はたらくひと必読!仕事人!!

ビッグプレイン 株式会社 代表取締役 平野 訓弘さん

大きな平野に羽ばたく仕事人
勇知を持って起業した紙器製造
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~平野 訓弘さんプロフィール~
 昭和21年5月26日生まれ(70歳)岐阜県出身。高校を卒業してから家業の平野商店を継ぐ。包装資材の販売の業務から縁があり紙トレーなどの製造の仕事に転機。それからは平野紙器工業所、株式会社平野紙器、ビッグプレイン株式会社と事業を拡大。16年前に十和田市の誘致企業として創業。女性の雇用、働きやすい職場を推進してきた。去年、借家だった工場から移転、新たに新工場社屋を建設し更なる飛躍を目指す。

 今回は誘致企業として十和田市に工場を建設。去年、念願の新工場社屋を設立したビッグプレイン株式会社の代表取締役・平野訓弘さんを訪ねた。岐阜県出身の平野さんがなぜ十和田市に工場を建設してくれたのか、その人柄や社長となった経緯などを聞いてみた。
人生の転機
 岐阜県に生まれた平野さんは高校時代は演劇部で活躍。芸能界に興味があり、将来は俳優になりたいと夢を持っていた。しかし母親が有名な占い師に占ってもらうと、「息子さんは一旦家を出ると二度と戻ってはこない」と言われ、なんとか家業を継いで欲しいと頼まれたという。夢を諦める代償として当時高級車だった日産のプリンス・スカイラインを買う事を条件に出す。お金の使い道には厳しく経済的にも余裕がない時代。断られると思っていた返事は「わかった」でした。両親の思いに平野さんも覚悟を決めて家業である「平野商店」を継いだ。
商売の転機
 元々はお菓子の包装紙やのし紙などの包装資材を販売する業務だったがお客様から和菓子に使うトレー紙(紙カップ)を作ってくれないかと頼まれ手探りながら製造業を始める。それが軌道にのってきたために販売するディーラーから製造するメーカーとなる。商売も自宅兼工場では手狭になり、昭和41年に「平野紙器工業所」を建設し事業を拡大した。平野さんは父親がものづくりと営業、母親が仕入れや財務を担当し、その両方を学べる英才教育のような環境で商売を学び育った。
運命の出会い
 昭和42年に山崎製パン㈱様と出会う。出会うと言っても偶然や紹介ではなく、これからの会社の命運を掛けた山崎製パンへの飛び込み営業だった。当時の資材課課長に「山崎製パンと真剣に付き合えますか?本当に大変ですよ?」と笑顔で問われ、試されるような厳しい注文を受注し、それを二日間徹夜で仕上げて認めてもらった。当時は交通手段の選択肢が少なく、全国へ工場を急激に拡大展開していた山崎製パンの指定業者として貨物列車で品物を送るなどの不便もあったが、父の教えの「受けた注文は必ず納期を守って届ける」を実行し、共に拡大するために東北地方への進出も視野に入れ始める。
事業の拡大・社長就任
 業績も右肩上がりとなり、昭和51年に「株式会社平野紙器」を設立。業界トップメーカーを目指す。この頃には父親と意見が対立することもあり、一時家業を離れるが他の会社の組織の一員として社員教育、財務管理、顧客管理などを学び約5年の武者修行を終え戻ってくる。昭和59年には本拠地の工場を移し、量産体制を整え、販売拡大のためにビッグプレイン株式会社を設立。同年に社長として就任した。45歳で社長となってからは「良品・安価・デリバリー・信用」を信念に就く。そして責任を強く感じながらも、夢だった自分独りで起ち上げる工場建設に動き出す。
理想の工場
 十和田市は山崎製パンの十和田工場があること、北海道にも近く東北圏内を回れること、観光地でもあり、自然環境や食材も豊富、なにより人が良いと判断し決断した。誘致企業の話しもあり、平成12年に借家として工場を借り稼働した。工場と言っても紙器製造なので女性を中心に運営が出来る会社として、女性が働ける雇用環境を作り、地元の人にやりがいを持って働いてもらいたい。理想の工場を求めるたった独りの挑戦から始まった。
十和田進出
 働く場を作っても働く人がいなければ工場は稼働しない。知り合いなどいない十和田市で唯一の知人で縁があった氣田さんにお願いをし、面接の手伝いを頼んだ。30名の応募に120名が殺到し、その中から採用。面接が終わってから最後に私も一緒に働きたいと気持ちをいただき2人3脚で理想を叶えるパートナーとして採用する事となった。それから16年、十和田市だけではなく五戸町や七戸町からも雇用をし、地元雇用を支える企業として活躍する。
信用は企業の命
 「信用は山登りと同じく一歩ずつ上がるのは大変で落ちるのは一瞬」そう語る平野さんは社員の反対を押し切ってまで東日本大震災の時に地上の交通手段が限られた時にも赤字を覚悟で空輸で注文の品を配送したという。お金は無くなっても信用を無くさなければ必ず戻ってくる。その言葉を証明するように業績は更に伸びた。
夢の実現
 平成28年に夢だった自社工場を建設した。工場内はストレスが感じにくくなるように屋根が高く衛生的で広い空間がある設計。社屋は無駄なものがなく、それでも細かいこだわりが要所にある。「和をもって人とのつながりをつくる」を社訓に平野紙器・アイテック(機器製造会社)・ビッグプレインの調和を図り共に発展していきたい。次の夢は世界に羽ばたいていけるように挑戦していきたいと語った。