杉本佳築子物語 夢かぎりなく

5、もうびっくり

 昭和31年(一九五六)佳築子は、美浜町立野間中学校に入学した。
 学校は、海岸から丘陵寄りのちょっと高台にあり、周りには田んぼや畑が広がり、家から歩いて30分ほどのところにあった。学校への道は、まばらに散らばる民家の間の道を通り、さらに田畑の中を通って行くのである。家から歩いて5分ぐらいのところにすみちゃんの家があり、さらに10分ぐらい行くとやす子ちゃんの家がある。いつも仲良しの3人組であった。
 勉強はというと、好きな科目は算数と日本史で、次は社会、理科で、英語の先生が大っ嫌いであったから、英語はあまり勉強しなかった。成績はクラスで中の上ぐらいであったろうか、勉強ではあまり目立ったことのない、ごく普通の子であった。
 普段は家で勉強することはなく、試験前になると、まず机の周りをかたずけて、それから勉強に取り掛かるのである。ほとんど一夜漬けの丸暗記であった。
 実は最も得意なのが体育である。ソフトボールと走ることであった。
 佳築子は痩せてガラで、身長は157㌢、体重が38㌔ぐらいであったが、体がきりりと締ったスポーツマンであった。そんな佳築子であったから70歳を過ぎてからも流鏑馬に挑戦するというのであろう。
 中でもマラソンが大得意で、約90人いる学年の女子生徒で、1年生のときは第3位、2、3年生のときは優勝した。
 泳ぎも、子供のころから海で遊んでいたから得意であった。中学校になると全員が海で20㍍泳げなければならない。泳げないものは夏休みに泳げるようになるまで練習させられた。それでも、佳築子の姉の洋子みたいに泳げないものもいたが、佳築子にとっては泳げないのが逆に不思議であった。なぜなら海の水は浮くからである。佳築子は泳ぎ疲れると、仰向けになり力を抜く。すると体が自然にぷかぷか浮くのである。
 ところが海での泳ぎの得意な佳築子であったが、プールで泳いでびっくりしたことがあった。海では力を抜くと浮くが、プールでは手足を動かさなければ浮かない。泳ぐと水がズシリと重く感じた。海水と真水の違いである。
 こんなことがあった。佳築子が中学1年生のときである。
 父が開業した金物屋の一軒置いた隣が名鉄バスの営業所兼停留場であった。
 その停留場の前で3歳になったばかりの純子が三輪車に乗って一人で遊んでいた。当時のバスは、エンジンが運転席の前にある、鼻の出ているボンネットバスである。ボンネットバスは鼻があるため運転席からすぐ前が見えない。
 発車時間になったのでバスが走り出した。2、3㍍走り出したとき、突然停留場にいたひとたちが、バスの後ろを指さし、「ストップ、ストップ!!」と、騒ぎ出した。運転手があわててブレーキを踏んだ。車掌が降りてバスの後ろに行くと、オデコから血を流した純子が泣いていた。何と、バスの運転手も車掌もバスの真ん前に純子がいるのに気が付かず発車してしまったのである。
 あわや大惨事になるところであったが、純子が倒れたまま動かなかったので運よくタイヤで轢かれることもなくバスが通り過ぎたのである。大事件ということで警察まで来て大騒ぎになったことがあった。
 またこんなこともあった。中学校2年生のころであろうか。盆踊りのときである。美浜の盆踊りは海水浴場の砂浜に櫓を建て三日三晩行われる。踊りの好きな佳築子にとっても夏の楽しい行事である。
 佳築子もそうだが、母も姉も夢中になって踊っていた。盆踊りが終わり、いざ家に帰ろうとしたとき、一番下の妹の純子がいない。家が近いからたぶん家に帰っているだろうと思い、みんな家に帰った。
 母は、
 「純子ちゃんただ今、ああ楽しかった。ごめんね純子ちゃん、お母さんたちが夢中で踊っちゃって」といったら、
 父は、
 「何言ってんだ。純子は帰っていないよ」いった。
 そこで初めて純子がいないのに気がついた。
 多分、盆踊り会場のどこかにいるだろうと、あわててみんなで純子を探しに出かけた。
 が、盆踊り会場にはいない。まさか海岸で遊んでいて海に入ったのではないかと海岸を探した。
 「じゅんこー、じゅんこー」とみんなが呼んだが、なんの反応もない。
 30分ほどしたとき、父が「オーイいたぞ」といって純子をおんぶしてきた。
 盆踊り会場から数百㍍離れた富具崎川の河口に真ん中で泣いていたというのである。河口といっても、水は砂浜をさらさら流れるだけの水量が少ない川であった。
 純子にしてみれば、母や姉たちは盆おどりに夢中で純子の方を見向きもしない。つまらないから一人で遊んでいるうちにそこまで行ってしまったのだろう。
 中学3年の修学旅行のときである。中学校の修学旅行は2泊3日で、箱根の大涌谷、日光、東京であった。大涌谷では噴煙地を見、ロープウェーに乗った。日光では東照宮を見た。東京タワーはまだできていなかったが、SKD(松竹歌劇団)などを観た。佳築子はこのとき生まれて初めて中部から箱根を越えて関東に来た。楽しかった。
 大涌谷の旅館で大浴場に入ったときである。風呂に入るにはもちろんみんな素っ裸である。美浜には公衆浴場がなかったし、家に風呂があったから、小さいときは母親と一緒に入ったろうが、小学校高学年からはほとんど一人で入っていた。佳築子はこのとき初めて同級生の裸を見た。
 佳築子は、痩せでガラでスポーツマンであったから体はしまっていたが、いわゆるペチャパイである。
 が、同級生の中にはおっぱいが女らしく膨らんでいるものや、わき毛や陰毛が生えているものなど、一人ひとりが女としての成長度合いが違っていた。これには佳築子もびっくりした。思わずタオルでペチャパイのおっぱいを隠してしまった。と同時に、自分も女であることを意識した。
 そんなこともあり、佳築子も異性を意識するようになっていた。同級生にK君という子がいた。
 家は遠かったが、K君の両親は名鉄バスの営業所で、泊まり込みの管理人みたいな仕事をしてた。名鉄のバスの営業所と佳築子の父の金物屋は近い。だから学校から帰っても顔を合わせる機会が多い。
 K君は、背が高くて、市川雷蔵似のいい男であった。少なくても佳築子にはそう見えた。自分が女性であることを意識し始めた佳築子である。目が合うとドキドキと心臓が破裂しそうになった。が、このK君、中学校を卒業する前に白血病で亡くなった。佳築子は、あれが私の初恋だったのかなと振り返る。悲しい初恋であった。
 佳築子一家は、夕食時には両親と子ども5人全員揃う。食事のときは子供たちが今日あったことをそれぞれ報告し合う。それが面白く、外に聞こえるほど笑い声が絶えなかった。
 近所の人から、かっちゃんの家はいつも賑やかでいいねといわれることが度々であった。
 あれやこれやあったが、こうして佳築子は、学校で特別表彰されることもなかったし、可もなく不可もなく中学時代を過ごした。