杉本佳築子物語 夢かぎりなく

14、昭和16年の三本木大火と三代目杉本正一の苦悩(上)

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 昭和16年(1941)5月12日午前11時20分、子どもの火遊びから発生し市街の80㌫を焼失した三本木大火

 孤軍奮闘。まさに正一にはこの言葉がふさわしかった。
 正一は学校を卒業してから実家の山松で働いていたが、一つの店を任されるのは初めてである。しかも三本木一の大店である。正一は必死になって経営に専念し、何とか店主としても経営にも慣れ、入婿して1年と半年経った昭和16年(一九四一)5月12日、再び大火が三本木町を舐めつくした。
 今度の大火も火元は風呂家であった。その大火の様子が『十和田市史』に生々しく記載されている。

 昭和十六年五月十二日午前十一時二十分、六才の幼児の火遊びが原因で、大字三本木字稲生町百四十九番地黄金湯裏の物置場から発火、火は忽ちに市内中心部に燃え広がり、昭和四年の二倍を超える大火となった。
 五月六日以降雨がなく、その日は特に乾燥が甚だしかった上に、風速九メートルないし十三メートルの強風が、西あるいは北西から吹きつけたため、柾葺の可燃性家屋が並んだ市街は、忽ちにして飛火火災が発生し、大事に至ったものであった。
 三本木警察署の記録によれば、秋元清策署長は、発火を知るや直ちに稲生町所在の三本木町警防団常備消防部に出勤を命じた。非常サイレンを鳴らして急遽管下各警防団に出勤を命じた。また五戸・七戸など各警察署長に応援を求め、同時に県警察部長に非常事態発生を報告した。
 常備消防部の磯上義雄らは、新鋭ハドソン等の自動車ポンプ三台をもって直ちに出動し、各分団も次々と出勤して消火活動を開始した。時の三本木町警防団は時局の要請にもとづき、昭和十四年四月一日に改編したもので、団長稲本重五郎、副団長益川彦治(三代目益川東太郎)、第一分団長(市街地)菅原光珀、第二分団長(切田)豊川精、第三分団長(赤沼・中矢)東武雄となっていた。
 幹部団員も、自宅の類焼を顧みず、必死の消火活動に当たったが、乾燥と強風のため火勢猛烈を極め、更に飛火により数ヵ所に独立火災を起こして、燃焼区域は拡大する一方であった。この時第一分団の自動車ポンプ一台は、故障のため移動できず終いに焼失した。
 まもなく七戸・五戸両警防団の自動車ポンプが到着して消火に加わり、引き続き藤坂・四和・大深内・六戸・十和田、及び下田・百石・三沢・更に八戸・野辺地各警防団も続々来援して、午後二時三十分ようやく鎮火した。
 焼失区域は六丁目より一丁目までの繁華街・西会所・北会所・東会所・本会所の各町、産馬通り・八戸街道・下田通り・七丁目の一部と並木町の北部にわたる約十万坪の拡大な地域であった。これらの地域は町長大坂七郎が同月十六日のラジオ放送で、「町の力の八割を占める」と窮状を訴えたように、重要な市街中心部であった。
 「昭和十六年度三本木町事務報告」によれば、その被害は焼失戸数七百一戸、罹災人員三千八百八十三名、焼失棟数住家四百十七棟(一万六千二百四十三坪)、同非住家九十四棟(三千八百五坪)損害額推定約六百万円(消防記録では四百九十八余円)、死者一名(弄火の幼児)、負傷者五十二名であった。
 (*弄火=火遊び)

 三本木町の昭和4年に次ぐ大火災である。このときの大火災は大坂町長がいっているように市街地の80㌫が類焼した。この日も乾燥した畑の土が風で吹き上げられ、それが空が見えなくなるほどの砂塵となって町を覆う、三本木名物の八甲田下しの西風が強く吹きつけ被害を拡大させた。この大火災の原因は、風呂屋の子どもの火遊びであった。
 太素塚裏の畑で仕事をしていた二代目の妻サミが、煙を見てびっくりして走って帰ったが、もう手のつけられない状況であった。
 この昭和16年の三本木大火を目げきしたひとがいる。まだ小学校4年生であったが、後に『シャモ馬鹿』でオール讀物新人賞を受賞した森一彦さん(84)である。
 森さんは、
 この日は、焼けたトタンが風で飛ばされ空を飛ぶほどの強い西風が吹いていた日で、お昼近かったと思いますが子どもたちは皆校庭に集められました。当時の三本木小学校は今の「さかもと理容室」の辺りにあって、小学校を挟んでその南側、今の「馬肉料理吉兆」のある辺りに町役場があって、反対の北側今の文化センターのあるところに三本木高等女学校(三本木高校の前身)がありました。
 校庭は学校の西裏で、校庭に出たら四丁目付近から、多分油のドラム缶か何かが爆発したと思うんでがダーンと大きな音がして火柱と煙が空高く上がりました。
 先生は、弟がいるひとは弟さんを連れて帰りなさいといって、僕も弟を連れて帰りました。この日は風が強いから火の廻りが早くもう一丁目の方まで火が来ていて、西風だったもんで幸いに国道の西側はあまり焼けなかったんですが、それでも顔が焼けるように熱かったのを覚えています。
 暗くなって、屋根に上がって北の方を見ると、家が焼けて無いからガラッと遠くまで見えて、たき火のあとの残り火のように、風に煽られてあっちこっちでポッ、ポッと火が燃えていました。
 5月10日は戦没者の慰霊祭で、慰霊碑が現在の三本木霊園のところにあって、出店が出て祭りのように賑わいました。火事になったのはその翌々日で、慰霊碑の東の稲吉の森まで飛火して燃えたんです。と、子どもながらに感じた当時の大火の激しさを語る。

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春嵐すさぶ季節のめぐりきて 大火の記憶ふとよみがえる