三沢市寺山修司記念館

これは注目だ!! 寺山が生前に出版した全著作187点を展示
 terayamashuuji1.jpg「私が死んでも墓は建てて欲しくない。私の墓は私のことばであれば充分」と書き残した寺山修司。その言葉の通り、初出版である『われに五月を』(作品社刊)、昭和32年(一九五七)。47歳で急逝する最後の本となった『ニーベルンゲンの指環・ラインの黄金』(新書館刊)、昭和58年(一九八三)までの26年間に、俳句、短歌、詩、小説、評論など実に187冊の本を出している。1年間に7冊以上である。その他に演劇公演をやり映画を制作しているのである。
 自分は長生きできないと悟っていた寺山修司。生原稿見ると、そう推敲した跡もない。頭から出たそのままが本になっている。まさに天才であり、寺山の1分1秒は、無駄にできない1分1秒であったに違いない。
 そして、生涯に出版した全著作187点が展示されている。絶版になっている本も多いであろう。その本を手にとって見ることもできるのだ。
 今回の「寺山修司の原稿と本」展は、寺山修司ファンにとっては、1日居ても見切れない宝物がたくさん展示されている。
 会期は、~7月28日迄。 

terayama2.jpgterayama3.jpg 

寺山修司市民大学

terayamasimindaigaku.jpg 寺山修司記念館の外郭団体寺山修司五月会(山本優会長)が主催する寺山修司市民大学の最終合同講座が、2月2日、三沢商工会館で行なわれた。
 寺山修司市民大学は平成21年(二〇〇九)に開講。平成24年度は短歌学科と教養学科の2科が置かれた。その最終合同講座である。
 最終講座は、寺山修司の元夫人で市民大学の学長でもある九條今日子さん、元天井桟敷の役者で寺山修司記念館館長の佐々木英明さん、異色の教師で、寺山修司の研究家でもある鎌田紳爾さんの3人による対談であった。
 その中で、沢田教一が青森高校で同級生であった。その沢田がピューリッツァー賞をとって世界的な写真家になった。
 多分、それが天井桟敷をつくるきっかけとなったし、以外に早く海外公演したのも、沢田には負けまいという意識があったんじゃないかなどと、寺山修司を知る上で非常に興味ある話も飛び出した。

ー演劇実験室・天井桟敷の宣伝美術の全貌ー
寺山修司没後30年/寺山修司記念館開館15周年/ポスターハリス・カンパニー創立25周年記念

terayamashuji.jpg ▽期間/~3月31日(日)

 ▽会場/寺山修司記念館

 ▽観覧料/一般500円

 ▽問い合せ/0176-59‐3434

寺山修司記念館開館15周年記念 
 terayamashuji.jpg開館15周年を迎えた寺山修司記念館。運営も指定管理者制度となり、企画も充実してきている。
 企画展の今年の大きなテーマは「帰ってきた寺山修司」。その前期は「寺山修司からの手紙」で、7月28日~10月21日迄。
 これは、恩師や高校時代の友人に宛てた書簡などが約150通紹介されている。
 後期は、10月27日~平成25年(二〇一三)1月6日迄。「寺山修司の青春時代」である。
 また、「寺山修司記念館フェスティバル2012年夏」は、8月4日(日)に、「寺山修司からの手紙」と題して、山形健次郎(牧羊神同人)、九條今日子(寺山元夫人)、佐々木英明(修司記念館館長)のトークなど。
 8月19日(日)には、地元のジャズバンド、85歳のバンドマスター率いる、ファンキーじいさんと「グルービーファイブ」などの、ジャズコンサートが行われた。

十和田市現代美術館・鷹山宇一記念美術館・寺山修司記念館を巡る
 

a-togurettopasu.jpg青森県太平洋岸には、非常に特徴的な美術館・文学館がある。
 すなわち十和田市現代美術館、鷹山宇一記念美術館、寺山修司記念館である。
 この3館が昨年に引き続き、3館共同の「あおもりアートぐれっとパス」を行う。
 「ぐれっと」とは、方言で「すべて」あるいは「全部」という意味。
 つまり、3館を安い料金で全部観ていただこうという企画。
 期間は、7月1日~10月31日までの4ヵ月間。
 どれくらい安いかというと、大人通常料金では、十和田市現代美術館が900円、鷹山宇一記念美術館は700円、寺山修司記念館は500円。併せて2100円となるところが、「ぐれっとパス」を使うと3館で1000円とナント1100円も安くなる。
 3館は、十和田市現代美術館は、国内外の現代美術の展示及び企画展。鷹山宇一記念美術館は、二科会の大御所であった鷹山宇一の作品及び企画展。寺山修司記念館は、鬼才・異才といわれた寺山修司の作品及び企画展と、いずれも全国からひとを呼べる美術館・文学館であるから、ぐれっと贅沢な3館巡りである。
 なお、8月5日(日)、9月2日(日)、10月7日(日)の3回のみだが「ぐれっとバスツアー」も行っている。
 これは、バスに乗り1日で3館を巡るというもの。

 しかも、担当者が同行し案内するから、バスの中で十分説明が受けられる。
 これで、3館巡って、バス代含め大人で3000円である。
 日程は、午前11時新幹線七戸十和田駅ないし、11時30分十和田市現代美術館に集合。3館巡って午後6時5分七戸十和田駅解散ないし、6時30分十和田市現代美術館解散である。
 ちょっと強行であるが、首都圏からでも新幹線で日帰りできる。
 詳しくは、十和田市現代美術館℡0176‐20‐1127、鷹山宇一記念美術館℡0176‐62‐5858、寺山修司記念館℡0176‐59‐3434迄。
写真左から、舩山義郎鷹山宇一記念美術館館長、藤浩志十和田市現代美術館副館長、佐々木英明寺山修司記念館館長

umenaiminako.jpg 寺山修司五月会(山本優会長)が主催する、寺山修司市民大学の短歌学科が、歌人の梅内美華子さんを講師にこのほど行われた。
 これには40名ほどが参加。寺山修司の短歌について学んだ。
 寺山修司五月会は、当初寺山修司の三沢時代の同級生たちを中心に組織され、この会がなければ三沢市に寺山修司の記念館がなかったといわれるほど、寺山修司記念館建設の中心的役割を担った団体である。
 寺山修司五月会は、記念館オープン以後、毎年8月に行われる「テラヤマ・ワールド」で、県内小・中学生のための俳句大会を行っていたが、平成22年(二〇一〇)より、寺山修司市民大学を開設していた。
 講師の梅内美華子さんは、八戸市出身の歌人で、平成23年度(二〇一一)芸術選奨文学部門で、文科大臣新人賞を受賞。またこのほど歌集『エクウス』で、中堅女性歌人の優れた歌集に与えられる第8回葛原妙子賞を受賞するなど、新進気鋭の歌人である。

sasakieimei.jpg この4月より、十和田市現代美術館、新渡戸記念館、鷹山宇一記念美術館、寺山修司記念館の館長が、すべて入れ替わった。
 十和田市現代美術館は、市直営から指定管理者に代わったことによるもので、新渡戸記念館及び寺山修司記念館、鷹山宇一記念館は、主には前館長の高齢に伴うものである。
 寺山修司記念館館長に就任したのが、寺山修司の青森高校の後輩で、寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」で活躍した詩人の佐々木英明さんである。
 佐々木さんは、昭和23年(一九四八)10月、平内町に生まれた。青森高校に進学、このとき受験雑誌『高3コース』の文芸コーナーに詩を投稿していた。そのときの選者が、青高の先輩である寺山修司であった。
 こうして、詩を通して寺山と交流が始まった佐々木さん。高校を卒業後上京。寺山から、自作の詩の朗読を主体とした舞台をやるから出ないかと誘われた。それが『書を捨てよ、町へ出よう』である。さらにそれが映画化され、主役を務めた。
 佐々木さんは、一度も「天井桟敷」の劇団員になったことがない。が、何かあるごとに寺山に呼び出され、出演した。
 『邪宗門』を、渋谷でやったときのことである。観客から野次と罵声がとび、観客の一人が舞台に駆け上がり、マイクを奪うというハプニングがあった。舞台と観客と乱闘である。このラストシーンで、佐々木さんが、「舞台に上がって、なにかいってみろ!」といったところ、誰も上がってこなかったという武勇伝もある。
 この『邪宗門』は、 フランスのナンシー国際演劇祭に招かれ出演。その足でフランス、オランダなど、1ヵ月半ぐらい回った。
 が、佐々木さんは、家の事情で平内に帰ったが、寺山とは付かず離れず晩年まで付き合った。今では寺山修司を知る数少ない一人である。
 佐々木英明、63歳。寺山修司記念館の館長として、これまで考えもなかった新しい人生の始まりである。
 佐々木さんは毎日、家のある平内町から三沢まで約1時間かけて通う。

 terayama1.jpg 詩人、歌人、劇作家、映画監督、小説、評論、作詞、競馬エッセイなど、様々なジャンルを駆け抜けた、寺山修司の写真家としての活躍を紹介している。
 写真家の森山大道、立木義浩、篠山紀信、沢渡朔、鋤田正義、須田一政らと、写真や映画のコラボレーションを続けていた寺山修司は、1973年、突然カメラマンになろうと決意し、「アラーキ」こと荒木経惟に弟子入りした...

 ▽会期/~4月1日

 ▽会場/三沢市寺山修司記念館

 ▽問い合わせ/℡0176‐59‐3434

terayama5.jpg 

 

terayama3.jpg 

 

 

 

 

 

  

terayama2.jpg 

 青森県の太平洋岸、上北地域には、十和田市現代美術館、七戸町鷹山宇一記念美術館、三沢市寺山修司記念館と、個性のある美術館、文学館がある。

 十和田市現代美術館は、このほど発刊された『日本の美術館ベスト100ガイド』のトップを飾った今注目の現代美術館である。

 七戸町鷹山宇一記念美術館は、たとえば今行なわれている企画展は、ピカソやマチス、ダリなど世界の巨匠。日本では、安井會太郎、梅原龍三郎、東郷青児などのパレットと作品を展示する「パレットと絵画展」が行なわれるなど、企画展でその名が知られている。

 三沢市寺山修司記念館は、寺山修司唯一の記念館で、全国にファンが多い。

 この三つの美術館、文学館を、シャトルバスに乗り、わずか1,000円の料金で見られるのである。

 新幹線開業を記念した「あおもり アート ぐれっと パス」は、7月16日~10月30日迄。

 ちなみに「ぐれっと」とは、方言で、「ぐるっとまわる」、あるいは「すべて」という意味がある。

 問い合わせは、

 十和田市現代美術館   ℡0176-20-1127

 七戸町鷹山宇一美術館 ℡0176-62-5858

 三沢市寺山修司記念館 ℡0176-59-3434迄

 なお、当ネット新聞のトップページからも入ることが出来ます。

sankangoudou.jpg

 開館10周年を迎えた寺山修司記念館
 terayamashuji1.jpg 寺山修司がこの世を去って24年。現在、高校の国語教科書で使われている修司の短歌50数首が、延べ110冊に採録。寺山修司は斉藤茂吉に次いで第2位である。
 また、昨年、「国際寺山修司学会」が発足するなど、寺山修司の人気は年を追うごとに高まるばかりである。
 その寺山修司のメッカというべきものが、三沢市の「寺山修司記念館」である。
 寺山修司が亡くなったのは昭和58年(一九八三)。修司の母親はつさんが、修司と三沢市の小学校で同級生であった下久保作之佑さんを介し、修司の遺品を三沢市に寄贈した。
 下久保さんは、それを受け、三沢市での寺山修司の同級生たちを中心に実行委員会を結成し、記念碑の建設と、寺山修司記念館の建設運動を進めた。
 こうして、平成9年(一九九七)7月に、三沢市が寺山修司記念館を開館した。
 記念館への入館者は、開館した平成9年(一九九七)に、9ヵ月で1万7626人、翌平成10年(一九九八)1万8728人が入館。以降、平成15年(二〇〇三)まで平均して1万4000人が入館していた。
 ところが、平成15年に県立三沢航空科学館が開館。その翌平成16年(二〇〇四)から1万人代へと激減した。
 これは、当初、航空科学館と寺山修司記念館の二つを見学の予定で来るが、航空科学館を見ているうちに時間がなくなり、行けなくなったというものが多い。
 それでも10年間の入館者数は約14万人、年平均1万4000人は、花巻市の宮沢賢治記念館は別格として、文学館としては多い方である。
 寺山修司記念館は、市内から遠く離れた小川原湖畔にあるため、三沢空港から約8㌔、三沢駅から約12㌔と、交通の便が悪く、団体客の他は、タクシーでの来館者が多い。しかも、タクシー代が片道3000円~4000円であることを考えると、年間1万4000人は驚異的な数字である。
terayamashuji2.jpg 入館者を見ると、岩手、秋田、宮城など、東北地域からの団体客の他、最初の5年間は、早稲田大学の文学部を中心に、卒論の作成のために訪れる学生が多かった。一般の入館者は、寺山修司と同年代の中高年が多かった。
 そして次の5年間は、映画や演劇、表現芸術の、やはり卒論の作成のために、今度は芸術大学の学生たちが多くなった。一般の入館者は、今は若い女性が圧倒的に多い。
 中には、年数回という人も多く、一番多い人では9回という人もいる。
 また、見学時間は、団体で約1時間、個人では閉館まで1日いっぱいいるという来館者も多い。
 寺山修司記念館を訪れる人たちは、単に一見して帰るのではなく、より深く寺山のことを知りたいという人たちが多くなってきている。
 昨年結成された国際寺山学会は、大学の文学部の教授らが発起人として、たくさん名を連ねていることでも頷ける。
 異才、鬼才、あるいは異端児ともいわれた寺山修司は、今や学問としての研究対象となった。
1  2