杉本佳築子物語 夢かぎりなく

1、プロローグ

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 「あたしね、今年は午年でしょ、流鏑馬に挑戦しようと思うの。3本打てなくてもいいのよ。1本だけでもいいの」酒の席のざわめく中で佳築子の声は甲高く響いた。
 流鏑馬は、馬上における実践的弓術のひとつとして平安時代に始まったとされ、以後小笠原流弓馬術礼法として、あるいは青森県では八戸櫛引八幡宮など、由緒ある神社の神事として引き継がれてきた。
 現在はこの流鏑馬がスポーツ化され、十和田市では4月下旬の桜の時期には女流騎士だけによる豪壮華麗な「桜流鏑馬」、また秋には「駒フェスタ」の中での流鏑馬全国大会が行われている。
 流鏑馬大会ともなると180㍍のコースを、弓を持ち、馬に跨り10秒台で走り、その10秒間に45㌢四方の的に3本の矢を射るのである。
 佳築子がいうように、たとえ矢を1本だけ射るとしても、全力疾走する馬に跨り、弓を持って手綱を放して乗る、バランスと集中力の技のであるから、若いひとならいざ知らずそう簡単なことではない。
 しかも、1月1日に満70歳を迎えた佳築子である。
 「いいね。よしやろう」と中利こと中野渡利彦が言った。
 皆は、それに賛同するのでもなく、無理だというでもなく、それぞれにワイワイガヤガヤ話をしていた。
 今日は、健康乗馬クラブの今年初めての例会で、昼は乗馬クラブから駒っこランドまで、外場トレッキングをした。ちょっと雪がちらついていたが、北国の1月にしては青空の見える上天気であった。
 今年初めてのトレッキングということもあって18名が参加した。
 そしてその夕方5時から、やはり健康乗馬クラブの副会長である「スナック慕情」のママ田中文子の店での懇親会であった。懇親会には14、5人ほどが参加していた。
 集まっているのは最高齢75歳の三浦さん、73歳のこの会の会長である佐藤さん、そして72歳で年男の中利と小笠原などと、この会では60歳代の前半はまだ若者であった。会員の圧倒的多くは60代を過ぎてから乗馬をやった人ばかりであった。が、佳築子のように流鏑馬に挑戦しようと思っている者はいなかった。
 日本は超高齢化社会になり、高齢者が元気になったといわれているが、この会も元気な一般的にいう高齢者たちが集まっていた。ということより、この人たちを高齢者呼ばわりするものなら、俺はまだ年寄りじゃないぞと怒るであろう。
 確かに、周りを見渡すと、95歳で青森大学などを経営する青森山田学園の理事長に就任した盛田稔さんがいるほか、80歳を過ぎてなお活動している人たちがたくさんいるからである。
 全国を見渡すと聖路加国際病院理事長のように100歳を過ぎてなお活動している人たちがいる時代である。
 集まっているメンバーは会社の社長さんから地元北里大学の名誉教授、弁護士、お医者さん、スナックのママ、新聞社の編集長、あるいはリタイヤした元サラリーマン、現役のキャリアウーマンなど、会員は30名ほどで多士済々である。といっても高級な乗馬クラブではない。いたって庶民的で希望するものは誰でも入会できる乗馬クラブである。
 この健康乗馬クラブは、十和田乗馬倶楽部を経営している中野渡利彦が、5年ほど前に現会長である佐藤清など仲間を数人誘って、八甲田連峰の麓、湯ノ台から蔦川の上流へと、ブナの二次林を馬でトレッキングしたことから始まった。ブナ林の中を馬に乗り行く爽快さに魅了されてしまった。
 以後、ブナの二次林のみならず奥入瀬渓流や小川原湖畔、三沢海岸などをトレッキングし、会を立上げ、名前をJRの「大人の休日クラブ」をもじって「十和田の休日乗馬クラブ」にしていたが、それじゃまずいだろうということで、健康乗馬クラブを改名したばかりであった。
 佳築子も2年ほど前からこの健康乗馬クラブに入ったが、年6回の例会はほとんど休まず参加していた。
 佳築子の本業は呉服屋である。私、洋服はパジャマしか持っていませんという佳築子。馬に乗るときも着物を着て、モンペをはいて乗るのである。
 さて、佳築子が流鏑馬に挑戦できるかどうかはもう少し後のことにして、どこにこんなエネルギーがあるだろうと思うほどエネルギッシュに様々なことをやっている。
 まず、本業は杉本商店、すぎもとショッピングセンター、そして呉服の成巴と、四代続く商家の当主である。業種や社名が変わり、夫は若くして亡くなったものの、現在は成巴を経営する社長さんである。
 そして十和田市倫理法人会の専任幹事である。倫理法人会というのは、戦後の混乱期に丸山敏雄という人が唱えた「純粋倫理」に基づいた、一般財団法人倫理研究所の法人会員によって組織された、経営者の自己変革の会である。
 佳築子はこの十和田市倫理法人会の会長を三期やり、専任監事の三期目である。佳築子が目に見えて変わったてきたのはこの倫理法人会に入ってからであった。
 倫理法人会は、似たような名前の会もあるので、それに間違われることもあるが純粋な経営者の会である。
 その他、国際的なボランティア団体である国際ソロプチミスト十和田や、地元のボランティア団体である特定非営利活動法人どんぐりの森・山楽校、とわだ夏おどり実行委員会、そして今日の会である健康乗馬クラブなどである。
 また、短歌を詠み、地方紙である東奥日報やデーリー東北の歌壇に数多く入選している。
 「私、嫁に来たとき、箱入り嫁だったのよ」という佳築子。良家のお嬢様育ちで、昭和42年(一九六七)尾張名古屋から東北の片田舎であるこの十和田市に嫁に来た。その箱入り嫁は、70歳になった今、あれもしたい、これもしたいと夢かぎりなく、心は青春真っ盛りである。
 *厳冬の1月に、着物にモンペ、マントを羽織り、颯爽と馬に乗る佳築子(佳築子69歳)

 新雪の林道をゆく馬上にて 折深雪に歩調はばまる (佳築子)