夢追人ニュース

 ① 十和田ビジターセンターオープン
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 十和田八幡平国立公園は、昭和11年(一九三六)に「十和田国立公園」として指定され、2年後の平成28年(二〇一六)2月に指定80周年を迎える。
 かつて大町桂月が「山は富士、湖は十和田」と書いた十和田湖。富士は世界遺産に登録された。が、3・11東日本大震災及びそれに伴う福島原発の事故の影響もあったこともあり、十和田湖への観光客が減少すると共に十和田湖のホテル、飲食店の廃業や倒産。昨年は十和田湖遊覧を行っていた十和田湖観光汽船が倒産するなど十和田湖観光は衰退する一方である。
 国立公園指定80周年を間近に控え、なぜそうなったのか、今後どうすればいいのかを考えてみたい。

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 4月16日、十和田湖遊覧を行っている十和田観光電鉄㈱(白石鉄右ェ門代表取締役)遊覧船の運航開始のセレモニーが行われ、今年の十和田湖観光がスタートした。
 十和田湖遊覧は2社体制の昨年までは子ノ口~休屋間の定期航路と、十和田湖を周遊する遊覧航路とがあった。が、今年からは定期航路は廃止。遊覧航路のみとし、子ノ口から休屋までの航路は修学旅行など予約があった場合のみ行うとしている。
 むかしは観光バスで訪れる観光客が圧倒的に多かった。その時代は子ノ口~休屋間の定期航路が有効であった。が、車社会に入り車で訪れる観光客がその比重を増してきた。にもかかわらず子ノ口~休屋間の定期航路はたとえお客が一人のときでも、空気を運んでいると揶揄されながらも運行。それが遊覧船の赤字を招いてきた。
 が、今年の一社体制は順調な滑り出しである。
 今、十和田湖観光汽船の元従業員による子ノ口~休屋間の再開が準備されているというが、どうなるであろうか。
 また4月20日、環境省の十和田ビジターセンターがオープンした。これまで、十和田湖への国や行政による施設の拡充がほとんどなかった。初めての十和田湖への公共施設といっていいであろう。
 十和田ビジターセンターは、十和田湖の成り立ちや十和田湖の全体像が一目でわかるような立体模型や、十和田湖に生息する動物や魚類、四季折々の植物などが展示されている。
 が、このビジターセンターで一番注目したいのが実は休憩施設である。
 ビジターセンターの中には、ホールにテーブル4、椅子10。ラウンジに椅子17。レクチャールームに椅子64。2階にテーブル3、椅子12、長椅子(2人掛)4。2階の展望室にテーブル1、長椅子(2人掛)4。ベランダにテーブル5、長椅子10(3人掛)。湖側の外にテーブル4、長椅子(3人掛)10。併せテーブル17脚、椅子約130脚ある。
 これまでの十和田湖は、歩き疲れてどっかに休もう、あるいは雨が降ってどっかに雨宿りをしようと思っても、お店やホテルしかなかった。ホテルは泊まる予定がなければ入りにくいし、お店に入ると何か買わなければ気まずい。
 つまりこれまでの十和田湖は、観光客に対して非常に不親切であった。
 このビジターセンターは誰に気がねすることなく自由に入り、休憩することができる。そして展示物によって十和田湖の全体像及び十和田湖の魅力を知ることもできる。
 これにコーヒーでも出れば最高であるが、私は観光客に十和田湖に来たらまずビジターセンターに行きなさいと薦めたい。

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 ▽期間/~7月27日(日)
 ▽会場/三沢市寺山修司記念館エキジビッドホール
 ▽入館料/一般530円・一般団体430円(20名以上)・高大生100円・小中学生50円
 ▽問い合わせ/℡0176‐59‐3434

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 自然が豊かで、空気が澄んでいて、野菜や魚類など新鮮な食材の豊富な青森県。しかし一方では、インスタントラーメンの消費量が日本一。男性のたばこの消費量が日本一。75歳未満の全がんでの死亡率が日本一。結果、平均寿命が全国最下位という青森県。その短命県返上が青森県の必至の課題である。
 平成18年(二〇〇六)に埼玉県立大チームが、長野県岡谷市と十和田市の20~69歳の女性それぞれ1000人に、健康に対する比較調査を行ったことがあった。
 それによると、「酒ほぼ毎日飲む」という問いに、十和田市は14・2㌫、岡谷市は7・4㌫と十和田市はほぼ2倍であった。以下、「たばこを吸っている」が十和田市は16・9㌫、岡谷市が7・8㌫。「家に健康に関する本がある」が十和田市は49・8㌫、岡谷市が72・6㌫。「新しい健康情報を実践する」は十和田市が44・6㌫、岡谷市が53・9㌫などであった。
 十和田市は青森県の中でも平均寿命は高い方であるが、それでも健康に対する意識にこれほどの違いがある。
 県立保健大学には、看護学科、理学療法学科、社会福祉学科、栄養学科の4つの科と大学院があるが、青森県の平均寿命を押し上げる人材を育成するというのも大きな一つの役割でもあろう。
 「学生に実習のような形で地域に出て行って、保健協力員と協力し、まず県民の健康に対する知識と意識(ヘルスリテラシー:すこやか力)を高めていくことにお手伝いしたい。県民が健康な生活を送れるようにすることが、私たち保健大学に与えられた一つの使命ではないかと思っています」と語る。
 上泉和子、昭和28年(一九五三)七戸町に生まれる。祖父は馬の画家として有名な上泉華陽である。七戸中、三本木高校、聖路加看護大学卒業。大学卒業後、聖路加国際病院で看護師を13年間務めた後、ジャイカ(国際協力機構)でパキスタンの看護学校で3ヵ月指導。その経験から帰国後再び大学に戻り、同大の大学院に入学。修了後の平成5年(一九九三)から兵庫県立大学で6年間教員を勤めた。
 平成11年(一九九九)県立保健大学の開学と同時に教授として招かれた。平成18年(二〇〇六)副学長。平成20年(二〇〇八)副理事長。そしてこのほど同大の理事長・学長に就任した。
 「学生は県内約6割、県外4割です。これまでは専門職の育成に力を入れてきましたが、今後は学生たちの力を借り、健康に対する県民の意識を高めて行く活動もして行きたいと思っています」
 七戸町から、盛田稔さんが青森大学学長。同大を経営する山田学園の理事長。そしてこのほど同学園の学園長に就任している。
 七戸町から、二人目の大学のトップの誕生である。

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 八甲田早春の風物詩、青森市と十和田湖を結ぶ国道103号線の雪の回廊が3月30日開通した。
 今年は太平洋岸には、2月16日に大雪が降ったものの、ヤマセの雪だったために山まではとどかず、八甲田は多いところでも6・8㍍と今年の積雪が少なかった。
 が、青い空と、白い雪、そして澄んだ空気の八甲田の雪の回廊。ここを通るだけで心が洗われる。
 道路はアスファルトが出乾燥している。ぜひ車で訪れていただきたい。

現在でも「老健とわだ」「たかしずの森」など毎月十数ヶ所の施設を訪れる
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 「それでは皆さん『シャボン玉』を歌いましょうか。この歌は、作者の子供さんが生まれて7日目に死んでしまった。それを『シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 産まれてすぐにこわれて消えた』と、シャボン玉に託して書いたともいわれています」と解説。アコーディオン弾きながら童謡や歌謡曲を歌う。
 入所者は、藤田さんのアコーディオンに合わせ、一緒に歌い皆笑顔になる。
 ここ、「グループホームたかしずの森」(水尻義樹代表)には18人の認知症認定者が入所している。入所者の平均年齢は85歳というが、81歳の藤田さんは、まるで入所者の娘かと思うくらい元気である。
 「これは自分自身のためだと思っているんです。おかげ様で健康で、今のところどこも悪いところないんです」と語る藤田さん。81歳になった現在でも、アコーディオンをかついで、十和田市や六戸町、おいらせ町など十数ヶ所の介護老人保健施設を、月15~16回休まず訪れている。
 アコーディオンの重さは約5㌔、それを胸に抱え、歌いながら30分間演奏するのである。81歳の藤田さんには相当の重労働のはずである。それを平成6年(一九九四)から20年間続けている。
 そのきっかけは、平成6年に十和田市役所から音楽のボランティアをやってみないかという打診があり、「老健とわだ」を訪れたのが最初であった。
 藤田みつ。昭和7年(一九三二)十和田市に生まれる。三本木小学校、三本木高等女学校併設中学校、三本木高校卒業。戦後の旧制から新制の6・3・3制に切り替わるときで、女子高の最後の卒業生である。
 三本木女子高校のとき長谷川芳美先生が音楽の先生として赴任して来て、先生から個人的にアコーディオンを教わったという。
 昭和25年(一九五〇)藤田さん高校を卒業した18歳のとき、助教として三本木小学校に入った。以来32年間教員として勤務。昭和57年(一九八二)に50歳を機に退職した。
 「若いころ、文化連盟というのがあって長谷川先生や、高橋幸男さん、土崎哲男さん、馬場ミツさん、亡くなった相馬和孝さん、三浦洋二朗さんらと、冬場に馬橇で泊りがけで農村慰問に歩いたものです。私の父は陸奥明(菅原都々子の父)の弟子だったもんですから、そんなことで泊まっても何もいわなかったんです」と語る。藤田さんは十和田市の戦後の文化運動の先駆者の一人でもあり、それが現在の活動の原点でもあろう。
 そして平成6年、藤田さん62歳のとき、音楽療法東北部会を立ち上げるとの情報を得て入会。月1回盛岡に通い、以来20年間、老健施設を訪れ音楽療法慰問を続けている。
 藤田さんは、この活動を続けるために、毎朝5時に起床。約1時間ウォーキング、そして温泉に入り、体型維持のために電気ローラーをかけてもらうなど、健康には充分に注意を払っている。歯は80‐20である。さらにママさんコーラスや百人一首などの趣味。若い人たちとの交流も欠かさない。

 約5年7ヵ月で934,226人が入館
 
genbi.jpg 25年度地域創造大賞(総務大臣賞)を受賞し、1月17日、東京でその授賞式が行なわれた。
 この地域創造大賞は、「地域における創造的で文化的な表現活動のための環境づくりに功績のあった公立の文化施設」を顕彰するもので、第1回目は平成16年(二〇〇四)より始まっている。
 十和田市現代美術館のその受賞理由を、
 「まちなか美術館としての新境地を開いたとして、「十和田市の新たなまちづくり『Arts Towada』計画の中核施設。国内外で活躍する現代アーティストの親しみやすいコミッションワークを常設展示するユニークなコンセプトにより観光施設としても定着。野外アート広場、商店街との交流事業、十和田奥入瀬芸術祭、多彩なイベントなどにより地域の活性化に貢献し、美術館の新たなあり方を提示した」としている。
 十和田市現代美術館は、平成20年(二〇〇八)4月26日にオープン。平成23年(二〇一一)の3・11以降入館者が減少したものの、オープンから平成25年(二〇一三)12月末までの5年7ヵ月で、100万人には届かなかったものの延べ93万4226が入館している。
 現代美術館を訪れるひとの中には、最初から現代美術館を目的に訪れ、時間があるからついでに十和田・奥入瀬渓流に寄って行こうかというひともいるほどで、企画展も話題性が高く、十和田市の有力な観光施設としても定着しつつある。

日本オペラの最高峰 80年の歴史を持つ藤原歌劇団
その団員に昇格した十和田市出身のテノール歌手 山内政幸さん

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 声楽家を目指すものにとってその最高峰はオペラ歌手であろう。声楽家を夢みて毎年何百人もの学生たちが音楽大学に進学する。しかし実際に声楽家として喰って行けるのはほんの一握りである。さらにオペラ歌手となると非常に狭き門である。
 日本オペラの最高峰、80年の歴史を持つ藤原歌劇団。このほど十和田市出身のテノール歌手山内政幸さんが、その藤原歌劇団の正団員に昇格。藤原歌劇団の本公演に役のある歌手としての出演資格を得た。藤原歌劇団のホームページに、所属歌手正団員テノール歌手として山内政幸の名前が掲載された。
 藤原歌劇団の正団員約200名、準団員約500名である。そして本公演となると、役を持って出演できる正団員は年間で30人、合唱団は40人程度である。
 藤原歌劇団は、日本オペラの先駆者である藤原義江(明治31年~昭和51年)が、昭和9年(一九三四)に日比谷公会堂でプッチニーの『ラ・ボエール』を上演したのが最初とされている。その後、昭和14年(一九三九)に歌舞伎座で藤原歌劇団と銘打って旗揚げ公演『カルメン』が行なわれた。以後、藤原歌劇団として活動してきたが、昭和56年(一九八一)に、日本オペラ協会と合併統合して、(財)日本オペラ振興会となり、「藤原歌劇団」の名称は、西洋オペラの公演事業名として残している。
 その藤原歌劇団の団員となると、声楽を目指す者にとっては憧れの的でもある。
 山内政幸。昭和49年(一九七四)5月、十和田市に生まれる。三本木中、八工大二高、昭和音大短期大学部、昭和音大声楽科卒業。日本オペラ振興会オペラ歌手育成部マスターコース修了後、藤原歌劇団に入団、準団員となる。
 「両親共に音楽が好きだったことから、気がついたらピアノをやっていました」と語る。
 高校を卒業し、昭和音大短期大学部音楽芸術コースに入った。卒業のとき、ピアノと、副科の声楽のテストが行なわれた。
 そのとき声楽の先生から、あなたはピアノより声楽の方が良い。いい先生を紹介してあげるから、ぜひ声楽の道に進みなさいと薦められた。そして、同じ昭和音大の4年制の大学に入り直し、ここから本格的に声楽を学んだ。
 大学4年のときである。恩師である折江忠道先生が藤原歌劇団の団員でもあった。その公演『椿姫』を観に行った。その舞台に感激。よーし俺も藤原歌劇団に入るぞと決意した。
 人生は出会いである。こうして、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部マスターコースを修了。修了と共に藤原歌劇団に準団員として入団。そしてこのほど団員に昇格した。
 今年は『魔笛』や『マクベス』での出演が予定されている。山内さん40歳。いよいよこれからである。


十和田市現代美術館開館5周年企画第3弾
 
nisdizawaryuei.jpg 十和田市現代美術館の設計者である西沢立衛さん。日本を代表する女流建築家である妹島和世さん。その妹島さんと西沢さんがユ二ット「SANAA」を設立。以後、金沢21世紀美術館を設計するなど、これまでヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展金獅子賞、スウェーデン・ショック賞(視覚芸術部門)、建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞など、数々の国内外の建築賞を受賞している。
 妹島和世。昭和31年(一九五六)茨城県出身。日本女子大大学院修了。伊東豊雄建築設計事務所を経て昭和62年(一九八七)に妹島和世建築設計事務所を設立。平成7年(一九九五)に、西沢立衛との共同事務所SANAA設立。
 受賞歴/日本建築学会賞、ショック賞、芸術選奨文部科学大臣賞、女性として2人目のプリツカー賞など受賞多数。
 西沢立衛。横浜国立大学大学院建築都市スクールY‐GSA教授。昭和41年(一九六六)神奈川県出身。横浜国立大学大学院修士課程修了。妹島和世建築設計事務所入所。平成7年(一九九五)に、妹島和世との共同事務所SANAA設立。平成9年(一九九七)に西沢立衛建築設計事務所設立。
 受賞歴/アメリカ芸術文化アカデミーアーノルド・W・ブルンナー賞、ヴィンセント・スカモッツィ賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展金獅子賞、スウェーデン・ショック賞(視覚芸術部門)、プリツカー賞、、日本建築学会賞など多数。
 二人のユニット「SANAA」が設計した金沢21世紀美術館。この設計がヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展金獅子賞。金沢21世紀美術館はオープン7年目で入館者が1,000万人突破。オープン9年目の現在1,487万人が入館している。十和田市現代美術館もそうであるが、展示している作品や企画もさることながら、建物がひとをひき付ける一つの例である。現代美術館としては5周年に相応しい、全国に注目されるビッグな企画展である。
 
genndaibijutukan.jpg ▽期間/2月1日(土)~3月30日(日)、但し月曜休館(月曜が休日の場合はその翌日)▽問い合わせ/℡0176‐20‐1127。

 三本木農業高校3年・蘇我 美月さん 日本一の最優秀賞文部科学大臣賞を受賞!
 
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 三本木農業高校では2年生になるといろいろな研究室から選択し、動物や食品についてみんなでテーマを決めて活動するというクラブがある。
 その一つである赤坂先生が担当する愛玩動物研究室で決まったテーマ、「命の花プロジェクト」が全国意見発表会で最優秀賞を受賞した。
 研究チームの代表で意見発表をした動物科学科3年・曽我 美月さんが殺処分される動物の現状と自分たちが何をしてきたかを教えてくれた。
 昨年の3月からスタートし、まずは生徒を動物愛護センターに連れて行き、見学をすることから始まった。犬や猫と触れ合うことが出来る場所でもあると同時に、飼い主が現れない犬猫を殺処分する施設もある。
 現状を知り、何とか殺処分を減らす方法を考えられないか?と考えられたが、可愛らしい犬や猫でも飼い主を探すことは容易ではなく限界がある。それなら命を無駄にしないように伝えていくことをテーマとした。
 飼い主を探すのではなく捨てられるペットを減らすため、殺処分されたペットを違う形で救えるようにと命の花プロジェクトはチーム一丸で取り組まれた。
 殺処分された動物の骨をレンガなどで細かく砕いて粉にする。それを気持ちを込めて土にまぜて植木に花を咲かせる。青森県の動物愛護センターのイベントなどで花を配ると同時に現状を伝える。その取り組みや現状を知り、どう感じ何をしてきたのかを農業クラブ全国大会の文化・生活部門の意見発表の場で曽我さんがチームの代表として言葉で伝えた。
 そして全国1位となる最優秀賞を授与した。
 担当の先生やチームの協力もあり、今回の栄冠をみんなで喜んでいた。
 このほか三農では、食料・生産部門でも優秀賞受賞。農業鑑定競技会で農業、畜産、機械部門でもそれぞれ優秀賞を受賞している。
 3年生は卒業し離れ離れになるのだが、同じ時間を過ごし、みんなで取り組んできた思い出は勉強以上に大切なことかもしれない。
 次は2年生へバトンを渡し、また素晴らしい活動になるように期待し、三農卒業生として胸を張ってこの先も頑張って欲しいと感じた。
 
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sizenenerugi-2.jpg 3・11東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発事故のあと、国民の自然エネルギーに対する関心が高まっている。
 NPO法人どんぐりの森・山楽校(川村清市塾長)では、12月12日、十和田市民文化センターで、将来を担う子供や孫たちに自慢できる郷土の環境を...のテーマに、自然エネルギー市民フォーラム(青い森地域創造基金補助事業)を開催した。
 フォーラムは、どんぐりの森・山楽校の川村清市塾長をコーディネーターに、日本環境学会前会長の和田武さんが基調講演した他、中型風力発電機を製作している駒井ハルテック㈱の豊田玲子さん、東北再生可能エネルギー利活用大賞を受賞した岩手県一関市の照井土地改良区の阿部洋一さん、稲生川に小規模の水力発電所建設している青森県上北地域県民局の吉岡裕芳さんらが、現在の取組み状況を報告した。
 講演あとのディスカッションでは、会場からの質問に、各先生方が答える形で行なわれた。
 
sizenenerugi-1.jpg まず最初に、「再生可能エネルギー普及による地域活性化~市民・地域共同発電所づくりで農村地域を元気に!~」のテーマで基調講演をした和田武さんは、地球温暖化は深刻な状況になってきている。二〇〇七年に締結された、二〇〇八~二〇一二年までの温室効果ガス排出量を決めた京都議定書では日本は-6㌫、ドイツ及びデンマークは-21㌫であった。これを二〇一〇年の段階での実績で見ると日本はわずか-1㌫、ドイツは-21・7㌫、オランダは-18・7㌫の実績をあげている。
 また日本は、3・11の東日本大震災による福島第一原発の事故により原発の危険性が誰の目にも明らかになってきたにも関わらず、原発は産業発展に欠かせない。原発はCOを排出しない環境にやさしいエネルギーであるとして原発推進策をとってきた。
 しかし原発を推進策を出しているのは日本だけで、世界は今再生可能エネルギー(風力・太陽光・バイオマスなど)を推進しているとして、ドイツやデンマークでの取り組みを紹介した。
 ドイツは、原発の段階的廃止を打ち出し、デンマークは原発不所持である。
 ドイツやデンマークで再生可能エネルギー普及が飛躍的に進んでいる理由として、第一に電力買取制度、熱・燃料利用推進制度、環境税など積極的な普及推進政策をとっている。
 第二に地域に利益が還元されるなど市民・地域主体中心の普及方法をとっている。
 第三に、それによってCO削減、雇用の創出、エネルギーの自給率向上など再生可能エネルギーの普及促進は社会に好影響を与えている。
 また、再生可能エネルギーは、少量ずつ分散的であるが枯渇することなく無限である。特に農山村地域に多い。これに対して石炭、石油などの化石資源、ウランなどは有限でありいずれは枯渇する。
 デンマークでは、二〇二〇年までに消費電力の50㌫を風力で供給。二〇三〇年までに発電所での石炭利用を禁止。石油ボイラーを全廃。二〇三五年までに電力・暖房用はすべて再生可能エネルギーにする。二〇五〇年までに再生可能エネルギーに完全移行するという計画を立てているなど、自然エネルギーの先進地を紹介し参加者に深い感銘を与えた。
 なぜドイツ、オランダなどヨーロッパで出来て日本では出来ないのであろうか。
 日本では東京電力や東北電力など大資本が電気をつくり供給する制度をとっている。
 それに対してヨーロッパは、小規模ではあるが地域住民や民間団体、地方自治体などが電気を作っている。
 日本でも、最近太陽光発電が目だってきたが、日本の総エネルギーを賄えるだけの資源量は充分あるという。自然エネルギーを推進するかどうかは、国の政策が重要になってくる。地球温暖化と、原発の危険性を考えたとき、非常に考えさせられた和田さんの基調講演であった。
 
sizenenerugi-3.jpg 続いて、「中型風力発電によるコミュニティ風車の可能性」と題して、駒井ハルテック㈱の豊田玲子さんが報告した。
 豊田さんは、現在は大型化が顕著であるが、日本の風車資源は山の上が多いために、大型機が入りにくい場所も多い。日本の気象・地形条件に沿った中型の風車を開発した。風力発電適地は、年間平均風速が毎秒5・5~6以上なければならないなど、風力発電の条件などを報告した。
 
 続いて、「疎水百選の農業用水を利用した水力発電」と題して、東北再生可能エネルギー利活用大賞~東北経済産業局長表彰~を受賞した、照井土地改良区の千葉満さんが報告した。
 照井堰は、今から850年ほど前の平安の末期、当時、干魃や飢饉で苦しみ悩まされ続けた村々の窮地を救うために、奥州藤原秀衡の家臣照井太郎高春が、磐井川から取水して用水路を造った。それによって現在の岩手県一関市・平泉町一帯が美田に変えられた。その工事をした照井高春の姓を取って照井堰用水と命名された。
 照井発電所は、その照井堰に造られた小型の水力発電所で最大50kW、常時30kWを発電。一般家庭での約15軒分の発電をしている。その取組みと管理状況が報告された。
 
 そして最後は、現在進められている稲生川の水力発電所である。
 この稲生川水力発電所は、県の事業であるために「稲生川を活用した小水力発電施設の整備について」と題して、青森県上北地域県民局の吉岡裕芳さんが報告した。
 稲生川が2本あるのをご存知であろうか。1本は新渡戸傳が開削した稲生川。これは奥入瀬川の旧十和田湖町の中里から取水してる。もう1本は国営事業で開削した稲生川である。これは同じく両泉寺から取水しているが現在は法量発電所から出た水をそのまま稲生川に流している。
 その2本の稲生川が、国道102号線十和田市農協八郷給油所裏の佐井幅で、国営で開削した稲生川が新渡戸傳が開削した稲生川に落とす形で合流している。
 稲生川水力発電所は、2本の稲生川の落差を利用して造られる。平成26年の完成予定だが、その発電量は最大182kWと、照井発電所の4倍近くあることが報告された。
 以上、基調講演を含めて4人が発言。ディスカッションは会場から質問を受けて4人の先生がそれに答えるという形で行なったが、午後6時から始まり午後9時までの3時間、時間が過ぎても次々と質問がでるなど、自然エネルギーに対する関心の高さを伺わせたエネルギーフォーラムであった。

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