夢追人ニュース

『波乱万丈の人生 バレエ野呂修平80年の軌跡』出版

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 十和田市出身のバレエダンサー野呂修平さん
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 77歳まで舞台に立ち、80歳を過ぎてなおバレエ指導者として後進を育てている、十和田市出身の野呂修平(本名間瀬繁雄・旧姓本間繁雄)さん。このほど氏の一生記『波乱万丈の人生 バレエ野呂修平80年の軌跡』を出版した。
 野呂さんの人生は、本のタイトルのごとくまさに波乱万丈であった。昭和8年(一九三三)東京で生まれた野呂さん。日本はアメリカに戦争。仕事が無くなった野呂さん一家は、昭和17年(一九四二)新天地をもとめ満蒙開拓団として満州に渡った。一時は一家はなんとか食える生活になった。が、昭和20年(一九四五)日本が戦争に負けた。そして帰還までの死と隣り合わせた逃避行。その中で多くの日本人が亡くなった。が、野呂一家は奇跡的に誰一人欠けることなく無事日本に帰還した。しかし帰ってはみたものの東京は焼け野が原、住む家もなければ仕事もない。 先に帰国していた長男が青森県三本木町(現十和田市)に開拓団として入植していることがわかった。一家は長男を頼り、再び開拓団として三本木に移住した。

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 ここで小学校、中学校、高校と過ごした野呂さん。東京で生まれ、満州に行き最後は三本木に落ち着いたが、野呂さんにとっては三本木は事実上のふるさととなった。
 三本木高校ではたくさんの友人が出来た。中でも音楽の長谷川芳美先生との出会いが、その後の野呂さんの人生を決定づけた。長谷川先生は、クラシック音楽の基礎を教えてくれた。
 高校を卒業し、父が決めてきた就職先を断って上京。東京で勤めた会社の社長が日本のバレエの先駆者の一人である服部・島田バレエ団の島田廣氏と友人であった。バレエは野呂さんが三本木高校時代に培ってきたクラシック音楽、スポーツなどすべてが入っていた。自分の行く道はこれだと迷うことなくバレエの道に進んだ野呂さん。野呂さんの持ち前の根性と努力でもって、田舎で育ったにもかかわらず日本のバレエダンサーの一人に数えられるにまで成長した。
 野呂さんに再び転機が訪れた。日本のバレエのやはり先駆者の一人である間瀬玉子の後継者に指名されたのである。こうして野呂さんは間瀬さんのいる埼玉県熊谷市に移住した。
 読み物としても面白い人生の軌跡。これが『波乱万丈の人生 バレエ野呂修平80年の軌跡』(文化出版刊)である。

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