BUNKA新聞社30年の歩み

7、3紙を併合し「夢見る人」を発刊

[BUNKA新聞社30年の歩み]
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 新聞の発行を継続するには、読者とともにそれを経済的に支えてくれのがスポンサーである。当時の七戸町は人口は約1万2000人、三沢市は約4万人。当然そこで営業する事業者も少ない。つまりスポンサーの数が少ないのである。それでも「Culture Plazaしちのへ」は第29号まで、「Culture Plaza三沢」は第12号まで発行したが、支えきれなくなり平成5年(一九九三)6月、BUNKA新聞社創立10周年を機に、十和田版、七戸版、三沢版の3紙を併合。新たに「上十三人間情報紙 夢見る人」と改題して発刊した。
 その「夢見る人」第1号に、「何故変えるか」として次のように書いている。
 「郷土の歴史・文化・人の掘り起しを目標に掲げてきた文化新聞も、読者、スポンサー、執筆者に支えられ十年になりました。
 この十年は「一〇〇号記念紙」の歩みで紹介したように、十和田、三沢、七戸を中心とした上十三地域の文化の向上にいくばくかでもその役割を果たせたのではないかと自負しております。
 また、昔から十年一昔といいますが、この十年間に意識や価値観が随分と変わってきました。
 身近なところでいうと、ワープロ、パソコン、ファックス、カード、携帯電話など、エレクトロニクス機器、通信、情報網の発達。モータリゼーションが発達し車が一人一台の時代に入った。高齢化社会への突入。女性の意識の変化。地方市町村の過疎化が恒常化し、まちづくり、むら興しが行政の主要な課題となった。農村に農業の後継者がいなくなり、農業を支えているのは六〇~七〇パーセントが六十才以上のお年寄りになった。役所、企業が週二日制の時代に入ったなどとたくさんありますが、その中でも一番大きな変化は、価値観、意識の変化です。
 周りがこのように変化してきている時に、その時代の風の匂いを敏感に感じ取り、それに対応して行くことが必要です。そういった意味では、やはり十年が一つの区切りです。
 時代の進展と要求にあった、あるいは時代を先取りする新聞を作る。これが文化新聞が変わる理由です」
 そして、「次の十年はどんな新聞をつくるか」として、
 「...隣の岩手県まで新幹線が来て、青森県に来ない。一方では、全国に嫌われものの核のゴミ捨て場を作る。これはどう考えてもおかしい。それだけ青森県は中央からないがしろにされているということです。
 しかし、その原因をつくっているのは、実は当の青森県人です。津軽には足ひっパリ、じょっパリ、見栄っパリの三パリという言葉があるが、これがそのまま青森県人の特質でもある。
 そして、上十三、とりわけ十和田市はそれが激しい。互いに足を引っ張り合い人を育てない。これが青森県と岩手県の大きな違いであり、青森県が後れてきた大きな要因の一つとも考えます。
 ということから、これまでの文化新聞の趣旨を踏襲しながらも、文化という狭い範囲をもう一歩広げ、お年寄りから女性、農業から商売まで、それぞれの分野で夢を持ち頑張っている人たちを紹介する人間賛歌の新聞をつくります」
 こうして平成20年(二〇〇八)、BUNKA新聞社創立25周年を機に「夢見る人」を「夢追人」に改題し現在に至っている。