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ノーベル賞受賞者大村智氏が講演

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北里大学獣医学部創立50周年記念式典特で講演

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 北里大学獣医学部(髙井伸二学部長)が創立50周年を迎え、4月23日、十和田市民文化センターに於いてその記念式典及び記念特別公演が行われた。
 記念式典は、学校法人北里研究所藤井清隆理事長が式辞、来賓として小山田久十和田市長、蔵内勇夫日本獣医師会会長が祝辞、小林弘祐北里大学学長が挨拶し終了した。
 そして待望の北里大学特別栄誉教授で、2015年ノーベル生理学・医学賞受賞を受賞した大村智氏の特別講演が行われた。これには第2会場を設け、中高生を含め市民約1300名が招待された。その概要を紹介しよう。

 大村氏は、「微生物の働きをヒトと動物の健康のために」と題して、一九六五年に私が北里研究所に入ったときに抗生物質の手ほどきを受けた秦藤樹先生(元北里大学学長)、北里研究所の大先輩である椿精一先生(元北里大学畜産学部学部長)など非常に深い縁を感じながら今日この場に立っております。
 今日は中学、高校の生徒さんがたくさんいらっしゃる。私は中学、高校生に話をすることは滅多にないので、その辺を意識しながら話を進めて行きたいと思います。私の話は私の子供のころの話、高校の先生をやったころの話、研究者に入って行く、研究者になってからどういう研究をしたか、その成果が世の中にどんなに役にたっているのか、そして若い諸君にメッセージのようなものをお話しできればと思っています。

 子供のころの話

 と前置きして、父は村の顔役で村のためにあっちこっちを走り回っていました。母親は小学校の先生で、絵を描きなさいとかお習字をやりなさいとかはよくいわれましたが、勉強しなさいとかは一言もいわれたことはありません。祖母は、一番大事なことは他人の為になることだよ。自分のことを考える前に他人のことを考えなさいと繰り返しくりかえしいわれて育ちました。
 私の家は農業でした。中学生のころは私が農業を継ぐものと思っていましたから、父が私に馬の扱い方とか田んぼのこしらえ方とか徹底して農業を仕込むわけです。中学校を卒業するころには村の青年と全く同じくらいの仕事ができるようになっていました。
 振り返ってみると、私はあのころ理科の勉強をしていたんだと思うんです。農業は理科、農業はサイエンス、科学です。このころもう一つ良かったと思うことは、忙しくなると朝暗いうちに起こされ、田んぼや畑に着くころにようやく朝日が上がり仕事ができるようになる。こうして仕事をしていると近所の子どもたちがカバンを持って学校に行く時間になる。忙しいときはこういうこともやりました。これは体力的にも気力の面でも非常に良かったと思っております。
 これは後で知ったことですが動物行動学者のコンラッド・ローレンツが、「子供の時に肉体的に辛い経験を与えないと大人になって人間的に不幸だ」こういうことを言っています。そういう意味では私は幸せだったと思っております。

 高校、大学時代

 私は高校、大学とサッカーをやりスキーをやり徹底して自分を鍛え、高校ではスキーで山梨県で優勝しました。大学は山梨大学で、スキーから帰って来ると急いで化学の教室に行く。良かったのはいつでも実験できた。化学というのは実験が主なんです。
 大学時代は国体にも2回参加しました。このように優勝のカップや楯がたくさんあります。スキーでは大鰐にも行きました。そのとき覚えた歌が、岩木山がどうのこうのという『シーハイルの歌』です。
 新潟県に横山天皇と呼ばれていた、横山隆作先生がおりました。この先生のところに国体で優勝する、インターハイで優勝するなどスキーの一流の選手たちが集まってくる。そこに私は山梨を代表して参加しました。

 スキーで学んだこと

 横山先生のところに集まった選手の中から何人もオリンピックに行っています。その中に松橋高司選手もいました。何回も日本で優勝し、オリンピックにも行きました。私の憧れの選手だったんです。
 この中で学んだことは、大学で机に向かって勉強だけしているより遥かに大きかったと思っています。それは何か。
 クロスカントリースキーですからものすごく辛いんです。しかし辛いときが勝負なんです。その後私は研究で辛いことがたくさんありました。そのときスキーのことを思って、今が勝負なんだ、今が勝負なんだと思って勉強をし、仕事をしてきました。
 もう一つは高いレベルの中にいるということは自分もそのレベルにいるということなんです。ですから自分をできるだけ高いレベルのところに身を置くことが大事なんです。そいうことを私はスポーツ通じて勉強しました。私は5年間、山梨県でクロスカントリーでトップになっています。それも高いレベルの人たちとやっているうちに自分も高いレベルに達していた。
 これは学問でも同じです。高いレベルの人たちとつき合い、高いレベルの人たちの中に身を置いて勉強することが大事であるということをスキーで学びました。

 働く高校生から学ぶ

 私は山梨大学を卒業して東京都の墨田工業高校の定時制の先生になりました。
 中小企業のいっぱいあるところでした。学生は昼間は働いて夜になると学校に来て勉強するわけです。あるとき試験のとき見て回っていますと、答案を書く手にまだ油がついている。その手で試験問題を解いている。
 これを見て私は、私は何をやっていたんだろう。サッカーをやりスキーをやり勉強をしていなかった。よし、勉強をしなおそうと、私は高校の先生を5年やる間に、修士課程を受けるために1年はドイツ語の勉強をしまして、2年目は今の筑波大学、むかしの東京教育大学に研修生として入りました。次の年に東京理科大学の修士課程の合格しました。普通は2年で修了するんですけれども私は5年かかりました。
 しかし私は、働く高校生たちと出会っていなかったら研究者になっていなかったかも知れません。
 東京理科大学にいるとき私の恩師が、東京工業試験場に日本に一台ないすごい機会が入っている。工業試験場にそれを使えるように話をしてあるからと、私は行きましたら、昼は工業試験場で使っているから夜なら使えるといわれました。
 私は、昼は東京理科大学で勉強して、夕方になると高等学校に行き講義して、終わると東京工業試験場に行き徹夜で研究しました。

 北里研究所に入る

 それで私は大学の修士課程を修了して、高校の先生より研究者になる方がいいかなと思いました。何故かというと、話が下手だ。人前で自分の考え方を十分に話が出来ない。研究者ならコツコツと研究していればいいだろうと思ったわけです。
 それは大間違いで、研究成果を上げれば上げるほど人前で話をしなければならなくなったんですが、そのときはそう思いました。
 山梨大学の文部教官助手になったとき、葡萄酒をつくる学科があり、葡萄酒の研究をしました。その葡萄酒を作る過程で培養液に入れておいた砂糖が一晩でアルコールになっていた。微生物が一晩のうちに砂糖をアルコールに変えてしまうわけです。酵母、微生物の力ですね。感動しました。私は化学をやっていましたから、どうかんがえても化学では一晩でアルコールにすることができない。今でもできないと思います。それを微生物は砂糖を一晩でアルコールに変えてしまう。
 そこで私は、微生物の力と、私が今までやってきた化学の力を合わせた研究をしてみたいなと思っていたところ、非常に運が良く北里研究所に入ることができました。

 私の研究方法

 北里研究所に入り抗生物質の研究をしました。これは微生物の力を借りてものをつくる。構造を分析するのが化学の力です。その両方ができたことが良かったと思います。
 現在私がやっていることをお話しますと、地球上のあらゆる環境からサンプルを取ってきて、シャーレ―に蒔いて生えてくるコロニーを純粋に分離し、それを保存する。それを取り出して培養する。その培養液を取ってきて、その中に目指す物資が入っているかどうかを調べる。ここが大事。私がたくさんの治療薬を見つけることができたのはここに集中的に力を入れたからです。誰もやらない新しい方法でやって、その中に目指す物質があるかどうかを改革してきたわけです...。

 と、大村氏はこの後、研究の専門的な話に入って行くが、ここでは割愛させていただく。
 話の前半は以上のように私たちが学ぶべき人生訓的な内容であった。参加した中高生の中には志を新たにした生徒もいたのではなかろうかと推察する。
 大村氏は、
 「微生物の生産する有用な天然有機化合物の探索研究を45年以上行い、これまで類のない480種を超える新規化合物を発見。それらにより感染症などの予防・撲滅、創薬、生命現象の解明に貢献している。
 また、化合物の発見や創製、構造解析について新しい方法を提唱。実現し、基礎から応用まで幅広く新しい研究領域を世界に先駆けて開拓している。
 研究以外では、北里研究所の経営再建、女子美術大学への支援や私費による韮崎大村美術館の建設、学校法人開智学園の運営など」をも行ってきた。(「フリー百科辞典『ウィキペティア』」より)
 こうして大村氏は国内、国際の数々の賞を受賞し、2015年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。