BUNKA新聞社30年の歩み

6、「七戸版」及び「三沢版」を発刊

[BUNKA新聞社30年の歩み]
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 新聞を発刊した翌昭和59年(一九八四)、七戸町出身、三本木高校卒業の新谷祥子さんが第2回日本打楽器コンクールで第2位に入賞したのをきっかけとして七戸町に取材に入った。
 ところが七戸に入ってびっくり。歴史の古い町というだけでなく、教育と文化のまちといわれるだけあって、当時青森大学の学長であった盛田稔先生、県教育委員長であった青山浄晃さん、県選管委員長であった盛田寛二さんなど、人口わずか1万2000の小さな町ながら、青森県をリードしている人たちがたくさんいた。
 かつて新聞も発刊されていたという。それでは七戸でも新聞を出せるのではないかと思った。こうして昭和61年(一九八六)9月、地元記者を一人置き「Culture Plazaとわだ」の姉妹紙、「Culture Plazaしちのへ」を発刊した。
 また、三沢市は米軍基地ととも発展してきたという特殊事情もあり、野球の太田幸司や、ミュージシャンの小比類巻かほるを輩出している他、鬼才といわれた寺山修司が少年時代三沢市で生活したことが強く影響しているなど、大変興味深いまちであった。こうして平成2年(一九九〇)に三沢市に地元記者を一人置き、姉妹紙として「Culture Plaza三沢」を発刊。同時に3紙を発行した。