実践的アンチエイジング講座

9、夢をもち「生涯現役」で生きよう(下)

[実践的アンチエイジング講座]
 私は、死の直前まで、できれば病院や福祉の世話にならず、ピンピンコロリと死にたいと思っている。
 でも、大方の人は、歳がゆけば身体もガタがくる。病気のリスクも高くなる。それはアンタの希望だろうが、無理、無理、というであろう。
 確かに、私は絶対に病気はしません、福祉の世話にもなりませんと、100㌫断言することはできない。
 が、その可能性を限りなく少なくすることができると思っている。
 さて、それなら、どうしたなら病院や福祉の世話にならず、健康で長生きできるであろうか。
 その一つが、このテーマである「夢をもち『生涯現役』で生きる」ことである。
 前回、元青森大学学長の盛田稔先生と、プロスキーヤーの三浦雄一郎さんのことを話した。
 盛田先生は、青森大学学長を昭和46年(一九七一)から平成4年(一九九二)まで21年間務めた。退職したのは盛田先生75歳のときである。
 しかし、そのとき隠居をしてはいられなかった。何故なら、法務省人権擁護委員、青森県文化財専門委員、青森県史編纂委員会委員、ATVテレビ番組審議委員、青森県観光審議委員、原子力政策青森賢人会議委員、青森県文化財保護協会会長など数十の公職を持っていたからである。
 それと、ライフワークである歴史研究である。
 そして95歳になって、青森山田学園の理事長就任である。一日たりとも、頭を休めてボウとしていられる暇がなかった。
 それだけではない。夏は、忙しい時間の合間をみて、畑に行って草取りをするなど働いている。
 一方、三浦雄一郎さんは、65歳のとき70歳でエベレストに登ろうと計画を立てた。
 三浦さんはこのとき、身長164㌢、体重85㌔、体脂肪40㌫、血圧200で、完全なメタボであった。
 エベレストの計画を立てた翌日から三浦さんは、足に片足に2㌔づつの4㌔、背に20㌔の錘を背負い、毎日2時間歩いた。こうして70歳と75歳にエベレストに登り、平成25年(二〇一三)80歳で三度エベレストに挑戦するという。
 この二人に共通しているのは何であろうか。
 一つは、80歳になろうが、90歳になろうが、夢なり目標、あるいは仕事を持っているということである。
 二つには、生涯現役で働き、あるいは活動しているということである。
 前回、古い脳、新しい脳の話をした。
 新しい脳は、すなわち「心」あるいは「意思」である。この新しい脳が何らかの強い「意思」、たとえば夢を持つ、あるいは目標を持って活動することによって、古い脳の部分に属する細胞が活性化し、病原菌などを寄せ付けない、いつまでも若々しい身体をつくる。
 こういう身体は、一つは細胞の中にあるミトコンドリアが活発に活動する身体であり、二つには免疫力が高い身体である。
 この新しい脳が強い「意思」を持たない場合はどうなるであろうか。
 たとえば、サラリーマンが60歳で定年退職する。特に年金が安定している学校の先生や公務員の場合、勤めているときは苦労したから、今度は年金を貰って悠々自適に暮らそうという。
 無年金者で、死ぬまで働かなければならない私から見ると羨ましくも見える。
 が、私の同級生もそうであるが、退職して2、3年して会ってみると、前立腺肥大だ、血糖値が高い、やれ血圧だなどと、二つ、三つ病院に通っている人の多いのに驚く。
 しかし、サラリーマンを退職してから、ようやく自分のやりたいことができると、趣味なり、社会活動なり、あるいは研究なりと、強い「意思」を持って活動している人は違う。
 陶芸家の妻神義美さんもその一人である。妻神さんは、大正9年(一九二〇)3月、旧三本木町(現十和田市)に生まれた。満92歳である。弘前にあった陸軍衛生部下士官養成所(現自衛隊衛生学校)を卒業。昭和20年(一九四五)十和田市立病院の前身である厚生省上北組合病院に、臨床検査技師として入り、昭和55年(一九八〇)、満60歳で定年退職した。
 それから2年後、62歳のとき、中央公民館の陶芸教室に入ったことをきっかけとして陶芸にはまり、栃木県茂木町の陶芸教室に2年通い、平成6年(一九九四)に彩陶展に入選したのを始め、国内外の様々な公募展に入賞。92歳になった現在でも、東公民館の陶芸教室の講師を務めている。
 十和田市文化協会会長の川崎富康さんは、昭和3年(一九二八)1月、三戸郡五戸町で生まれた。満84歳である。盛岡高等農林学校を卒業。昭和26年(一九五一)五戸高校教師となり、昭和63年(一九八八)満60歳で定年退職した。
 以後、文化活動に専念し、84歳になった現在は、十和田市文化協会会長他。十和田フィルハーモニー管弦楽団名誉団長、とわだ混声合唱団団長、十和田マンドリンクラブ会長などを務める。
 しかも、名前だけの長ではない。マンドリンクラブでは指揮をし、フィルハーモニー管弦楽団ではチェロを弾き、混声合唱団では最高齢の現役として歌っている。
 歴史研究家の伊藤一允さんは、昭和8年(一九三三)三重県桑名市で生まれた。満79歳である。中学校3年生のとき、一家は母の実家であった三本木町に移住。三本木高校を卒業後、昭和22年小学校教師となり、平成5年(一九九二)に満60歳で定年退職。以後、ライフワークである歴史研究を続け、現在なお庶民の歴史の掘り起こしを行っている。
 この3人に共通するのは、サラリーマンを退職後、勤めていたときより、むしろ忙しく、趣味や研究、あるいは団体の代表として、充実した毎日を送っていることである。
 新しい脳が充実した日々を送ることによって、細胞の中にあるミトコンドリアが活発に活動しエネルギーを作り出し、同時に免疫力の強い身体をつくっているのである。だから3人とも、命にかかわるような大病はしていない。
 最近、本屋に行くと、90歳、100歳になっても元気に仕事、あるいは活動している人たちの本がたくさん並んでいる。
 98歳で映画を撮った新藤兼人監督の『100歳の流儀』(PHP研究所刊)。聖路加病院理事長日野原重明さんの『100歳の金言』(ダイヤモンド社刊)。100歳の詩人柴田トヨさんの『くじけないで』(飛鳥新社刊)。女性報道写真家第1号笹本恒子さんの『好奇心ガール、いま97歳』(小学館刊)。家事評論家吉沢久子さんの『前向き。93歳、現役。明晰に暮らす、吉沢久子の生活術』(マガジンハウス刊)。女性柔道家福田敬子さんの『つよく、やさしく、うつくしく~99歳女性十段が世界に広めたなでしこの心』(小学館刊)などである。
 また、97歳の現役の浪曲師天龍三郎さんや、108歳のインターネット放送局天草テレビの看板アナウンサー森シノさんなどが、新聞で紹介されている。

文:小笠原カオル
文:小笠原カオル

監修

監修:川村賢司
監修:川村賢司

プロフィール
昭和15年(1940)青森県野辺地町出身。東京医科大学卒業、元北里大学薬学部准教授、医学博士。退職後は、㈱東京科学技術研究所長などを務める。著書に『もっともらしい健康の常識』など多数。

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