三沢市寺山修司記念館

寺山修司の人気は衰えず10年で14万人入館

[三沢市寺山修司記念館]
 開館10周年を迎えた寺山修司記念館
 terayamashuji1.jpg 寺山修司がこの世を去って24年。現在、高校の国語教科書で使われている修司の短歌50数首が、延べ110冊に採録。寺山修司は斉藤茂吉に次いで第2位である。
 また、昨年、「国際寺山修司学会」が発足するなど、寺山修司の人気は年を追うごとに高まるばかりである。
 その寺山修司のメッカというべきものが、三沢市の「寺山修司記念館」である。
 寺山修司が亡くなったのは昭和58年(一九八三)。修司の母親はつさんが、修司と三沢市の小学校で同級生であった下久保作之佑さんを介し、修司の遺品を三沢市に寄贈した。
 下久保さんは、それを受け、三沢市での寺山修司の同級生たちを中心に実行委員会を結成し、記念碑の建設と、寺山修司記念館の建設運動を進めた。
 こうして、平成9年(一九九七)7月に、三沢市が寺山修司記念館を開館した。
 記念館への入館者は、開館した平成9年(一九九七)に、9ヵ月で1万7626人、翌平成10年(一九九八)1万8728人が入館。以降、平成15年(二〇〇三)まで平均して1万4000人が入館していた。
 ところが、平成15年に県立三沢航空科学館が開館。その翌平成16年(二〇〇四)から1万人代へと激減した。
 これは、当初、航空科学館と寺山修司記念館の二つを見学の予定で来るが、航空科学館を見ているうちに時間がなくなり、行けなくなったというものが多い。
 それでも10年間の入館者数は約14万人、年平均1万4000人は、花巻市の宮沢賢治記念館は別格として、文学館としては多い方である。
 寺山修司記念館は、市内から遠く離れた小川原湖畔にあるため、三沢空港から約8㌔、三沢駅から約12㌔と、交通の便が悪く、団体客の他は、タクシーでの来館者が多い。しかも、タクシー代が片道3000円~4000円であることを考えると、年間1万4000人は驚異的な数字である。
terayamashuji2.jpg 入館者を見ると、岩手、秋田、宮城など、東北地域からの団体客の他、最初の5年間は、早稲田大学の文学部を中心に、卒論の作成のために訪れる学生が多かった。一般の入館者は、寺山修司と同年代の中高年が多かった。
 そして次の5年間は、映画や演劇、表現芸術の、やはり卒論の作成のために、今度は芸術大学の学生たちが多くなった。一般の入館者は、今は若い女性が圧倒的に多い。
 中には、年数回という人も多く、一番多い人では9回という人もいる。
 また、見学時間は、団体で約1時間、個人では閉館まで1日いっぱいいるという来館者も多い。
 寺山修司記念館を訪れる人たちは、単に一見して帰るのではなく、より深く寺山のことを知りたいという人たちが多くなってきている。
 昨年結成された国際寺山学会は、大学の文学部の教授らが発起人として、たくさん名を連ねていることでも頷ける。
 異才、鬼才、あるいは異端児ともいわれた寺山修司は、今や学問としての研究対象となった。