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↑久しぶりに帰郷し十和田のライブハウス「キューダス・S」での演奏会で挨拶する今泉総之輔さん

 今は活動を中止しているが、日本最大のロック・フェスティバル「フジロックフェス」に二度出演。オリジナルアルバムが、オリコン・ウィークリーランキングジャズ部門第1位を獲得するなど、クラブ・ジャズ界で世界的に活躍していたジャズカルテット「クオシモード」でドラムを担当していたのが、十和田市出身の今泉総之輔さんであった。
 その今泉さんは、自らのリーダーアルバム『凛』をリリースするなど、今はフリーのジャズドラマーとして活躍している。
 今泉総之輔。昭和53年(一九七八)5月、十和田市に生まれる。東中、三本木高校卒業。美術の道に進もうと上京して美大の予備校に通っていた。ある日たまたま池袋の公園で遭遇したジャズライブ。特にそのドラムに衝撃を受けた。それからそのドラマーの出演するライブに通い、よし、俺はジャズ・ドラマーになるぞと決意した。
 しかし、そう決心したもののドラムを叩いたことがない。そこで今泉さんは予備校を辞め帰郷。ドラムを買い実家の家業を手伝いながら毎日独学で練習した。と、同時に「サマージャズフェスティバル」で有名になった南郷の「ジャズの館」に通うようになり、地元のジャズバンドに参加させてもらった。
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 そうこうしているうちにジャズの館に「石井彰トリオ」がきた。その石井彰トリオでドラムを担当していたのがファンだった江藤良人であった。今泉さんは、打ち上げに参加させてもらい、自分の想いを激白した。
 石井トリオの仲間が「お前そんなに好きだったら、すぐ東京に出て江藤に弟子入りしなよ」といった。
 江藤は「ドラム叩いてみな」ということで、その場でドラムを叩いた。勿論うまいわけではなかったが、それを聴いた江渡が「じゃ来な」といって、翌日から運転手兼ボーヤ(業界用語で、楽器の積み込み・積み卸し、手配、輸送、セッティングといったミュージシャンのサポートなど行うスタッフ。バンドボーイと呼ぶ場合もある)として東北ツアーに参加。ツアーを終了した一週間後に上京した。今泉さん25歳のときであった。
 27歳で独立、フリーのドラマーとして活動。30歳になったころクオシモードから声がかかりドラマーとして参加。以後、クオシモードの一員として「フジロックフェス」他海外演奏にも参加してきた。
 今泉総之輔さんは実は、元「県南新聞」代表であった故今泉友孝さんのご長男である。現況はホームページで「今泉総之輔」を検索してみて下さい。
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ジャズ専門誌『jazzLife』創刊400号記念号の表紙を飾った「クオシモード」の一員としての今泉総之輔さん(写真右)
 五・七・五の17音、俳句のように季語の制約もない川柳が、今空前のブームであるという。たとえば第一生命がやっているサラリーマン川柳の応募句は104万句他、シルバー川柳、オタク川柳、女子会川柳、高校生川柳と年齢層も高校生から高齢者までと幅が広い。五・七・五と、指を折り数えてつくれる今や国民的文芸といってもよい。しかしこれらは趣味での個人応募である。
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 その中で、川柳の伝統を守ってきた人たちは川柳結社のひとたちである。
 十和田かぱちぇっぽ川柳吟社(佐藤允昭会長)は、昭和25年(一九五〇)に結成され、67年の歴史を持つ十和田市最古の文化サークルのひとつである。しかも柳誌である『川柳かぱちぇっぽ』は、昭和26年(一九五二)に創刊。568号(平成29年6月号)まで刊行されている。会員は現在30名。毎月、市民交流プラザ「トワーレ」に集まり句会を行っている。会員の最高齢は92歳、平均年齢は70歳と高齢化が進んでいる。
 が、伝統を守ろうと、柳誌の毎月1回発刊に対する
そのエネルギーはすごい。これには、会員の自選句が一人5点で30名分を中心として、句会での宿題のそれぞれの選者の推薦句など、350句以上が載せられている。それを毎月欠かさず発刊するのである。
 川柳結社の人たちは、現在の川柳ブームの伝統を守り支えてきた人たちである。川柳を基本から学んでみたいという方にお勧めしたい。
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 十和田かぱちぇっぽ川柳吟社への問合せは、℡0176‐25‐2466(佐々木)迄。
 国際ソロプチミスト十和田(稲本佐矩子会長)のチャリティ茶会がこのほど富士屋グランドホールで行われ、着物姿の女性約200名が集まり、茶会を楽しんだ。
 国際ソロプチミスト十和田では、茶会を通して茶道の礼儀作法を学ぶと共に、もてなしの心を広めようと昨年から行っているもの。これは意外に評判で、昨年同様200名以上の着物姿の女性たちが集まった。
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 お医者さんで、青森県詩人連盟賞や第10回青森県文芸賞受賞の詩人である小笠原眞さんがこのほど、第六詩集『父の配慮』を出版した。
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 小笠原さんのこれまで、『一卵双生児の九九』、『あいうえお氏ノ徘徊』『48歳のソネット』、『極楽トンボのバラード』、『初めての扁桃腺摘出術』の5冊の詩集を出版しているが、今回の詩集はより生活感にあふれ小笠原さんの人柄がよくわかり、思わずくすっと微笑みたくなるような詩集、あるいは人生論的な詩集である。
 幾つか紹介すると、「恩師の命日」では、耳鼻咽喉科の医者になったいきさつが綴られている。医学部での難しい講義の中で耳鼻科の先生の講義が名講義であった。ついその先生に魅かれて耳鼻科の道に進んでしまったという。
「戦争を知らない子どもたち」では、戦後70年経ち、戦争を知らない世代は70歳以下、日本の人口の8割を占めるに至っている。戦争は人を殺すことである。国家が強制的に殺人を強要することである。最近きな臭い空気が漂いはじめている。そんな状況を危惧する社会派詩人の顔を見せている。
「医学部嫌いの父」では、実は小笠原さん一家は、小笠原さん、小笠原さんの弟、それぞれの息子3人は医者及び医者の卵と、6人がお医者さん、小笠原さんの奥さんを含めると7人が医者である。
 誰の影響ですかと聞くと、父が最初帝国大学医学部に入ったが、解剖が嫌いで工学部に転部したという。それもカエルの解剖で、俺は医者には向かないと工学部に転部したというのである。そんな心根優しい父の詩に思わず笑ってしまった。
 小笠原さんは現在61歳。これまでと違った人生が色濃く出ている読みごたえのある詩集である。
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 小笠原眞詩集『父の配慮』。ふらんす堂刊。定価2000円+税

↓エコツーリズム大賞特別賞受賞記念フォーラムで挨拶する河井大輔理事長
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大自然の中をハイヒールで歩けるところは奥入瀬渓流しかない
 平成25年(二〇一三)に奥入瀬渓流が日本蘚苔類学会の19番目の「日本の貴重なコケの森」に認定された。その奥入瀬渓流の魅力を、NPO法人奥入瀬自然観光資源研究会(通称おいけん=以下おいけん)の河井大輔理事長は、「なにより魅力的なのはこんな大自然の中を、極端にいうならハイヒールを履いても歩けるのである。この奥入瀬渓流の深い緑をつくっているのは実はコケである。川の中の石を見ても、崖の岩を見ても、古木の根元を見てもコケがびっしり生えている」と語っていた(本紙平成26年第368号)。
 奥入瀬渓流のコケについては、大町桂月が、大正11年(一九二二)に発表した『山は富士、湖は十和田』の中で「焼山まで三里の間、川中に大小の巌石おほくして、その幾百千なるを知らず。しかして巌石ごとに必ず苔若しくは樹木をおぶ。これは奥入瀬川の特色にして天下にその比を見ず」と書いている。しかし、以後の人々はそのコケにふれることなく、奥入瀬渓流の観光は通りすがるだけの観光になっていた。
 北海道でアウトドア関係の雑誌の編集に携わり、且つ全国の自然を探索し歩いていた河井さんだからこそ、大町桂月の指摘に気づいたのであった。
奥入瀬渓流エコツーリズムプロジェクト実行委員会設立
 河井大輔さんは、平成19年(二〇〇七)に奥入瀬渓流に魅了され十和田市に移住。平成20年(二〇〇八)に当時の㈱ノースビレッジに入社した。そして奥入瀬渓流のコケ(蘚苔類)に注目し、元日本蘚苔類学会会長の神田啓史さんや、蘚苔類を研究していた八戸工大の鮎川恵理さんなど専門家を招き勉強会を行うと共に学術調査を行った。
 その結果、奥入瀬渓流には300種以上の蘚苔類が生息していることがわかった。 こうして平成25年に、奥入瀬渓流が日本蘚苔類学会の「日本の貴重なコケの森」に認定され、翌平成26年(二〇一四)にNPO法人奥入瀬自然観光資源研究会を設立。奥入瀬渓流はこれまでの通りすがる観光から立ちどまる観光に大きく変わった。
調査研究と本の出版
 おいけんは、奥入瀬渓流を調査研究すると共に、平成26年に『奥入瀬渓流コケハンドブック』を、同28年(二〇一六)に『奥入瀬自然誌博物館』を、そしてこのほど『奥入瀬フィールドミュージアムガイドブック』をと、その研究成果をまとめた本を出版した。『奥入瀬フィールドミュージアムガイドブック』は、奥入瀬渓流を「天然の野外博物館」と見立てて、奥入瀬渓流の滝や、7つの特徴と自然観賞のおすすめコースの案内、散策にあたっての準備などをカラーの絵図で示すと共に、奥入瀬渓流を、下流域、中流域、上流域に分け、その見どころ、奥入瀬渓流の魅力を写真と絵図で示している。この一冊があれば、奥入瀬渓流の樹木や草花、昆虫から野鳥、魚まで、よくこれほど詳しく調べたなと思うほど、奥入瀬渓流のことならすべて分かるように構成されている。
そして日本エコツーリズム大賞特別賞を受賞
 日本エコツーリズム大賞は環境省が主催するもので、おいけんを立ち上げてからわずか3年で受賞したことになる。これだけ短期間の活動で受賞したのは初めてで、それだけその活動内容が深いものであったことが伺われる。
 5月14日に行われた、受賞記念フォーラムでは、川村祐一事務局長が「日本エコツーリズム大賞受賞報告」を、河井大輔理事長が「2016奥入瀬自然観光資源調査結果報告」を行うと共に、観光カリスマの山田桂一郎さんが「これからの奥入瀬エコツーリズム」と題して記念講演を行った。
 おいけんの活動は、活動対照に学術のメスを入れると共にそれを観光につなげるなど類似する団体の今後の活動の指標となるものである。
 おいけんへの問い合わせは、0176‐23‐5866迄。
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奥入瀬渓流の歩道橋でコケを観察するコケガール(おい研映像より)
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このほど出版された奥入瀬渓流3冊目の本『奥入瀬フィールドミュージアムガイドブック』
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◎場所/十和田市稲生町20‐6
◎電話番号/0176‐22‐2991
◎営業時間/午前11:30~午後2:00/午後5時~午後8時
(ラストオーダー午後7:30)
◎定休日/日曜日 ◎駐車場/あり
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 今回は創業は昭和50年。今年で42年目を迎える老舗の「かくとみ」を訪ねた。市民交流プラザ トワーレの斜め向かいにあるお店の暖簾をくぐると、キッチン越しの並んだカウンター、ゆったりとした小上がりがあり、ポスターやメニューなどが壁に貼られているような昔ながらの落ち着いた店内の雰囲気には初めての人でも馴染めるだろう。昔から根強い人気の「から揚げ定食」はワンコイン(税込540円)で注文でき、酢ラー油でつけて食べるさっぱりとした熱々のから揚げは美味しいの一言。他にもラーメンやそばもあり、肉・野菜・魚などを使った様々な定食は毎日きても飽きさせないだろう。夜はお酒も出しており、単価300円から800円という安さで食事を楽しむことができる。
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↑酢ラー油をつけて食べる人気のから揚げ定食 500円(税込540円)
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↑たくさんの味を楽しめるてんぷら定食 500円(税込540円)
 5月3日から5日の3日間、三沢市の寺山修司記念館で「寺山修司記念館フェスティバル2017」が開催された。特別企画展として「寺山修司とマンガ」も開催。「あしたのジョー」で話題となった力石徹の告別式の様子なども展示され、常設展示はもちろん、屋外多目的スペースでは人気の「ムシムシコロコロパークJr」や三上博史ライブ「あしたはどっちだ!‐あしたのジョー‐」が開演。記念館にはたくさんの来場者が訪れた。
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 20周年記念として4日には生前交流のあった竹宮惠子トークショー「寺山修司とマンガ」が展示室で開催され椅子が足りなくなるほどの来場者で会場は埋め尽くされた。
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 トークショーは漫画家であり、京都精華大学学長も務める竹宮惠子さんとアートディレクター・寺山偏陸さん、テラヤマ・ワールド代表であり寺山修司記念館の副館長・笹目浩之さんの3人で開演された。トークは昔話しから始まる。竹宮さんが当時住んでたボロアパートの大家に頼まれて寺山氏のサインを貰いにいったのがきっかけ。演劇や短歌など素晴らしい才能をもつ寺山氏と出会い、その短歌を漫画にする練習をした。17歳で漫画家デビュー。中学生向けの少女コミックに不倫や同性愛などのハードな内容を表して話題となったという。また、様々な作品からは知ることが出来ないプライベートでの寺山氏との思い出を3人で語りながらトークショーは終了した。
 5月14日に第6回目となる「ピザカーニバルin七戸」が開催された。毎年恒例となってきた七戸町中央商店街を盛り上げるこのイベントは各チームが青森県産食材を使ってオリジナルのピザを考え、それを手作りのピザ焼き用のドラム缶で焼いて焼きたてを販売し、最後に美味しいと思ったチーム(ピザ)に投票するというもの。盛り上がる会場には多くの人が訪れその雰囲気を楽しんでいた。
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 今回は過去最多の13チームが参加した。町内会やJA、七戸高校や営農大学などが参加し地域と交流を深めながら競い合う。今回は「豚肉とクレソンのピザ」を作った米軍三沢基地も初参戦。見た目も味も様々で各チーム思い思いのオリジナルピザで来場者に呼びかける姿が見られ行列が出来る店舗も多く見られた。
 念願の優勝は地元の町内会で出店した「しんまぢPIZAAぶ」多くの支持を集めた。
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↑バンドイベントではフュージョンというジャンルの演奏が開演され、EWIという特殊な電子楽器で奏でるなど盛り上がりをみせていた。
 5月17日に国内最大級の木製サッシ工場「株式会社 日本の窓」の十和田工場落成式が開催された。
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 ㈱日本の窓は株式会社 東京組、株式会社 蒼星の森の系列会社でソーラー事業でつながりのあった太田牧場敷地に建設され、敷地面積848257㎡、建物面積279834㎡と広大な土地に大きな工場が建設された。外観は木と窓で出来たオシャレな木造のデザイン。落成記念のテープカットが終わってからは落成を祝う来賓らと工場見学を行った。
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 内装はシンプルな作りで高い天井に床暖完備のコンクリートの床が広がる。設備機械はイタリアから最新の設備を導入し作業工程を見学する来賓を驚かせた。
 十和田市出身の㈱日本の窓 代表取締役 中野渡利八郎氏は「日本では残念ながら未だにアルミサッシの普及が多く木製サッシはまだ少ない。木製サッシの良さは自信を持って奨められる。見た目も美しく断熱性も高く結露のない窓をこの十和田工場から日本中に広めていきたい。最新の設備を導入し、完全受注型でどんな窓枠も作れるのが強み。また指導者はイタリア、東京から呼んではいるが地元雇用を推進し現在は20数名を雇用している。」と十和田市の地域活性化にもつなげられるようにと挨拶。
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 「工場建設までは様々な困難もありましたが、みなさんの協力、多くの支援によって工場が完成したことは喜ばしいが、これはまだ戦場にたどり着いたばかりと同じ。これから武器(最新設備と従業員)を持って全国で戦うつもりで顧客を広げ価格も勝負していきたい。そして日本中を美しい町並みにしていくことが理想であり目標だ」と熱く語った。
父から継いだこだわりの黒にんにく
自信を持って広めたい青森の味力
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~畑山啓恵さんプロフィール~
 昭和57年6月30日生まれ。十和田市出身。三姉妹の末っ子として育ち、父親が子どもたちのためにと平成18年に起業した米の卸し業を手伝う。平成18年に父親の体調が悪くなり、その時奨められてた「黒にんにく」に興味を持ち、手探りで研究を兼ねて生産を始めた。ヨーロッパで開催されるモンドセレクションにも3度選ばれ、金賞を受賞するまでとなった。

 今回は現在全国で注目を浴びている「黒にんにく」を生産している「青森第一食糧有限会社」代表取締役・畑山啓恵さんを訪ねた。
 会社に到着し車を降りると、にんにくの食欲をそそる匂いが鼻に飛び込んでくる。昔はカラオケボックスだった場所を室(熟成庫)に改装し、会社を設立。黒にんにくを自社生産し全国に販売している。
 当時は黒にんにくの生産が少なかった時代、製造法も社外秘の会社が多く、初めは自分たちで一から研究しながら温湿度の管理や塾製法を編み出した。完成までに捨てる事となった多くのにんにくのおかげで海外のコンテストでも金賞を受賞するまでの品質となった。JAから直接ミネラルが豊富なにんにくを仕入れ品質管理にもこだわりがある。
 一番嬉しいのは電話で注文してくれるお客様から直接感謝の声が聞けること。熟成したにんにくの成分には様々な効果があると注目されている。昔は嫌だった亡くなった父親の手伝いも今では自分の生きがいとなり本当に感謝している。これからは女性であることを武器に、女性ならではの目線で出来ることにも取り組んでいきたいと語った。
 生産を始めた頃の夢は「全国に黒にんにくを広めたい」だった。それが叶った次の目標は青森県でしか買えない地域限定商品の開発だという。完成までは情報発信出来ないが今後に期待したいと感じた。ご注文、お問い合わせは...0176‐23‐7118迄
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