編集長のたわごと

 今、アメリカ、ヨーロッパで格差の是正求めるデモが相次いでいる。そのスローガンは、「1㌫の金持ち、99㌫は貧乏」である。
 アラブの春もその結果であろう。余りにも富が一極に集中し過ぎた。貧富の差が広がり、特に未来のあるはずの若者が、夢も希望も持てない時代が到来した。
 これは日本にしても同じである。
経済高度成長で一億総中流といわれた時代、貧乏人という言葉が死語となってしまった。が、一番新しい国民生活基礎調査では、日本の相対的貧困率が16㌫、約6人に1人が貧困者という過去最悪となった。
 連合がとった年収200万円以下のひとへのアンケートでは、64㌫が将来に希望が持てないという結果であった。これが、経済が良くなれば国民の生活も良くなると、GNPを追い求めてきた国の結果である。
 ところが、GNP(国民総生産)ならぬGNHを国是としてきた国がある。GNH、つまり国民総幸福度である。中国とインドに挟まれたヒマラヤの山国、ブータン王国である。
 日本の政治家は国が良くなって初めて国民も良くなると説く。
 ところがブータンは違う。国民一人ひとりが幸せになって初めて国が良くなるという考え方である。
 経済発展が目覚しい中国で最近こんな事件が起こった。2歳の女の子が車でひき逃げされた。ところがその子どもを誰も助けようとせず、見て見ぬふりをして行ってしまったばかりか、後から来た車もひき逃げし、そのまま去ってしまった。中国の経済成長は、自分さえ良ければ人はどうでもいいと、人間の心を失なわさせてしまった。
 今、ブータン国王が一般女性と結婚した。その祝婚歌を創ったのが日本人で、国王の新婚旅行は日本であるという。
 原発がなければ経済が発展しないという。経済発展すれば国民が幸せになるだろうか。一目瞭然である。

tatinebuta.gif 大変恥ずかしい話だが、私は五所川原の立佞武多(たちねぶた)を見たことがなかった。青森県人として立佞武多を見たことがありませんというのは恥ずかしい。一度は見ておかなければと思い、今年初めて立佞武多を見に行った。
 感動と共に、立佞武多を80年ぶりに復活させた津軽人のエネルギーに圧倒された。
 帰り、お土産でも買おうと思いエルムの街に立ち寄って、もう一つ驚いたことがあった。聞きなれた名前のお土産がずらっと並んでいるのである。「十和田バラ焼きチップス」、「スタミナ源たれチップス」、「八戸せんべい汁ふりかけ茶漬け」、「青森のにんにくせんべい」などである。今や全国的に名が知られている県南(青森県の太平洋岸)の名産である。
 そしてその製造元を見て驚いた。弘前市にある会社である。商魂の逞しさは、さすがに津軽人だと、そのエネルギーに感服した。
 今、十和田観光電鉄の廃止問題が俎上に載せられている。
 「どうするとうてつ」フォーラムでは、鉄道サポーターズの清水さんから、必要であれば市民運動を起こせばいいといった意味の発言があった。
 五所川原に本社のある津軽鉄道には、鉄道を支える「津軽鉄道サポーターズクラブ」があり、五所川原街歩きツアーや幻の観桜会、鉄道レールオーナー制度など様々な事業を行なっている。
 また、十和田市出身の小説家川上健一が原作を書き、人気漫画家ひきの真二が描いた、津軽鉄道四季ものがたり『ちゃっぺ!』が、青年漫画雑誌『ビッグコミック』増刊号に連載。それが単行本となり発売されている。
 私たち県南人もちょっと津軽人を見習いたいものである。
 そういえば、十和田市で様々な活動をしている人たちに、結構津軽出身者が多い。
 写真は、五所川原の立佞武多五所川原立佞武多

 事故の法則(ハインリッヒの法則)というものがある。一つの重大事故の背後には、29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというものである。
 日本におけるこれまでの原発の事故を拾ってみると、平成11年(一九九九)に起きた東海村の臨界事故のみならず、小さな事故は300どころか無数にある。外国では、一九七九年(S54)のアメリカのスリーマイル島の原発事故、一九八九年(H1)の旧ソ連のチェルノブイリの原発事故は記憶に新しい。
 が、日本の原子力関係者は、原発の安全神話に呪縛され、それらに全く耳を傾けていなかったことが、東奥日報に連載された、『東電元幹部らの悔恨』で生々しく語っている。
 元東京電力常務で、福島第一原発の所長を務めたことのある二見常夫さん(68)は、アメリカGE(ゼネラル・エレクトリック)の軽水炉は、改善の余地はほとんどない。東電はネジ一本も変えるなとさえいっていた。
 元東電副社長で、元日本原燃サービス社長の豊田正敏さん(88)は、アメリカの原発は内陸部に建設されていたために竜巻やハリケーン対策はとっていたが、津波は全く考慮に入れていなかった。そしてその図面さえ見ていなかったというのである。
 元東電副社長で、日本原燃社長として青森県に赴任したことのある竹内哲夫さん(77)は、原発の安全神話をつくり出したのは、「地元住民や、反対派からの追及を極度に恐れた」からだという。
 そして、国の地震調査研究推進本部が、平成14年(二〇〇二)に地震の発生率を公表したのを受け、東電が15㍍を越える津波を想定したのが平成20年(二〇〇八)で、それを原子力安全・保安院に報告したのは、大震災発生の4日前、3月7日であったという。福島の原発事故は起こるべくして起こったことは明らかである。
 菅首相が退陣する。様々いわれてきたが、彼は一つだけ歴史に残ることをした。それは脱原発である。
  7月13日、菅首相は「脱原発」の記者会見をした。これに賛同した国民も多かったろう。脱原発か推進かは、今もって収束の見通しつかない福島の原発の事故の後だけに、国論を二分することがらである。
 しかし、それから2日後、あまりもの波紋の大きさに驚いた菅は、国会で「あれは私自身の(個人的)考え方」でしたと軽々しく弁明した。
 映画『男はつらいよ』で、いつも同じ間違いを繰り返す寅さんにおいちゃんが、「バッカだなー」という。菅も「バッカだなー」。
 脱原発かどうかは、私たち国民が、目先ではなく、50年、100年先を見据えて考えて行かなければならないことである。
 菅の「脱原発」の記者会見後、様々なことが明らかになってきた。
 まず第一 に、昭和30年(一九五五)に原発を導入するための欧米へ派遣した政府調査団の報告書が偽装されていた。第二に、電力業界の強い意志で、独立した安全審議機関がつぶされていた。第三に、反原発は左翼であるというレッテルを張り、世論の誘導を行なった。第四に、原発設置の自治体に予算の半分以上もの金を与え黙らせた。第五に、原発は安いは全くの虚構であった。第六に、原発は安全だという宣伝のために、マスコミに10年で9300億円もの金を、広告費という名目でばらまいた。第七に、九電が社員を使って世論操作を行なっていたなどである。
 原発は、パンドラの蓋を開けるごとく、暴走したら人間の手で簡単に止めることができない。それは福島の原発事故で改めて思い知らされた。
 脱原発に不安を持つ人たちは、日本の豊かさが損なわれないかということであろう。実はそれも虚構である。
 このほど発表された日本の貧困率が、原発で豊かなはずであるが、なんと16㌫、国民の6人に1人である。こんな日本を豊かな国だといえますか。

  「こりゃ、子どもたちにいい遊び場だナ」、友だちを、真暮沢のパークゴルフ場に連れて行ったときのことである。その言葉を聞き、瞬時に頭に浮かんだのが「どんぐりの森・山楽校」であった。
 私は農家の4代目である。が、別な仕事を持っており、農業は農繁期に手伝うだけであった。父が80歳になったころ、もう農業は疲れたといった。じゃ、農業で遊ぼうよと行って、草地だったところにシイタケの原木にとコナラ(どんぐりの木)を植え、畑を芝生にしてパークゴルフ場に、田んぼには花ショウブを植えていた。
 友だちは、そのどんぐりの木を見て言ったのだ。
 平成18年(二〇〇六)9月、どんぐりの森・山楽校をやりませんかと呼びかけたところ、十数人が集まった。そして北里大学名誉教授の川村清市さんという優れた指導者を塾長に迎え、翌平成19年(二〇〇七)にNPO法人化した。
 昨年、緑化財団関係の補助金をいただき、6月4日にブナの植樹祭を行なった。これには、市内外及び在日アメリカ人など150名が集まり、記念樹を植えた。
 そのプレートには、「一日も早く兄夫婦が助かりますように」と書いた、身内を東日本大震災で亡くした人も参加していた。また、「キカンボーで泣き虫リョウ、10年後はどうなっているか楽しみです。おじいちゃん」と、孫の成長と木の生長を重ね合わせたのもあった。「H23・10・23結婚で~す 純・尚子」と、幸せを報告したプレートもあった。これらプレートに書かれたメッセージをみると、当たり前の、普通の幸せがいかに大事かを感ずる。
 どんぐりの森・山楽校では、春は山菜採り、夏はホタルキャンプ、また炭焼きなどを行なっている。
 これを機会に、どんぐりの森が市民の森になって行ければと思っている。 

shokujusai.gif植樹祭には多くのアメリカ人も参加した

 攻撃的な人ほど、創造性のない人間が多い。
 たとえば菅さんだが、野党時代は、あれほど舌鋒するどく自民党を追求していたのに、いざ自分が政権を担う段になると、なんとも頼りない。
 野党として追求するのは、相手のアラを探して追求するのだから、言動にそう大きな責任がない。
 ところが、与党のトップ、首相になったとたんに、追求を恐れてはっきりしたことをいわなくなった。
 本当の指導者というのは、こういう国難のときこそ、創造力発揮して国民を引っ張って行くものだと、私は思っている。
 自民党から民主党に政権が移行したことを、明治維新に例えることがあった。が、明治維新を引っ張ったのは、自分の地位とか名誉、身の安全を恐れない20代、30代の若者たちであった。
 保身ばかり目につく菅さんには、残念でならない。何より、与党の民主党でさえ菅さんに不信を抱いている。
 一方、福島原発の安全性を無視し、放置してきたのは、かつての自民党政権である。自民党には、そんな反省が全くないようである。
 1000年に一度といわれる震災そのものは想定外のことが多かった。が、福島原発の場合は、国会で追求されたにもかかわらず安全性が無視してきたばかりでなく、平成13年(二〇〇一)に、30億かけ原発ロボットが出来たときにも、東電は事故が起こらないから必要ありませんと、廃棄されていたことがわかった。
 福島原発の事故は、二重にも、三重にも、当時の自民党政権と、東電の重大な責任である。
 日本に国を任せられる、創造力ある指導者がいなくなった感さえする。
 その批判は批判としても、それを嘆えていただけでは前に進まない。
 今、私たち一人ひとりが、本当の豊かさとは何なのかを、じっくり考えて行動する機会である。

 日本の観測史上最大のマグニチュード9、震度7。20㍍を越す津波。3万人近い犠牲者。あっという間に町がさら地になってしまった。誰がこんなことを予想したであろうか。
 一方、福島原発は、まだ原子炉の暴走を止められず放射能を出し続けている。この福島原発は明らかに東電の、怠慢な想定内の人災である。
 平成18年(二〇〇六)10月、衆議院内閣委員会で、吉井英勝議員(共産)が、原発で非常用電源が失われた場合を想定して、「機器冷却系が働かないと、崩壊熱の除去ができませんから核燃料棒の焼損が出てくる」対策を取れと追求したのに対して、原子力安全・保安院の寺坂院長は、「そういうことはあり得ないだろうというぐらいまでの安全設計をしている」と、全く対策をとろうとしなかった。
 もしこの時、対策をとっていたなら、今回のような原子炉の暴走はなかったであろう。「安全神話」に寄りかかった怠慢である。
 また、津波でも、高さ15・5㍍、全長155㍍の防潮堤を造った岩手県普代村では、海岸地域が守られ、村全体で行方不明者1名の人的被害に留まっている。備えあれば憂いなし。本当に安全なのかもう一度考える必要がある。
 それにしても今回の大震災では、本来日本人の持っている素晴らしいところがたくさん出てきた。お年寄りを高台まで運び、残っている人を運ぼうと戻り犠牲になった人、80歳の祖母を9日間も守って助け出された16歳の少年。数えればきりがないほどたくさんの英雄が生まれた。
 また、海外では、この状況でマナーは世界一と絶賛した。やはり日本人は素晴らしいと改めて思う。

 こんなはずじゃなかった。多くの国民がそう思っているに違いない。
 平成21年(二〇〇九)の衆議院選挙で民主党が圧勝。鳩山政権が誕生した。これで日本は変わると思った。が、鳩山自身や、幹事長であった小沢一郎の金銭問題、そして沖縄の普天間基地移設問題で揺れ、わずか10ヵ月で退陣に追い込まれた。
 鳩山の後を継いで誕生した菅政権。平成22年(二〇一〇)の参議院選挙で、本人の口から軽々しく発せられた消費税増税発言で敗北。
 その後の、尖閣諸島付近で中国漁船による日本巡視船への体当たり問題への対応に見られるように、理念も信念もない、場当たり的な対応に、国民の信頼は一機に引いた。そして今回の前原外相の違法献金問題である。内閣の支持率及び民主党への支持率は10㌫代に下がってしまった。
 しかし、だからといって、自民党の支持率が上がったわけではない。もう一度自民党に戻せという声もない。何故なら、民主党といっても、もとを正せば自民党から分かれた人たちである。つまり、根っこは自民党と同じである。それは、政治献金問題を見ても一目瞭然である。
 じゃ、どうすればいいのか。このままでは、ここまで駄目になってしまった日本の政治をそう簡単に変えることはできない。
 これは夢だが、名古屋の川村市長や大阪橋下府知事のように、既成政党に影響されない、本当に志のある人たちが出られるような選挙制度に変えることである。
 そのためには、まず県を1単位とした中選挙制度を導入。一切の政治献金の中止と、選挙の国営化。参議院は、衆議院の下請けにならないように、政党所属は立候補できないようにするである。

 松本何とか復興大臣が辞任した。就任わずか9日目である。

 むかしは、頭のいい子どもがいると、末は大臣か博士かと褒め称えたものである。が、就任して、口が災いしてわずか9日目で辞任。

 軽い、軽い、軽すぎるよ。アキ菅内閣の象徴である。

 私は、日本の古いことわざ「実るほど頭を垂れる稲穂かな」が好きである。日本人の日本人らしい心の一つだと思っている。

 私が仕事を始めたころ、文化専門の新聞は全国的にも珍しいということで、結構マスコミに取り上げていただき注目された。多少、有頂天になっていたろう。

 そんな私が家を出るとき、妻が口うるさくいったことは、「人が見ているんだから、偉ぶるなよ」であった。多少軽薄であった私であったから、きっと偉ぶるだろうと、口うるさくいってくれたものだと思う。今でも私は妻に感謝している。

 ところがである、あの復興相に任命された松本何とかいう大臣、その言動のみならず態度は、俺は大臣だぞと、上から人を見下した物言えは、誰もがあの男は何だ思ったに違いない。しかも、今一番大事な復興相である。

 実は、稲はことわざの通り実ると頭を下げるが、麦はもともとは乾燥地帯の植物であるから、のげを天に突き出し、真っ直ぐ上を向いている。したがって、実ったあと雨が降り続くと、雨水が穂にたまり、芽が出てしまい、品質が極端に落ちてしまう。

 松本何とかという大臣はまさに、品質が極端に落ちた、麦穂のような人間である。

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