野呂修平バレエ一筋55年

13、父と和解する

[野呂修平バレエ一筋55年]
notoshuhei3.jpg 昭和36年(一九六一)、服部・島田バレエ団に入って8年、修平もプロのダンサーとして認められ、舞台の数も増え、何とかバレエだけで食っていけるようになっていた。
 三本木を出るとき、父が見つけてくれた仕事を断わって東京に出てきた。以来、勘当同然となり、父とは疎遠になっていた。
 自分のやっていることを観ていただくことで、父の勘当を解いてもらおうと、父をNHK放送センター101スタジオに呼び、テレビ収録の様子を見てもらうことにした。演目は、ベートーベンの『交響曲第八番』である。
 そして、楽屋を訪ねて来た父と、三本木を出て以来9年ぶりに会った。すでに還暦を過ぎていた父の体は心なしか小さく見えた。
 修平は、父が見つけてくれた仕事を断わったことをわびると共に、今、こうしてテレビにも出られるようになったと報告した。
 父は、何も言わなかったが、良かった、良かったと、喜んでいる気持ちが、修平にビンビン伝わってきた。
 舞台の幕が上がった。初めて見るカラーテレビである。父は楽屋のテレビで修平の活躍を観ていた。
 舞台が終わったあと、父と二人で日比谷公園に行き、家のこと、兄弟たちの様子など語り合った。
 三本木に帰った父はその後、修平の出るテレビは必ず見ると共に、雑誌などに修平が載っているとそれを切り取り壁に貼っておくなど、修平の一番の理解者になった。