夢追人ニュース

『福島六ヶ所未来への伝言』の上映会に

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 六ヵ所村に移住し20年間撮り続けてきたフォトジャーナリストの島田恵さんが、3・11東日本大震災の原発事故をきっかけに、福島と六ヶ所をつなぐドキュメンタリー映画『福島 六ヶ所 未来への伝言』を製作。八戸フォーラムの上映会に歌手の加藤登紀子さんが駆けつけ、島田さんの映画上映を応援した。
 この『未来への伝言は』六ヵ所村の核燃料サイクル施設反対運動と、その後変わって行く村人たち。福島の原発事故で避難を余儀なくされた人たちの想いを交差させながら、この現実を後世に残して行かなければという想いで製作されている。
 加藤さんはこの映画の中で挿入歌『今どこにいますか』を歌っている。加藤さんもチェルノブイリの原発事故のときウラジオストックにいた。今も子どもたちが放射能の影響を受けている。福島の原発事故は影響がないというのは嘘だ。
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幸せとは何かを考えてほしいと結んだ。
 加藤登紀子さんと、映画を制作した島田恵さん
~寺山修司と九條今日子のラブレター~

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 三沢市寺山修司記念館の名誉館長で、寺山修司の元妻の九條今日子さん(本名=寺山映子)さんが今年4月に死去(享年78歳)した。
 寺山と結婚後、天井桟敷のプロデューサーとして寺山の活動を裏で支えてきた九條さん。寺山と恋愛時代から天井桟敷など、寺山と九條さんのその知られざる姿を追ったのが、この「追悼!九條今日子展」である。
 九條今日子さんは、SKD(松竹歌舞団)で舞台デビュー。その後松竹映画に移り、昭和33年(一九五八)ころから『花嫁の抵抗』、『悪女の季節』、『素晴らしき十九歳』、『黄色いさくらんぼ』など、主役は取れなかったものの青春映画のマドンナであった。
 そのころの寺山は、昭和34年(一九五九)に谷川俊太郎の勧めで書いたラジオドラマ『中村一郎』が民放祭大賞を受賞。その後処女シナリオ『十九歳のブルース』を書くが映画化されず。翌35年(一九六〇)『乾いた湖』(篠田正浩監督)で松竹女優九條映子(九條今日子)と出会い一目ぼれ。連日の手紙と電話で猛烈にアタック。こうして二人は昭和37年(一九六二)に結婚した。
 「追悼!九條今日子展」は、九條今日子の映画女優時代のスチール写真や、寺山のラブレター、九條今日子への想いの詩など450点、寺山と九條さんの熱き青春の愛の軌跡が展示されている。
 また、この展示会の冒頭の8月2日に、寺山修司記念館フェスティバル2014夏「九條さん、ありがとう!」が開かれ、天井桟敷の歌手蘭妖子ライブと、天井桟敷に関わったJ・A・シーザー、蘭妖子、佐々木英明、笹目浩之のトークショーが行われ九條今日子さんを偲んだ。
 「追悼!九條今日子展」は平成27年(二〇一五)3月29日迄。問い合わせは、℡0176‐59‐3434。

ロシマ・ナガサキ 原爆と人間 多くの市民、たくさんの親子が訪れる

犠牲になるのはいつも庶民
 安倍内閣の憲法拡大解釈で、日本は再び戦争をする国になるのではないかという懸念が国民の間で高まり、反対運動が大きなうねりになりつつある。
 そんな中、再び戦争をする国にしてはならないという思いを込め、このほど十和田市民文化センターで「原爆写真展」(十和田市原水爆禁止の会・苫米地宣廣代表=主催)が開かれ、「原爆と人間」、「サダコと折鶴」、平和の絵本などが展示された。
 これには多くの市民、たくさんの親子づれが訪れ原爆の悲惨さに見入っていた。
 *写真は、パネルを撮ったため光が反射しているところもありますのでご了承ください。

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 原爆での犠牲者は広島で122,338人、長崎で73,884人といわれている。原爆亡くなったそのほとんどが庶民である。もう二度とこんなひどい思いをしたくない。それが戦争永久放棄の第九条の平和憲法を生み出したはずである

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 多くの市民、たくさんの親子が訪れ熱心に原爆の写真展を見ていた。家に帰って親子でどんな話をするのであろうか

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 水槽には三人、四人と水をもとめて重なりあって死んでいる。倒壊した家の中にも傷ついて横たわっている人。のどが乾いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくてとうとう油の浮いたまま飲みました(長崎・平和の泉の碑文)

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 来る日もくる日も新たな死者の数がふえつづけていた。火葬が毎日どこかの空き地で行われた。家族の手で葬られるもの、最後の一人を見送る仲間、あるいは引き取り手のいない遺体...。まだ暑さの残っている秋の夕暮れ。晴れ着を着せられ、焼かれようとしている姉妹の顔は、お化粧されて美しかった(長崎原爆資料館より)


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 佐々木禎子は2歳のとき、広島の爆心地から1.7㎞の地点で被爆しました。奇跡的に無傷でしたが、被爆から10年後、小学校卒業目前に白血病に襲われました。「鶴を千羽折ると病気が治る」という伝説を信じて鶴を折り続けましたが、願いはかないませんでした。サダコの級友たちは、彼女の死がむだにならないことを願って、募金運動にたちあがりました。日本中の子どもたちの協力をえて、広島平和公園に、「原爆の子の像」がつくられました(「サダコの千羽鶴」より)

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 川には人間がばたばたと飛び込んでいた。ほとんどがはだかにみえた。男女の区別さえつかない。死んでいる人。うめいている人。水をほしがる人。がむしゃらにさけぶ者ー。この姿を見ない者には話してわからない(山口瞳『ヒロシマ・ナガサキ二重被爆』より)

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原爆でまっ黒焦げになった子ども


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  二〇一〇年NPT再検討会議NGOプレゼンテーションで自らの写真(米国返還資料)を掲げ発言する長崎・谷口稜曄さん



いに日本蘚苔類学会大会を十和田市開催にこぎつける 

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 最近、奥入瀬渓流に行くと石ケ戸から子ノ口まで歩いているひとがずいぶん多くなっている。
 奥入瀬渓流の魅力は、ブナ、カツラ、トチ、ミズナラ、サワクルミなど広葉樹の深い緑の天然林の中を、十和田湖から流れ出る清流がときにはなだらかに、ときには急勾配を岩肌に激しくぶつかり飛沫をあげて流れる。また、ところどころに高い崖から滝が真っ白な飛沫をあげて落ちてくる。
 そして、なにより魅力的なのはこんな大自然の中を、極端にいうならハイヒールを履いても歩けるのである。
 この奥入瀬渓流の深い緑を作っているのは実はコケである。川の中の石を見ても、崖の岩を見ても、古木の根元を見てもコケがびっしり生えている。
 明治35年(一九〇二)開通したばかりの奥入瀬渓流を歩いた詩人の大塚甲山が、「木の葉を沈め草を生じ、岩には苔あり緑深く、水には花あり紫に散り浮べり」と、コケが奥入瀬渓流の深い緑をつくっていると書いている。
 また、大正11年(一九二二)に大町桂月が発表した『山は富士、湖は十和田』中で、「焼山まで三里の間、川中に大小の巌石おほくして、その幾百千なるを知らず。しかして巌石ごとに必ず苔若しくは樹木をおぶ。これ奥入瀬川の特色にして天下にその比を見ず」と、コケが奥入瀬渓流の特色であると書いている。
 しかし、自動車道が作られ、人々が奥入瀬渓流を車で通るようになると、誰もコケに関心を示さなくなった。
 そのコケを再発見したのが河井大輔さんである。しかも、コケを観光にまで高めただけでなく、今年の日本蘚苔類学会第43回大会を十和田市での開催(8月26~28日・奥入瀬渓流ホテル)までにこぎつけ、奥入瀬渓流のコケが全国に知られることとなった。
 「北海道にいたときは、環境調査やアウトドア関係の雑誌の編集などをやっていて、ブナの森の良さに気がつきました。良質なブナの森は北海道ではヒグマがいるような山の中に行かなければ見られない。が、十和田に来てみると、極端にいうなら下駄ばきでも行けるようなところにブナの原生的な森がある。
 アウトドア関係の雑誌では釣り関係の取材が多かった。北海道の川にはほとんどすべて人の手が入っている。ところが奥入瀬渓流には必要最小限の改修しか加わっておらず、岩という岩、川の中にある石という石にすべてコケが生えている。これはすごいと思いました。なのに、このコケはなんというコケかと知りたくても、誰も知らない。京都のコケ庭に行くとちゃんと説明してくれる。そこで専門家を呼んでコケの勉強会をやったわけです」と語る。
 こうして奥入瀬渓流には日本有数の約300種類のコケがあり、奥入瀬の深い緑の基礎を作っているのはコケであることがわかった。奥入瀬渓流にコケがあるのは誰でもが知っている。が、その素晴らしさに気がついたのは河井さんだけであった。
 河井大輔。昭和39年(一九六四)大阪出身。東京で育つ。小学校のころからバードウオッチングなど自然に興味を持っていた。高校を卒業すると北海道の雄大な自然に憧れて札幌大学に入学。その後北海道でアウトドア関係の雑誌の編集に携わり、平成19年(二〇〇七)に奥入瀬に魅了され十和田市に移住。平成20年(二〇〇八)㈱ノースビレッジ入社。平成25年(二〇一四)NPO法人奥入瀬自然観光資源研究会を設立し現在に至る。同理事長。

 十和田湖の新しい魅力を探る-観る観光から遊ぶ・体験する観光へ
  -湖で遊ぶ その2-  ゆったり、のんびり、カヌーで遊ぶ
 ネイチャーエクスペリエンス グリーンハウス

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 大町桂月が「山は富士、湖は十和田湖」と絶賛した十和田湖。風のないときの湖面は鏡を張ったように周りの景色を映す。新緑、深緑、紅葉と季節によって、また早朝、昼、夕方と湖が変化する。
 グリランドのボートアドベンチャーが動であれば、グリーンハウスのカヌーは静である。カヌーは、ゆったり、のんびり、湖上での約2時間、ガイドの案内を受けながら、湖の魅力を十二分に満喫できる。
 十和田湖でのカヌーは、平成20年(二〇〇八)に、ノースビレッジが最初に始めた。そして昨年7月、それをグリーンハウスが引きついで行っている。
 利用者は、20代後半から40代女性の割合が多く、夫婦やカップル、女性同士での利用者も増えている。地域では、首都圏を中心に、県内や遠方からの来訪者も多い。
 湖上で遊ぶ。十和田湖でのカヌーツアーは新しい魅力である。

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 グリーンハウス ツアーデスクへの問い合わせは、℡0176‐70‐5977迄。

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 十和田市のYOSAKOIソーランのチーム「馬花道」のジュニア(中学生以下)メンバーが北海道で開催されたYOSAKOIソーラン祭り・ジュニア部門で日本一となった。去年も優勝しており、二連覇の快挙となった。
 今年は人数が少なく、交流のある秋田の横手チームと合同で参加した。大会は18チームが参加し今年は十和田湖をテーマに踊りのコンセプトを考えた。
 来年で中学を卒業する子は3人。来期の大会には残念ながら参加できない。
 年々子供の参加者が減っているので、もっと増やしていきたい。難しいイメージがあるようだが誰でも楽しんで取り組める。下は小学2年生からいて、十和田湖公民館や甲東中を借りて練習しているそうだ。
 踊りから十和田市を盛り上げる。そんなチームに参加してみたい方は馬花道代表・對馬 秀さんまで連絡を(TEL090‐2602‐6046)

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 三本木農業高等学校で取り組んでいる「命の花プロジェクト」が日本動物大賞のグランプリを受賞した。
 殺処分されたペットの骨はゴミとして捨てられる。平成24年度の殺処分数は犬が約900匹、猫が2400匹を越えるという。人間の都合で飼われ、人間の都合で捨てられる。その現状を知り、大切な命を無駄にしている事を知って欲しい。それが殺処分を減らすきっかけになればと殺処分された動物の骨を擦り潰して土に混ぜ、花を咲かせる。それ(命の花)を配布しながら現状を伝える活動が日本動物大賞に選ばれた。
 全国1位となった三農の愛玩動物研究室で先輩から受け継いでいる命の大切さを知るプロジェクト。生徒は殺処分がゼロになるまで続けていきたいと語った。

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 6月27日(金)、十和田市に大きな激動となるご当地グルメでまちおこしの祭典「B‐1グランプリ開催地決定」が報告された。
 バラゼミのこれまでの活動や実績、十和田市の行政の協力表明、バラサポの署名活動など官民が一体となった開催地立候補の表明を愛Bリーグに送付した。
 それを受け23日に行われた会議の結果、2015年の「第10回ご当地グルメでまちおこしの祭典!B‐1グランプリ」が、人口約6万人の小都市十和田市で開催することが決定した。
 当初、バラ焼きゼミナールが何人かのメンバーだけで立ち上げた小さな波紋、それが少しずつ広がり、波となり、今では十和田市の行政と民間を巻き込んだ大きなうねりとなった。
 愛Bリーグの代表理事である渡邉英彦氏が「大きな町だから開催を出来る...のではなく、開催をしたいという想いがあるかどうかが大事。正直、それほど便利ではない小さな町でやることは難しいが、その後に参加する団体のいい見本となるのではないかと期待している」と述べた。
 舌校長の畑中宏之氏は「市民、市役所、商工会と連携を取り、市民革命として青森の魅力を発信していきたい」と熱意を語った。
 グルメを競うのではなく街の魅力を発信するためのまちおこしイベントとして経済効果は絶大なものと立証されている。しかし、この規模の小さな街で開催された前例はなく、交通のアクセスや宿泊施設の確保など十和田市だけではまかないきれない問題が山積みとなっているのが現状だ。
 十和田市だけでなく周りの街も巻き込んで協力していかなくてはならない。これからの活動を見守りながらも応援したいと感じた。



十和田湖の新しい魅力を探る-観る観光から遊ぶ・体験する観光へ 
十和田湖ボートアドベンチャー「グリランド」

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 十和田湖といったら、イメージするのは当然のことながら「湖」であろう。標高約400㍍、最大水深約327㍍、総面積約60平方キロ㍍。十和田湖の良さはなんといっても水のきれいな湖と自然美である。
 時代は見る観光から、遊ぶ・体験する観光に変わってきている。この60平方㌔ある広大な十和田湖。しかも湖は美しい。この湖で遊ばない手はない。
 平成23年(二〇一一)にイギリス制の軍用高速ゴムボートを買い、ボートアドベンチャーを立ち上げた小川貢さん(40)。若者と外国人(三沢米軍基地)に大人気で、休みにはバスをしたててやってくる。わずか4年で今はボート7隻に増やし、ホテルや食堂、お土産店などが閉鎖や廃業している中で、十和田湖で業績を伸ばしている事業者の一人である。
 この広い十和田湖。十和田湖は遊びでまだまだ十分に魅力を開発できる。十和田湖に再び人が溢れる、その十和田湖の新しい魅力を紹介しよう。

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 問い合わせは/℡090-4158-4811

日本を再び戦争をする国にしてはいけない

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 あなたの家の仏壇に、セピア色した若い兵士の遺影がありませんか。あなたの祖父であったり、大叔父であったり、第二次世界大戦で兵隊にとられて戦争で亡くなった人たちの遺影です。第二次世界大戦では、日本人は兵士、民間併せて大よそ300万人が戦争で死んだ。これは現在の青森県の人口の2倍以上です。さらに日本帝国主義の侵略によって、中国、朝鮮半島、東南アジアの人々が大よそ2000万人が犠牲になった。
 広島、長崎に原爆が落とされ、もう二度と戦争をしませんと日本国民及び世界に誓ったのが、戦争を永久に放棄する日本国憲法「第九条」である。
 日本国憲法は昭和21年(一九四六)に公布され、翌昭和22年(一九四七)に施行された。以来68年間、この平和憲法があったおかげで、日本は先進国では唯一戦争でもって他国民を一人も殺さなかったし、また殺されこともなかった。これは誇るべきことです。まさに平和の世界遺産であり、ノーベル賞ものである。
 ところが、安倍内閣によってこの平和憲法がなし崩し的に破壊されようとしている。それが憲法の解釈改憲であり、アメリカの戦争に自衛隊を送り戦争に参加させるのが集団的自衛権である。
 「九条の会」は、平成16年(二〇〇四)に、憲法「第九条」改定を阻止するために、井上ひさし(作家)、梅原猛(哲学者)、大江健三郎(作家)、奥平康弘(憲法学者)、小田実(作家)、加藤周一(評論家)、澤地久枝(作家)、鶴見俊輔(哲学者)、三木睦子(元総理大臣三木武夫氏夫人)ら著名人によって設立された。現在では、地域や業種別のこの会が全国に7000以上組織されている。
 「九条を守る上十三の会」は、中央の「九条の会」が設立されたその翌平成17年(二〇〇五)に上十三地区内の平和を愛する有識者によって設立され、毎年「平和文化祭」や、平和講演会を行い、戦争の残虐さや平和の尊さを訴えてきた。
 設立当初からその世話人会の代表を務めてきたのが白浜浩一さんである。
 白浜さんは語る。
 「戦前、日本が戦争をするために、陸軍が後ろで糸を引いていた大政翼賛会というのがあった。衆議院選挙の時この大政翼賛会の推薦がないと当選できないと言われていた。ところが大政翼賛会の推薦を受けないで当選した議員が二人いた。三木武夫と、安倍晋三の父方の祖父安倍寛でした。三木武夫と安倍寛は、あの時代に東条英機らの軍閥政治に反抗、無所属で翼賛選挙に歯向かい当選した、筋金入りのハト派だった。安倍寛は残念ながら昭和21年(一九四六)に50歳代の若さで亡くなった。安倍晋三は母方の祖父である岸信介の墓参りにはマスコミを大勢引き連れて行くが、父方の祖父のことは一言もしゃべらない。都合が悪いからでしょう。
 睦子夫人が、三木武夫に言ったそうです。なぜあなた自民党議員なんだ?三木武夫は、自分が辞めてしまったら、この国は憲法を変えて、戦争をする国になるよ。
 今でも自民党の中にも野中広務や古賀誠、加藤紘一みたいに、憲法の解釈改憲に反対する人たちがいます。日本を再び戦争をする国にしてはなりません」
 白浜浩一、昭和6年(一九三一)2月、上北郡横浜町に生まれる。野辺地高校、弘前大学野辺地分校卒業。昭和27年(一九五二)、地元の大豆田小学校を皮切りに、主には上北郡内の小学校を廻り、東北町の甲地小学校長を最後に退職。平成4年(一九九二)横浜町教育長。平成17年(二〇〇五)「九条を守る上十三の会」を立ち上げ、世話人代表として現在に至る。
 また、宮本史朗のペンネームで詩を書き、東奥日報の少年少女文芸大会の選者も務める。今年詩集を上梓する予定だという。

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