夢追人ニュース

日本を再び戦争をする国にしてはいけない

sirahamakouichi.jpg
 あなたの家の仏壇に、セピア色した若い兵士の遺影がありませんか。あなたの祖父であったり、大叔父であったり、第二次世界大戦で兵隊にとられて戦争で亡くなった人たちの遺影です。第二次世界大戦では、日本人は兵士、民間併せて大よそ300万人が戦争で死んだ。これは現在の青森県の人口の2倍以上です。さらに日本帝国主義の侵略によって、中国、朝鮮半島、東南アジアの人々が大よそ2000万人が犠牲になった。
 広島、長崎に原爆が落とされ、もう二度と戦争をしませんと日本国民及び世界に誓ったのが、戦争を永久に放棄する日本国憲法「第九条」である。
 日本国憲法は昭和21年(一九四六)に公布され、翌昭和22年(一九四七)に施行された。以来68年間、この平和憲法があったおかげで、日本は先進国では唯一戦争でもって他国民を一人も殺さなかったし、また殺されこともなかった。これは誇るべきことです。まさに平和の世界遺産であり、ノーベル賞ものである。
 ところが、安倍内閣によってこの平和憲法がなし崩し的に破壊されようとしている。それが憲法の解釈改憲であり、アメリカの戦争に自衛隊を送り戦争に参加させるのが集団的自衛権である。
 「九条の会」は、平成16年(二〇〇四)に、憲法「第九条」改定を阻止するために、井上ひさし(作家)、梅原猛(哲学者)、大江健三郎(作家)、奥平康弘(憲法学者)、小田実(作家)、加藤周一(評論家)、澤地久枝(作家)、鶴見俊輔(哲学者)、三木睦子(元総理大臣三木武夫氏夫人)ら著名人によって設立された。現在では、地域や業種別のこの会が全国に7000以上組織されている。
 「九条を守る上十三の会」は、中央の「九条の会」が設立されたその翌平成17年(二〇〇五)に上十三地区内の平和を愛する有識者によって設立され、毎年「平和文化祭」や、平和講演会を行い、戦争の残虐さや平和の尊さを訴えてきた。
 設立当初からその世話人会の代表を務めてきたのが白浜浩一さんである。
 白浜さんは語る。
 「戦前、日本が戦争をするために、陸軍が後ろで糸を引いていた大政翼賛会というのがあった。衆議院選挙の時この大政翼賛会の推薦がないと当選できないと言われていた。ところが大政翼賛会の推薦を受けないで当選した議員が二人いた。三木武夫と、安倍晋三の父方の祖父安倍寛でした。三木武夫と安倍寛は、あの時代に東条英機らの軍閥政治に反抗、無所属で翼賛選挙に歯向かい当選した、筋金入りのハト派だった。安倍寛は残念ながら昭和21年(一九四六)に50歳代の若さで亡くなった。安倍晋三は母方の祖父である岸信介の墓参りにはマスコミを大勢引き連れて行くが、父方の祖父のことは一言もしゃべらない。都合が悪いからでしょう。
 睦子夫人が、三木武夫に言ったそうです。なぜあなた自民党議員なんだ?三木武夫は、自分が辞めてしまったら、この国は憲法を変えて、戦争をする国になるよ。
 今でも自民党の中にも野中広務や古賀誠、加藤紘一みたいに、憲法の解釈改憲に反対する人たちがいます。日本を再び戦争をする国にしてはなりません」
 白浜浩一、昭和6年(一九三一)2月、上北郡横浜町に生まれる。野辺地高校、弘前大学野辺地分校卒業。昭和27年(一九五二)、地元の大豆田小学校を皮切りに、主には上北郡内の小学校を廻り、東北町の甲地小学校長を最後に退職。平成4年(一九九二)横浜町教育長。平成17年(二〇〇五)「九条を守る上十三の会」を立ち上げ、世話人代表として現在に至る。
 また、宮本史朗のペンネームで詩を書き、東奥日報の少年少女文芸大会の選者も務める。今年詩集を上梓する予定だという。

 ① 十和田ビジターセンターオープン
bijita-senta-.gif
 十和田八幡平国立公園は、昭和11年(一九三六)に「十和田国立公園」として指定され、2年後の平成28年(二〇一六)2月に指定80周年を迎える。
 かつて大町桂月が「山は富士、湖は十和田」と書いた十和田湖。富士は世界遺産に登録された。が、3・11東日本大震災及びそれに伴う福島原発の事故の影響もあったこともあり、十和田湖への観光客が減少すると共に十和田湖のホテル、飲食店の廃業や倒産。昨年は十和田湖遊覧を行っていた十和田湖観光汽船が倒産するなど十和田湖観光は衰退する一方である。
 国立公園指定80周年を間近に控え、なぜそうなったのか、今後どうすればいいのかを考えてみたい。

jibita-senta-2.gif
 4月16日、十和田湖遊覧を行っている十和田観光電鉄㈱(白石鉄右ェ門代表取締役)遊覧船の運航開始のセレモニーが行われ、今年の十和田湖観光がスタートした。
 十和田湖遊覧は2社体制の昨年までは子ノ口~休屋間の定期航路と、十和田湖を周遊する遊覧航路とがあった。が、今年からは定期航路は廃止。遊覧航路のみとし、子ノ口から休屋までの航路は修学旅行など予約があった場合のみ行うとしている。
 むかしは観光バスで訪れる観光客が圧倒的に多かった。その時代は子ノ口~休屋間の定期航路が有効であった。が、車社会に入り車で訪れる観光客がその比重を増してきた。にもかかわらず子ノ口~休屋間の定期航路はたとえお客が一人のときでも、空気を運んでいると揶揄されながらも運行。それが遊覧船の赤字を招いてきた。
 が、今年の一社体制は順調な滑り出しである。
 今、十和田湖観光汽船の元従業員による子ノ口~休屋間の再開が準備されているというが、どうなるであろうか。
 また4月20日、環境省の十和田ビジターセンターがオープンした。これまで、十和田湖への国や行政による施設の拡充がほとんどなかった。初めての十和田湖への公共施設といっていいであろう。
 十和田ビジターセンターは、十和田湖の成り立ちや十和田湖の全体像が一目でわかるような立体模型や、十和田湖に生息する動物や魚類、四季折々の植物などが展示されている。
 が、このビジターセンターで一番注目したいのが実は休憩施設である。
 ビジターセンターの中には、ホールにテーブル4、椅子10。ラウンジに椅子17。レクチャールームに椅子64。2階にテーブル3、椅子12、長椅子(2人掛)4。2階の展望室にテーブル1、長椅子(2人掛)4。ベランダにテーブル5、長椅子10(3人掛)。湖側の外にテーブル4、長椅子(3人掛)10。併せテーブル17脚、椅子約130脚ある。
 これまでの十和田湖は、歩き疲れてどっかに休もう、あるいは雨が降ってどっかに雨宿りをしようと思っても、お店やホテルしかなかった。ホテルは泊まる予定がなければ入りにくいし、お店に入ると何か買わなければ気まずい。
 つまりこれまでの十和田湖は、観光客に対して非常に不親切であった。
 このビジターセンターは誰に気がねすることなく自由に入り、休憩することができる。そして展示物によって十和田湖の全体像及び十和田湖の魅力を知ることもできる。
 これにコーヒーでも出れば最高であるが、私は観光客に十和田湖に来たらまずビジターセンターに行きなさいと薦めたい。

jibita-senta-4.gif
jibita-senta-3.gif

terayamakeiba.jpg
 ▽期間/~7月27日(日)
 ▽会場/三沢市寺山修司記念館エキジビッドホール
 ▽入館料/一般530円・一般団体430円(20名以上)・高大生100円・小中学生50円
 ▽問い合わせ/℡0176‐59‐3434

kamiizumikazuko.jpg
 自然が豊かで、空気が澄んでいて、野菜や魚類など新鮮な食材の豊富な青森県。しかし一方では、インスタントラーメンの消費量が日本一。男性のたばこの消費量が日本一。75歳未満の全がんでの死亡率が日本一。結果、平均寿命が全国最下位という青森県。その短命県返上が青森県の必至の課題である。
 平成18年(二〇〇六)に埼玉県立大チームが、長野県岡谷市と十和田市の20~69歳の女性それぞれ1000人に、健康に対する比較調査を行ったことがあった。
 それによると、「酒ほぼ毎日飲む」という問いに、十和田市は14・2㌫、岡谷市は7・4㌫と十和田市はほぼ2倍であった。以下、「たばこを吸っている」が十和田市は16・9㌫、岡谷市が7・8㌫。「家に健康に関する本がある」が十和田市は49・8㌫、岡谷市が72・6㌫。「新しい健康情報を実践する」は十和田市が44・6㌫、岡谷市が53・9㌫などであった。
 十和田市は青森県の中でも平均寿命は高い方であるが、それでも健康に対する意識にこれほどの違いがある。
 県立保健大学には、看護学科、理学療法学科、社会福祉学科、栄養学科の4つの科と大学院があるが、青森県の平均寿命を押し上げる人材を育成するというのも大きな一つの役割でもあろう。
 「学生に実習のような形で地域に出て行って、保健協力員と協力し、まず県民の健康に対する知識と意識(ヘルスリテラシー:すこやか力)を高めていくことにお手伝いしたい。県民が健康な生活を送れるようにすることが、私たち保健大学に与えられた一つの使命ではないかと思っています」と語る。
 上泉和子、昭和28年(一九五三)七戸町に生まれる。祖父は馬の画家として有名な上泉華陽である。七戸中、三本木高校、聖路加看護大学卒業。大学卒業後、聖路加国際病院で看護師を13年間務めた後、ジャイカ(国際協力機構)でパキスタンの看護学校で3ヵ月指導。その経験から帰国後再び大学に戻り、同大の大学院に入学。修了後の平成5年(一九九三)から兵庫県立大学で6年間教員を勤めた。
 平成11年(一九九九)県立保健大学の開学と同時に教授として招かれた。平成18年(二〇〇六)副学長。平成20年(二〇〇八)副理事長。そしてこのほど同大の理事長・学長に就任した。
 「学生は県内約6割、県外4割です。これまでは専門職の育成に力を入れてきましたが、今後は学生たちの力を借り、健康に対する県民の意識を高めて行く活動もして行きたいと思っています」
 七戸町から、盛田稔さんが青森大学学長。同大を経営する山田学園の理事長。そしてこのほど同学園の学園長に就任している。
 七戸町から、二人目の大学のトップの誕生である。

yukinokairou.jpg
 八甲田早春の風物詩、青森市と十和田湖を結ぶ国道103号線の雪の回廊が3月30日開通した。
 今年は太平洋岸には、2月16日に大雪が降ったものの、ヤマセの雪だったために山まではとどかず、八甲田は多いところでも6・8㍍と今年の積雪が少なかった。
 が、青い空と、白い雪、そして澄んだ空気の八甲田の雪の回廊。ここを通るだけで心が洗われる。
 道路はアスファルトが出乾燥している。ぜひ車で訪れていただきたい。

現在でも「老健とわだ」「たかしずの森」など毎月十数ヶ所の施設を訪れる
hujitamitu.jpg
 「それでは皆さん『シャボン玉』を歌いましょうか。この歌は、作者の子供さんが生まれて7日目に死んでしまった。それを『シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 産まれてすぐにこわれて消えた』と、シャボン玉に託して書いたともいわれています」と解説。アコーディオン弾きながら童謡や歌謡曲を歌う。
 入所者は、藤田さんのアコーディオンに合わせ、一緒に歌い皆笑顔になる。
 ここ、「グループホームたかしずの森」(水尻義樹代表)には18人の認知症認定者が入所している。入所者の平均年齢は85歳というが、81歳の藤田さんは、まるで入所者の娘かと思うくらい元気である。
 「これは自分自身のためだと思っているんです。おかげ様で健康で、今のところどこも悪いところないんです」と語る藤田さん。81歳になった現在でも、アコーディオンをかついで、十和田市や六戸町、おいらせ町など十数ヶ所の介護老人保健施設を、月15~16回休まず訪れている。
 アコーディオンの重さは約5㌔、それを胸に抱え、歌いながら30分間演奏するのである。81歳の藤田さんには相当の重労働のはずである。それを平成6年(一九九四)から20年間続けている。
 そのきっかけは、平成6年に十和田市役所から音楽のボランティアをやってみないかという打診があり、「老健とわだ」を訪れたのが最初であった。
 藤田みつ。昭和7年(一九三二)十和田市に生まれる。三本木小学校、三本木高等女学校併設中学校、三本木高校卒業。戦後の旧制から新制の6・3・3制に切り替わるときで、女子高の最後の卒業生である。
 三本木女子高校のとき長谷川芳美先生が音楽の先生として赴任して来て、先生から個人的にアコーディオンを教わったという。
 昭和25年(一九五〇)藤田さん高校を卒業した18歳のとき、助教として三本木小学校に入った。以来32年間教員として勤務。昭和57年(一九八二)に50歳を機に退職した。
 「若いころ、文化連盟というのがあって長谷川先生や、高橋幸男さん、土崎哲男さん、馬場ミツさん、亡くなった相馬和孝さん、三浦洋二朗さんらと、冬場に馬橇で泊りがけで農村慰問に歩いたものです。私の父は陸奥明(菅原都々子の父)の弟子だったもんですから、そんなことで泊まっても何もいわなかったんです」と語る。藤田さんは十和田市の戦後の文化運動の先駆者の一人でもあり、それが現在の活動の原点でもあろう。
 そして平成6年、藤田さん62歳のとき、音楽療法東北部会を立ち上げるとの情報を得て入会。月1回盛岡に通い、以来20年間、老健施設を訪れ音楽療法慰問を続けている。
 藤田さんは、この活動を続けるために、毎朝5時に起床。約1時間ウォーキング、そして温泉に入り、体型維持のために電気ローラーをかけてもらうなど、健康には充分に注意を払っている。歯は80‐20である。さらにママさんコーラスや百人一首などの趣味。若い人たちとの交流も欠かさない。

 約5年7ヵ月で934,226人が入館
 
genbi.jpg 25年度地域創造大賞(総務大臣賞)を受賞し、1月17日、東京でその授賞式が行なわれた。
 この地域創造大賞は、「地域における創造的で文化的な表現活動のための環境づくりに功績のあった公立の文化施設」を顕彰するもので、第1回目は平成16年(二〇〇四)より始まっている。
 十和田市現代美術館のその受賞理由を、
 「まちなか美術館としての新境地を開いたとして、「十和田市の新たなまちづくり『Arts Towada』計画の中核施設。国内外で活躍する現代アーティストの親しみやすいコミッションワークを常設展示するユニークなコンセプトにより観光施設としても定着。野外アート広場、商店街との交流事業、十和田奥入瀬芸術祭、多彩なイベントなどにより地域の活性化に貢献し、美術館の新たなあり方を提示した」としている。
 十和田市現代美術館は、平成20年(二〇〇八)4月26日にオープン。平成23年(二〇一一)の3・11以降入館者が減少したものの、オープンから平成25年(二〇一三)12月末までの5年7ヵ月で、100万人には届かなかったものの延べ93万4226が入館している。
 現代美術館を訪れるひとの中には、最初から現代美術館を目的に訪れ、時間があるからついでに十和田・奥入瀬渓流に寄って行こうかというひともいるほどで、企画展も話題性が高く、十和田市の有力な観光施設としても定着しつつある。

日本オペラの最高峰 80年の歴史を持つ藤原歌劇団
その団員に昇格した十和田市出身のテノール歌手 山内政幸さん

yamauchi.jpg
 声楽家を目指すものにとってその最高峰はオペラ歌手であろう。声楽家を夢みて毎年何百人もの学生たちが音楽大学に進学する。しかし実際に声楽家として喰って行けるのはほんの一握りである。さらにオペラ歌手となると非常に狭き門である。
 日本オペラの最高峰、80年の歴史を持つ藤原歌劇団。このほど十和田市出身のテノール歌手山内政幸さんが、その藤原歌劇団の正団員に昇格。藤原歌劇団の本公演に役のある歌手としての出演資格を得た。藤原歌劇団のホームページに、所属歌手正団員テノール歌手として山内政幸の名前が掲載された。
 藤原歌劇団の正団員約200名、準団員約500名である。そして本公演となると、役を持って出演できる正団員は年間で30人、合唱団は40人程度である。
 藤原歌劇団は、日本オペラの先駆者である藤原義江(明治31年~昭和51年)が、昭和9年(一九三四)に日比谷公会堂でプッチニーの『ラ・ボエール』を上演したのが最初とされている。その後、昭和14年(一九三九)に歌舞伎座で藤原歌劇団と銘打って旗揚げ公演『カルメン』が行なわれた。以後、藤原歌劇団として活動してきたが、昭和56年(一九八一)に、日本オペラ協会と合併統合して、(財)日本オペラ振興会となり、「藤原歌劇団」の名称は、西洋オペラの公演事業名として残している。
 その藤原歌劇団の団員となると、声楽を目指す者にとっては憧れの的でもある。
 山内政幸。昭和49年(一九七四)5月、十和田市に生まれる。三本木中、八工大二高、昭和音大短期大学部、昭和音大声楽科卒業。日本オペラ振興会オペラ歌手育成部マスターコース修了後、藤原歌劇団に入団、準団員となる。
 「両親共に音楽が好きだったことから、気がついたらピアノをやっていました」と語る。
 高校を卒業し、昭和音大短期大学部音楽芸術コースに入った。卒業のとき、ピアノと、副科の声楽のテストが行なわれた。
 そのとき声楽の先生から、あなたはピアノより声楽の方が良い。いい先生を紹介してあげるから、ぜひ声楽の道に進みなさいと薦められた。そして、同じ昭和音大の4年制の大学に入り直し、ここから本格的に声楽を学んだ。
 大学4年のときである。恩師である折江忠道先生が藤原歌劇団の団員でもあった。その公演『椿姫』を観に行った。その舞台に感激。よーし俺も藤原歌劇団に入るぞと決意した。
 人生は出会いである。こうして、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部マスターコースを修了。修了と共に藤原歌劇団に準団員として入団。そしてこのほど団員に昇格した。
 今年は『魔笛』や『マクベス』での出演が予定されている。山内さん40歳。いよいよこれからである。


十和田市現代美術館開館5周年企画第3弾
 
nisdizawaryuei.jpg 十和田市現代美術館の設計者である西沢立衛さん。日本を代表する女流建築家である妹島和世さん。その妹島さんと西沢さんがユ二ット「SANAA」を設立。以後、金沢21世紀美術館を設計するなど、これまでヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展金獅子賞、スウェーデン・ショック賞(視覚芸術部門)、建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞など、数々の国内外の建築賞を受賞している。
 妹島和世。昭和31年(一九五六)茨城県出身。日本女子大大学院修了。伊東豊雄建築設計事務所を経て昭和62年(一九八七)に妹島和世建築設計事務所を設立。平成7年(一九九五)に、西沢立衛との共同事務所SANAA設立。
 受賞歴/日本建築学会賞、ショック賞、芸術選奨文部科学大臣賞、女性として2人目のプリツカー賞など受賞多数。
 西沢立衛。横浜国立大学大学院建築都市スクールY‐GSA教授。昭和41年(一九六六)神奈川県出身。横浜国立大学大学院修士課程修了。妹島和世建築設計事務所入所。平成7年(一九九五)に、妹島和世との共同事務所SANAA設立。平成9年(一九九七)に西沢立衛建築設計事務所設立。
 受賞歴/アメリカ芸術文化アカデミーアーノルド・W・ブルンナー賞、ヴィンセント・スカモッツィ賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展金獅子賞、スウェーデン・ショック賞(視覚芸術部門)、プリツカー賞、、日本建築学会賞など多数。
 二人のユニット「SANAA」が設計した金沢21世紀美術館。この設計がヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展金獅子賞。金沢21世紀美術館はオープン7年目で入館者が1,000万人突破。オープン9年目の現在1,487万人が入館している。十和田市現代美術館もそうであるが、展示している作品や企画もさることながら、建物がひとをひき付ける一つの例である。現代美術館としては5周年に相応しい、全国に注目されるビッグな企画展である。
 
genndaibijutukan.jpg ▽期間/2月1日(土)~3月30日(日)、但し月曜休館(月曜が休日の場合はその翌日)▽問い合わせ/℡0176‐20‐1127。

 三本木農業高校3年・蘇我 美月さん 日本一の最優秀賞文部科学大臣賞を受賞!
 
sogamiduki.jpg
 三本木農業高校では2年生になるといろいろな研究室から選択し、動物や食品についてみんなでテーマを決めて活動するというクラブがある。
 その一つである赤坂先生が担当する愛玩動物研究室で決まったテーマ、「命の花プロジェクト」が全国意見発表会で最優秀賞を受賞した。
 研究チームの代表で意見発表をした動物科学科3年・曽我 美月さんが殺処分される動物の現状と自分たちが何をしてきたかを教えてくれた。
 昨年の3月からスタートし、まずは生徒を動物愛護センターに連れて行き、見学をすることから始まった。犬や猫と触れ合うことが出来る場所でもあると同時に、飼い主が現れない犬猫を殺処分する施設もある。
 現状を知り、何とか殺処分を減らす方法を考えられないか?と考えられたが、可愛らしい犬や猫でも飼い主を探すことは容易ではなく限界がある。それなら命を無駄にしないように伝えていくことをテーマとした。
 飼い主を探すのではなく捨てられるペットを減らすため、殺処分されたペットを違う形で救えるようにと命の花プロジェクトはチーム一丸で取り組まれた。
 殺処分された動物の骨をレンガなどで細かく砕いて粉にする。それを気持ちを込めて土にまぜて植木に花を咲かせる。青森県の動物愛護センターのイベントなどで花を配ると同時に現状を伝える。その取り組みや現状を知り、どう感じ何をしてきたのかを農業クラブ全国大会の文化・生活部門の意見発表の場で曽我さんがチームの代表として言葉で伝えた。
 そして全国1位となる最優秀賞を授与した。
 担当の先生やチームの協力もあり、今回の栄冠をみんなで喜んでいた。
 このほか三農では、食料・生産部門でも優秀賞受賞。農業鑑定競技会で農業、畜産、機械部門でもそれぞれ優秀賞を受賞している。
 3年生は卒業し離れ離れになるのだが、同じ時間を過ごし、みんなで取り組んできた思い出は勉強以上に大切なことかもしれない。
 次は2年生へバトンを渡し、また素晴らしい活動になるように期待し、三農卒業生として胸を張ってこの先も頑張って欲しいと感じた。
 
sannou.jpg
2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12