野呂修平バレエ一筋55年

3、満蒙開拓団として一家は満州に渡る(下)

[野呂修平バレエ一筋55年]

 この汽車は、満蒙開拓団及び、満蒙開拓少年義勇軍のために特別に仕立てた夜行列車である。
 東京駅は、見送りに来た少年義勇軍の家族や、開拓団の親族や友人、知人などでごった返していた。
 あっちこっちで、汽車の窓から顔を出し、病気しないようにな、体に気をつけろよなどと固く手を取り合い、涙を流している人たち。頑張れよと万歳三唱する人たち。行ったら手紙くれよなどと、別れを惜しむ人たちで溢れていた。
 汽車は、ボーっと大きく蒸気を吐き、ガッタン、ゴットンとゆっくりと動き出した。
 元気でナー!!、体に気を付けてナー!!の声に送られて、汽車は下関に向かった。
 父や母、長男の持、次男の博などは、満州に行って当座の生活に困らないようにと、衣類や茶碗、皿、箸などの生活用具、あるいは子供の教科書などをぎっしり詰めたリュックやトランクなどを持てるだけもった。
 この汽車に乗っている連中は皆そうである。
 その荷物が通路に、ところ狭しと置かれ、トイレに行くのも大変であった。
 小学生ぐらいの小さな子どもたちは、網棚に乗せられ、それがベッドがわりになった。
 子どもたちにとっては、これから何処へ行くのか、この先何があるのかは、全く関係がない。ともかく初めての汽車の旅である。楽しい旅であった。しかも、網棚に載せられた。子どもは高いところが好きである。嬉しくて、嬉しくて、最初は騒いでいたがいつの間にか、網棚の上で眠ってしまっていた。
 車内が薄暗くなると、ガッタンゴットン、ガッタンゴットンと、車輪が線路の継ぎ目を渡る音が、心地よく、振動と共に聞こえてくる。そのリズムに合わせ、先導をきるように、時おりピーっと、甲高く汽笛が鳴り響く。
 父甚五郎は、見知らぬ土地へ行く不安もある。しかし、それ以上に、新天地で一旗挙げたいという希望が強かった。
 また、長男の持が、悪い仲間たちとの付き合いもあり、喧嘩して帰るのもしばしばであった。それも両親の悩みの一つであった。いずれにしても、日本に居ては、一家11人を養って行けない。あれこれ考えて一晩中眠れなかった。
 汽笛が、本間一家の、あるいはこれから満州へ行く人たちの励ましの進軍ラッパにも聞こえた。
 こうして汽車は、20時間近くかけて下関に到着。ここから船で対岸の門司に渡り、門司港から朝鮮の釜山に船で渡るのである。
 日本から大陸に渡るには、これが一番の近道であった。
 その日の夜に船が出港した。
 貨物船ではあったが、子どもたちにとっては、船に乗るのが、これも初めての経験であった。最初のうちは騒いでいたが、やがて船で酔ってしまいゲーゲー吐いてしまった。
 やがて船は釜山に到着。ここから汽車でソウル、平城を通り、奉天(現瀋陽)に着いたのは3日目であった。ここで汽車を乗り換え、目的地である通遼県に行くのである。
 通遼は、内モンゴルにあり松遼平原の西の端にあった。
 雨は、5年に1回しか降らないというくらいの乾燥地帯の荒原である。
 しかも、冬になると零下20度にもなり、戦車も渡れるぐらいに川が凍り、地面が2㍍凍るという寒であった。
 第二次開拓団が行くのは、この通遼県の一果樹村である。
 一果樹村には、すでに第一次満蒙開拓団の人たちが来ていた。
 汽車が、一果樹村の降り口である銭家店駅に着くと、第一次開拓団や、地元民である満州人たちが、
 見よ東海の空あけて
 旭日高く輝けば
 天地の正気溌剌と
 希望は躍る大八洲
 おお晴朗の朝雲に
 聳ゆる富士の姿こそ
 金甌無欠揺るぎなき
 わが日本の誇りなれ
と『愛国行進曲』を歌い、歓迎してくれた。
 父甚五郎も、母ハルも、第一次開拓団や少年義勇兵の若者たちが満州で、夢に溢れ、希望を持ってやっているのを見て、満州に来るまで持っていた一抹の不安も吹っ飛んでしまった。
 第二次開拓団が入植する予定の南集落はまだ出来ておらず、とりあえずは第一次開拓団が入植している一果樹村の家にお世話になるとのこと。
 本間家は、第一次開拓団の中野さんという家にお世話になることになった。駅から、中野さんが出してくれた馬車に乗って、中野さんの家にたどり着いた。
 東京から、汽車に乗り一関まで、そして船に乗り釜山まで行き、さらに汽車にゆられて3日、体はくたくたに疲れていた。
 皆、中野さんの家に着くなりバタンキュウで、そのまま眠ってしまった。
 何時間眠ったろうか。目が覚めたのは夕方であった。
 窓の外を見ると、真っ赤な大きな夕陽が地平線に沈むところであった。
 日本では見られない大陸に沈むその夕陽を見て、ああ満州に来たんだなと実感した。
 夜は、中野さんの奥さんの手料理でもてなしを受け、父甚五郎はしきりに満州での生活を聞いていた。
 子どもたちは、豊富に出てくる料理を見て、のどをゴクリ。
 中野さんの奥さんは、それを見て「食べるのはたくさんあるからどんどん食べてね」とすすめた。
 子どもたちは、我先にと食べた。
 こんなに腹いっぱい食べたのはいつだったか、忘れるくらいむかしのことだった。
 こうして、本間一家は数日中野さんの家にお世話になり
11月に入植地の南集落が出来るまで、満人の家にお世話になることになった。
 その満人は、これから入植地で、本間家の家畜や農作物を世話してくれる家であった。
 11月になり、入植地である南集落が完成した。
 一家は、それぞれ割り当てられた家に入った。
 家の前は、見渡す限りの荒野で、遠くには満鉄の線路が見えた。
 一家には、土地13町歩(約13㌶)、馬20頭、牛20頭他、豚や鶏などが貸し与えられた。
 また、食料も充分に与えられ母が食事のとき、さあ、腹いっぱいお食べ、満州に来て本当に良かったね。もう、お腹空かすことがないからね。何ぼ食べてもいいよといった。
 皆も、満州に来て本当に良かったと、幸せを感じていた。

noroshuhei5.jpg 満州に行った頃の写真。写真左から繁雄(野呂修平)、長女の以代子、以代子に抱っこされているのが以代子の子、六男省三、母ハル、四男の義雄、後ろに立っているのが次男の博

 *一果樹村の「果」は、本来「木」偏がありますが、パソコンにその文字がないので「果」で表現しています。