BUNKA新聞社30年の歩み

4、十和田文化新聞社設立

[BUNKA新聞社30年の歩み]
こうして昭和58年(一九八三)11月、「地域の歴史、文化、人の掘り起し」を社是に掲げ、十和田映画センターを十和田文化新聞社に組織替えし、『映画ニュース』(当時は『ミニ・シアター』)を『Culture Plazaとわだ』と改題し、文化に特化した新聞を創刊した。したがって昭和58年11月3日をBUNKA新聞社の設立年月日としている
 文化新聞を発刊してからも数年間は読者からの手紙がたくさん届いた。その幾つかを紹介しよう。

 「少し力んではいるが、好もしい訴えへの音が響く新鮮な『カルチャープラザとわだ』に賛歌を贈る。
 六月六日フト、十和田市駅の売店で市の広報紙と見間違う『カルチャープラザとわだ』を求めた。そして読み進むうちに、十和田にこんな立派な、しかもフレッシュな新聞が発行され、通算20号も出ていることを知って、心から驚いた。正直言って、今までそれを知らなかったことを恥じ入った。
 先ず、内容の充実さに、いたく感動を覚えた。
 冒頭記事(小説編)の裏に秘められている負けん気の強さ。堂々たる実証的論理の展開。すがすがしい、しかも出来のいい顔写真でぐっと訴えている底力。イヤハヤ感嘆、感服した。
 二面も三面も、四、五、六、七面、そして終頁まで皆夫々に実によく工夫され、真実を読ませ、聞かせ、語り、十和田文化のエキスを一気に呑まされた思いで読み終わった。
 更に広告面にまでアイディアと助言を惜しまない後がありありと見えるのも楽しかった。
 そして更にいえば、第一読み易く、親しみ易い。それはレイアウトのよさと活字の使い方と、アピール的タイトルの秀逸さにある。また、今一つは用紙の質の上等さにも負うところが大きい。
 (中略)
 兎も角このローカル魂に徹した小紙に花を咲かせたいのである。十和田、そして上北一帯の文化の開花躍進に志ある住人の連帯を希って止まない。と同時に関係者の烈々たる闘志の持続を併せ乞い願って私の愛読者となる辞としたい。
 六月七日記 加藤 良一」

 これは文化新聞を発刊して1年半ちょと過ぎたころに、ちょっとこそばよくなるほどのお褒めの言葉をいただいた読者からの手紙である。

 「拝啓 初冬の寒さに入りましたが益々ご活躍の程お慶び申し上げます。
 (中略)
 文化探訪『研究待たれる三本木開拓』には、詳細に取材され、地元の方々への理解をどれ程深くしたことか、今までここまで深く紙上に発表する地方紙はありません。やはり総合文化紙を標榜するだけあって見ごたえがあります。
 リレー対談も当市の明日を考える○○として読後いろいろ考えさせられます。良い企画で示唆するものが多いです。
 (中略)
 貴紙の取材、貴方の考え方に対し、深く敬意を表します。今後益々カルチャー紙として大いに充実させご活躍下さい。
 十月二十五日 新渡戸 憲之

 新渡戸憲之さんは、新渡戸記念館の館長である。
 このような励ましの手紙が読者からたくさんいただいた。それが新聞を今日まで継続してきた原動力である。
 そしてそれを経済的に支えてくれたのがスポンサーの方々である。 
 また、地方で文化専門の新聞が珍しいということで朝日新聞、読売新聞、河北新報、東奥日報、デーリー東北などの一般紙、RAB青森放送、ATV青森テレビなどテレビ放送局も度々紹介してくれた。

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