杉本佳築子物語 夢かぎりなく

8、情熱の人杉本正太郎と出会う(上)

伊勢湾と三河湾をさえぎるかのように突出した、温暖な気候に恵まれた知多半島に生まれ、父親が不動産で成功し、名古屋の大店の息子から縁談を申し込まれるような佳築子が、本州最北端の雪深い青森県。その青森県の中でも人口わずか4万5、6000人程度(昭和42年当時)の田舎まちの十和田市にどうして嫁に来たのか。この『佳築子物語』のクライマックスであり、最大のミステリーでもある。
 佳築子は、佳築子の父の兄である伯父の勧めで廣池学園麗澤瑞浪高校に併設されていた社会人を対象とした廣池学園一般教養講座(現日本生涯学習センター)に入った。
 一般教養講座は簡単にいうとモラロジーの社会人の修養講座であった。
 モラロジー?この言葉を初めて聞くひとも多いであろう。モラロジーは、モラル(道徳)とロジー(学問)を組み合わせた造語で、廣池学園の創始者である明治から大正にかけて活躍した法学者・歴史学者・教育者であった廣池千九郎が、大正15年(一九二六)に倫理道徳と心の生涯学習を一体化した総合人間学として提唱した道徳科学である。
 モラロジーはその実践の場としてモラロジー研究所他、大学(麗澤大学)や高校(麗澤高校)、中学校(麗澤中学)などの一般教育機関と、社会人を対象とした一般教養講座を持っていた。
 佳築子はそんな堅物な学校に入れられてしまった。しかも学校は岐阜県瑞浪市駅から車で20分ほどの山の中、瑞浪高原の麓にあり、広大な敷地の中に校舎、体育館、運動場、職員住宅、学生寮、一般教養講座の宿泊施設などがある。ここは、学生はもちろん一般教養講座の受講生を含めてすべて寮に入らなければならない全寮制である。ここに入ったらもちろん車の運転なんてできない。
 一般教養講座は、2週間の短期講座、1ヵ月講座、女性講座など様々な講座がある。それは修養講座であるから何回受けても良いが、講座は泊まり込みのために一講座当たり数万円、長期講座だと数十万円というお金がかかる。そのために事業者の信奉者が多く、事業者及びその子弟の修養の場、あるいは会員会社の社員研修の場ともなっていた。
 女性であれば、単に道徳のみならずお花やお茶、礼儀作法、一流ホテルでの食事のマナー、歌舞伎鑑賞など、事業者を支える伴侶となる素養を身に付ける花嫁修業の場でもある。3ヵ月の女性講座がそれである。
 佳築子は、最初短期講座を受講したが、終わるとしばらくここでボランティア活動をし再び講座を受講するという形をとり、様々な講座を受け、ボランティアをし、最終的にはここに2年間いた。
 そのモラロジーの一般教養講座に、後に佳築子の夫となる杉本正太郎も同時期に受講していたのである。
 杉本正太郎は、昭和15年(一九四〇)8月、十和田市で百貨店を営む杉本本店の4代目として生まれた。地元の三本木中学校を卒業すると、父親がモラロジーをやっていた関係で千葉県柏市にある麗澤高校に入った。が、3年生のとき地元の三本木高校に編入。三本木高校から日本大学に進み、卒業後は大阪の大きな商店に入り商売の修業をしていた。
 昭和41年(一九六六)百貨店杉本本店は、時代の波に乗り百貨店から、1階、2階は食料品から日用品まで幅広く扱うショッピングセンターに、3階は結婚式場に衣替えをしようとしていた。大型ショッピングセンターも結婚式場の十和田市では初めてである。その新しい事業に、息子には大阪で学んだ商売のコツを生かしてもらいたい。そのための大阪での修業であった。
 正太郎の父は、十和田に帰る前にモラロジーで人間としての心の修業をして来いといった。こうして正太郎がモラロジーの短期講座に入った。モラロジーには正太郎の父の他、十和田市や三沢市、八戸市などからも会員がいた。その中でも三沢市の㈱高橋の高橋石蔵社長は小川原湖畔にモラロジーの研修所をつくるなど、モラロジーでは名が知られており、後に佳築子たちの結婚の仲人ともなる。一般教養講座で高橋石蔵が講師として話しをしたことがあった。感動的な話しだったらしいが東北訛りがあり、そのときは佳築子には意味が半分しかわからなかった。
 正太郎とちょうど同じ時期に佳築子も一般教養講座を受講していた。最初の講座のとき、佳築子はそんなひとがいるなどとは全く意識の外であった。
 運命はいたずらが好きである。2回目の講座のときである。めそめそと泣き落ち込んでいる育ちの良さそうなお坊ちゃん風の若い男性がいた。佳築子は何で泣いているのかわからないけれど可愛そうに思った。世話好きな佳築子は、どうしたんですかと声をかけた。これが運命の一声であった。
 話を聞くと仲の良かったまたいとこが不慮の事故で亡くなった。歳が近く子供のころから一緒に遊んでいた。それがもうこの世にはいないというのである。正太郎は佳築子に話しをしてすっきりしたのか、以後は明るく受講していた。
 それはそれで終わり、佳築子はそんなことがあったことなど忘れていた。
 が、正太郎には、落ち込んでいるとき優しく話を聞いてくれた佳築子は女神にも見えた。しかもモラロジーを学んでいる都会の女性である。生涯を共にするひとはこの女性しかいないと深く心に刻み込んでいた。
 正太郎が別の講座を受けて帰郷するとき、
 「俺はこれで帰るけれどぜひ付き合ってほしい」と佳築子に告白した。
 いきなりである。そう告白するなり正太郎は、佳築子からいいとも悪いとも返事を聞かぬままに帰ってしまった。
 それからしばらくして佳築子はモラロジー研究所の課長から呼び出された。
 課長は、
 「モラロジーの本部の幹部から君に聞いてくれといわれたんだが、君と一緒に受講していた杉本正太郎君って知っているだろう。彼から君を嫁に欲しいとモラロジーの幹部にいってきたそうだ」といった。
 そういわれて佳築子はぽかんとした。確かに付き合ってくれといわれたが、結婚なんて全く考えてもいなかった。課長には家族に相談してみますといってその場を去った。
 佳築子はその日のうちに家に帰り、そのことを家族にいった。
 青森県の十和田?、母も姉も妹も、祖父母も、青森県は本州の最北端にあるというぐらいであまり詳しくは知らなかった。父は、青森県は農業が中心で、生活水準は日本で下から1、2番のところである。名古屋から見たら10年は遅れているだろうなといった。
 誰かがいった。
 「テレビのニュースで見たけれど、雪下ろしをしていてその下敷きになって三日後に見つかったというところでしょう。そんな雪の深い寒いところなんて、かっちゃんはとても無理だよ。反対だ、やめとき」
 関東以西から見る青森県は、寒い、暗い、田舎だなどマイナスイメージを持っているひとが多い。イメージとしては函館や札幌より北のイメージがある。わずかに知っているのは「津軽」と「十和田湖」という言葉である。津軽のイメージは美空ひばりの『りんご追分』や太宰治の小説などで知っている程度である。十和田湖は美しい湖ということで有名だが、秋田県にあると思っているひとが多く、いずれも青森県のイメージにはつながっていなかった。家族誰一人賛成するものがいなかった。
 この頃の結婚は、恋愛結婚も増えて来てはいたが、見合い結婚がまだ多数を占めていた。正太郎の父はモラロジーの十和田地域の世話役をしていたので、モラロジーの本部に懇意にしている幹部も何人かいた。だから杉本家では本人に直接伝えるのではなく信奉するモラロジーに仲人を頼んだようなかたちで申し込んで来たのであった。
 が、肝心の中村家の家族は、そんなの断りなさいと家族全員が反対であった。

 月見上げ乙女ごころをふるわせし あの日に今もつながっている