幻の穴堰ニュース

私財を投じ「幻の穴堰」を再現した実業家中野英喜さん

[幻の穴堰ニュース]
私財を投じ新渡戸十次郎未完の「幻の穴堰」を再現

nakanohideki.gif
 地元のひとたちから「幻の穴堰」と呼ばれていた新渡戸十次郎未完の穴堰。これは新渡戸 が安政6年(一八五九)に稲生川を開削して三本木平に上水したその7年後の慶應2年(一八六六)に、新渡戸十次郎が2本目稲生川を通そうとして950㍍掘ったところで逝去。そのために未完に終わった穴堰のことである。
 この穴堰は、当時ばんづるやなかづる、てんばづるなどを使って掘った工事跡、灯りとりに使った油煙の跡などが、今掘ったかのようにくっきりとそのまま残されており、江戸末期の測量技術の高さと、穴堰の掘削技術が見られる貴重な土木遺産、歴史文化遺産である。それが中野英喜さんによって150年の眠りから覚め一般公開されることになった。
「この幻の穴堰は、不毛の三本木平にどのようにして奥入瀬川から水を上げたのか。つるはしの一振りひとふりが十和田市をつくり上げた。それを体感できる場所でもあるわけです。特に子どもたちには、ふるさとの歴史を知り、ふるさとに誇りを持つ市民になっていただきたい。そう思いこの幻の穴堰を再現しました。なにより安全を重視しました」と語る。
「幻の穴堰」の再現。それは行政がやることでしょうという声も多いが、実はこの幻の穴堰の再現はまだ未完だが管理棟の建設や環境整備含め最終的には約5000万円かかる見込。それをすべて、ふるさとのためにと私財を投げ打って再現したのが中野英喜さんである。この幻の穴堰は30年前にテレビで紹介されたり、市議会でも再現できないものかと取り上げられたこともあったが、中野さんにとっては30年来の夢の実現であった。
 中野英喜。昭和13年(一九三八)1月、十和田市に生まれる。中学3年生のとき東京都文京区立第一中学校に転校。都立文京高校、慶應大学法学部政治学科卒業。アメリカ・オハイオ州立大学留学。帰国後東北大学商法研究室を経てエジプト・アレキサンドリア大学国際交流セミナーに参加するなど、一九六〇年代は若き国際人であった。
「本当は弁護士か大学教授になりたかったんです」と語る中野さん。昭和37年(一九六二)24歳のとき、父が病気になり帰郷。長男であったことから父のやっていた㈱中野コンクリートブロックの社長に就任。事業の道に入った。
 昭和40年(一九五五)、中野コンクリートブロックをたたみ八戸に進出、結婚式場東奥会館を設立した。高度経済成長時代に入り、それまでそれぞれの家でやっていた結婚式がホテルや結婚式場で行われ始めていた時期である。いち早く時代の波に乗りこれが大当たりした。昭和43年(一九六八)、十勝沖地震をきっかけに青森市に進出。このとき現青森空港のある大谷地区の山を取得した。昭和54年(一九七九)新空港の建設地が決定。その建設予定地に中野さんが持っていた山が入り空港の一部として買収され、当時はみちのく銀行の筆頭株主となり話題になった。昭和55年(一九七〇)東奥カントリークラブをオープン。平成27年(二〇一五)十和田市の優雅な社交場十和田倶楽部をオープン。そしてこのほど、新渡戸十次郎未完の「幻の穴堰」を再現。
「今、穴堰の地に立ち眼下を見下ろすとそこには見事な田園風景が遥か遠くまで広がっています。これこそが十次郎が子孫に残したいと描いたものではなかろうか。子孫たちが、豊かに集う未来を確信して」と語る。
 写真は、渡戸十次郎未完の「幻の穴堰」オープニングセレモニーで挨拶する中野英喜さん