カオルのざっくばらん対談

BUNKA新聞社30周年記念対談 2 (上)

[カオルのざっくばらん対談]

伊藤一允(地域史研究者)& 小笠原カオル(本社編集長)

「ふるさとを歩く会」10年間で70ヵ所探索する

 itouozsumitu.jpg小笠原 BUNKA新聞社は、おかげ様で30年になりました。
 伊藤 もう、そんなになるのか。早いね。
 小笠原 ハイ、40歳まで全く書いたことのなかった私が、無謀にも新聞を出すことになって、なんとか30年間やってこられたのは、色んなひとからの応援やアドバイスがあったからだと思っています。
 BUNKA新聞社は、昭和58年(一九八三)11月に創刊。創刊の社是に、「ふるさとの歴史・文化・人の掘り起こし」掲げた。そういうことから伊藤さんに昭和60年(一九八五)1月号から「十和田歴史散歩」を書いていただいた。それが伊藤さんとの付き合いの始まりです。以来30年近く、本当にべったりと(笑い)、様々なアドバイスをいただいてきました。
 伊藤さんと出会って一番大きかったのは、伊藤さんの提案で、足で歩いて、地域の歴史を知り、掘り起こそうということで、「ふるさとを歩く会」を立ち上げて、10年間で70回やったことですね。
 伊藤 まあ、よく歩いたね。
 小笠原 私は、伊藤さんと出会ってから、書き方が変わった。物事を表面だけ書くのではなく、時代の流れの中で、あるいは歴史的背景を見ながらに書くようになった。だから私の物の見方の基礎をつくってくれたと思っています。
 伊藤 私もね、そのころから歴史に本格的にかかわるようになったんです。
 それまで私は教育史を中心にやっていた。
 あるとき工藤祐先生から、『七戸町史』の教育編をやっている和田四郎先生が病気で倒れたから代わりにやってくれないかといわれたんです。
 それで、盛田稔先生(当時青森大学学長)とお会いして、良ければ引き受けますといったんです。
 それで盛田先生のところに行ったら、そのとき盛田先生は『七戸町史』のことは何にもいわず、『地名辞典』を手伝ってくれっていわれて、実はびっくりしたんです。
 それまで七戸では、明治5年(一八七二)に七戸小学校が開校したということになっていたんですが、私が調べたところでは明治6年(一八七三)なんですね。
 そういうことをはっきり書いていいんですかといったら、盛田先生は、歴史というのは当然調べて正しいことを書かなければならないんだから、それでいいということになって、『地名辞典』にかかわることになったんです。
 小笠原 それは何年ですか。
 伊藤 『地名辞典』が出る1年ちょっとぐらい前かな。
 小笠原 『地名辞典』の出版は昭和60年6月ですから、58、59年ころですね。
 伊藤 それで、私一人じゃ出来ないですから山崎栄作さんに東北町を、現代地名のうち八重樫盟さんに十和田湖町、松浦勉さんに六戸町、高木陽一さんに百石町をお願いし、神社仏閣を苫米地繁雄さんにと、多くのひとの協力でできたんです。
 これが私が、教育史以外で本格的にこの地域史にかかわった最初なんです。
 小笠原 それで、『地名辞典』が出版されたあと、伊藤さんが、上北地域を書いたひとたちだけでも集まって祝賀会をやろうじゃないか。新聞社をやっているんだからお前が事務局をやれっということで、昭和61年1月に祝賀会をやった。
 そのとき盛田稔先生に初めてあったし、それが縁となって盛田先生から様々なアドバイスや原稿を書いていただいた。
 一期一会というけれど、出会いが大切ですね。
 それともう一つ、そのとき伊藤さんから「ふるさとを歩く会」の提案があった。
 伊藤 自分が調べて本になったことには達成感があったけれど、それでもって他のひとを案内して歩けるかというと、頭の中ではわかるけれど実際には知らない。
 そこに後沢良太郎さん(地域史研究家)と東正士さん(地域史研究家)がいた。
 それで、後沢さん、東さんに案内人になってもらって、勉強したいという気持ちがあって、やろうと提案したわけだ。
 それが大変評判がよくて10年間続け70回もやった。
 私にとって、良かったのは、あんたと二人で下見したことでしょう。
 小笠原 やる前には必ず下見したからね。
 伊藤 だから他の人の倍見ているわけだからね。「歩く会」をやって一番勉強したのが、あんたと私なわけだ。
 その下見をする中で、あんたの歴史を見る目が養われたと思うし、私もみんなを案内しながら、地域の中であんまり考えてこなかったことが、こういうような物の見方もあるんだなと、本当に学ばされたね。
 小笠原 BUNKA新聞社の30年を振り返ってみたときね、最初の10年は、今話したように、「ふるさとを歩く会」を中心に、地域の歴史の掘り起こしを行なった。
 次の10年は、文化協会の事務局をやっていたんで、「市民ミュージカル」とか「野外文芸館」などの文化でのまちづくり運動を行なった。
 そして次の10年は、「馬でのまちづくり」や「どんぐりの森・山楽校」など、いわゆるまちづくり運動に携わった。BUNKA新聞社の30年は、このように10年ごとに区切られるんですね。

 伊藤一允プロフィール
 昭和8年(一九三三)2月、三重県出身。上海を経て中学3年生のとき十和田市に移住。昭和27年(一九五二)4月、三本木高校卒業と同時に小学校の助教諭として教壇に立つ。その後通信教育で大学を卒業。
 昭和50年(一九七五)、下切田小学校「百周年記念誌」の編纂に携わったことから歴史に興味をもち、昭和60年(一九八五)に出版された『青森県地名辞典』(角川書店刊)に執筆。また、同年1月号より本紙に「十和田歴史散歩」を執筆。
 昭和61年(一九八六)「ふるさとを歩く会」を立上げ10年間で70ヵ所神社仏閣や歴史的地域を訪ねる。
 平成16年(二〇〇四)に発刊された『十和田湖町史』編纂委員長。
 現在、北東北古代中世史の見直しと、ヌカノブの馬史にとりくんでいる。