夢追人ニュース

 道の駅と合体・文化村構想として発展
 20年間(1994年8月~2014年7月)で452,045人入館

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 文化のまち、教育のまちといわれていた合併前の旧七戸町。昭和63年(一九八八)当時の濱中博町長が「美術館」建設を打ち出し、さすがに文化のまちだと世間をアッといわせた。しかし、濱中町長が急逝。町長が変わり「美術館」建設が議会で否決された。それに対して町民有志が立ち上がり署名活動を行い再び「美術館」建設が復活した。
 こうして宮城県中新田町のバッハホールの提案者の一人である北川フラムさん(アートディレクター)を顧問に「文化施設構想整備策定委員会」が発足。それが「文化村」構想に発展。平成6年(一九九四)、誕生したばかりの道の駅と合体した全国でも前例のない鷹山宇一記念美術館が開館した。
 それから20年。この20年間で45万2045人が入館。年平均約2万6000人。毎週月曜日が休館日であるから開館日月26日として計算すると、1日平均約83人が入館していることになる。これは地方の、しかも人口1万数千人の町としては大健闘といっていい入館者数である。
 これだけの入館者数を維持してきたのは、第1に、大胆に道の駅と合体したこと。第2に、鷹山宇一の長女で、当時二科会事務局長であった鷹山ひばりさん(平成11年~平成21年・現青森県立美術館館長)を館長に迎えたこと。第3に、市民による後援団体「友の会」を組織したことなどが挙げられる。
 これは、道の駅と合体したことでこれまで美術に関心がなかったひとでも気軽に入館できる雰囲気を作った。二科会の事務局長鷹山ひばりさんは日本の画壇に顔が広く企画力に優れていた。そして「友の会」は企画展などをボランティアで支えてくれた。
 この20年間に1万人以上が入館した主な企画展を紹介すると、平成11年「~世界の文化遺跡を描く~平山郁夫展」(1万4570人)。平成12年「手塚治虫の世界展~世代を超えた夢ワールド~」(1万8260人)。平成13年「夢は無限 藤子・F・不二雄の世界展」(2万5455人)。平成14年「安田火災東郷青児美術館蔵‐東郷青児展」(1万7450人)。平成16年「箱根・芦ノ湖成川美術館コレクション~春光うらら~さくら・桜展」(1万1730人)。平成17年「手塚治虫のふしぎな虫眼鏡展」(1万7265人)。平成20年「青森放送創立55周年記念~ヤマタネ所蔵作品による~日本画名品展」(1万5077人)。平成21年「箱根・芦ノ湖成川美術館コレクション~日本のこころ~Sakura桜・富士山Fujiyama展」(1万3082人)。平成22年「山形美術館 服部コレクション~伝統とエスピリー~20世紀フランス絵画の精髄」(1万1285人)。平成23年「平山郁夫展~次世代への伝言」(1万3706人)などである。
 鷹山宇一記念美術館20周年は、記念作品として彫刻家吉野毅制作のブロンズ『請』(高さ178㌢、奥行45㌢、幅45㌢)を購入した他、特別記念展として「日本近現代洋画への旅‐鷹山宇一作品と山岡コレクションを中心に‐」を行った。
 舩山義郎館長は、
 「鷹山宇一記念美術館はどうしても中高年のひとたちが多いです。今後は若いひとたちに来てもらえるような企画を考えて行きたいです」と語る。

しかし暴走は危険、時速100㌔、今年死者がでる。早急に安全対策を

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 湖の遊びで近年顕著になってきているのが水上バイクである。水上バイクは、船体の下から水を取り入れジェットポンプで加速させウォータージェットで推進するもので、最高時速は100㌔ほど出る。特に波の少ない十和田湖では爽快であると共に、スピードを出し過ぎ転倒すると大怪我、あるいは死亡に至ることもある。今年も十和田湖で一人死亡、小川原湖で一人膝蓋骨(膝の皿)を折るなどの大怪我をしている。
 しかし禁止する必要はなく、マナーやルールを守って乗ればこれほど爽快で楽しい乗り物はない。
 今年も十和田湖では、若者から中高年、家族連れなど、写真で見るように前に子供を乗せ、あるいは後ろに彼女を乗せ楽しんでいるグループがたくさん訪れている。水上バイクは、十和田湖の湖上観光の重要な一つである。早急に利用規定や安全対策をとることである。

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 昨年、寺山修司没後30年を記念して行われた寺山修司演劇祭が、今年も8月29、30の両日星野リゾート青森屋で行われた。
 異才・鬼才といわれた寺山修司の活動の中でその異才ぶりをいかんなく発揮したのが「演劇実験室・天井桟敷」である。寺山修司演劇祭は、その寺山演劇の再現である。
 早い時期から「天井桟敷」の音楽を担当してきたJ・A・シーザーが率いる「演劇実験室・万有引力」は、寺山演劇のダイジェスト版『百年たったら帰っておいで~演劇零年 百年の孤独』を上演。「天井桟敷」出身のおきあんごらが盛岡で結成した「劇団赤い風」が『星の王子様』を上演。いずれもこれが寺山演劇だという寺山演劇の独特な雰囲気を再現して魅せてくれた。
 寺山演劇祭はこの他、やはり「天井桟敷」出身で、詩人でもある寺山修司記念館館長の佐々木英明の構成・演出・出演による「寺山修司へのオマージュ 五月の序詞」が、佐々木英明、青森大学演劇部、同文芸部によって上演。さらには夜にはカッパ沼「浮見堂」の特設会場で、J・A・シーザーによる野外コンサート「山に上りて告げよ」が行われ、寺山の異空間に浸った二日間であった。
 写真は、演劇実験室・万有引力『百年たったら帰っておいで』の舞台

 日本のイチョウの木巨木ベスト10のうち青森県は第1位の北金ヶ沢のイチョウ(深浦町)、第3位の宮田のイチョウ(青森市)、第5位の法量のイチョウ(十和田市)、第6位の根岸のイチョウ(おいらせ町)と5本。さらに東北に目を移して見ると宮田のイチョウと並ぶ第3位の長泉寺の大イチョウ(岩手県)があるが、青森県が圧倒的に多い。これらのイチョウのすべては自然に生えたのではなく人の手によって植えられたものである。何故?と誰しもが疑問に思うであろう。
 このほど日本北方圏域文化研究会(高田克彦理事長=秋田県立大教授)による、「青森県の巨樹と地域文化」と題するフォーラムが十和田市民文化センターで開催された。
 日本北方圏域文化研究会は、日本の在来種でないイチョウが東北に地域の多く残っていることに着目した有志によって平成21年(二〇〇九)に設立された。
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 フォーラムは、話題提供者として、青森山田学園園長の盛田稔さん、弘大農学生命科学部准教授の石田清さん、東北巨樹巨木調査研究会会長の高渕英夫さん、日本北方圏域文化研究会顧問の向出弘正さんらがそれぞれ発表。歴史研究の傍ら樹木、特にイチョウについて研究している盛田さんは、生きた化石といわれるイチョウの原産地は中国である。台湾には日本人が植えたイチョウの林がある。イチョウの葉にはアルツハイマーの予防成分が含まれているなど。石田さんは、樹木の性別について。高渕さんは、ブナなどこれまでの巨木調査の成果を。向出さんは、イチョウの巨木は落雷などの被害を受けやすく実際の樹齢の把握はむずかしいが、8~11世紀にかけて北方地域で活動した製鉄集団によって植えられたのではないかなどと話した。
 しかし1000年以上経っているイチョウにはそれぞれ宗教的な伝説が残されているなど、北方のイチョウは研究半ばであることを感じさせるフォーラムであった。
 写真は、樹齢約1,100年、幹回り14.5㍍、日本第5位の法量もイチョウとその看板

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十和田湖の新しい魅力を探る-観る観光から遊ぶ・体験する観光へ  和田湖マリンブルー

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 かつて透明度20メートルあり日本第3位の透明度を誇ったこともある十和田湖。しかし経済の高度成長と共に観光客が増えホテル・旅館が林立し透明度が10メートル以下に低下したこともあった。が、近年は改善され美しい湖は戻りつつある。
 蒼穹を映した美しい湖で遊ぶ。醍醐味であると同時に心が洗われる。
 その遊びの一つが十和田湖マリンブルー(中村十二代表)のランチクルーズである。
 食事をしながら、中村さんのジョークを交えた名所案内のガイドを聞きながら、大きな船では見ることのできない奇岩や入江などをのんびりと湖を回遊する。家族や小グループでの遊びには最適である。現在はマリンブルーのアドベンチャー21号1艇だけであるが、これが4艇、5艇と増えたなら十和田湖での遊びの魅力も倍増する。
 問い合わせは、℡0176‐75‐3025(十和田湖マリンブルー)

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 十和田市現代美術館(藤浩志館長)は8月23日、入館者が100万人を突破した。
 現代アートって何だ??そんなのでひとが来るわけがない。税金の無駄遣いだなどと市民賛否両論の中、平成20年(二〇〇八)4月26日オープンした。
 本紙もオープン1年前の平成19年(二〇〇七)1月号より「野外芸術文化ゾーンって何だ!!」というテーマで、金沢21世紀美術館や広島市現代美術館などの現代美術館や、十和田市現代美術館に展示される予定の23人の作家及びその作品を紹介してきた。
 ところがふたを開けてびっくり。美術雑誌やテレビで大きく取り上げられ、桜の満開と重なったこともあり、4月26日から5月6日までのゴールディンウィークの11日間に2万8405人が入場し、現代美術館への不安はいっぺんに吹っ飛んでしまった。
 以後、その年の9月3日、オープン130日目で10万人突破。1年後の平成21年(二〇〇九)5月6日に20万人突破。同9月23日に30万人突破。平成22年(二〇一〇)4月野外芸術文化ゾーンが完成しグランドオープン。その年の6月6日に40万人突破。同11月16日オープンして2年半で50万人を突破した。
 が、平成23年(二〇一一)3月11日、東日本大震災が勃発。さらに福島原発の事故が重なった。東北全体がそうであったように以後入館者が鈍化。にも関わらず、その年に発刊された『日本の美術館ベスト100ガイド』(マガジンハウス刊)の表紙を飾っただけでなくグラビアで9頁を割いて紹介された。平成24年(二〇一二)6月23日70万人突破。同年環境芸術学会のそのトップ賞である第1回環境芸術学会賞を受賞。そして昨年5月9日オープン5年目で83万人が入館。さらに今年(二〇一四)1月地域創造大賞(総務大臣賞)を受賞。そしてこのほど100万人を突破した。
 十和田市現代美術館人気の秘密は何であろうか。第1に、世界的な建築家西沢立衛氏設計による官庁街通りと一体となったガラス張りの美術館の建物の話題性であろう。第2に、美術館の準備段階から企画や運営に携わってきた南条史生森美術館館長とそのグループによる企画力の強さ、発信力の強さであろう。
 今やアートや建物が観光になる時代である。かつて文化の砂漠といわれていた十和田市。十和田市現代美術館は、文化でまちづくりの先進事例となった。
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 十和田市現代美術館(藤浩志館長)は8月23日、入館者が100万人を突破した。
 現代アートって何だ??そんなのでひとが来るわけがない。税金の無駄遣いだなどと市民賛否両論の中、平成20年(二〇〇八)4月26日オープンした。
 本紙もオープン1年前の平成19年(二〇〇七)1月号より「野外芸術文化ゾーンって何だ!!」というテーマで、金沢21世紀美術館や広島市現代美術館などの現代美術館や、十和田市現代美術館に展示される予定の23人の作家及びその作品を紹介してきた。
 ところがふたを開けてびっくり。美術雑誌やテレビで大きく取り上げられ、桜の満開と重なったこともあり、4月26日から5月6日までのゴールディンウィークの11日間に2万8405人が入場し、現代美術館への不安はいっぺんに吹っ飛んでしまった。
 以後、その年の9月3日、オープン130日目で10万人突破。1年後の平成21年(二〇〇九)5月6日に20万人突破。同9月23日に30万人突破。平成22年(二〇一〇)4月野外芸術文化ゾーンが完成しグランドオープン。その年の6月6日に40万人突破。同11月16日オープンして2年半で50万人を突破した。
 が、平成23年(二〇一一)3月11日、東日本大震災が勃発。さらに福島原発の事故が重なった。東北全体がそうであったように以後入館者が鈍化。にも関わらず、その年に発刊された『日本の美術館ベスト100ガイド』(マガジンハウス刊)の表紙を飾っただけでなくグラビアで9頁を割いて紹介された。平成24年(二〇一二)6月23日70万人突破。同年環境芸術学会のそのトップ賞である第1回環境芸術学会賞を受賞。そして昨年5月9日オープン5年目で83万人が入館。さらに今年(二〇一四)1月地域創造大賞(総務大臣賞)を受賞。そしてこのほど100万人を突破した。
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 十和田市現代美術館人気の秘密は何であろうか。第1に、世界的な建築家西沢立衛氏設計による官庁街通りと一体となったガラス張りの美術館の建物の話題性であろう。第2に、美術館の準備段階から企画や運営に携わってきた南条史生森美術館館長とそのグループによる企画力の強さ、発信力の強さであろう。
 今やアートや建物が観光になる時代である。かつて文化の砂漠といわれていた十和田市。十和田市現代美術館は、文化でまちづくりの先進事例となった。
 100万人目の入館者となった吉田千恵さん(宮城県)


『福島六ヶ所未来への伝言』の上映会に

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 六ヵ所村に移住し20年間撮り続けてきたフォトジャーナリストの島田恵さんが、3・11東日本大震災の原発事故をきっかけに、福島と六ヶ所をつなぐドキュメンタリー映画『福島 六ヶ所 未来への伝言』を製作。八戸フォーラムの上映会に歌手の加藤登紀子さんが駆けつけ、島田さんの映画上映を応援した。
 この『未来への伝言は』六ヵ所村の核燃料サイクル施設反対運動と、その後変わって行く村人たち。福島の原発事故で避難を余儀なくされた人たちの想いを交差させながら、この現実を後世に残して行かなければという想いで製作されている。
 加藤さんはこの映画の中で挿入歌『今どこにいますか』を歌っている。加藤さんもチェルノブイリの原発事故のときウラジオストックにいた。今も子どもたちが放射能の影響を受けている。福島の原発事故は影響がないというのは嘘だ。
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幸せとは何かを考えてほしいと結んだ。
 加藤登紀子さんと、映画を制作した島田恵さん
~寺山修司と九條今日子のラブレター~

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 三沢市寺山修司記念館の名誉館長で、寺山修司の元妻の九條今日子さん(本名=寺山映子)さんが今年4月に死去(享年78歳)した。
 寺山と結婚後、天井桟敷のプロデューサーとして寺山の活動を裏で支えてきた九條さん。寺山と恋愛時代から天井桟敷など、寺山と九條さんのその知られざる姿を追ったのが、この「追悼!九條今日子展」である。
 九條今日子さんは、SKD(松竹歌舞団)で舞台デビュー。その後松竹映画に移り、昭和33年(一九五八)ころから『花嫁の抵抗』、『悪女の季節』、『素晴らしき十九歳』、『黄色いさくらんぼ』など、主役は取れなかったものの青春映画のマドンナであった。
 そのころの寺山は、昭和34年(一九五九)に谷川俊太郎の勧めで書いたラジオドラマ『中村一郎』が民放祭大賞を受賞。その後処女シナリオ『十九歳のブルース』を書くが映画化されず。翌35年(一九六〇)『乾いた湖』(篠田正浩監督)で松竹女優九條映子(九條今日子)と出会い一目ぼれ。連日の手紙と電話で猛烈にアタック。こうして二人は昭和37年(一九六二)に結婚した。
 「追悼!九條今日子展」は、九條今日子の映画女優時代のスチール写真や、寺山のラブレター、九條今日子への想いの詩など450点、寺山と九條さんの熱き青春の愛の軌跡が展示されている。
 また、この展示会の冒頭の8月2日に、寺山修司記念館フェスティバル2014夏「九條さん、ありがとう!」が開かれ、天井桟敷の歌手蘭妖子ライブと、天井桟敷に関わったJ・A・シーザー、蘭妖子、佐々木英明、笹目浩之のトークショーが行われ九條今日子さんを偲んだ。
 「追悼!九條今日子展」は平成27年(二〇一五)3月29日迄。問い合わせは、℡0176‐59‐3434。

ロシマ・ナガサキ 原爆と人間 多くの市民、たくさんの親子が訪れる

犠牲になるのはいつも庶民
 安倍内閣の憲法拡大解釈で、日本は再び戦争をする国になるのではないかという懸念が国民の間で高まり、反対運動が大きなうねりになりつつある。
 そんな中、再び戦争をする国にしてはならないという思いを込め、このほど十和田市民文化センターで「原爆写真展」(十和田市原水爆禁止の会・苫米地宣廣代表=主催)が開かれ、「原爆と人間」、「サダコと折鶴」、平和の絵本などが展示された。
 これには多くの市民、たくさんの親子づれが訪れ原爆の悲惨さに見入っていた。
 *写真は、パネルを撮ったため光が反射しているところもありますのでご了承ください。

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 原爆での犠牲者は広島で122,338人、長崎で73,884人といわれている。原爆亡くなったそのほとんどが庶民である。もう二度とこんなひどい思いをしたくない。それが戦争永久放棄の第九条の平和憲法を生み出したはずである

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 多くの市民、たくさんの親子が訪れ熱心に原爆の写真展を見ていた。家に帰って親子でどんな話をするのであろうか

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 水槽には三人、四人と水をもとめて重なりあって死んでいる。倒壊した家の中にも傷ついて横たわっている人。のどが乾いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくてとうとう油の浮いたまま飲みました(長崎・平和の泉の碑文)

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 来る日もくる日も新たな死者の数がふえつづけていた。火葬が毎日どこかの空き地で行われた。家族の手で葬られるもの、最後の一人を見送る仲間、あるいは引き取り手のいない遺体...。まだ暑さの残っている秋の夕暮れ。晴れ着を着せられ、焼かれようとしている姉妹の顔は、お化粧されて美しかった(長崎原爆資料館より)


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 佐々木禎子は2歳のとき、広島の爆心地から1.7㎞の地点で被爆しました。奇跡的に無傷でしたが、被爆から10年後、小学校卒業目前に白血病に襲われました。「鶴を千羽折ると病気が治る」という伝説を信じて鶴を折り続けましたが、願いはかないませんでした。サダコの級友たちは、彼女の死がむだにならないことを願って、募金運動にたちあがりました。日本中の子どもたちの協力をえて、広島平和公園に、「原爆の子の像」がつくられました(「サダコの千羽鶴」より)

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 川には人間がばたばたと飛び込んでいた。ほとんどがはだかにみえた。男女の区別さえつかない。死んでいる人。うめいている人。水をほしがる人。がむしゃらにさけぶ者ー。この姿を見ない者には話してわからない(山口瞳『ヒロシマ・ナガサキ二重被爆』より)

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原爆でまっ黒焦げになった子ども


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  二〇一〇年NPT再検討会議NGOプレゼンテーションで自らの写真(米国返還資料)を掲げ発言する長崎・谷口稜曄さん



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