野呂修平バレエ一筋55年

1、プロローグ

[野呂修平バレエ一筋55年]

noroshuhei1.jpg 会場の熊谷市立文化会館は開演1時間前というのに、ロビーは人でごったがえしていた。
 ホールの入口には、新国立劇場舞踊芸術監督牧阿佐美、クボバレエアカデミー久保栄治・陽子など、よく名の知られたバレエ団の大きな生花や花篭が、五つ、六つ華やかに飾られていた。
 来場者の女性は年配の人が多いが、いいところの奥様であろう、品良く着物を着こなし、男性も一見文化人的な風貌をした人、あるいはこのまちの名士であろうと思われるような紳士淑女で溢れていた。
 その中に、ちょっと雰囲気のちがう10人ほどの集団がいた。野呂修平のふるさとである三本木高校の同級生、昭和27年度の卒業生たちである。
 彼らは、同級生である野呂修平の今日の晴れの舞台のために、首都圏から、あるいは盛岡、和歌山、そしてふるさとである十和田市から駆けつけたのである。
 今日の舞台は、野呂修平のバレエ生活55周年及び喜寿を記念しての、野呂修平創作バレエリサイタルである。
 聞くと、バレエダンサーで77歳で舞台に立っているのは、野呂修平を含め数人であるという。
 創作バレエは、棟方志功『わだばゴッホになるじゃ』である。
 その脚本は、やはり三本木高校時代の同級生で、映画作家・製作者の附田博である。附田博もまた、映画作家・製作者として現役で活動している。
 十和田市を遠く離れた熊谷で、青森県を題材にした創作バレエが、しかも十和田市出身者二人の手で行なわれる。
 勿論、主役の棟方志功及び振付・演出は野呂修平である。
 だからこそ、同級生たちも応援に駆けつけたのである。
 棟方志功は、野呂が高校時代、美術の時間に板画をやった。その板画の魅力に取りつかれた。その後、棟方志功がヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展で国際板画大賞を受賞した。
 その年は、野呂も服部・島田バレエ団で初舞台を踏んだ年であった。
 郷土の先輩が、世界で評価された、すごいな。俺も頑張らなくちゃと、一つの目標として深く心に刻んだ名前であった。
 それが数年前に、偶然に志功の作品を観る機会に恵まれた。改めて志功のすごさを感じた。昭和31年(一九五六)自分が初舞台を踏んだとき、志功が世界で評価された、そのときの想いがふつふつと甦ってきた。
 noroshuhei2.jpgよし、55周年、喜寿でやる作品は棟方志功だと決めた。
 野呂は、棟方志功記念館などを訪れ、作品を観、志功の生き様に触れ、益々志功への想いを強くした。
 早速、脚本を、同級生であり、友人でもある附田博に依頼した。
 附田は、三本木高校で同じ時クラスで、しかも二人とも演劇部に入っていた。卒業後は二人とも上京し、附田は映画の道、野呂はバレエと、それぞれの道を歩んでいた。が、二人とも文化の道に進み、野呂はこれまでに十和田湖を題材にしたバレエ『湖畔の乙女』を創作し、弘前、八戸で公演をしている。
 一方附田は、青森県民文化祭で、十和田湖伝説フォークローレミュージカルの脚本・演出を担当。当然野呂は、舞踊シーンを担当するなど、幾つかの舞台を共に創ってきた最も信頼できる仲間である。
 今回の棟方志功『わだばゴッホになるじゃ』の脚本を野呂から頼まれたとき、バレエには言葉がない。踊りと音楽での表現である。映画のシナリオより難しかった。
 附田も脚本を書くために青森に何度か通い、志功の作品を観、志功が生きた時代に想いを馳せ、脚本を書いた。
 こうして今日、発表の運びになったのである。
 もうそろそろ始まりますので会場にお入り下さいというアナウンス。
 会場は600名ほどのキャパシティであったが、満席である。二ベルが鳴ると同時に会場の照明が落とされた。
 真っ暗闇の中に、志功が最も好んだベードーヴェインの荘厳な音楽が響く。緞帳がゆっくりと上がってゆく。
 舞台では、板木に顔を摺りつけるようにして板画を彫る志功(野呂)。その姿が映像として、バックの幕に映し出される。
 観客を、一瞬にして舞台に引き付ける演出である。
 その周りを板の精や木の精たちが踊る。志功の心の葛藤を幻想的に表現した「幻想の場」である。
 志功の父は鍛冶屋であった。第二場は「鍛冶屋の場」である。父幸吉、母さだ、志功、そして炎の精が踊る。
 第三場「母さだの死」。志功の一番の理解者であった母が亡くなった。母さだの最後の励ましの言葉に、志功は決意を新たにし、舞台で3回もでんぐり返しをし、「わだばゴッホになるじゃ」と心の中で叫ぶ。
 でんぐり返しは、俺は生まれ変わるぞという、志功の決意の表現であった。
 第四場「志功の旅立ち」。こうして志功は上京する。
 15分の休憩に入る。
 noroshuhei4.jpg第二幕は、上京して、油絵を描くが、落選が続く。志功を信じ、そしてどんなときでも志功を支えた妻チャコの愛。やがてその愛が実る
 第一場、第二場、第三場と展開し、ついにヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展で大賞を受賞する。第四場は、郷土のねぶた祭りで幕が閉じる。
 フィナーレは、感動の拍手が鳴り止まず、引っ込んでは出引っ込んでは出、そして最後の最後に脚本の附田博も舞台に登場する。ますます高まる拍手。
 野呂修平のバレエ人生55年喜寿を記念した舞台は、こうして幕を閉じた。
 野呂は、幕が下りた後もしばらく舞台に立っていた 思えば、青森県三本木町一本木沢に一家で開拓に入りいつも腹を空かしていた少年時代。三本木高校の恩師で、音楽の長谷川芳美先生。附田博や木村ミヨら同級生、そして演劇の仲間の顔が次々に浮かんでは消えた。
 俺は自分の好きなことを77年間精一杯生きてきた。俺の人生に悔いはなし。
 野呂は顔を上げると、「ヨシッ」と自分に気合を入れ、急いでロビーに走った。
 ロビーには、舞台の興奮覚めやらぬ観客たちが、「ああ良かった。すごかったね」などと、興奮のるつぼである。
 その中に、鎌倉の志功記念館近くに住む野呂の知人もいた。野呂は、その知人を見つけると、「今日は良く来ていただきました。ありがとうございました」と、握手し、多分久しぶりに逢ったであろうハグしていた。
 さらに残っている人たちに握手し、「ありがとう、ありがとう」と、一人ひとり心からのお礼を述べた。
 その夜は、同級生たちと、高校時代の頃の話に花を咲かせながら、自分たちがもう喜寿だというのも忘れて、夜を徹して飲み明かした。

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