夢追人ニュース

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 八甲田早春の風物詩、青森市と十和田湖を結ぶ国道103号線の雪の回廊が3月30日開通した。
 今年は太平洋岸には、2月16日に大雪が降ったものの、ヤマセの雪だったために山まではとどかず、八甲田は多いところでも6・8㍍と今年の積雪が少なかった。
 が、青い空と、白い雪、そして澄んだ空気の八甲田の雪の回廊。ここを通るだけで心が洗われる。
 道路はアスファルトが出乾燥している。ぜひ車で訪れていただきたい。

現在でも「老健とわだ」「たかしずの森」など毎月十数ヶ所の施設を訪れる
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 「それでは皆さん『シャボン玉』を歌いましょうか。この歌は、作者の子供さんが生まれて7日目に死んでしまった。それを『シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 産まれてすぐにこわれて消えた』と、シャボン玉に託して書いたともいわれています」と解説。アコーディオン弾きながら童謡や歌謡曲を歌う。
 入所者は、藤田さんのアコーディオンに合わせ、一緒に歌い皆笑顔になる。
 ここ、「グループホームたかしずの森」(水尻義樹代表)には18人の認知症認定者が入所している。入所者の平均年齢は85歳というが、81歳の藤田さんは、まるで入所者の娘かと思うくらい元気である。
 「これは自分自身のためだと思っているんです。おかげ様で健康で、今のところどこも悪いところないんです」と語る藤田さん。81歳になった現在でも、アコーディオンをかついで、十和田市や六戸町、おいらせ町など十数ヶ所の介護老人保健施設を、月15~16回休まず訪れている。
 アコーディオンの重さは約5㌔、それを胸に抱え、歌いながら30分間演奏するのである。81歳の藤田さんには相当の重労働のはずである。それを平成6年(一九九四)から20年間続けている。
 そのきっかけは、平成6年に十和田市役所から音楽のボランティアをやってみないかという打診があり、「老健とわだ」を訪れたのが最初であった。
 藤田みつ。昭和7年(一九三二)十和田市に生まれる。三本木小学校、三本木高等女学校併設中学校、三本木高校卒業。戦後の旧制から新制の6・3・3制に切り替わるときで、女子高の最後の卒業生である。
 三本木女子高校のとき長谷川芳美先生が音楽の先生として赴任して来て、先生から個人的にアコーディオンを教わったという。
 昭和25年(一九五〇)藤田さん高校を卒業した18歳のとき、助教として三本木小学校に入った。以来32年間教員として勤務。昭和57年(一九八二)に50歳を機に退職した。
 「若いころ、文化連盟というのがあって長谷川先生や、高橋幸男さん、土崎哲男さん、馬場ミツさん、亡くなった相馬和孝さん、三浦洋二朗さんらと、冬場に馬橇で泊りがけで農村慰問に歩いたものです。私の父は陸奥明(菅原都々子の父)の弟子だったもんですから、そんなことで泊まっても何もいわなかったんです」と語る。藤田さんは十和田市の戦後の文化運動の先駆者の一人でもあり、それが現在の活動の原点でもあろう。
 そして平成6年、藤田さん62歳のとき、音楽療法東北部会を立ち上げるとの情報を得て入会。月1回盛岡に通い、以来20年間、老健施設を訪れ音楽療法慰問を続けている。
 藤田さんは、この活動を続けるために、毎朝5時に起床。約1時間ウォーキング、そして温泉に入り、体型維持のために電気ローラーをかけてもらうなど、健康には充分に注意を払っている。歯は80‐20である。さらにママさんコーラスや百人一首などの趣味。若い人たちとの交流も欠かさない。

 約5年7ヵ月で934,226人が入館
 
genbi.jpg 25年度地域創造大賞(総務大臣賞)を受賞し、1月17日、東京でその授賞式が行なわれた。
 この地域創造大賞は、「地域における創造的で文化的な表現活動のための環境づくりに功績のあった公立の文化施設」を顕彰するもので、第1回目は平成16年(二〇〇四)より始まっている。
 十和田市現代美術館のその受賞理由を、
 「まちなか美術館としての新境地を開いたとして、「十和田市の新たなまちづくり『Arts Towada』計画の中核施設。国内外で活躍する現代アーティストの親しみやすいコミッションワークを常設展示するユニークなコンセプトにより観光施設としても定着。野外アート広場、商店街との交流事業、十和田奥入瀬芸術祭、多彩なイベントなどにより地域の活性化に貢献し、美術館の新たなあり方を提示した」としている。
 十和田市現代美術館は、平成20年(二〇〇八)4月26日にオープン。平成23年(二〇一一)の3・11以降入館者が減少したものの、オープンから平成25年(二〇一三)12月末までの5年7ヵ月で、100万人には届かなかったものの延べ93万4226が入館している。
 現代美術館を訪れるひとの中には、最初から現代美術館を目的に訪れ、時間があるからついでに十和田・奥入瀬渓流に寄って行こうかというひともいるほどで、企画展も話題性が高く、十和田市の有力な観光施設としても定着しつつある。

日本オペラの最高峰 80年の歴史を持つ藤原歌劇団
その団員に昇格した十和田市出身のテノール歌手 山内政幸さん

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 声楽家を目指すものにとってその最高峰はオペラ歌手であろう。声楽家を夢みて毎年何百人もの学生たちが音楽大学に進学する。しかし実際に声楽家として喰って行けるのはほんの一握りである。さらにオペラ歌手となると非常に狭き門である。
 日本オペラの最高峰、80年の歴史を持つ藤原歌劇団。このほど十和田市出身のテノール歌手山内政幸さんが、その藤原歌劇団の正団員に昇格。藤原歌劇団の本公演に役のある歌手としての出演資格を得た。藤原歌劇団のホームページに、所属歌手正団員テノール歌手として山内政幸の名前が掲載された。
 藤原歌劇団の正団員約200名、準団員約500名である。そして本公演となると、役を持って出演できる正団員は年間で30人、合唱団は40人程度である。
 藤原歌劇団は、日本オペラの先駆者である藤原義江(明治31年~昭和51年)が、昭和9年(一九三四)に日比谷公会堂でプッチニーの『ラ・ボエール』を上演したのが最初とされている。その後、昭和14年(一九三九)に歌舞伎座で藤原歌劇団と銘打って旗揚げ公演『カルメン』が行なわれた。以後、藤原歌劇団として活動してきたが、昭和56年(一九八一)に、日本オペラ協会と合併統合して、(財)日本オペラ振興会となり、「藤原歌劇団」の名称は、西洋オペラの公演事業名として残している。
 その藤原歌劇団の団員となると、声楽を目指す者にとっては憧れの的でもある。
 山内政幸。昭和49年(一九七四)5月、十和田市に生まれる。三本木中、八工大二高、昭和音大短期大学部、昭和音大声楽科卒業。日本オペラ振興会オペラ歌手育成部マスターコース修了後、藤原歌劇団に入団、準団員となる。
 「両親共に音楽が好きだったことから、気がついたらピアノをやっていました」と語る。
 高校を卒業し、昭和音大短期大学部音楽芸術コースに入った。卒業のとき、ピアノと、副科の声楽のテストが行なわれた。
 そのとき声楽の先生から、あなたはピアノより声楽の方が良い。いい先生を紹介してあげるから、ぜひ声楽の道に進みなさいと薦められた。そして、同じ昭和音大の4年制の大学に入り直し、ここから本格的に声楽を学んだ。
 大学4年のときである。恩師である折江忠道先生が藤原歌劇団の団員でもあった。その公演『椿姫』を観に行った。その舞台に感激。よーし俺も藤原歌劇団に入るぞと決意した。
 人生は出会いである。こうして、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部マスターコースを修了。修了と共に藤原歌劇団に準団員として入団。そしてこのほど団員に昇格した。
 今年は『魔笛』や『マクベス』での出演が予定されている。山内さん40歳。いよいよこれからである。


十和田市現代美術館開館5周年企画第3弾
 
nisdizawaryuei.jpg 十和田市現代美術館の設計者である西沢立衛さん。日本を代表する女流建築家である妹島和世さん。その妹島さんと西沢さんがユ二ット「SANAA」を設立。以後、金沢21世紀美術館を設計するなど、これまでヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展金獅子賞、スウェーデン・ショック賞(視覚芸術部門)、建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞など、数々の国内外の建築賞を受賞している。
 妹島和世。昭和31年(一九五六)茨城県出身。日本女子大大学院修了。伊東豊雄建築設計事務所を経て昭和62年(一九八七)に妹島和世建築設計事務所を設立。平成7年(一九九五)に、西沢立衛との共同事務所SANAA設立。
 受賞歴/日本建築学会賞、ショック賞、芸術選奨文部科学大臣賞、女性として2人目のプリツカー賞など受賞多数。
 西沢立衛。横浜国立大学大学院建築都市スクールY‐GSA教授。昭和41年(一九六六)神奈川県出身。横浜国立大学大学院修士課程修了。妹島和世建築設計事務所入所。平成7年(一九九五)に、妹島和世との共同事務所SANAA設立。平成9年(一九九七)に西沢立衛建築設計事務所設立。
 受賞歴/アメリカ芸術文化アカデミーアーノルド・W・ブルンナー賞、ヴィンセント・スカモッツィ賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展金獅子賞、スウェーデン・ショック賞(視覚芸術部門)、プリツカー賞、、日本建築学会賞など多数。
 二人のユニット「SANAA」が設計した金沢21世紀美術館。この設計がヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展金獅子賞。金沢21世紀美術館はオープン7年目で入館者が1,000万人突破。オープン9年目の現在1,487万人が入館している。十和田市現代美術館もそうであるが、展示している作品や企画もさることながら、建物がひとをひき付ける一つの例である。現代美術館としては5周年に相応しい、全国に注目されるビッグな企画展である。
 
genndaibijutukan.jpg ▽期間/2月1日(土)~3月30日(日)、但し月曜休館(月曜が休日の場合はその翌日)▽問い合わせ/℡0176‐20‐1127。

 三本木農業高校3年・蘇我 美月さん 日本一の最優秀賞文部科学大臣賞を受賞!
 
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 三本木農業高校では2年生になるといろいろな研究室から選択し、動物や食品についてみんなでテーマを決めて活動するというクラブがある。
 その一つである赤坂先生が担当する愛玩動物研究室で決まったテーマ、「命の花プロジェクト」が全国意見発表会で最優秀賞を受賞した。
 研究チームの代表で意見発表をした動物科学科3年・曽我 美月さんが殺処分される動物の現状と自分たちが何をしてきたかを教えてくれた。
 昨年の3月からスタートし、まずは生徒を動物愛護センターに連れて行き、見学をすることから始まった。犬や猫と触れ合うことが出来る場所でもあると同時に、飼い主が現れない犬猫を殺処分する施設もある。
 現状を知り、何とか殺処分を減らす方法を考えられないか?と考えられたが、可愛らしい犬や猫でも飼い主を探すことは容易ではなく限界がある。それなら命を無駄にしないように伝えていくことをテーマとした。
 飼い主を探すのではなく捨てられるペットを減らすため、殺処分されたペットを違う形で救えるようにと命の花プロジェクトはチーム一丸で取り組まれた。
 殺処分された動物の骨をレンガなどで細かく砕いて粉にする。それを気持ちを込めて土にまぜて植木に花を咲かせる。青森県の動物愛護センターのイベントなどで花を配ると同時に現状を伝える。その取り組みや現状を知り、どう感じ何をしてきたのかを農業クラブ全国大会の文化・生活部門の意見発表の場で曽我さんがチームの代表として言葉で伝えた。
 そして全国1位となる最優秀賞を授与した。
 担当の先生やチームの協力もあり、今回の栄冠をみんなで喜んでいた。
 このほか三農では、食料・生産部門でも優秀賞受賞。農業鑑定競技会で農業、畜産、機械部門でもそれぞれ優秀賞を受賞している。
 3年生は卒業し離れ離れになるのだが、同じ時間を過ごし、みんなで取り組んできた思い出は勉強以上に大切なことかもしれない。
 次は2年生へバトンを渡し、また素晴らしい活動になるように期待し、三農卒業生として胸を張ってこの先も頑張って欲しいと感じた。
 
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sizenenerugi-2.jpg 3・11東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発事故のあと、国民の自然エネルギーに対する関心が高まっている。
 NPO法人どんぐりの森・山楽校(川村清市塾長)では、12月12日、十和田市民文化センターで、将来を担う子供や孫たちに自慢できる郷土の環境を...のテーマに、自然エネルギー市民フォーラム(青い森地域創造基金補助事業)を開催した。
 フォーラムは、どんぐりの森・山楽校の川村清市塾長をコーディネーターに、日本環境学会前会長の和田武さんが基調講演した他、中型風力発電機を製作している駒井ハルテック㈱の豊田玲子さん、東北再生可能エネルギー利活用大賞を受賞した岩手県一関市の照井土地改良区の阿部洋一さん、稲生川に小規模の水力発電所建設している青森県上北地域県民局の吉岡裕芳さんらが、現在の取組み状況を報告した。
 講演あとのディスカッションでは、会場からの質問に、各先生方が答える形で行なわれた。
 
sizenenerugi-1.jpg まず最初に、「再生可能エネルギー普及による地域活性化~市民・地域共同発電所づくりで農村地域を元気に!~」のテーマで基調講演をした和田武さんは、地球温暖化は深刻な状況になってきている。二〇〇七年に締結された、二〇〇八~二〇一二年までの温室効果ガス排出量を決めた京都議定書では日本は-6㌫、ドイツ及びデンマークは-21㌫であった。これを二〇一〇年の段階での実績で見ると日本はわずか-1㌫、ドイツは-21・7㌫、オランダは-18・7㌫の実績をあげている。
 また日本は、3・11の東日本大震災による福島第一原発の事故により原発の危険性が誰の目にも明らかになってきたにも関わらず、原発は産業発展に欠かせない。原発はCOを排出しない環境にやさしいエネルギーであるとして原発推進策をとってきた。
 しかし原発を推進策を出しているのは日本だけで、世界は今再生可能エネルギー(風力・太陽光・バイオマスなど)を推進しているとして、ドイツやデンマークでの取り組みを紹介した。
 ドイツは、原発の段階的廃止を打ち出し、デンマークは原発不所持である。
 ドイツやデンマークで再生可能エネルギー普及が飛躍的に進んでいる理由として、第一に電力買取制度、熱・燃料利用推進制度、環境税など積極的な普及推進政策をとっている。
 第二に地域に利益が還元されるなど市民・地域主体中心の普及方法をとっている。
 第三に、それによってCO削減、雇用の創出、エネルギーの自給率向上など再生可能エネルギーの普及促進は社会に好影響を与えている。
 また、再生可能エネルギーは、少量ずつ分散的であるが枯渇することなく無限である。特に農山村地域に多い。これに対して石炭、石油などの化石資源、ウランなどは有限でありいずれは枯渇する。
 デンマークでは、二〇二〇年までに消費電力の50㌫を風力で供給。二〇三〇年までに発電所での石炭利用を禁止。石油ボイラーを全廃。二〇三五年までに電力・暖房用はすべて再生可能エネルギーにする。二〇五〇年までに再生可能エネルギーに完全移行するという計画を立てているなど、自然エネルギーの先進地を紹介し参加者に深い感銘を与えた。
 なぜドイツ、オランダなどヨーロッパで出来て日本では出来ないのであろうか。
 日本では東京電力や東北電力など大資本が電気をつくり供給する制度をとっている。
 それに対してヨーロッパは、小規模ではあるが地域住民や民間団体、地方自治体などが電気を作っている。
 日本でも、最近太陽光発電が目だってきたが、日本の総エネルギーを賄えるだけの資源量は充分あるという。自然エネルギーを推進するかどうかは、国の政策が重要になってくる。地球温暖化と、原発の危険性を考えたとき、非常に考えさせられた和田さんの基調講演であった。
 
sizenenerugi-3.jpg 続いて、「中型風力発電によるコミュニティ風車の可能性」と題して、駒井ハルテック㈱の豊田玲子さんが報告した。
 豊田さんは、現在は大型化が顕著であるが、日本の風車資源は山の上が多いために、大型機が入りにくい場所も多い。日本の気象・地形条件に沿った中型の風車を開発した。風力発電適地は、年間平均風速が毎秒5・5~6以上なければならないなど、風力発電の条件などを報告した。
 
 続いて、「疎水百選の農業用水を利用した水力発電」と題して、東北再生可能エネルギー利活用大賞~東北経済産業局長表彰~を受賞した、照井土地改良区の千葉満さんが報告した。
 照井堰は、今から850年ほど前の平安の末期、当時、干魃や飢饉で苦しみ悩まされ続けた村々の窮地を救うために、奥州藤原秀衡の家臣照井太郎高春が、磐井川から取水して用水路を造った。それによって現在の岩手県一関市・平泉町一帯が美田に変えられた。その工事をした照井高春の姓を取って照井堰用水と命名された。
 照井発電所は、その照井堰に造られた小型の水力発電所で最大50kW、常時30kWを発電。一般家庭での約15軒分の発電をしている。その取組みと管理状況が報告された。
 
 そして最後は、現在進められている稲生川の水力発電所である。
 この稲生川水力発電所は、県の事業であるために「稲生川を活用した小水力発電施設の整備について」と題して、青森県上北地域県民局の吉岡裕芳さんが報告した。
 稲生川が2本あるのをご存知であろうか。1本は新渡戸傳が開削した稲生川。これは奥入瀬川の旧十和田湖町の中里から取水してる。もう1本は国営事業で開削した稲生川である。これは同じく両泉寺から取水しているが現在は法量発電所から出た水をそのまま稲生川に流している。
 その2本の稲生川が、国道102号線十和田市農協八郷給油所裏の佐井幅で、国営で開削した稲生川が新渡戸傳が開削した稲生川に落とす形で合流している。
 稲生川水力発電所は、2本の稲生川の落差を利用して造られる。平成26年の完成予定だが、その発電量は最大182kWと、照井発電所の4倍近くあることが報告された。
 以上、基調講演を含めて4人が発言。ディスカッションは会場から質問を受けて4人の先生がそれに答えるという形で行なったが、午後6時から始まり午後9時までの3時間、時間が過ぎても次々と質問がでるなど、自然エネルギーに対する関心の高さを伺わせたエネルギーフォーラムであった。

 東北町(旧上北町)出身の大塚甲山
 
ootukakouzan.jpg 明治期に活躍し、わずか31歳で夭折した大塚甲山。この間約1000編の詩、約1万句の俳句、約2400首の短歌を残している。
 その大塚甲山のゆかりの地をめぐる「甲山墓参の会」(白浜浩一会長)がこの夏に行なわれた。
ootukakouzan2.jpg 大塚甲山は、明治13年(一八八〇)に上北郡上野村(現東北町)で生まれている。
 その甲山が、21歳の若さで『俳句選第一篇』の選句を任されるなど明治30年代に活躍。詩では明治37年(一九〇四)に、日露戦争に対する反戦詩『今はの写しゑ』などを発表。以後1年間に145編の詩が『新小説』に掲載された。また、明治40年(一九〇七)には、短歌『燃ゆる火の胸の琴』250首を発表。その作品は坪内逍遥や森鴎外などからも認められた郷土の詩人である。
 一行は、大塚甲山の墓や生家、甲山が通っていた旧上野小学校跡、小川原湖畔にある記念碑などを訪れ、大塚甲山を偲んでいた。

今年のテーマは「満州事変と平和の思想」
 
9jouheiwabunkasai.jpg 今、絶対安定多数となった安倍政権は、戦時下の言論統制を連想させる「特定秘密保護法」を可決。さらには現代の治安維持法とも言われる「共謀罪」を画策するなど、憂慮すべき方向に進んでいる。
 「秘密保護法」が施行されると、会議や取材や調査研究活動を企画する日常的な活動でも「特定秘密の故意による漏えい」や「取得行為」を「共謀」したとして検挙や処罰の危険にさらされると、弁護士団体の一つである自由法曹団は指摘している。
 また「共謀罪」は、原発反対運動など、市民団体の各種抗議行動の立案などが組織的な威力業務妨害の共謀とされる。あるいは居酒屋でそりの合わない上司を叩きのめしてやりたいなどと冗談を言って憂さを晴らせば組織的な傷害の共謀とされる可能性があるという。
 
9jouheiwabunkasai1.jpg 戦後68年、戦前の日本を知っている人が少なくなってきている中で、平和という立場から戦前の日本を当時の資料等によって伝えてきたのが、「九条・平和文化祭」(九条を守る上十三の会主催=白浜浩一会長)である。
 第9回目を迎えた今年のテーマは「満州事変と平和の思想」であった。
 満州事変は、昭和6年(一九三一)、当時の関東軍(満洲駐留の大日本帝国陸軍の軍)が中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、南満州鉄道の線路を爆破(柳条湖事件)。それを口実に、日本は満州を占領。以後日本は日中戦争、太平洋戦争へと突き進む。
 
9jouheiwabunkasai2.jpg 「満州事変は総力戦体制の始まり」と題したコーナーでは、昭和3年(一九三三)に小林多喜二が警察により虐殺された事件。昭和4年(一九二九)に無産党の山本宣冶が国会でただ一人治安維持法改悪に反対し刺殺された事件。昭和7年(一九三二)に武装した海軍の青年将校たちが、総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した事件など、戦争へ突き進むため反対勢力を次々と抹殺した事件を報じた当時の新聞。満州を「王道楽土」と宣伝した満州事変から満州帝国誕生までのポスターなどが紹介されていた。
 安倍首相が「日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、手を合わせた」として、A級戦犯が合祀されている靖国神社を参拝したが、非常に考えさせられる「九条・平和文化祭」であった。

青森県を掘り起こす芸術家 岩木登さん

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 十和田湖へ向かう途中、焼山の奥入瀬温泉郷に上がる道の反対側にある細い橋を渡り右へ曲がる。少し道なりに走ると森の中に小さな看板が見える。その奥に岩木登さんの写真スタジオがある。
 スタジオといっても大きく立派な建物ではなく全て手作りの小さな小屋だった。中へ入ると写真が飾ってあり自然の中で自然の景色の写真を見ると、まるで森の中にいるような錯覚を感じた。
 紹介が少し遅れたが岩木登さんは青森県出身の写真家で三本木高校卒業後、大学に行き東京で40年、コマーシャルフォトグラファーとして活動している。東京にもスタジオを持ち、仕事も順調だった岩木さんが故郷である青森に戻ってきたきっかけは、東日本大震災だった。
 震災の現状を写真として残す活動など、東北を元気にしたい仲間たちが集まり活動。その写真は今年3月に現代美術館に展示されていた。
 また写真家として青森には特別な景色があることを知らない人に伝えるために拠点を置いた。キヤノンと製作したカレンダーは全国で24万部も売れた。
 スタジオとなった小さな小屋は何もないところから建築の知識もない人が建てたとは思えない物だった。
 青森に移住してきたのは震災から1年後の2012年3月11日。それから知り合った仲間が岩木さんの行動に集まり、資材や知識や労力を一緒に建てたいと協力してくれた。壁や土台、鉄骨や木材など重機は一切使わずに手作りで建て、あまりに立派なものが出来たので写真の展示小屋として使おうとスタジオが完成した。一人の力では限界があるが一人の行動に人が集まり人と人との活動が力になることを今までの経験が教えてくれた。岩木さんの写真家としての技術や人柄にたくさんの協力者がいることも納得できた。
 青森は開発が遅れていると言えば聞こえは悪いが自然を大切にしている県だとも思う。滝なり、森なり、水なり綺麗な景色はたくさんある。それを地元の人が知らないのは残念だが自分がそれを掘り出して青森の良さを伝えたいと語った。
 たしかに豪華な建物や光で彩る夜景も視覚としては綺麗に見えるのだろうが何回見ても同じだろう。
 四季で変わる自然の景色はその一瞬が全てで気候や太陽の機嫌、水しぶきや葉の揺れなどは同じものはないのだろう。
 写真は歩いて探す。撮りたい場所に行って撮るのではなく撮りたい景色を自分の足で探して撮るんだと教えてくれた。
 また八甲田の鬼門峡に始めて足を踏み入れ写真を撮るなど活動している。
 青森にある素晴らしい景色を知りたい方は是非、足を運んで行ってみてはどうだろうか。山小屋フォトギャラリーは来春より本格的にオープンする。
 岩木さんへの問い合わせは、℡090‐3317‐7918迄。

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