杉本佳築子物語 夢かぎりなく

16、三代目の妻杉本きみの活躍

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 戦争が終わった。日本国民は重苦しく長い戦争から解放された。昭和16年(一九四一)の三本木大火から復興した三本木町にも大きな変化があった。
まず、日本最大の軍馬補充部三本木支部の解体である。これによって三本木町の国道102号線西側の広大な土地が解放された。その解放された土地に復員兵や外地からの帰還者らが入植した。市内では、現在の吾郷や七郷、八郷、一本木沢などがそうである。
 昭和24年(一九四九)三本木町は、解放された旧軍馬補充部地を含めた都市計画を、北海道大学造園学の第一人者であった前川徳次郎博士に依頼した。前川博士はかつて軍馬補充部の本部への道に街路樹を補強するなどをして、これに国の出先機関などをを誘致する官庁街通りを中心とした設計図を作った。
 それに基づき三本木町は、上十三地方の中心都市とするべく、官公庁の誘致を行った。
 それまで多くは七戸町にあった国の出先機関である税務署や裁判所・検察庁、警察署、労働基準監督署、食料事務所、職業安定所、郵便局、専売公社などの官公庁他、東北電力などを誘致。こうして現在の官庁街通りが形成された。
 また、現在につながるもう一つ大きなのが、ジフテリア・破傷風の抗血清をつくるための北里研究所の誘致である。これがその後北里大学獣医学部の誘致へとつながった。
 経済も、戦後復興で需要の増した製材業を中心に発展し、昭和23年(一九四八)に三本木商工会議所が設立された。そして昭和30年(一九五五)に、三本木町、大深内村、藤坂村が合併し三本木市が誕生。少し遅れて四和村が合併。翌31年(一九五六)に十和田市と改称。人口3万6676人の県南内陸部の中核都市へと発展した。
 経済の発展とともに人々の生活に余裕ができ、戦時中に押さえられて贅沢や我慢から解放され女性が着物を着るようになった。また、娘の結婚には箪笥や長持を持たせ、箪笥には黒留袖や喪服、小紋など着物一式が、長持には布団などが入れられていた。それに伴い呉服の需要が増した。
 杉本本店はもともとは雑貨から出発していたが、戦後は呉服部や紳士服部を設けた。そこで活躍したのが三代目正一の妻であるきみである。
 きみは二代目杉本新三郎の長女として大正9年(一九二〇)生まれ、三本木高女(現三本木高校の前身)を卒業していた。高女の同級生には三本木開拓の祖である新渡戸家の娘である新渡戸稲子や後に十和田湖町久保左仲太長夫人となる布施いと、七戸町田清社長夫人となる小笠原敏子、彫刻家杉本幸一郎夫人となる桜田和子他、商店や会社経営者の子女などがいた。きみはその中でもきれいで明るく目立った存在であった。
 きみは正一と結婚したのが昭和14年(一九三九)きみ19歳のときである。
 戦争が終わった昭和20年(一九四五)にはきみは25歳になっていた。きみは後に佳築子が嫁に来ることになる長男正太郎、二男喬、長女眞子、三男熙と4人の子供をもうけた。熙は昭和21年(一九四六)に生まれている。子育てが一段落し着物の需要が出てくると今度はきみの出番であった。
 杉本本店は従業員6、7人使い、その多くは女性でその半分は住み込みで働いていた。その女性従業員を使うのは女性であるきみでなければならなかった。
 きみは美しく華やかで社交性があり、着物が似合う女性になっていた。また高女の同級生や後輩など女友だちも多かった。そんな女友だちから、ぜひいい着物紹介してといわれることが度々であった。
 また、結婚式があると娘に持たせる黒留袖や喪服、小紋などが一式で売れる。それだけでない。自分の着物や旦那の洋服なども買う。そんなことで結婚式があると、数十万単位で売れた。
 最初は地方の卸問屋から仕入れていたが可なり大量に売れることから、きみは東京の卸問屋に出かけ直接仕入れてきた。さらに京都まで出かけて仕入れることもあった。その着物を見立てるセンスの良さが評判を呼び、杉本本店での呉服の占める割合が次第に高くなってきた。
 呉服の特売には、ある一定以上買ってくれたお客を京都旅行に招待した。
 呉服だけではない。紳士服も扱いネクタイを1日3~4本、月100本売るきみは東京の卸問屋でも有名になったほどである。
 きみは商売欲に燃え、夜9時ころまで店を開けていた。「あそこは夜遅くまで開けているから仕事が終わってからでも行ける」と、それもまた評判を呼んだ。
 またきみは料理もうまかった。訪れたお客にはここでしか食べられない地元の郷土料理を食べさせ、その料理を食べたくて来るお客も来るほどであった。
 こうなるともう店に正一が居てもいなくてもほとんど関係がなかった。昭和30年代の杉本本店はきみ一人で支えていたといっても過言ではないというほど繁盛していた。
 佳築子は、杉本に嫁に入ってそのきみに呉服の扱いを教わったのである。それが現在の呉服の成巴へとつながるのである。

 美しく社交的なる若き日の姑の腕に成る店の隆盛

 嫁入りの着物式に大繁盛の戦後の店のきみの活躍