編集長のたわごと

 私が子どもの頃ガキ大将がいた。そのガキ大将は、親の威を借りて威張っているだけのガキ大将であった。あるとき、そのガキ大将とプロレスごっこをしたところ、私より弱いことがわかった。それを機に私はそのガキ大将と袂を分った。
 私はそのガキ大将にいじめられたという記憶はないが、あまりいい思い出としては残っていない。それから60年経った今でも、その彼がまちで会うと「よっ」と声をかけてくることがある。私は「やー」というだけで、それ以上は話したことがない。
 これが自殺を考えるほどいじめられた場合はどうであろうか。いじめた方は忘れているかも知れないが、いじめられた方は死ぬまで忘れないであろう。
 それでは国と国の間ではどうであろうか。当時の世界情勢はどうであったかにかかわらず、中国や韓国は死ぬほどいじめられた国であり、日本はいじめた国である。
 中国も韓国も独立した国である。しかも今は日本を凌ぐほど強い国になっている。中国も韓国も、日本にいじめられたことを絶対に消えることのない歴史として、100年あるいは1000年もの間子々孫々に言い伝えるであろう。
 それに対していじめた方のとる道はただ一つしかない。まず、いじめた非礼を素直に詫びると同時に、相手を思いやり、共存共栄することである。
 靖国神社はまさにいじめた側のガキ大将であるA級戦犯を合祀している場所である。その靖国神社に参拝することは、当然いじめられた側の逆鱗に触れることになる。
 それがわからないのは、いじめたことしかしたことのないガキ大将である。そんなガキ大将が今国の舵を握っている。日本の今後に危惧を感じざるを得ない。

 多くの文化人や知識人、ジャーナリストが危惧する中で、審議不十分のまま「特定秘密保護法」成立した。その危惧については、新聞等で詳しく報道されているので改めてここでいう必要がない。が、この「特定秘密保護法」は、消費税を10㌫上げるのとは違い、国の形、あり方を左右する法律であるということを忘れてはならない。
 その中で私が心配するのは共産党を除く政党のオール保守化・与党化である。中には維新の会のように自民党より右よりの政党さえ生まれている。自民党と野党と呼ばれている他の政党との政策の違いはどれほどあろうか。
 むかしは自民党の中にも戦争を体験した議員がおり、今回のような「特定秘密保護法」は自民党の中で阻止できた。が、戦争が終わって68年。戦争中のことを知る議員がほとんどいなくなった。
 オール保守化・与党化の始まりは平成5年(一九九三)の非自民・非共産の8党連立政権、いわゆる細川政権であった。その中には当時の社会党(現社民党)も入っていた。その翌平成6年(一九九四)にはナント自民党と社会党が連立し村山内閣が誕生した。そこから社会党の長期低落が始まり、かつて200席越えたこともある社会党が今年の参議院選挙では1議席しか取れなかった。そして8党連立政権以降、政治理念をそっち抜けにした政党の離合集散が現在に至るまで繰り返されている。
 平成15年(二〇〇三)に民主党と自由党が合併し新生民主党が誕生。二大政党制を目指したがこれも破綻。再び安定多数の自民党政権が誕生した。が、今回の「特定秘密保護法」に対しては国民の80㌫以上が修正ないし廃止と答えている。同時に自民党安倍政権に対する信頼も大きく揺らいだ。 

 青森地方裁判所は十和田湖観光汽船の、民事再生手続きの廃止を決定した。このま大口の支援者が現れなければ破産手続きに入る。平成24年(二〇一二)に経営再建に向けて努力をしてきたが、残念な結果である。
 十和田湖への観光客のいり込み数は、新幹線八戸駅が開業した平成15年(二〇〇三)の334万2千人をピークに減少の一途を辿り、平成13年(二〇一一)の東日本大震災による東京電力福島第一原発事故の風評影響もあり大激減。ホテルの廃業なども相次いでいた。
 かつて大町桂月が、「山は富士山、湖水は十和田」といった十和田湖。昭和2年(一九二七)にトップで日本八景に選ばれた十和田湖。どうしてこうなったであろうか。
 私は、平成14年(二〇〇二)に、「十和田湖の汚染は危機的状態だ!!十和田湖を救え!!」というテーマで1年間取材したことがあった。そのときびっくりしたのは、かつて20・5㍍、日本第3位であった透明度が、このときの調査では3・5㍍しかないところもあった。その原因は、ホテルなどから出る生活水の垂れ流しであった。湖水に倒れた木にはびっしりとヘドロが付着していた。つまり、観光客でメシを食っている十和田湖のひとたち自らじわじわと自分の首をしめていたのである。私は十和田湖観光の衰退の遠縁はここにあると思っている。
 旧十和田湖町の時代、休屋地域に空き店舗が出始めたころ、このままでは駄目になってしまうと、再開開発の協議会が始まったことがあった。が、そのとき意見がまとまらず頓挫してしまった。星野リゾートは開業した当初からそんな十和田湖を見限っていた。ここまで落ち込んだ十和田湖の再生は簡単ではない。まずは、一にも、二にも人任せではない地元のひとたちの情熱である。

 10月13日、NHKスペシャル『中国激動・さまよう心空前の宗教ブーム到来』をみた。
 二〇一一年に、中国・広東省で幼児がひき逃げされ、その子どもを助けるどころか18人もの通行人が見て見ぬふりをして放置した事件があった。その様子がネットで流され、人の命を大切にしない中国社会の冷血さに、なんてひどい国なんだと世界中の人たちが驚いた。これは、一九七八年の改革開放以後、経済の高度成長が続き、金がすべてという拝金主義がその背景にあった。
 実はこの事件で一番驚いたのは中国国民であった。その事件をきっかけとして中国では今、心を大切するキリスト教や、礼節や人を思いやる心を大切にする孔子の儒学とが大ブームであるという。しかも政府もそれをある程度認めている。
 私が中国を知ったのが一九六〇年代、今から50年ほど前である。中国について直接話を聞いたのは戦争犯罪人として中国に抑留されて帰国した人たちであった。その人たちから、中国は非常に寛大で慈悲深い国だと聞かされた。
 そして一九六六年から始まった文化大革命は、旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣の打破を叫んで儒教を含め中国の伝統的文化や思想が徹底に破壊された。
 一九七八年から改革開放政策が始まった。そこに生まれたのが拝金主義である。この改革開放で、中国のGDPが日本を抜き世界第2位になったものの、本来社会主義思想にはあるまじき貧富の格差が広がった。
 ここに来て中国国民は、金があっても心が満たされない。人間の幸せは経済だけでないことに気がついた。その空白の心に飛び込んできたのがキリスト教と儒教である。中国は今、革命といえるくらいの大きな社会の変動期にある。どう変わるかは、多分中国自身もわからないであろう。

 敬老の日を前に厚生労働省は毎年高齢者の調査を行なっている。それによると65歳以上が3186万人で人口に占める割合が何と25㌫、4人に1人である。そして100歳以上が5万4397人。調査が始まった昭和38年(一九六三)には153人であったというから50年間に355倍伸びたことになる。
 長寿は喜ばしいことである。が、寝たきりではその喜びも半減するだけでなく、医療費も福祉にも莫大な金がかかる。大切なことは健康で長生きすることである。
 100歳以上の男性と女性を比較してみると、男性が6791人に対して女性が4万7606人で男性の7倍以上もある。平均寿命をみても女性と男性では6歳以上の差がある。
 なぜこういう差が生まれるであろうか。男性はタバコを吸い、酒を飲み、趣味もなく、なにより健康に気を使わない。そして退職すると、仕事に真面目だったひとほど、地域に友だちも少なく、話し相手もいない。
 それに対して女性は3食のメシの支度をしなければならないし、外に出ると買い物や、PTA時代からの付き合いや趣味、あるいはボランティア仲間などおしゃべりする友だちが多い。
 この前、図書館で読書会の皆さんに「実践的アンチエイジング講座」について、1時間半の講演をさせていただいた。50人近くいる受講者の中で男性はたった1人であった。
 特に退職後の男性諸氏にいいたい。まず外に出よう。そして趣味でもいい、ボランティアでもいい、話し合い、そして酒を飲める新しい仲間をたくさんつくろう。つまり生き甲斐を持つことである。
 老健施設などに行っておしめをされ介護されているお年寄りを見たことがありますか。私はまっぴらご免である。だから私は健康に気を使い、死ぬまで働こうと思っている。

 十和田市が中心街に建設をすすめている(仮称)市民交流プラザを設計した世界的な建築家・東大教授隈研吾氏の話を聞いた。
 隈氏は、日本建築学会賞、芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞。歌舞伎座や呉市音戸市民センターなど、国内外の建物を設計。その建物が話題を呼び、それをみるためにだけ人が訪れるという建築家である。
 そんな建築家がよくも十和田市の(仮称)市民交流プラザを設計してくれたものだと思うが、それもコンペに参加しての設計である。
 隈氏の講演は、隈氏がこれまで設計した国内外の建築物をプロジェクターを使って解説。質問のコーナーで、十和田市の街の将来像をどう見るかという質問に、世界の都市を見ても郊外型の大型店ができるなど、問題がない場所はない。もうむかしのような中心商店街が栄えてという時代ではない。十和田市は現代美術館や、安藤忠雄さんが設計する(仮称)教育プラザなど、ひとを呼び寄せるマグネット効果のある建築物がある。諦めずに自分の場所を磨き輝きを増すまちづくりをして行けばいいと、街の将来像を見通してくれた。
 150年ほど前に新渡戸稲造博士の父新渡戸十次郎が設計した都市づくりに基づいて発展してきた十和田市。車社会に入り、平成7年(一九九五)にイオン下田ショッピングセンターができたのをきっかけとして商店街が一変する。商店街の中核デパート松木屋が撤退し亀屋が撤退し、商店が歯が欠けるように1店1店なくなり、今は昼でも人通りの少ない閑散とした商店街になった。
 それに変化をもたらしたのが現代美術館であった。美術館は訪れた人が街に出るような企画をしてきた。そして市民交流プラザである。多分話題性のある建物になるに違いない。十和田市は今、人が憩える新しい街づくりに向かって歩きはじめた。
 東京都内で、昨年1年間にあった万引きで、65歳以上の高齢者の摘発数が、19歳以下の少年を上回ったという。
 警視庁によると、平成11年(一九九九)が336人で全体の6㌫であったのが、平成24年(二〇一二)は3321人で全体の24・5㌫と激増。一方、19歳以下は平成11年が3195人(37・6㌫)、平成24年は2092人で1000人以上減り23・6㌫であったという。
 万引きをした65歳以上のお年寄りのうち、無職者が72・7㌫、生活保護受給者が11・3㌫であった。そして、万引きした品物の70㌫は食料品で、その動機を聞くと生活に困っていたと答えた人が最も多かったという。なんとやるせない日本になったものだと思う。しかも、いったん刑務所に入ったものの出所後に再犯するお年寄りも多いという。
 昭和30年代までの日本は、おじいちゃん、おばあちゃんが居て、お父さん、お母さんが居て、子供たちがいるという大家族が一般的な家庭の姿であった。それが経済の高度成長とともに核家族となり、今はお年寄りだけの所帯、あるいはお年寄り単独の所帯が多くなった。そして、単に多くなったに留まらず、その所帯が生活困窮化しているのである。
 今、参議院選挙で自民党が圧勝した。しかしその政策は、金融政策と財政政策、成長戦略で、お年寄りなど弱者に対する政策は一つもない。
 かつて日本でお年寄りが尊敬され大事にされる時代があった。若いときは身を粉にして働き、日本の経済を支えてきた。が、歳をとったら一人ぼっちになり、食うのさえ困る状況になる。何のために働いてきたのかわからなくなる。
 経済成長もいいが、歳をとって働けなくなったら、食うに困らず安心して晩年を迎えられる社会であって欲しい。
 冒険家三浦雄一郎さんが、80歳で世界最高峰エベレストに3度目の登頂を果たした。そのこと事態は、世界最初であり素晴らしいことであるが、私にとってはそれ以上に人生の糧となるような素晴らしい言葉をもらったことである。
 「夢を見て、あきらめず実行した。素晴らしい宝物になった」、「出発前、仲間に『生きて帰れ。無理するなよ』といわれたけど、無理をしなきゃ頂上に行けないし、死ぬくらい頑張らないと駄目なんですよね」、「70歳や80歳であきらめる人が多すぎる。80歳がスタートだと思えば、人生が面白くなるんじゃないか」。そして登頂した三浦さんと話した長女の恵美里さんが、「父はまた、次の目標を胸に秘めて戻ってくることだろう」と話した。
 案の定、下山後の記者会見で三浦さんは、世界6位の高峰ヒマラヤのチョーオユー(8201㍍)の「頂上からスキーを滑りたい」と話した。
 この新聞のタイトルは『夢追人』。死ぬまで夢を見続けていきたいという想いから「夢追人」とつけた。私は、俺はまだまだこれからだという勇気をもらった。三浦さんの言葉は、私にとって千金にも相当する言葉である。
 三浦さんの登頂するための努力は大変なものであった。エベレストの酸素濃度は地上の三分の一程度である。そのために、身体にかかる負荷は実年齢+70歳ぐらいになる。つまり150歳相当であるという。そのために三浦さんは、地上の半分程度にした低酸素室で過ごすなど、過酷な環境に耐える身体づくりをした。なにより凄いのは、不整脈という持病を持ち、それをヒマラヤに行く直前に手術しての登頂であった。
 「一度決めたらやり遂げる意思と忍耐力こそ一番大切だ。特別な技術や、冒険家向きの特別な遺伝子が備わっている必要がない」
 明治・大正期の文人大町桂月がこよなく愛した、全国的に知られた青森県を代表する名湯の一つである蔦温泉旅館が、経営が行き詰まり温泉そのものは残るものの売却したことが明らかになった。十和田湖・奥入瀬渓流でカヌーやスノーランブリング、ネイチャーガイドなど、体験型観光で注目を集めていた㈱ノースビレッジが、経営が行き詰まり経営権を譲渡することになった。昨年は、十和田湖で遊覧船を運航する十和田湖観光汽船が倒産。民事再生法の適用を受けながら営業を継続している。その他、ここ1、2年で閉鎖した旅館・ホテルも多い。
 その大きな原因の一つが、3・11 の東日本大震災での福島原発事故の影響による観光客の激減にある。確かに、観光客のニーズが変わったということもあるが、ノースビレッジは、そのニーズの変化により逆に伸びてきた会社であった。
 震災による被害はいたし方ないとしても、原発の事故は、ロシアのチェルノブイリ原発事故に見られるように30年近く経った現在でもその地域に立ち入りが禁止され、住むことができない。
 震災はあと10年もすれば完全復旧ができるであろうが、福島原発の場合は、今も放射能を出し続けている。福島原発がある限り東北は今後何十年に亘ってその影響を免れない。
 一方では、原発のあるまちでは原発再開の請願までしている。原発で潤ってきたまちは、他の産業は育たず、原発がなければ生きて行けないいびつなまちになっている。
 しかし、今後何十年にも亘って放射能に怯えるよりは、今ちょっとがまんして、再生可能エネルギーの開発に力を入れると、日本の技術力では10年もしないうちに追いつくのではなかろうか。
 それが、自然環境の豊かな東北の生きる道である。

『教科書には載っていない 大日本帝国の真実』
なぜ短期間で世界第3位の軍事大国になったのか?
アジアに突如現れた謎の大国、
〃大日本帝国〃、その真実に迫る!
 dainihonteikokunosinjitu.jpg最近コンビニに行くと、雑誌売場の一番前に編みかごが下げてあり、そこに単行本が入っている。
 その本の特徴は、大げさな目を引くタイトルで、本を開くと一つのテーマについて見開きないし、長くても6、7頁で、中見出しが大きく、写真や絵などをふんだんに使われており読みやすい。いわゆるコンビニ本である。
 この本も、そんなコンビニ本の一つである。
 タイトルが面白そうだったのでアイスクリームと一緒に買った。そして読んでみると、なかなか面白い。
 約250年続いた徳川幕府が倒れ、明治政府が発足したのは1863年である。
 この明治維新は封建制度から近代への一つの革命であるが、フランス革命にしろ一般的な革命は、時の権力に対して市民が蜂起し、武力でもって革命を成し遂げている。
 それに対して明治維新は、大政奉還という形で、多少の混乱はあったものの幕府が自ら政権を引き渡すという世界に例を見ない革命であった。
 そして明治27年(一八九四)に日清戦争を起こし勝った。さらに明治37年(一〇〇四)に、当時アメリカ、イギリス、ドイツに次ぐ世界の四大帝国であったロシアに宣戦布告して勝ってしまった。
 江戸時代は、徳川幕府が政権を握ってはいたものの統一国家ではなかった。武士が腰に刀を差し威張っていた時代である。ペリーが浦賀に来て開国を迫った時には、なす術も知らずうろたえていた日本。
 それがわずか40年足らずで、ロシアに勝ち、世界の五大国入りした。その原動力は何であったか。
 私は決して、大日本帝国を肯定するものではないが、世界史の中で当時の日本を見たとき、池上彰ではないが、なるほどそうであったかとうなずける。
 そして、昭和16年(一九四一)無謀にもアメリカに宣戦布告し太平洋戦争に突っ走た。
 日本は世界の大国を相手にして勝つ見込みがあったのか。真珠湾攻撃をルーズベルトが知っていたのか。
 戦争に国民が賛成したというが、その戦争をあおったのが、報知(現読売)、朝日、毎日の大新聞であった。
 この本で残念なのは、治安維持法をつくり、共産主義者や宗教者、民主主義者など戦争に反対する勢力約7万人を牢獄に閉じ込め戦争に突っ走たが、そのことについては一言もふれていない点である。
 しかし、明治維新から昭和20年(一九四五)迄を、世界史的な観点からみると、こんな見方もあるのかと、考えを新たにさせられた。

 武田智弘著(彩図社刊)定価1300円+税

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