夢追人ニュース

十和田市出身新進の作曲家 野坂 公紀さん

[夢追人ニュース]

独学で作曲・編曲を学んだあと飯島俊成氏に師事。今は作曲家としての道を歩みはじめた
 nosakakimonori.jpg十和田市出身で、様々な分野で活躍する若手の文化関係者が出始めてきた。作曲家の野坂公紀さんもその一人である。
 十和田市出身の作曲家では、『月がとっても青いから』や『お座敷小唄』などで知られる菅原都々子の父親である陸奥明(本名・菅原陸奥人)。旧十和田湖町出身の桜田武男ぐらいのものである。
 野坂さんは昨年10月、自らが作曲した『air scape~木管五重奏の為の三章~』をひっさげて、首都圏を中心に活動する木管五重奏団「Rai‐0n」のコンサートを行い、大好評であった。いわばふるさとに錦を飾ったのである。
 野坂公紀。昭和59年(一九八四)1月、十和田市に生まれる。三本木中学、七戸高校を卒業。そして大学は音楽大学とか思いきや、ナントいわき明星大学の人文学部現代社会学科を卒業している。
 それが何で作曲家に?ということになるが、そこが人生の面白いところである。
 野坂さんは、北園小学校、三本木中学、七戸高校、そして大学と吹奏楽部に入っていた。高校のとき作曲家になりたいと思った。が、青森には教えてくれる先生がいない。そこで、吹奏楽から管弦楽まで100人くらいの音楽家のCDを片っぱしから聞いた。その中でこれはすごいと感動したのが飯島俊成さんの作品であった。
 早速、飯島先生のホームページに作曲を習いたいんですけれどとメールした。偶然にも飯島先生は、三本木高校吹奏楽部のために作曲しているときであった。飯島先生から、「その時にお会いしましょう」との返事が来た。まさに想えば叶うである。これをきっかけに飯島先生に作曲を師事した。
 が、大学に進むときに、野坂さんもさすがに作曲で食って行けると思っていなかったから、取りあえず社会科の先生になろうと、前述の大学に進学した。
 ところが、大学を卒業して教員の試験を受けたが、見事に落ちてしまった。しかたなく、広島県の音楽関係の会社に就職した。
 そこで音楽関係の仕事をしているうちに、やっぱり俺の進む道は音楽だと、会社をやめて上京。昼はアルバイトをしながら、夜間の音楽専門学校に入った。そこでピアノや音楽の基礎を学び、独学で作曲や編曲を学んだ。
 また、文化庁の芸術家海外留学制度を利用して、フランスの音楽学校に半年間留学し作曲を勉強。帰国後飯島先生に再び師事し、作曲家の道に一歩踏み出した。
 現在は、管弦楽や吹奏楽、室内楽の他、舞台や映像、放送のための楽曲、コンピューターミュージックなどと、作曲の幅を広げている。
 音楽大学の作曲科を出たから作曲家になれるのではない。夢を持ち、それに向かって行動するから作曲家になれるのである。

 将来が楽しみな新進若手作曲家の一人である。

raion.jpg

 写真は、野坂さんの曲を演奏した木管五重奏団「Rai‐on」