実践的アンチエイジング講座

1、アンチエイジングとは何か

[実践的アンチエイジング講座]

文 小笠原カオル・監修 川村 賢司

アンチエイジングとは何であろうか。

 最近本屋に行くと、健康に関する書棚にアンチエイジングという言葉が目につくようになってきた。手元にある『広辞苑』(1991年度版)で調べてみると、「アンチエイジング」という言葉は載っていなかった。ということは、結構新しい言葉であるということであろう。

 私がアンチエイジングという言葉を知ったのは、塩谷伸幸(北里大学名誉教授)著『~一年で一歳若返る~アンチエイジングのすすめ』(幻冬舎刊、第三刷2004年11月発行)であった。

 この本を求めたのは、多分平成17年(2005)頃であろう。この本を読んで、「あ、何だ、俺のしてきたことをアンチエイジングっていうんだ」と思った。

 「アンチ」とは、弁証法で、ある命題に対立する命題のことである。と、いっても、何、それ?ということになる。そんな哲学的な説明は別にして、簡単にいうと「反」とか「非」という意味がある。「エイジング」とは、年齢、あるいは歳をを重ねていくこと、別な言葉でいうと加齢である。アンチエイジングは、この二つの言葉を組み合わせた言葉で、日本では一般的に「坑老化」と訳されている。つまり、老いに抗って若さを保つとでもいおうか。

 人間、いや人間といわず、すべてこの世に生存する生物は、生まれて、生長し、年齢を重ね、やがては老い、必ず死ぬ。それは生物によって、1週間であったり、1年であったり、10年であったり、30年であったり、その生存の長さは生物によってみな違う。
 人間は、どれくらい生きられるかというと、生物学的には120歳まで生きられるという。平成22年(2010)の調査では、100歳を越えた人が44,449人(厚労省)である。昭和38年(1963)に百歳以上の人はわずか153人だけであった。この半世紀近くの間に、100歳を超える人が約300倍近く伸びたことになる。素晴らしいことである。むかしは、「お前100までわしゃ99まで」と、長生きを褒め称え、長生きは幸せの象徴でもあった。

 しかし、現在は長生きをしたために不幸になっている人が、どんなに多いことであろうか。それは、後期高齢者などと、国が75歳以上の高齢者を差別したように、急速な高齢化に国も社会も対応できていないからである。
 が、かといって、国や社会が対応してくれるのを待ってはいられない。この超高齢化社会の中で、否が応でも百近くまで生きなければならない時代がきている。しかし、たとえ百歳まで生きたとしても寝たきりでは意味がないし、幸せな晩年とはいえない。

 この「実践的アンチエイジング講座」は、超高齢化社会の中で、病気もせず、できれば百歳まで、健康で幸せな晩年を迎え、「ぴんぴんころり」と、幸せに死ねるための実践的講座である。

 が、私は、医者でもなければ学者でもない。そこで、健康に関するたくさんの著書のある川村賢司氏(医学博士・元北里大学薬学部助教授)にアドバイスしていただくと共に監修していただくことにした。

 さて、私が理論的には別にして、アンチエイジングを始めたのは、今考えると昭和57年(1982)、満40歳のときである。

 何故、40歳のときか。

 私は系図上、真暮沢小笠原家の4代目である。40歳になったとき、あることに気がついた。私の初代、つまり曽祖父は慶應3年(1867)11月に出生し、昭和24年(1949)12月に死去している。満82歳であった。曾祖母は明治5年(1872)10月に出生し、昭和26年(1951)11月に死去している。満79歳であった。祖父は明治26年(1893)11月に出生し、昭和51年(1976)5月に死去している。満83歳であった。祖母は明治26年(1893)7月に出生し、昭和63年(1988)12月に死去している。満95歳であった。
 それともう一つ、我が家から出たひと、つまり祖父の兄弟で80歳前に亡くなったひとは、乳がんで亡くなった一人だけで、その他はいわゆるあたった(脳溢血)人も、ガンで亡くなった人もいなかった。ほとんどが死の直前まで、少なくても1年前まで働いていた。我が家で病気になり入院したのは、怪我や事故は別にして、結核と乳がんで入院した私の母一人だけである。その母も82歳まで生きた。ちなみに、私の父は現在92歳。最近、大分弱ってきたが、87歳のときに自動車免許を更新している。

 昭和57年当時の日本人の平均寿命は男性74・22歳、女性79・66歳であった。その当時でみな80歳以上まで生きていた。我が家は何故、あまり病気もせず、長生きできたのであろうか。長寿遺伝子があるそうである。が、我が家に嫁に来た人も80歳まで生きている。我が家の長寿は、長寿遺伝子といった先天的なものではなく、生活習慣からくる後天的なものであろうと思った。
 そこで私は、次の結論に達した。

  1. 家が農家であったために、みな死の直前まで働いていた。つまり、働くことが最大の健康と長寿の秘訣であると考えた。
  2. 私の家は農家で貧乏だったから、肉はほとんど食せず、野菜を中心とした粗食であった。私が子供の頃の一番のご馳走は、正月、年越しの晩に食べるイワシの寿司であった。山奥であったから魚さえもあまり食べなかった。
  3. 飲み水は、ミネラルの豊富な沢水であった。

 死ぬまで働く、粗食、きれいな水、この三つが健康と長寿の秘訣だと思った。私はそのとき、どう生きるかということより、どう死ぬかということを考えた。つまり、我が家の曽祖父母や祖父母たちがそうであったように、死の直前まで仕事をする。いわゆる「ぴんぴんころり」である。
 我が家は皆80歳まで仕事をしている。とすると40歳はちょうど人生の折り返し点である。80歳まで仕事をするには、まずサラリーマンでは駄目だ。60歳になって定年退職してからでは、死ぬまでの仕事を見つけるのが難しい。死ぬまでできる仕事を見つけようと思った。

 こうして1年後に見つけたのが現在の仕事である。

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文:小笠原カオル
文:小笠原カオル

監修

監修:川村賢司
監修:川村賢司

プロフィール
昭和15年(1940)青森県野辺地町出身。東京医科大学卒業、元北里大学薬学部准教授、医学博士。退職後は、㈱東京科学技術研究所長などを務める。著書に『もっともらしい健康の常識』など多数。

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