杉本佳築子物語 夢かぎりなく

12、杉本家の系図(中)

 三代目山本松五郎は明治四年(一八七一)に生まれ、幼くして父と死別するが、家業の呉服商・酒造業を営み、公共事業への寄付行為で知られている。
 そして正一は、その山松家四代目山本民雄の三男である。正一は大正元年(一九一二)に生まれており、杉本家に入婿したのは昭和14年(一九三九)の秋、正一27歳のときである。
 創業者である杉本馬吉は戸板1枚から一代で財を築き、大正期にはすでに杉本本店と看板を掲げ、様々な雑貨から石油まで扱う間口10間(約18㍍)の三本木町一の雑貨商となっていた。しかも場所は、国道沿いで、東は産馬組合と三本木開拓の祖新渡戸伝を祀る太素塚に通ずる産馬通りと、西は町の中心寺澄月寺の通り交わる四丁目の一等地にあり、国道を隔てた真正面には三本木一の料亭一心亭があり、夕方日が西に沈むころになると三味線の賑やかな音が聞こえてきた。秋に行われる三本木馬セリは近郷近在の村々から人々が訪れ、祭りのような賑わいであった。また、杉本商店の西裏は、道路を一つ隔てたところに軍馬補充部の官舎があった。
 大正期の杉本本店は馬吉の最も華々しきころで、住み込みと通いの丁稚を5、6人使っていたが、店は丁稚らが休む暇がないほどに忙しかった。

sugimotlohonten.gif
 馬吉についてもう少し詳しく書いておこう。馬吉には長女イト、次女ヨシエ、長男新三郎、三女ミツヱ、次男喜久男、四女ヨシ、三男富男、四男憲治と8人の子どもがいた。が、憲治は9歳で亡くなり、二代目であった新三郎は大正13年(一九二四)に28歳の若さで亡くなっただけでなく、次男の喜久男も新三郎が亡くなる4ヵ月前に22歳の若さでと、同じ年に二人の息子を亡くしている。何とも跡取りに恵まれない馬吉であった。
 長男新三郎は、嫁をもらい、きみときよという2人の女の子がおりすでに二代目として仕事をしていた。
 が、前述したように二代目の新三郎と次男の喜久男が亡くなった。馬吉はこのとき62歳になっていた。現在でも60歳定年制が一般的であるが、当時としては62歳というと本当におじいちゃんといわれるほどいい年寄りであった。商売をやっている者が跡継ぎを亡くするというのは商売の浮沈にかかわるほどの大変な痛手である。しかも三本木一の雑貨商である。馬吉はどんなに悲しみわが身の不運を嘆いたことであったろうか。しかも三男の富男はまだ13歳。とても商売を任せられる歳ではない。
 新三郎の妻サミはこのとき22歳、しかも3歳と4歳の幼子を抱えていた。サミは丁稚や家族、多いときには20人を超すほどの三度の食事の支度で精一杯であった。馬吉は再び商売の表舞台に立たなければならなかった。
 馬吉はこのとき、馬吉の実家のある八戸在から遠縁にあたる、在家三蔵を連れてきて三蔵を番頭に育てようと考えていた。三蔵は馬吉を助け、骨身惜しまず良く働き、後に長女イトの娘イツと、つまり孫娘と一緒にさせ三蔵商店として分家させている。
 三本木町は、新三郎が亡くなる2年前の大正11年(一九二二)に三本木、古間木間の十和田鉄道(後の十和田観光電鉄)が開通。昭和元年(一九二六)に三本木、八戸間のバスが開通した他、農学校(三本木農業高校)、実科高等女学校(三本木高校の前身)、軍馬補充部三本木支部、警察署、営林署、土木事務所、郵便局、銀行、町役場、産馬組合事務所などの事務所があり、国道の両側には商店が立ち並び、人口1万人を越えた上北地域の中核の町として発展していた新興都市であった。その振興都市の中で杉本本店は絶頂期にあった。
 サミも馬吉やとめ、番頭の三蔵らに助けられ、子供たちも手を離れいよいよこれからだという昭和4年(一九二九)10月、三本木大火に遭いすべてを焼失してしまった。
 その状況を、『十和田市史』に和田町長稿「三本木町大火記録」として次のように記している。

 昭和四年十月二十八日、午前零時二十分、大字三本木字稲生町三十二番地湯屋業中津三太方ヨリ出火、折柄風速十六メートルノ西風ニ煽ラレ、火ハ忽チ幅員六間半ノ横町ヲ超ヱ、小笠原八十美宅ニ燃エ移リ四丁目西側ニ猛威ヲ振ヒ、一方九間一尺五寸幅ノ国道ヲ飛ビ越シタル延火ハ四丁目東側一心亭以南荒レ狂フ。折シモ風向北西ニ変リ、益々風力ヲ加ヘテ二十メートルトナリ、火ノ子ハ渦ヲ巻キ、或ハ落花ノ如ク或ハ吹雪ノ如ク見ル間ニ、三丁目横町ヲ突破シテ角屋旅館に延焼ス。
 各地ヨリ急ヲ聞キテ駆ケ付ケタル消火隊ハ夫々部署ニ就テ死力ヲ尽シ消火ニ努ムルト雖モ漸次類焼区域拡大セラルルニ伴イ消火能力ヲ殺ガレ、西裏道路ニ拠リタル「ガソリン」自動車ポンプハ横町ニ於テ喰イトメントシテ全力ヲ傾注シタルモ、町内随一ノ大建築然カモ荘厳美ヲ極メタル石川邸ニ延焼シタル火ハ中々ニ火勢ヲ弱メズ、加之強風ハ火ノ子ヲ風下ニ運ビテ止マズ、三丁目東側ニ延焼シタル火ト共ニ猛威ヲ加フル計リニテ遂ニ三丁目ニ延焼スルニ至レリ」(ルビ著者)。

 更に、二丁目、一丁目、並木北端、八戸街道一帯を灰塵に帰せしめ、午前4時にようやく鎮火したと、そのときの大火の様子が生々しく書かれている。杉本商店もこの三本木大火に巻き込まれ店を全焼した。
 そしてこの大火での損害は幸いにし死者や怪我人が出なかったものの、全焼住家183棟、焼失戸数224戸、半焼住家3棟、半焼土蔵7棟という大被害であった。

 ふるさとの尾張離れて嫁ぎこし 十和田に住みて幾十年を