒球などの仕組みを、若干青森なまりの抜けきらないユーモアを交えた親しみのある言葉で話しをした。
 「免疫力」についは、健康についての最も基本的なことなので、ぜひ安保さんの著書を読むことをお勧めしたい。

 十和田市出身のバレエダンサー野呂修平さん
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 77歳まで舞台に立ち、80歳を過ぎてなおバレエ指導者として後進を育てている、十和田市出身の野呂修平(本名間瀬繁雄・旧姓本間繁雄)さん。このほど氏の一生記『波乱万丈の人生 バレエ野呂修平80年の軌跡』を出版した。
 野呂さんの人生は、本のタイトルのごとくまさに波乱万丈であった。昭和8年(一九三三)東京で生まれた野呂さん。日本はアメリカに戦争。仕事が無くなった野呂さん一家は、昭和17年(一九四二)新天地をもとめ満蒙開拓団として満州に渡った。一時は一家はなんとか食える生活になった。が、昭和20年(一九四五)日本が戦争に負けた。そして帰還までの死と隣り合わせた逃避行。その中で多くの日本人が亡くなった。が、野呂一家は奇跡的に誰一人欠けることなく無事日本に帰還した。しかし帰ってはみたものの東京は焼け野が原、住む家もなければ仕事もない。 先に帰国していた長男が青森県三本木町(現十和田市)に開拓団として入植していることがわかった。一家は長男を頼り、再び開拓団として三本木に移住した。

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 ここで小学校、中学校、高校と過ごした野呂さん。東京で生まれ、満州に行き最後は三本木に落ち着いたが、野呂さんにとっては三本木は事実上のふるさととなった。
 三本木高校ではたくさんの友人が出来た。中でも音楽の長谷川芳美先生との出会いが、その後の野呂さんの人生を決定づけた。長谷川先生は、クラシック音楽の基礎を教えてくれた。
 高校を卒業し、父が決めてきた就職先を断って上京。東京で勤めた会社の社長が日本のバレエの先駆者の一人である服部・島田バレエ団の島田廣氏と友人であった。バレエは野呂さんが三本木高校時代に培ってきたクラシック音楽、スポーツなどすべてが入っていた。自分の行く道はこれだと迷うことなくバレエの道に進んだ野呂さん。野呂さんの持ち前の根性と努力でもって、田舎で育ったにもかかわらず日本のバレエダンサーの一人に数えられるにまで成長した。
 野呂さんに再び転機が訪れた。日本のバレエのやはり先駆者の一人である間瀬玉子の後継者に指名されたのである。こうして野呂さんは間瀬さんのいる埼玉県熊谷市に移住した。
 読み物としても面白い人生の軌跡。これが『波乱万丈の人生 バレエ野呂修平80年の軌跡』(文化出版刊)である。

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 十和田湖はかつて、大よそ400年ほど前に霊山として開かれ、青森県や秋田県などから多くの参拝客が訪れた信仰の湖であった。
 そして次に十和田湖を有名したのは和井内貞行によるひめますの養殖である。
 しかし現在は、信仰地であった「おさご場」は閉ざされ、十和田湖の特産品といわれながらホテルでもひめます料理が出されることがなく、和井内貞行については青森県側はパンフレットさえおいていないのは残念である。 
 和井内貞行は、安政5年(一八五八)現在の秋田県鹿角市毛馬内に生まれた。成人すると小坂鉱山寮の吏員を経て藤田組の社員となる。明治17年(一八八四)貞行27歳のとき十和田湖に鯉600匹を放流した。それは、重労働にもかかわらず干物と漬物だけという粗末な食事で働く鉱山労働者に新鮮な魚を食わせたいという思いからであった。これが和井内貞行の十和田湖への魚の放流の原点である。
 明治26年(一八九三)宇樽部の三浦泉八らと連名で湖水の使用許可をもらう。そのときの魚は主には鯉であった。が、鉱山は営業不振のために閉山。労働者に魚を食わせたいという漁業の目的が閉ざされる。
 しかし貞行の十和田湖への魚の養殖の思いが益々強くなってゆく。貞行は40歳のとき会社を辞め養殖に専念する。明治33年(一九〇〇)貞行43歳のとき青森県水産試験場からサクラマスの卵を買い孵化させ5000匹を放流。同じく日光養魚場からビワマスの卵を買い3万5000匹を放流。何回も失敗を重ね貞行は多額の借金を抱える。
 失意の貞行。東北漁業組合本部を訪ねたときである。ここで信州の商人から、北海道支笏湖にアイヌ語でカパチェッポと呼ばれる回帰性のマスの話しを聞く。
 これだ!!と思った貞行。妻カツは着物や櫛、愛用の懐中時計などを質に入れ卵を買う資金をつくった。明治36年(一九〇三)カパチェッポの卵を買い孵化させ3万匹を放流した。 
 そして明治38年(一九〇五)秋、風ひとつない湖面がさざ波たった。ヒメマスだ!!ヒメマスが産卵のために帰ってきたのだ。このとき貞行が発した言葉が「われ幻の魚を見たり」だといわれている。この貞行のひめますの養殖は、昭和17年(一九四二)に子ども向けの話として出版されたのを皮切りに、昭和25年(一九五〇)には『われ幻の魚を見たり』として映画化され、昭和33年(一九五八)ころから「十和田のヒメマス」として小学校の教科書に載り、十和田湖を有名にした。
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 十和田湖は青森県と秋田県にまたがっているわけだが、関西以西に行くと十和田湖は秋田県にあると思っている人が多い。和井内貞行は秋田県の人であり、その話もほとんどは秋田県であることから、和井内貞行のしが大きく影響しているものと思われる。
 十和田湖増殖漁業協同組合(小林義美代表理事組合長)は昭和61年(一九八六)よりこの事業を引き継ぎひめますの孵化と放流を行っており、現在の放流数は毎年70万匹である。
 その漁獲量はが、平成25年(二〇一三)でみると、ひめます9845㌔、ワカサギ895㌔、サクラマス318㌔、コイ285㌔、フナ398㌔となっている。かつて十和田湖の名産であったエビは平成4年(一九九二)の518㌔を最後に現在は皆無である。
 十和田湖での遊漁者数、釣り券を買って釣りをする釣り人は平成25年でヒメマス2222人、コイ38人であった。
 十和田湖増殖漁協の組合員数は35名(青森県20名、秋田県15名)だが、漁業だけでは食って行けず民宿などをやりながら生計を立てているひとが多い。
 漁協としてもひめますの養殖をするだけでなく、ひめますを売り込むためにブランド化を進めようと特許庁に地域団体商標を申請。昨年「十和田湖ひめます」として登録された。
 十和田湖の原点のひとつであるそのひめますは、前述のように十和田湖の主要なホテルでは出されておらず、わずかに民宿と一部の食堂や、 お土産店での串焼きとしてしか食べることができない。
 ひめますには感動的なドラマがある。「十和田湖ひめます」として地域商標登録もされた。このひめますを十和田湖の特産品としてどうアピールし売り込むかが今後の課題である。

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 写真上/魚が棲まわないといわれた十和田湖に失敗を重ね、苦労の末ひめますの養殖に成功した和井内貞行翁。その逸話は「ヒメマスが帰ってきた!」として小学校の教科書に載り、『われ幻の魚を見たり』として映画にもなった(写真は小坂町)
 写真中/和井内貞行の意思を受け継ぎ十和田湖にひめますの放流を続けている十和田湖増殖漁業協同組合の小林義美組合長
 写真下/十和田湖に生息する魚類(十和田湖観光交流センターぷらっと展示より





街の風景が変わる!使いやすさよりデザインを重視した設計

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 老朽化した十和田市中央公民館や社会福祉会館、老人福祉センターなどを集約した形で、中心商店街のど真ん中に作られた十和田市民交流プラザが10月14日にオープンした。
 その設計は、歌舞伎座やブザンソン芸術文化センター(フランス)などを設計。日本建築学会賞やフランス芸術文化勲章オフィシエなど数々の賞を受賞している、世界的に著名な建築家隈研吾氏によるもの。
 中心商店街への公共施設の建設は、郊外型大型ショッピングセンターの出現でデパートや小売商店が破綻し、衰退した商店街ににぎわいを取り戻そうというもの。また、これによって街の風景も変わってくるであろう。
 市民交流プラザは、建物の真ん中にみちの広場(エントランスホール)があり、これを中心に多目的研修室3室、和室3室、子育て支援ゾーンのプレイルーム及び親子ふれあいスペース、料理ができるキッチンスタジオ、作品の発表ができる展示室、サークル等の事務所ともなるスモールオフィスが並び、これに社会福祉協議会と老人クラブ連合会の事務局及び市の管理事務所である総合案内所が入る。建物への入口は市民が気軽に入れるようにと三方から5ヵ所ある。その他陶芸用の窯が機械室の中にある。
 しかし、その部屋の形や並びが不定形になっており、内装や外壁に県産の間伐材を使うなど、使いやすさよりデザインを重視した設計(下の図面を参照)となっており、初めて入館者したひとが迷った(?)という笑い話もあるほどである。
 設計者の隈氏は、
 「修学旅行に来たときの奥入瀬渓流の木漏れ日をイメージして設計した」と語った。
 この市民交流プラザは、現代美術館のようにお客を呼ぶ施設ではなく、市民のサークル活動や作品の展示、あるいは各種団体の会議などで使われる。
 閉鎖する前の中央公民館は年間延べ約9万人、社会福祉開館は約3000人、老人福祉センターは約5000人の利用者があった。その利用者がそのまま市民交流プラザを利用するのであれば中心商店街に約9万8000人と10万人近くが出入りすることになり、文字通り中心商店街の賑わいの創出につながるであろう。
 ちなみに部屋ごとの収容人数は、多目的研修室Ⅰ24人、多目的研修室Ⅱ50人~60人、多目的研修室Ⅲ20人、展示室(展示他会議等でも使用可)20~30人、キッチンスタジオ24人、和室Ⅰ21畳、和室Ⅱ14畳、和室Ⅲ14畳、エントランスホール50人、プレールーム30人、親子ふれあいスペース12組、スモールオフィス17区画となっている。そして駐車台数70台、駐輪台数45台となっており、施設の利用者は無料である。
 しかし、エントランスホールで50人、多目的研修室のⅡ、Ⅲを併せて使っても最大80人で、社会福祉協議会では100人以上の集まりは南公民館などを使わざるを得ないといっている。また、子育て支援ゾーンのプレイルーム及び親子ふれあいスペースはフラットではなく、それ以外での利用は難しい。
 世界的にも著名な隈研吾氏の設計で対外的には話題性があるが、今後これをどう活用するかは市民の肩にかかっているといえよう。
 総工費9億3500万円。

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 問い合わせは、市民交流プラザ℡0176‐58‐5670迄。

 アクセス数234、961件
 アクセス数ベスト20/1位東京、2位青森、3位大阪、4位神奈川、5位埼玉、6位千葉、7位北海道、8位愛知、9位宮城、10位岩手、11位福岡、12位兵庫、13位京都、14位秋田、15位静岡、16位、茨城、17位山形、18位広島、19位福島、20位栃木

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 平成24年(二〇一二)1月に発刊した「ネット新聞夢追人」。平成26年(二〇一四)12月31日現在でアクセス数23万4961件に達した。平成26年度の月平均のアクセス数は約7400件であった。
 しかも、アクセス数で一番多いのは東京である。以下、第20位までの県別アクセス数を紹介すると、第2位青森、第3位大阪、第4位神奈川、第5位埼玉、第6位千葉、第7位北海道、第8位愛知、第9位宮城、第10位岩手、第11位福岡、第12位兵庫、第13位京都、第14位秋田、第15位静岡、第16位茨城、第17位山形、第18位広島、第19位福島、第20位栃木となっている。まさに十和田発、全国新聞となった「ネット新聞夢追人」である。
 これを地域別でみると、いわゆる首都圏である、東京、埼玉、神奈川、千葉の4都県で約42㌫に対して、青森を含めた東北6県で約34㌫と首都圏が多い。
 もちろんアクセスは日本だけではない。数はそう多くないものの海外からのアクセスもある。海外からのアクセスのトップはアメリカで、以下オーストラリア、台湾、香港、ドイツ、中国、フランス、イギリス、韓国、カナダと続く。
 ネット新聞を発刊して満3年。地域に密着した取材で、十和田の魅力を全国に発信できたものと自負する。

 次の目標は映像の発信とネット広告及びネット商店街の設置
 全国の読者に読まれている「ネット新聞夢追人」。今後も地域に密着した文化情報を発信すると共に、次の目標はユーチューブを使った映像の発信と広告及びネット商店街の設置である。
 ユーチューブは文字を読む必要もなく映像でもってその臨場感を伝えることができる。
 そしてスマートフォンの時代の到来である。平成26年(二〇一四)のスマートフォンの普及率は若い世代を中心に36・9㌫。多くの人たちはスマートフォンから情報を得る時代となった。文字情報と共に映像情報を発信することによって若い世代にも読まれるネット新聞にしていきたい。
 そして二つ目はネット広告及びネット商店街の設置である。
 ネット広告は現在では新聞を上回りテレビに継ぐ第2位の広告媒体となっている。広告もネット時代に突入している。
 またネットを通して商品を購入するひとも多くなってきている。ネット商店街といってもネット新聞で商品を売るわけではない。ネット広告と併せ、単独ではネット上で出せない人たちの共同の商店街。つまり安い料金で誰でもが利用できる地域の共同市場のようなネット商店街を目指す。

 「十和田湖への古道を歩く」今年はネット新聞で募集
 来年は十和田湖国立公園指定80周年を迎える。本紙が昨年重点取材している十和田湖の復興。その要として「十和田湖の未来を考える会」が設立され、そしてその事業の一つとして十和田湖への古道が復活される予定である。
 その「古道を歩く」参加者をネット新聞で募集。今年はネット新聞が事業と融合し活用されるその第一歩の年としたい。


 藤原歌劇団団員テノール歌手の山内政幸さん

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 十和田市出身のオペラ歌手で藤原歌劇団正団員の山内政幸さんが、このほど十和田市民文化センターでオペラ『シンデレラ』の公演を行い、市民から大きな拍手をもらった。山内さんにとってオペラ歌手になって初めてのふるさと十和田市でのいわば本格的オペラの凱旋公演となった。
 山内政幸さんは昭和49年(一九七四)5月十和田市に生まれた。三本木中、八戸工大二高、昭和音大短期大学、昭和音大声楽科を卒業。同時に日本オペラ振興会オペラ歌手育成部マスターコース終了後、藤原歌劇団に入団。一昨年晴れて団員に昇格した。
 藤原歌劇団は、日本のオペラの先駆者である藤原義江が昭和9年(一九三四)に日比谷公会堂にプッチーニの『ラ・ボエーム』を上演したのが最初とされ、最初は藤原歌劇団として活動していたが、昭和56年(一九八一)に日本オペラ協会と合併統合し、日本オペラ振興会となり「藤原歌劇団」の名称は、西洋オペラの公演事業名として残している80年の歴史を持つ。その団員約200名、準団員500名という日本最大のオペラ集団である。
 山内さんは藤原歌劇団での公演の他、若手の歌手たちと「Divo e Diva」を結成、公演活動を行っている。今回はその公演であったが、山内さんはサンドリヨン(シンデレラ)を見初める王子役として出演。オペラの醍醐味を魅せてくれた。
 また、オペラというと音楽はオーケストラで演奏されるが普通だが、地方では予算やオーケストラボックスがない(十和田市民文化センターはある)などの理由でなかなかできない。がエレクトーン2台でオーケストラが演奏されたのにはちょっと驚きであった。
 話はちょっと横道にそれるが、山内さんは大晦日も押し迫った12月27日、地元冨士屋グランドホールで、熱烈なオペラファンであった裕子さんと晴れて結婚。ここでは余興で自ら日本歌曲を歌うなどして、文字道理主役をつとめた。

シンセサイザー2台でオーケストラ

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終了後高村さんの叙勲を祝う

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 十和田市名水対策協議会(竹島勝昭会長)ではこのほど十和田市民文化センターで三本木高校卒業・元立正大学学長で元日本地下水学会会長の高村弘毅さんを講師に昨年に続き2回目の名水保全学習会を行った。
 実は地下水が豊富と思われていた十和田市でもかつてその湧水を利用してニジマスの養殖をしていた場所が湧水が出なくなって閉鎖するなど地下水に変化が起きている。その地下水の変化に危機感を持った名水保全会は専門家を呼んで学習会を行った。
 高村さんは「三本木原台地の地下水環境の蘇生に向けて~奥入瀬川の余剰水による地下水資源としての復権~」と題して講演。
 三本木原台地の上にある十和田市。三本木原台地の地下水の一番大きな供給源は奥入瀬川であるが、奥入瀬川は30㍍も低いところを流れている。そのために新渡戸伝が稲生川を開削するまで水田ができなかった。稲生川が開削され地下水も豊富になった。が、近年稲生川の三面をコンクリートで巻き漏水が無くなった一方、減反により水田からの地下浸透が少なくなり、奥入瀬川の水は余上水となり無駄に太平洋に流出している。
 このような水環境の悪化が全国的なものであり国ではようやく「水循環基本法」を公布したとして、秋田県六郷扇状地の灌漑水路や香川県秦野市の例を挙げ、三本木原台地の場合はどうしたらいいのかを語った。
 高村弘毅さんは、昭和12年(一九三七)旧倉石村で生まれる。三本木高校卒業後上京。朝は牛乳配達、昼は会社に勤めながら、立正大学の夜学に通った。そして大学院は助手及び学生寮の舎監をしながら研究を続け、昭和41年(一九六六)に博士号を取得。以後、同大教授、平成16年(二〇〇四)に同大学長にのぼりつめた苦労人である。専門は、水文学、地下水学で、元日本地下水学会会長である。そして今年瑞宝中綬章を受章した。
 講演終了後、市内のレストランで関係者60人ほどが集まり高村さんの受章を祝った。

しかし乗客は最高時の820,000人(平成3年)から124,000(平成26年)と大激減

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 昨年倒産した十和田湖観光汽船のあとを継いで十和田湖遊覧船企業組合が発足。十和田湖遊覧船は今年8月より再び2社体制となり、十和田観光電鉄(株)は休屋から中湖を巡る湖上遊覧。企業組合は休屋、子ノ口間の定期運航遊覧と5隻が運航している。
 しかしその経営は厳しく最高時の82万人(平成3年)から、今年度はわずかその15㌫強にあたる12万4000人と大激減している。そのために昨年までの定期航路は500人の定員にお客が数人というときもあり、空気を運んでいると揶揄されることもあったほどである。それが観光汽船が倒産した原因でもあった。
 何故このように大激減したか。一つは十和田湖への入込数の激減。もう一つは旅行形態が団体旅行から個人旅行へ変わってきたことに全く対応してこなかったことなどによるものである。
 しかし湖上遊覧の魅力が変わったわけではない。特に今年の秋は、燃えるように紅く染まった紅葉の中に松の緑が点在し、どんな芸術家も表現できないほどの自然美に圧倒され、別世界に来たかのような美しさであった。
 それではどうすればいいのか。まず団体客時代の大型船から脱却し、きめ細やかなサービスができる100人程度の小型船に切り替えること。ランチクルーズなど湖上で楽しめる様々なクルーズ船などが考えられる。金がかかることでありすぐには対応できないであろう。が、いずれにしても現在のままでは観光客を満足させることはできず細る一方である。

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