夢追人ニュース

三本木開拓史料館「新渡戸記念館」が廃館になろうとしています

[夢追人ニュース]
 市民の皆さんに問う!
 話し合いもなく何故そんなに急ぐのか!!将来に悔恨をさないか

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本木開拓の史料を集めた新渡戸記念館が廃館にされようとしている。それも突然にだ。
 その経緯を聞くと、今年2月17日に、十和田市の新渡戸記念館の指定管理者である太素顕彰会(石川正憲会長)から、新渡戸記念館は耐震上コンクリート強度が基準に満たないので4月1日より休館すると伝えられた。
 しかしこれには二つの点で疑問が残る。一つは耐震強度の検査を行った業者は、設計図を見ないで検査をしたという点。二つには十和田市にも大きな被害をもたらした十勝沖地震(昭和43年)及び、三陸はるか沖地震(平成6年)でもヒビ一つ入っていないのである。
 3月26日に行われた太素顕彰会の役員会は新渡戸家を外して行われ、新渡戸家に対し将来像も示さないまま一方的に突然に新渡戸記念館を休館し取り壊すことになったと伝えた。
 5月28日になって初めて非公開で市長と新渡戸家との話し合いが行われた。が、非公開のために具体的に何が話し合われたかわからない。これについて新渡戸家は悔しさを滲ませながらも黙して語らず、沈黙している。
 新渡戸記念館は、大正14年(一九二五)に新渡戸稲造博士より、三本木地域の文化の向上のためにと約7千冊の蔵書が贈られ、新渡戸家が持っていた三本木開拓の史料と併せ私設博物館兼図書館「新渡戸文庫」として設立されたことから始まる。そして昭和40年(一九六五)に十和田市立新渡戸記念館として設立され、今年でちょうど築50年になる。
 市側は、新渡戸記念館に対して、個人の持ち物に税金を使うことはできないとする。新渡戸家は寄贈しないとはいっていないが新しい記念館を建てるとかその将来像をはっきりと示してほしいという。この件について、市が一方的に伝えただけで市側と新渡戸家との具体的な話し合いは一切行われてない。
 十和田市は新渡戸傳の稲生川開削によって開かれ、その息子新渡戸稲造博士の父である新渡戸十次郎の札幌に先駆けた都市計画によって街が築かれた。碁盤の目条の街区はそれに基づいている。
 平成25年(二〇一三)に、その三本木開拓施設群が、(公社)土木学会の「選奨土木遺産」に登録され、平成26年(二〇一四)には、稲生川が国際かんがい排水委員会の「かんがい施設遺産」に登録された。三本木開拓がこのように、国内は勿論であるが国際的にも重要な土木遺産として評価されている。
 新渡戸傳による三本木開拓がなければ現在の十和田市はなかった。新渡戸記念館にはその十和田市の成り立ちの史料がたくさん保管されている。が、十和田市はそれを新渡戸家のものだから守らないという。十和田市としては、新渡戸記念館を今後どうするかという計画は今のところ全くない。新渡戸記念館を廃止することは十和田市の重要な歴史の一部を失うことである。そして新渡戸記念館は市民の財産でもある。
 市民の皆さんに問う!
 このまま深く論議をすることもなく新渡戸記念館を簡単に廃館していいものだろうか。将来像を示さないまま何故そんなに解体を急ぐのか。十和田市が将来に悔恨を残さないだろうか。

 *写真は、十勝沖地震、三陸はるか沖地震でもヒビ一つ入らなかった市が廃館の方針を示した新渡戸記念館」