夢追人ニュース

「フラワーズ」「十和田奥入瀬芸術祭」など次々と新企画を生み出す 
 
hujihirosi.jpg 十和田現代美術館の開館5周年記念展第1弾4月から始まった「フラワーズ」にしても、9月から始まった第2弾「十和田奥入瀬芸術祭」にしても、首都圏からの若い人たちで溢れた。その5周年企画をプロデュースしたのが、自らも美術家であり、十和田市現代美術館副館長で、アーティスティック・ディレクターの藤浩志さんである。
 「今回の「十和田奥入瀬芸術祭」は、焼山地区の地域再生に美術館がどのように関わるかという問題が重要です。美術の中でいうと、十和田市現代美術館は発信力があり注目されていますから、美術関係者たちが次ぎは何を持ってくるんだろうかと、非常に関心をもっている。
 それと今、いろんなところでアートプロジェクトブームで、芸術祭、トリエンナーレなど、いろんな町や地域がアートを活用するようになってきているんです。
 その中で芸術祭のあり方が問われている。
 芸術祭が、子どもたちにとって、地域のひとにとって、焼山に暮らすひとにとって、遊覧船を運営する会社にとって、十和田湖周辺で暮らすひとにとって、どういう意味があるのかなど、幾つも意味を重ねる必要があります。
 ですから一つの切り口で説明するのは難しい。
 仕掛けるうえでは、一つひとつに意味や思いを込めていて、将来的にはそれらがつながってゆき、十和田市に暮らすひとたちが創造力や活動力を身につけ、創造的な活動が広がっていくことが重要だと思うんです。そして大きくは、十和田市がクリエイティブなまちとして定着してゆけばいいと思っています」
と、熱く、とうとうと語る。
 確かに、十和田市現代美術館ができてこの5年、十和田市が変わった。一つは、首都圏など多くのひとが十和田市を訪れるようになった。二つにはまだ少ないが若い芸術家たちが十和田市に移住するようになってきた。三つには十和田市がクリエイティブなまちとして見られるようになってきているなどである。
 それらを意識的に一層強く進めて行こうとしているのがアーティスティック・ディレクターの藤浩志さんである。
 藤浩志。昭和35年(一九六〇)鹿児島県出身。京都市立芸術大学卒業。在学中は演劇に没頭。そこから空間や地域での表現に興味を持つようになった。
 同大学院修了後、青年海外協力隊として、2年間パプアニューギニア国立芸術学校の講師を務めた。
 帰国後、都市計画のコンサルタント会社勤務を経て、藤浩志企画制作室を設立。以後、地域素材を利用した活動を展開。子どもたちがいらないおもちゃを持ち寄って遊ぶ「かえっこ」は全国に拡がり、青森市ではねぶたの廃材を使って「龍」を制作するなど、30年近く全国100を越える地域でアートプロジェクトに携わってきた。
 十和田市にも、まだ現代美術館構想が出る前の平成5年(一九九三)に、調査のために来十している。
 美術家としても、国際展などに出品している。
十和田バラ焼きゼミナール
 9月に十和田市で開催された北東北B‐1グランプリの熱気も冷めぬままに11月9日(土)・10日(日)に愛知県豊川市で第8回目の「B‐1グランプリ」が開催された。過去最大数のまちおこし64団体が参加し二日間で約58万1千人が来場した。
 
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 翌日バスで10時間ほど揺られながら十和田市の「まちおこし市民団体」である「バラ焼きゼミナール」15名と今回もPRやサポートをしてくれた十和田西高の生徒たちが無事、凱旋してきた。
 結果は30375gを獲得し見事シルバーグランプリを受賞した。優勝は福島県の浪江焼麺太国(なみえやきそばたいこく)が31242gを獲得しゴールドグランプリに輝いた。
 barazemi2.jpg 十和田西高を代表して挨拶した山崎 航生くん(3年)
 ほんとに疲れたけど忘れられない思い出になった。一緒に行ったメンバー、支えてくれたみなさんに感謝しています。と語ってくれた。
 1年間の頑張りをみんなで称えると共に、また一から始める決意を込めて挨拶後に「クビ切り会」という名の卒業式が行われた。
 子ども達一人一人の挨拶は、とても高校生とは思えなほど立派な言葉だった。頑張って声を出しカラカラ声の子、思い出して涙ぐむ子。今回のB‐1での経験を通して、しっかりと成長して帰ってきたと感じた。
barazemi3.jpg 大会1日目は会場の端っこで条件はあまり良くはなかったが、それでも行列規制がかかる程お客様が並んでくれた。十和田産の玉ねぎと牛バラ肉を甘辛いタレで炒めていく、ご飯に抜群の相性のご当地グルメが「十和田バラ焼き」だ。規制をかけても待ってる人が出るほど人気は高かったと実感できた。
 バラ焼きのバラと薔薇をかけてベルサイユをイメージ。来てくれたお客様には笑顔で「ボンジュール!」で出迎え、「ラビアンローズ!(薔薇色の人生を)」で見送るパフォーマンスが高評価を得た。また箸入れ袋にも工夫を加え、開くと十和田のPRが書かれていて、見てくれたお客様のほんの一部でも十和田に興味をもって来てくれれば嬉しいと語る。
 大会2日目には強風と雨で大変だったと語る畑中宏之舌校長。お客様が持ち帰りで頼むようになってくると投票(箸)につながらなくなる。こうなると票が伸びるのは汁物か串物になる。呼び声も雨と風で消されてしまう。
 二年前にも経験したというハプニングが今回の順位につながったのかもしれない。
 バラゼミ、西高生が一致団結して出来るだけ持ち帰りは止めてもらい、食べていただけるように声を掛け続けた。結果、二日間で約1万1千食を提供しながらも「おもてなし+おもしろさ」を実践し、十和田の魅力をアピールしてきたことは素晴らしい事だと感じた。
 畑中舌校長は来年も優勝を目標に頑張ることは当たり前。大切なのはこの活動を通して十和田の活性化にもつながるように今日からの363日を過ごしていきたいと熱く語った。


十和田市倫理法人会経営者ナイトセミナー

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 「企業に倫理を、職場に心を、家庭に愛を」をスローガンに、経営者が自己を高めるために学ぶ十和田市倫理法人会(白石鉄右ェ門会長)。そのナイトセミナーが9月19日、富士屋グランドホールで行なわれた。
 講師は、クラフトグループの会長で、命をつなぐ木魂の会会長の又川俊三さん。
 又川さんは、「心の経営」と題して約70名の参加者を前に、営業は売込ではない。表敬訪問である。まず人間関係をつくることが大事である。そういう意味では1年目は種まきである。
 事業は教育がすべての業務に優先する。経営は技と心である。人間は一生のうちに出会うべき人には必ず出会える。そして出会いが人生を変えるとして、鍵山秀三郎や稲盛和夫氏らとの出会いなど、経営や人生について感動的に語った。
 また又川さんは、ヴァイオリンの修復家である中澤宗幸さんが、3・11の東日本大震災の被災者のために何かできないかと、震災で流された流木でヴァイオリンを2丁製作。それを亡くなられた方への鎮魂と、震災を風化させないためにも、千人のヴァイオリニストに演奏してもらい、それをつなぐヴァイオリン・プロジェクト「千の音色でつなぐ絆」運動を始めた。
 その運動の中心となるのが「命をつなぐ木魂の会」であり、又川さんはその会長である。ぜひこの十和田でも音楽会をやってほしいと結んだ。

十和田市出身「みんなの寺」の天野和公さん
『ミャンマーで尼になりました』出版
16コマ漫画で綴るミャンマーでの修業の日々
  
amanowakou1.jpg 子どものころからお墓を見たり、お坊さんのお経を聞くのが好きだったという天野和公さん。東北大学を卒業後、人の死に関わる仕事がしたいと仙台の葬儀会社に就職した。
 そこで知り合った若いお坊さんから、「坊守(寺嫁‐つまり奥さん)になってくれませんか」といわれ、二つ返事で「いいですよ」と結婚。
 そして二人で、檀家ゼロから「みんなの寺」というお寺を開山。三本木高校ではマン研に入っていたという和公さん。ホームページにマンガで「みんなの寺絵日記」を掲載。それが評判を呼び平成20年(二〇〇八)に『みんなの寺絵日記‐夫婦でお寺をはじめたよ‐の巻』(サンガ刊)を出版。以後、平成23年(二〇一一)に『みんなの寺のつくり方‐檀家ゼロからでもお寺ができた!』(雷鳥社刊)、平成24年(二〇一二)『ブッダの娘たちへ‐幸せを呼びさます「気づきの」の仏教』(春秋社刊)を出版してきた。和公さんにとって今回の『ミャンマーで尼になりました』は4冊目の本である。
amanowakou.jpg この本は、「プロローグ」で自身の「余は如何にして仏道を志すに至りし乎」で、和公さんが何故お墓を見、お経を聞くのが好きになったでは、祖母が信仰深いひとであった。5歳ぐらいのとき地獄の絵本を見た。それ以来死というものを意識するようになったという。
以下、「そうだ、ミャンマーへ行こう!」、「生涯の師、現る」、「七転八倒の瞑想修業」、「すぐわかる駆け足ブッダ伝&なるほど仏事ばなし」と続く。
 漫画であるから読みやすく、一般にはわからないお坊さんの修業の場面もあって面白い。ぜひ一読を。
 『ミャンマーで尼になりました』(イースト・プレス刊)定価1000円+税。

terayamashuji.jpg 偉才、鬼才といわれた寺山修司が亡くなって30年。その30年を記念した様々な催しが行なわれているが、このほど寺山が多感な少年期を過ごした三沢市で「寺山修司演劇祭」が、星野リゾート青森屋で行なわれた。
 寺山の様々な活動の中で特に偉才を放ち、寺山を有名にしたのが、日本より外国で評価された演劇実験室「天井桟敷」である。
 寺山修司演劇祭は、青森大学演劇団「健康」の、寺山修司へのオマージュ(寺山修司記念館)『懐かしのわが家』(佐々木英明構成・演出)。札幌市の実験演劇集団風蝕異人街による、寺山の旗揚げ公演であった『新版青森県せむし男』。東京で活動する劇団☆A・P・B‐Tokyoによる、同じく寺山の初期の作品『毛皮のマリー』。そして全出演劇団によるフィナーレ野外音楽劇『醒めて、歌えよ!』であった。
 寺山の作品に初めてふれる観客も多かったであろう。200人余りの観客は、少し戸惑いながらも、寺山の世界に浸っていた。

芸術って何だ!?音楽って何だ!? あなたは何を観て何を感じるか
 
gennbi1.jpg 十和田市現代美術館開館5周年記念展第2弾「十和田奥入瀬芸術祭」が始まった。
 この十和田奥入瀬芸術祭のテーマは3つ。①展覧会、②ものがたり集、③ゼミナール、そして特別企画として、奈良美智ディレクションによる「青い森のちいさな音楽会ライブ」、NHK朝ドラ『あまちゃん』の音楽を担当した大友良英による「オーケストラ青い森」などである。
genbi2.jpg 展示会は、十和田市現代美術館他、美術館の外に飛び出し、廃屋同然になっている焼山の水産保養所、旧笠石家住宅などを使っての展示である。
 現代美術館では、アイスランドを拠点に活動するラグナル・キャルタンソンの、雪原や山の中などでピアノやギター、バンジョンを弾く5つの映像が一つの音楽を奏でる作品。
 ニューヨークを拠点に活動する武田慎平の、3・11以降、原発事故の放射能で汚染された土壌がフイルムに反応した写真。
 旧笠石家住宅では、志村信裕による、筵に10万本の持ち針を刺し、それに樹齢約千年といわれる法量の銀杏の映像が映し出される。
 水産保養所では、水をはった真っ暗な広間に懐中電灯を持ち長靴を履いて入る。あるいは屋根から水が滝のように滴り落ちる。
 初めて足を踏み入れた人は、何っ!これ?!と思うに違いない。しかし、観客は20代から30代の、しかも首都圏など遠くから来た若者たちが圧倒的に多いのである。
 「ものがたり集」は、『十和田、奥入瀬 土と土地をめぐる旅』と題して、漫画家の小林エリカやエッセイストの石田千、詩人の管啓次郎などによる十和田湖奥入瀬をめぐる話や、畠山直哉の写真を一冊の本にして全国販売している。
 また特別企画、現代美術家の奈良美智ディレクションによる「青い森の小さな音楽会」では、大阪で喫茶店を経営しながらアコーディオンを中心としたユニットや、ギターリスト・シンガーソングライターのおおはた雄一、タテタカコなどによるライブパフォーマンス。
 NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の音楽を担当した大友良英による、十和田市内の小学生、中学生、一般の人たちが思いおもいの楽器を持って即興演奏する「オーケストラ青い森!」。どれをとっても清々しく、そしてたくさんの若者たちが集まった。
 「十和田奥入瀬芸術祭」は11月24日(日)迄。詳しくは十和田市現代美術館にお問い合わせ下さい。
 
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 地域の自然を守りながら地域社会を発展させる
 ekopa-ku.jpg この言葉を初めて聞くひとも多いではなかろうか。
 ユネスコエコパークは、昭和46年(一九七一)に、生態系の保全と持続可能な利用の調和(自然と人間社会の調和)を目的に設立され、世界117ヵ国、610地域が指定されている。
 日本ではまだ数が少なく、屋久島(鹿児島)、大台ヶ原・大峰山(奈良・三重)、白山(岐阜・石川・富山・福井)、志賀高原(長野・群馬)、綾(宮崎)の5ヵ所が指定されている。
 屋久島や志賀高原は誰でも知っているであろうが、平成12年(二〇一二)に指定された綾(宮崎県綾町)は、日本最大の照葉樹林のまちを掲げている。
 エコパークでは、自然を守る保全機能。自然を利用し経済と社会を発展させる。科学的な調査を進める学術支援などが必要である。
 綾町では、照葉樹林を守るコアゾーン、その周辺にある環境教育や野外活動、観光やレジャーに活用するバックファゾーン、人間が自然環境と共生するトランジッションゾーンに分かれ、日本の森から世界の森へのスローガンを掲げており、今では自然の中での人間らしい生活を求める全国各地からの移住者が後を絶たない町である。
 十和田市でいえば、十和田湖・奥入瀬・八甲田はまさにコアゾーンであり、それを活用し活動しているNPO法人十和田奥入瀬郷づくり大学やNPO法人どんぐりの森・山楽校、㈱ノースビレッジの活動がバックファゾーンの活動であり、すでにその下地ができあがっている。が、この地域は十和田市のみならず、青森市や秋田県にまでまたがっている。
 市としては、関係する自治体に呼びかけ、協議会を設置。3~4年かけ研究し、ユネスコに申請したいとしている。

 写真は、晩秋の十和田湖。十和田湖を中心とした地域はエコパークのコアゾーンとして重要である

 本木高校時代に第49回全国演劇大会で最優秀創作脚本賞受賞
 岸田國士戯曲賞候補他国内各所で演出家・劇作家として活躍
 nakayasiki.jpg「母親が十和田演劇鑑賞会に入っていて、小学校5年生のころだったかな、お前も観た方がいいよって観たのが、無名塾の『リチャード三世』だったんです。それがすごいエネルギーがあって、仲代達矢さんとか、なんかよく知らないおじいさんが出ていて、すげえぞあいつと思って、それから演劇にどんどん引き込まれていったんです。
 中学校3年生のとき十和田市民文化祭にシナリオを出したら受け取ってもらえてすっごく嬉しかったんです。
 中学校も演劇をやって、シェークスピアとかチェーホフなんかガンガン読んでいました。
 高校は函館ラサールに受かったんですけれど、ラサールには演劇部がなくて、それで三本木高校に入ったんです。
 そして三本木高校3年のとき全国高等学校演劇大会で、『贋作マクベス』が最優秀創作脚本賞をもらった。高校演劇で全国まで行ったんだから行けるところまで行こう。それで僕の行く道が決まりました」と語る中屋敷さん。
 今は、劇団「柿喰う客」の代表をし、新人劇作家の登竜門、演劇界の芥川賞とも呼ばれる第57回岸田國士戯曲賞の最終候補に選ばれるなど、劇作家、演出家、はたまた俳優としても活躍している。
 中屋敷法仁。昭和59年(一九八四)4月、十和田市に生まれる。切田中、三本木高校卒業。青山学院大学に入学するが、途中演劇コースのある桜美林大学に移籍し、平田オリザのもとで学ぶ。
 青山学院に入り演劇サークルに入ったが、自分がやりたいものを作るんだったら、自分で責任を持つものをつくらなければ駄目だと1年生の冬、平成16年(二〇〇四)に「柿喰う客」を立ち上げた。平成18年(二〇〇六)の元旦にやった公演の観客動員数が飛躍的に伸びたことから正式に劇団化。以後、『真説・多い日も安心』(2000名動員)、『恋人としては無理』で国内5都市ツアー、『悪趣味』2400名動員、『悩殺ハムレット』では東京、三重、大阪、愛知の4都市で4600人動員するなど国内公演はもちろん、フランスで『恋人としては無理』や『The Heavy User』など海外公演も行い絶賛されている。
 また、キャスト全員が女優の『ハムレット』、『マクベス』を上演したり、出演者をオーディションで選んでパルコ劇場に進出するなど、話題性の高い作品をつくり続けている。
 劇団の名前は、売れる名前の法則なんか勉強してつけたのが、一度聞いたら忘れない「柿喰う客」だったという。
 劇団外での脚本・演出は、吉本興業神保町花月『かあちゃん、スターになったよ』、同『ほらね』など吉本興業や、シーラカンスプロデュース『戯伝写楽‐その男、十郎兵衛‐』、つかこうへい作『飛龍伝』などの演出。東京芸術劇場 芸術監督野田秀樹監修『100万回生きた猫』の脚本。パルコ・プロデュース『露出狂』の作・演出など多数。
 また受賞は、第49回全国高等学校演劇大会『贋作マクベス』最優秀創作脚本賞、王子小劇場佐藤佐吉賞での最優秀主演男優賞、最優秀衣装賞、優秀演出賞、シアターガイド賞、最優秀作品賞などである。
 「ミュージカルや子ども劇場などでも国内各地で上演しています。それもやりたいし、俳優としてもやりたいですがなかなか時間がとれなくて」と語る中屋敷さん。
 まだ29歳の若さであり、その活躍ぶりは寺山修司の再来を思わせる。将来楽しみな一人である。
 また、実姉は、仙台市の「みんなの寺」の天野和公さんである。
  「バラ焼きゼミナール」今年の豊川大会では優勝だ!! 全国大会をぜひ十和田市で開催したいと意気込む
touhokuB-1-1.jpg 「北海道・東北B‐グランプリin十和田」は、当初の予想10万人をはるかに越える18万1千人が来場し大成功に終わった。今回の北海道・東北大会にはゲストを加え21団体が出展。会場となった官庁街通り及び商店街会場は、身動きできないほどの込みようであった。
 「バラ焼きゼミナール」の畑中宏之舌校長は、「これまで優勝は意識してこなかったですが、今年豊川(愛知県)で行なわれる全国大会では、優勝を目指します。そして全国大会をぜひ十和田市で開催したい」と語る。
 ちなみに、過去の大会を振り返ってみると、平成22年(二〇一〇)に行なわれた厚木大会46団体、43万5千人来場。平成23年(二〇一一)姫路大会は63団体51万5千人。平成24年(二〇一二)北九州大会63団体、61万人となっている。ぜひ十和田市開催を目指し頑張って欲しい。
 
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 ゴールドグランプリは福島県浪江町の「浪江焼麺大国」
 
B-1guranpuri1.jpg 9月7日、8日の2日間に渡って行なわれた「北海道・東北B‐1グランプリin十和田」は、当初の見込みの10万人をはるかに越える、十和田市の人口の3倍近い18万1千人が来場した。2日間での18万人は、十和田市始まって以来の動員数で、歴史に残る一大イベントとなった。
 十和田市の「バラ焼き」は、平成21年(二〇〇九)3月に、ご当地グルメ(当時はB級グルメ)「バラ焼き」で売り出そうと、十和田市中央公民館で「バラ焼きの集い」を行なった。これには、市内の飲食店主ら30名が参加した。
 この集いでは、市企画調整課の担当者からご当地グルメによるまち興しの考え方や、その前年に結成され先行活動をしている「十和田バラ焼きゼミナール」の活動などを報告すると共に、参加者による意見交換会が行なわれた。これが、十和田市の「バラ焼き」の最初の取組みである。
 「B‐1グランプリ」は平成18年(二〇〇六)に八戸市で行なわれたのが最初である。そして平成22年(二〇一〇)の第5回厚木大会に「バラ焼きゼミナール」が初出場し見事第8位に入賞した。さらに平成23年(二〇一一)の姫路大会でも第8位に入賞。平成24年(二〇一二)の北九州大会では第10位に入賞。昨年はまた、「東北・北海道大会」の前哨戦として、青森、岩手、秋田の北東北の「決して争わないバラ戦争」を開催。3県から9団体が参加。2日間で3万3千人が来場した。
 こうして「バラ焼きゼミナール」が発足してわずか5年目にして十和田市での「北海道・東北B‐1グランプリ」開催となった。
 「北海道・東北B‐1グランプリ」は、北海道・東北から20団体、ゲストとして第5回厚木大会でゴールドグランプリとなった「甲府鳥もつ煮」が参加、併せ21団体が出展。
 それを支えるボランティアも、三本木、高清水、松陽の小学生や十和田西高校、一般市民など、子どもから大人まで奮闘し「B‐1グランプリ」を支えた。
 当日は雨も心配されたが、「B‐1グランプリ」の熱気に押され雨も退散。初日の7日には6万3千人、2日目の8日は11万8千人、併せて18万1千人が来場。
 会場となった官庁街通り及び第2会場の商店街会場は、人気ブースには100㍍もの長蛇の列ができ、1時間、2時間待ちというブースもあった。
 また、人気だったのは、「バラ焼き」で使うタマネギやトウガラシを栽培するところから始めた、三本木、高清水、松陽小学校の「十和田バラ焼きキッズ」。子どもたちは懸命に地元食材をアピールしていた。
 結果、ゴールドグランプリに輝いたのは、原発事故で全町民の避難が続いている福島県浪江町の「浪江焼麺大国」。第2位は、秋田の「横手焼きそばサンライ,S」。第3位は、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』で有名になった久慈市の「久慈まめぶ部屋」で、それぞれ金、銀、銅の箸と、十和田市から馬の彫刻が贈られた。
 このあと「B‐1」の全国大会は11月9・10の両日愛知県豊川市で行なわれる。
 
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