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七戸町出身・日本一のポニーの調教師

 山谷吉輝さん73歳今だバリバリの現役だ
 yamataniyositeru.jpg「動物は、匂いでいい人かどうか感じることが出来るんです。動物がそう感じたとき、どうにでも動かせるんです」と語る山谷吉輝さん。
 当時、「馬に初めてお座りさせた男」として、テレビなどでも紹介されたが、ポニー(背丈148㌢以下の馬)を、手綱と鞭一つで、子犬のようにお座りさせたり、二本立ちさせたり、横歩き、スキップなど、馬を自由に操る日本一のポニーの調教師である。
 東京・世田谷の日本中央競馬会(JRA)馬事公苑退職後も、各地の乗馬クラブで、ポニーの調教・指導、そして軽乗の普及など、73歳になった現在でもバリバリの現役として活躍している。
 山谷吉輝さんは、昭和9年(一九三四)12月、七戸町で生まれた。実家は同町山屋の薬師神社の別当であった。七戸町の西野小、七戸中学校を卒業。東北牧場、奥羽種畜牧場を経て、昭和28年(一九五三)、18歳のとき、「俺は馬をつくる人になりたい」と、数日分のおにぎりを持って上京した。
 そして、当時世田谷区にあった、清風会乗馬クラブに入り、ここで、『七人の侍』で三船敏郎が乗った木曽馬を調教した。
 そこでの実績が認められ、昭和29年(一九五四)に中央競馬会・馬事公苑に引き抜かれ勤務した。
 昭和31年(一九五六)、ポニーの世話を任された。
 山谷さんは馬に親しんでもらおうと、当時、馬事公苑長であった津軽義孝氏の提案もあり、ポニーの調教を行い、試行錯誤を重ね、苦労の末、前述したようなこれまで誰もやったことのない芸を仕込み、昭和34年(一九五九)の国体を皮切りに、各種馬術大会や、天皇賞など競馬のレースでポニーの演技を披露。
 また、子どもたちに軽乗を教えると、共に普及してきた。
komakkokurabu.jpg 「軽乗は、むかしはオリンピックの種目にもありました。軽乗は、手綱も鐙もない馬の背の上で、バランスよく様々な動きをする騎乗の基本技術で、これをマスターすることによって、恐怖感が取り除かれ、障害馬術や馬場馬術の素地が出来上がります」と語る。
 昭和47年(一九七二)にJRA功労賞、平成7年(一九九五)に日本馬術連盟功労賞。また今年(二〇〇七)は七戸町文化賞を受賞した。
 これまで100頭を超えるポニーを調教。これからの夢は、「軽乗」の全国組織をつくることだという。