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89歳驚異の歌声 往年の歌姫菅原都々子さん

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9月22日、十和田商工会館で第10回『月がとっても青いから』全国カラオケコンクール(同実行委員会主催)が行われた。『月がとっても青いから』は十和田市出身の往年の歌手菅原都々子さんの大ヒット曲である。
 カラオケ大会が終わり審査結果が出るまでの間「菅原都々子オンステージ」が行われ、都々子さんは、都々子さんのヒット曲『母恋星』や『帰り船』『月がとっても青いから』、そして最後に『三本木小唄』を会場と一緒に歌うなど8曲を歌った。
 ところがその歌声にビックリ。都々子さんは今年満89歳である。が、その歌声は「ア、忘れちゃった」などと笑いを誘いながらも、声量豊かであのビブラート唱法ツンヅ節が少しも衰えていないのである。驚異という他ならない。
 都々子さんは、昭和26年(一九五一)に行われたNHK第1回紅白歌合戦の第1号歌唱者としても有名である。都々子さんは当時24歳。第1回紅白歌合戦には、赤坂小梅、渡辺はま子、東海林太郎、藤山一郎など14名が出演したが、その存命者は都々子さん一人だけである。
 都々子さんは歌手生活70周年を機に平成18年(二〇〇六)に現役を引退。以後ボランティア活動を行ってきている。歌好きの十和田市の有志が都々子さんの引退を知り、十和田市で『月がとっても青いから』全国カラオケ大会をやろうではないかと呼びかけ、平成19年(二〇〇七)に第1回『月がとっても青いから』全国カラオケ大会を行った。そして今年で10回目を迎えた。
 菅原都々子さん。昭和2年(一九二七)8月、当時朝日新聞の通信員をしていた作曲家陸奥明(本名=菅原陸奥人)の長女として三本木町(現十和田市)に生まれた。陸奥明は大正の中期、東洋音楽学校卒業後、浅草オペラの全盛期、藤原義江、田谷力三らと、河井丸目朗の名前で舞台に立っていたバリトン歌手であった。が、大正12年(一九二三)の関東大震災で劇場が崩壊。やむなく三本木へ帰り朝日新聞の通信員をしていた。そんなときに生まれたのが都々子さんである。
 都々子の命名は、自分は不運にも関東大震災に遭い音楽生活を断念せざるを得なかったが長女に自分に変わって都会に出て舞台に立って欲しいという願いを込めた命名であった。その父の願いを見事に実現させたのが菅原都々子である。
 都々子さん9歳のとき、地元の有名な民謡歌手と一緒に東京のレコード会社にテストを受けるために上京。テイチクに行ったときである。「都々ちゃん」と声をかけてきた人がいた。やはり三本木町出身で『旅姿三人男』や『満州娘』の作曲で知られていた作曲家の鈴木哲夫であった。こうして鈴木哲夫があずかるということで東京で本格的に歌の勉強をした。
 鈴木は、当時すでに売れっ子作曲家として有名であった古賀政男に都々子さんを紹介した。古賀は都々子さんを気に入り自分が引き取り勉強させたいと都々子さんを養女にした。こうして昭和13年(一九三八)、11歳のとき日活映画の主題歌『お父さんの歌時計』で古賀久子の名前で歌手デビューした。以来78年間歌い続けてきた。