夢追人ニュース

趣味に乗馬を楽しむ簗田睦子さん
84歳で全国乗馬倶楽部振興会の5級ライセンスを取得

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 会員資格「男性概ね60歳以上、女性概ね50歳以上」という乗馬クラブがある。十和田健康乗馬クラブ(佐藤清会長)がそれである。
 現在会員は女性8名、男性12名の併せて20名。うち80歳代1名、70歳代10名、60歳代5名、60歳未満4名と、おそらく全国最高齢者の乗馬クラブである。
 その最高齢者乗馬クラブの最高齢者が今年10月に全国乗馬倶楽部振興会の5級ライセンスを取得した梁田睦子さん、御年84歳である。
 「私ね、お花、お茶、日本舞踊、裂織などたくさんの趣味を持っていて、それなりの資格を取っています。次に何をやろうかと考えていたとき、十和田に桜流鏑馬を見に行ったんです。女性が全速力で走る馬に乗って矢を射るでしょう。感激しました。あ、今年は午年だ。馬もいいな、こんなおばあちゃんでもできるかしらと思って十和田乗馬倶楽部に電話したところ、会長がどうぞといってくれて、5月ころから練習しました。馬に乗ったときはただただ嬉しくってね。それが新聞に載ったところ友達から電話がかかって来て、みんなが集まってお祝いのパーティーを開いてくれたんです」と語る。
 簗田睦子さん、昭和5年(一九二七)2月、旧天間林村出身。夫は学校の先生をしていたこともあり専業主婦であった。が、午年の今年馬に出会った。十和田乗馬倶楽部に練習に通い、10月に乗馬5級のライセンスを取得。今は4級に迫る勢いだ。
 超高齢化社会の日本。高齢になっても趣味と生きる目標をもち、病気知らずで活動する。梁田さんは超高齢化社会の高齢者の生きる一つの手本だ。
 十和田健康乗馬クラブは、平成22年(二〇一〇)に発足。隔月で奥入瀬渓流や八甲田山麓蒼星の森、奥入瀬川河川敷、小川原湖湖畔、三沢淋代海岸、十和田市周辺など大自然の中をトレッキング。終わった後は、その日のトレッキングの映像を見ながらの懇親会はまた楽しい。会員の平均年齢は70歳強だが、誰も自分は高齢者だなんて思っていない。

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 写真上/十和田乗馬倶楽部の中野渡会長と余裕をもって談笑しながら乗馬する簗田睦子さん(12月)。写真下十和田健康乗馬クラブの仲間と奥入瀬川河川敷をトレッキングる簗田さんこのときはちょっと緊張ぎみであった(7月)


 むかしの農民の生文化「繋ぐ術」東北の民俗衣と現代美術
津軽と南部の文化の違いも

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 十和田市現代美術館(藤浩志館長)今年度最後の企画展「繋ぐ術『田中忠三郎が伝える精神』‐東北の民俗衣コレクションと現代美術」が始まった。
 田中忠三郎(一九三三~二〇一三)は戦中の日銀総裁、戦後すぐの大蔵大臣を務めた民俗学者であった渋沢敬三に傾注。自ら民具や衣服の調査・収集をし、その私有コレクションが2万点以上という在野の民俗学者であった。
 展示は、現代美術館が企画するだけあって単に田中忠三郎が収集した衣服を展示するのみではなく、村山留里子や平田哲朗等現代美術家の作品とコラボレーションさせた展示となっている。
 田中忠三郎着物コレクションは、十和田市や七戸町、旧上北町など県南地域で収集したタツケ(今でいうズボン。モモヒキともいった)やミジカ(半纏のような上着)、刺し子をしたマガナイ(ヌノマガナイともいった)、津軽地方のソデナシ、コギン刺しなど150点余りが展示されている。
 その中でも石川五右衛門が着たような丹前状の夜着ドンジャは圧巻である。
 田中忠三郎着物コレクションは、南部といわれていた県南で収集された物が多いが、それは米がとれず貧乏であったことから戦後すぐまで年寄りはタツケやミジカなどを着ていたからである。
 また、麻布を補強するために木綿糸で刺すとき、津軽のこぎん刺しは、経糸の目を奇数目で拾って模様を作ったのに対して、県南の菱刺しは偶数目で拾って刺すなど、津軽と県南の文化の違いをも見ることができる。

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 会期は15年2月15日迄。問い合わせは、℡0176‐20‐1127迄。
  
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 2014年、10月18日・19日の二日間に全国59のまちおこし団体が集結した「B‐1グランプリin郡山大会」が開催された。二日間の来場者数はなんと、45万3千人を記録した。郡山駅を降りると人の群れが混雑していて会場まで歩くと40分かかる道のりにも人の列が途切れることなく続いていた。

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 ふるさとが大好きな59団体が集まって地元をPRする「まちおこし」のための大会は、いくつかの会場に分かれ来場者をもてなした。安く美味しく面白く、各団体の工夫やパフォーマンスは見ているだけでも飽きない。

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 そんな中でも十和田バラ焼きゼミナールがさらに輝きを放っていたように見えたのは、十和田西校の生徒の頑張りや、バラゼミの想いが強く込められていたからだと知っていたから感じたのかもしれない。途切れることなく並ぶ来場者に必死で笑顔で声を掛け続けるエネルギーは素晴らしく、並んでくれた来場者も受け取ったことだろう。

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 各団体の熱戦が繰り広げる中、二日間の大会は幕を閉じた。投票に使用される箸の重さで優勝を決めるこの大会では前回、惜しくもシルバーグランプリ受賞となったバラゼミも集計の発表に息を潜める。
 10位から順に発表されていく中、バラゼミの名前は上がらない。最後にゴールドグランプリの発表を残して司会者の声が鳴り響く。
 「第9回、B‐1グランプリin郡山大会、優勝は...箸の重さ、23960g。十和田バラ焼きゼミナールの皆さんです!」との発表に一瞬の静寂の後に大きな歓喜の声が上がった!

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 十和田西校生の涙が苦労を物語る。感無量で言葉が出ない木村学長から指名を受け、畑中舌校長がこれまでの苦難苦闘の道のりと、今まで支えてくれた人たちへの感謝の気持ち、これからの抱負を涙を流しながら敵ではなく、共に街を盛り上げようと戦った同志たちへ熱く語った。
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 三沢市寺山修司記念館の「寺山修司市民大学総合講座」が始まった。
 寺山修司総合市民大学は、寺山修司の資料を三沢市に誘致し寺山修司記念館建設のきっかけをつくった寺山修司五月会(山本優会長)が主催している。
 第1回目は、佐々木英明寺山修司記念館館長による「寺山修司記念館の17年と今後の展望」であった。
 佐々木館長は、寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」の舞台に立ち、映画に出演した一人である。
 佐々木館長は、青森市で「だびよん劇場」が中心になって行っていた寺山修司祭と、寺山の資料が三沢市に寄贈された経緯や、寺山修司記念館の建設のとき、国から補助金をもらうにあたって文学館で申請したところ個人の文学館には補助金を出すことができないといわれ、観光資源として申請したところ通ったという記念館建設の裏話や、寺山と一緒にやっていたころはやがて消えるひとだと思っていた。が、亡くなって10年過ぎたころ、筑摩書房が出した「寺山文庫」をきっかけとして注目されるようになった。東京時代の寺山には私生活がなかった。すべて仕事であったなど、寺山修司と一緒にやってきたひとでなければわからない逸話などを語ってくれた。
 今後の寺山修司市民総合大学については本紙「催物案内」を参照下さい。
 写真は、寺山修司記念館の17年と今後の展望」と題して語った佐々木英明寺山記念館館長


 道の駅と合体・文化村構想として発展
 20年間(1994年8月~2014年7月)で452,045人入館

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 文化のまち、教育のまちといわれていた合併前の旧七戸町。昭和63年(一九八八)当時の濱中博町長が「美術館」建設を打ち出し、さすがに文化のまちだと世間をアッといわせた。しかし、濱中町長が急逝。町長が変わり「美術館」建設が議会で否決された。それに対して町民有志が立ち上がり署名活動を行い再び「美術館」建設が復活した。
 こうして宮城県中新田町のバッハホールの提案者の一人である北川フラムさん(アートディレクター)を顧問に「文化施設構想整備策定委員会」が発足。それが「文化村」構想に発展。平成6年(一九九四)、誕生したばかりの道の駅と合体した全国でも前例のない鷹山宇一記念美術館が開館した。
 それから20年。この20年間で45万2045人が入館。年平均約2万6000人。毎週月曜日が休館日であるから開館日月26日として計算すると、1日平均約83人が入館していることになる。これは地方の、しかも人口1万数千人の町としては大健闘といっていい入館者数である。
 これだけの入館者数を維持してきたのは、第1に、大胆に道の駅と合体したこと。第2に、鷹山宇一の長女で、当時二科会事務局長であった鷹山ひばりさん(平成11年~平成21年・現青森県立美術館館長)を館長に迎えたこと。第3に、市民による後援団体「友の会」を組織したことなどが挙げられる。
 これは、道の駅と合体したことでこれまで美術に関心がなかったひとでも気軽に入館できる雰囲気を作った。二科会の事務局長鷹山ひばりさんは日本の画壇に顔が広く企画力に優れていた。そして「友の会」は企画展などをボランティアで支えてくれた。
 この20年間に1万人以上が入館した主な企画展を紹介すると、平成11年「~世界の文化遺跡を描く~平山郁夫展」(1万4570人)。平成12年「手塚治虫の世界展~世代を超えた夢ワールド~」(1万8260人)。平成13年「夢は無限 藤子・F・不二雄の世界展」(2万5455人)。平成14年「安田火災東郷青児美術館蔵‐東郷青児展」(1万7450人)。平成16年「箱根・芦ノ湖成川美術館コレクション~春光うらら~さくら・桜展」(1万1730人)。平成17年「手塚治虫のふしぎな虫眼鏡展」(1万7265人)。平成20年「青森放送創立55周年記念~ヤマタネ所蔵作品による~日本画名品展」(1万5077人)。平成21年「箱根・芦ノ湖成川美術館コレクション~日本のこころ~Sakura桜・富士山Fujiyama展」(1万3082人)。平成22年「山形美術館 服部コレクション~伝統とエスピリー~20世紀フランス絵画の精髄」(1万1285人)。平成23年「平山郁夫展~次世代への伝言」(1万3706人)などである。
 鷹山宇一記念美術館20周年は、記念作品として彫刻家吉野毅制作のブロンズ『請』(高さ178㌢、奥行45㌢、幅45㌢)を購入した他、特別記念展として「日本近現代洋画への旅‐鷹山宇一作品と山岡コレクションを中心に‐」を行った。
 舩山義郎館長は、
 「鷹山宇一記念美術館はどうしても中高年のひとたちが多いです。今後は若いひとたちに来てもらえるような企画を考えて行きたいです」と語る。

しかし暴走は危険、時速100㌔、今年死者がでる。早急に安全対策を

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 湖の遊びで近年顕著になってきているのが水上バイクである。水上バイクは、船体の下から水を取り入れジェットポンプで加速させウォータージェットで推進するもので、最高時速は100㌔ほど出る。特に波の少ない十和田湖では爽快であると共に、スピードを出し過ぎ転倒すると大怪我、あるいは死亡に至ることもある。今年も十和田湖で一人死亡、小川原湖で一人膝蓋骨(膝の皿)を折るなどの大怪我をしている。
 しかし禁止する必要はなく、マナーやルールを守って乗ればこれほど爽快で楽しい乗り物はない。
 今年も十和田湖では、若者から中高年、家族連れなど、写真で見るように前に子供を乗せ、あるいは後ろに彼女を乗せ楽しんでいるグループがたくさん訪れている。水上バイクは、十和田湖の湖上観光の重要な一つである。早急に利用規定や安全対策をとることである。

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 昨年、寺山修司没後30年を記念して行われた寺山修司演劇祭が、今年も8月29、30の両日星野リゾート青森屋で行われた。
 異才・鬼才といわれた寺山修司の活動の中でその異才ぶりをいかんなく発揮したのが「演劇実験室・天井桟敷」である。寺山修司演劇祭は、その寺山演劇の再現である。
 早い時期から「天井桟敷」の音楽を担当してきたJ・A・シーザーが率いる「演劇実験室・万有引力」は、寺山演劇のダイジェスト版『百年たったら帰っておいで~演劇零年 百年の孤独』を上演。「天井桟敷」出身のおきあんごらが盛岡で結成した「劇団赤い風」が『星の王子様』を上演。いずれもこれが寺山演劇だという寺山演劇の独特な雰囲気を再現して魅せてくれた。
 寺山演劇祭はこの他、やはり「天井桟敷」出身で、詩人でもある寺山修司記念館館長の佐々木英明の構成・演出・出演による「寺山修司へのオマージュ 五月の序詞」が、佐々木英明、青森大学演劇部、同文芸部によって上演。さらには夜にはカッパ沼「浮見堂」の特設会場で、J・A・シーザーによる野外コンサート「山に上りて告げよ」が行われ、寺山の異空間に浸った二日間であった。
 写真は、演劇実験室・万有引力『百年たったら帰っておいで』の舞台

 日本のイチョウの木巨木ベスト10のうち青森県は第1位の北金ヶ沢のイチョウ(深浦町)、第3位の宮田のイチョウ(青森市)、第5位の法量のイチョウ(十和田市)、第6位の根岸のイチョウ(おいらせ町)と5本。さらに東北に目を移して見ると宮田のイチョウと並ぶ第3位の長泉寺の大イチョウ(岩手県)があるが、青森県が圧倒的に多い。これらのイチョウのすべては自然に生えたのではなく人の手によって植えられたものである。何故?と誰しもが疑問に思うであろう。
 このほど日本北方圏域文化研究会(高田克彦理事長=秋田県立大教授)による、「青森県の巨樹と地域文化」と題するフォーラムが十和田市民文化センターで開催された。
 日本北方圏域文化研究会は、日本の在来種でないイチョウが東北に地域の多く残っていることに着目した有志によって平成21年(二〇〇九)に設立された。
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 フォーラムは、話題提供者として、青森山田学園園長の盛田稔さん、弘大農学生命科学部准教授の石田清さん、東北巨樹巨木調査研究会会長の高渕英夫さん、日本北方圏域文化研究会顧問の向出弘正さんらがそれぞれ発表。歴史研究の傍ら樹木、特にイチョウについて研究している盛田さんは、生きた化石といわれるイチョウの原産地は中国である。台湾には日本人が植えたイチョウの林がある。イチョウの葉にはアルツハイマーの予防成分が含まれているなど。石田さんは、樹木の性別について。高渕さんは、ブナなどこれまでの巨木調査の成果を。向出さんは、イチョウの巨木は落雷などの被害を受けやすく実際の樹齢の把握はむずかしいが、8~11世紀にかけて北方地域で活動した製鉄集団によって植えられたのではないかなどと話した。
 しかし1000年以上経っているイチョウにはそれぞれ宗教的な伝説が残されているなど、北方のイチョウは研究半ばであることを感じさせるフォーラムであった。
 写真は、樹齢約1,100年、幹回り14.5㍍、日本第5位の法量もイチョウとその看板

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十和田湖の新しい魅力を探る-観る観光から遊ぶ・体験する観光へ  和田湖マリンブルー

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 かつて透明度20メートルあり日本第3位の透明度を誇ったこともある十和田湖。しかし経済の高度成長と共に観光客が増えホテル・旅館が林立し透明度が10メートル以下に低下したこともあった。が、近年は改善され美しい湖は戻りつつある。
 蒼穹を映した美しい湖で遊ぶ。醍醐味であると同時に心が洗われる。
 その遊びの一つが十和田湖マリンブルー(中村十二代表)のランチクルーズである。
 食事をしながら、中村さんのジョークを交えた名所案内のガイドを聞きながら、大きな船では見ることのできない奇岩や入江などをのんびりと湖を回遊する。家族や小グループでの遊びには最適である。現在はマリンブルーのアドベンチャー21号1艇だけであるが、これが4艇、5艇と増えたなら十和田湖での遊びの魅力も倍増する。
 問い合わせは、℡0176‐75‐3025(十和田湖マリンブルー)

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 十和田市現代美術館(藤浩志館長)は8月23日、入館者が100万人を突破した。
 現代アートって何だ??そんなのでひとが来るわけがない。税金の無駄遣いだなどと市民賛否両論の中、平成20年(二〇〇八)4月26日オープンした。
 本紙もオープン1年前の平成19年(二〇〇七)1月号より「野外芸術文化ゾーンって何だ!!」というテーマで、金沢21世紀美術館や広島市現代美術館などの現代美術館や、十和田市現代美術館に展示される予定の23人の作家及びその作品を紹介してきた。
 ところがふたを開けてびっくり。美術雑誌やテレビで大きく取り上げられ、桜の満開と重なったこともあり、4月26日から5月6日までのゴールディンウィークの11日間に2万8405人が入場し、現代美術館への不安はいっぺんに吹っ飛んでしまった。
 以後、その年の9月3日、オープン130日目で10万人突破。1年後の平成21年(二〇〇九)5月6日に20万人突破。同9月23日に30万人突破。平成22年(二〇一〇)4月野外芸術文化ゾーンが完成しグランドオープン。その年の6月6日に40万人突破。同11月16日オープンして2年半で50万人を突破した。
 が、平成23年(二〇一一)3月11日、東日本大震災が勃発。さらに福島原発の事故が重なった。東北全体がそうであったように以後入館者が鈍化。にも関わらず、その年に発刊された『日本の美術館ベスト100ガイド』(マガジンハウス刊)の表紙を飾っただけでなくグラビアで9頁を割いて紹介された。平成24年(二〇一二)6月23日70万人突破。同年環境芸術学会のそのトップ賞である第1回環境芸術学会賞を受賞。そして昨年5月9日オープン5年目で83万人が入館。さらに今年(二〇一四)1月地域創造大賞(総務大臣賞)を受賞。そしてこのほど100万人を突破した。
 十和田市現代美術館人気の秘密は何であろうか。第1に、世界的な建築家西沢立衛氏設計による官庁街通りと一体となったガラス張りの美術館の建物の話題性であろう。第2に、美術館の準備段階から企画や運営に携わってきた南条史生森美術館館長とそのグループによる企画力の強さ、発信力の強さであろう。
 今やアートや建物が観光になる時代である。かつて文化の砂漠といわれていた十和田市。十和田市現代美術館は、文化でまちづくりの先進事例となった。
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