杉本佳築子物語 夢かぎりなく

20、大型店への挑戦

[杉本佳築子物語 夢かぎりなく]
 1、商調協に増床計画を出す

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 昭和47年(一九七二)に亀屋が、翌48年(一九七三)に松木屋がと、十和田市に大型店が相次いで出店した。当然のことながらそれまで独り勝ちであった杉本ショッピングセンターにも影響が出てきた。
 大型店に対抗するには、それを上回る大型店化するしかない。
 すぎもとショッピングセンターはファミリー企業であったから大型店化に関わったのは杉本正一社長、同正太郎専務の他数人の身内のみであった。佳築子は着物売り場に出ていたものの一般社員扱いで、全くの蚊帳の外であった。
 しかも当時の内実知っている人はほとんど他界している。幸いにも地元紙「県南新聞」にその経緯が詳しく報道されているので、この項はそれに基づき構成する。

 「県南新聞」昭和54年(一九七九)1月25日号に、
 =十月オープン目指す=すぎもと大型店へ
 総工費八億円を投ずる
 噂にはあったものの、おっ、すぎもとも亀屋や松木屋に対抗してやるんだなと、具体的計画を市民が知った最初である。それにはこう書かれている。
 「かねてから増床を計画していた株式会社すぎもと(杉本正一社長)が、このほど商業調整協議会(以下商調協)に増床計画を提出、亀屋、松木屋に次いで大型店の仲間入りをすることになった。
 すぎもとショッピングセンターは、四十一年十二月オープンしたもので、亀屋が進出を果たした四十七年まで市内最大のショッピングセンターとして地域住民に親しまれてきた。
 しかし、四十七年の亀屋、四十八年松木屋と続いた両大型店の進出で大きく後退を余儀なくされた。
 毎年のように飛躍的に売り上げが伸びてきたすぎもとにとって大きな痛手であったことはいうまでもない。伸び率がガクンと落ち込む一方、その主導権を両大型店に譲らざるを得なかったのだ。
 大型店攻勢を受けて五年すぎもとショッピングセンターもこの業界で生きるには〃核店舗〃で対抗せざるを得なかったのだろう。
 ショッピングセンターとして発足して十三年。現在の年商は約八億円という。伸び率は落ちたとはいえオープン当初に比較すれば五倍~六倍の伸びであり、その企業努力はまさに苦難の道ではなかったか...。
 すぎもとの現在の建て面積は六百六十四坪。増床面積は千七百八十.売り場面積は現在の四百坪から四倍強の千七百三十五坪。松木屋の約千四百坪を大きく上回る店舗になる」

 同号に杉本正太郎専務のコメントも載せられている。
 地元資本としてテナント は大歓迎する
  杉本正太郎専務
 「三年ほど前から増床の計画があったが、具体化したのは昨年です。
 住民の生活向上と多様な生活様式に合わせて売り場の拡張を迫られたのです。今や買い物は家族ぐるみになってきましたし、その業種構成も考えていかなければなりません。地元商店街の協調ということを重視しておりますので、テナントに二百三十五坪とっている。二十坪にしても十店舗は入れると思う。直営は食品くらいになるでしょう。
 商調協の結論を待って工事に着手することになるが、十月一日オープンにはぜひ間に合わせたい。と語る。
 地上五階、松木屋を上回る建物になるので、駐車場は現在の半分くらいになりそう。総工費はサンプラザ並みの約八億円となりそう」
 「サンプラザ」とは富士屋ホテルの全身である。ここで初めて十和田市商店街の若手経営者のホープとして杉本正太郎が注目されることになる。正太郎このとき働き盛りの38歳であった。
 すぎもとショッピングセンターの計画がこのまま進めば、地上五階の十和田市一のすぎもと大型店が昭和54年10月にオープンするはずであった。
 が、すぎもとの大型店があれこれの変遷を経て最終的には頓挫することになる。その最大の元凶が大店法とそれに基づく商調協、正式には十和田商業調整協議会と、そして地元の商工会議所であった。
 商業調整協議会、商調協とは何であろうか。
 経済の高度成長を経て日本は車社会に突入、同時に生活も著しく変化した。車が一家に一台の時代に入り、買い物もちょっと遠出をし車で行くようになって来た。それに伴いショッピングセンターやスーパーマーケットなど小売業が大型化し、それが地域の商店街に進出するようになってきた。これは消費者にとっては利便性が高いものの、地域商店街にとっては商売の死活問題つながる問題でもあった。
 そんな状況の中、昭和48年(一九七三)に「大規模小売店舗における小売業の活動調整に関する法律」、略称「大店法」が制定された。
 この法律は、必ずしも地域の小売業者を保護する法律ではなかったものの、大型店の出店には地元の商工会議所の意見を聴くと定められていた。その調整審議機関が商業調整協議会、商調協である。商調協は、地元商業関係者、消費者、中立の立場として学識経験者の三者で構成されていた。
 亀屋が十和田市に進出して7年、同じく松木屋が6年、どちらも商調協に増床計画を提出していた。が、商調協で出された結論は、ナンと50㌫カットであった。それは当然ながら増床に対して地元商店街の委員からの猛烈な反対があったためであった。
 正太郎はその結果を見て、
 「五十%カットだと計画はメチャメチャですよ。うちなんか十%~二十%のカットでも計画を見直さなければならないし、商調協の結論が出ないことにはウッカリ工事に着手出来ない...」(同号)と延べ不安をのぞかせていた。

 大型店つぎつぎ街に現れて すぎもとショッピングセンターゆらぐ