首都圏とふるさとをつなぐ 東京=十和田

 中野渡利八郎さんなどに企業誘致支援大使を委嘱

towadakai1.giftowadakai2.gif
 昭和61年(一九八六)、東京とふるさとのパイプ役にと、東京三高会、三農東京同窓会、十和田工業同窓会東京支部を中軸に、十和田市出身者及び十和田市にゆかりのある在京者、関東周辺の在住者で結成された東京十和田会(小又昇会長)。今年創立30周年を迎え、2月8日東京・市ヶ谷のアルカディア市ヶ谷私学会館で、来賓含め約200名が集まり記念総会及び懇親会が盛大に行われた。
 東京十和田会はこれまで懇親を深めるだけでなく、青森県人の祭典への参加や、十和田市のアンテナショップ「十和田の食卓」を別組織として立ち上げるなど、首都圏で十和田市のアピールに一役かっている。
 懇親会では、30周年ということもあり十和田市の無形文化財「洞内南部駒踊」や「南部洞内神楽」の披露及び和田光弘さんのスライドを上映。
 記念式典では、十和田市が十和田奥入瀬観光大使として十和田市出身の歌手近江綾さんと、企業誘致支援大使として小又昇さん、中野渡利八郎さん、中野渡うめさんに委嘱。
 懇親会は、近江綾さんの歌や、会員同士の近況報告、あるいはふるさとの思いでに花を咲かせていた。

towadakai7.gif
towadakai6.gif
towadakai4.gif

towadakai3.gif

aomorionry.jpg
ビルの脇の階段下りてドアを開けると、正面のカウンターの上にねぶた絵が並べて飾られている。一瞬にして異質な青森県の雰囲気が漂ってくる。この店が現代青森料理とビオワインを標榜する料理店ボワヴェールである。
 席につきメニューを開くと
 「本州最北端のは魅力がいっぱい。まず四つも海がある県なんて他にないでしょう!太平洋、津軽海峡、陸奥湾、日本海はそれぞれ」特色ある魚介類がそろう。そして世界遺産、白神山地。自然の大迫力に圧倒される。龍が眠るといわれる十和田湖。日本一の大シジミ十三湖。幻の黄金鰻の小川原湖。日本百名山、八甲田山と岩木山...」と青森県の紹介がつづく。
 次の頁を開くと「十和田市」とあり、
 「もともと十和田市のあたりは三本木原と呼ばれる荒蕪の台地で、台地周辺に寒村が点在していた。新渡戸傳を中心に奥入瀬川から水を引く計画に着手し、稲生川として引水に成功して開拓の基礎ができた街です」と紹介している。
 そしてメニューを見ると、「下北半島の真鱈と十和田野菜のカルボナーラ」、「奥入瀬ガーリックポーク&七戸短角牛のハンバーグ&青森シャモロック」、「十和田とろろのつゆぺぺロンチーノ」など、オール青森県の食材を使った料理店である。
 この店「ボワヴェール」を経営しているオーナーシェフの川口かずのりさんは、青森県出身かと思いきゃそうではない。何と大阪の堺市生まれである。
 「堺はむかし北前船で青森と交流があったんじゃないですか。青森県は自然が美しい。津軽弁はフランス語に似ている。青森の文化に憧れます。私は青森県の大使館レストランだと思っています」と語る。
 それだけではない。川口さんは大間町の特産品の開発や、大鰐町「鰐come」特別講師、NPO法人森の里七戸理事など青森県とも深く関わっている。
 さらに店長の小笠原拓哉さんは十和田市出身である。
 上京したときはぜひ立ち寄って下さい。
 アクセスは地下鉄線内幸町駅A3出口徒歩3分、地下鉄線虎ノ門駅徒歩4分など。問い合わせは、℡03‐5157‐5800。 


  三高卒業の在京音楽家たちが記念演奏
 三本木高校(福井武久校長)の、首都圏に住む卒業生で組織する「東京三高会」(佐々木文雄会長)の35回総会及び懇親会が、7月7日、東京・新宿のリーガロイヤルホテル東京で開催された。
 これには同窓生の他、十和田市からお祝いに駆けつけた小山田久市長や母校三本木高校の校長、及び「東京三農同窓会」、「十和田工業高校同窓会東京支部」の役員など来賓を含め110名が出席。
 東京三高会は、総会のあと懇親会に先立って、三高の卒業生で首都圏で活躍する音楽家によるミニコンサートが行なわれた。出演は、ファゴットの前田正志さん(S48年卒)、フルートの鳥谷部良子さん(S56年卒)、ソプラノの多田順子さん(S63年卒)、そして母親が十和田市出身であるテノールの滝沢健作さんと、音楽仲間3人が応援出演。オペラの名曲や、東日本大震災の支援歌『花は咲く』などを演奏した。
 懇親会は、1年ぶりに会う人もいて、それぞれの近況や、ふるさとの思い出を語り交流した。
 
sankoudousoukai.jpg

東京の一等地で美容院を経営

tanakanaomi.jpg 三本木高校東京同窓会創立35周年の席上である。
 「もしかして小笠原さんですか。以前母が大変お世話になりました。田中です懐かしいわ」と声をけてくれた美しい女性がいた。
 話を聞いて見ると、田中さんのお母さんは、私もよく知っているひとである。田中さんは現在、東京で美容院を経営しているという。早速翌日尋ねてみた。
 地下鉄有楽町線の麹町で下車。駅からわずか1分のところに田中さんの美容院があった。すぐ近くには文藝春秋社の本社ビルがあった。
 田中さんは昭和38年(1963)3月十和田市に生まれた。三本木高校卒業後上京。東京美容学校を卒業し、幾つかの美容院を経て、一部上場の美容院㈱田谷に入社。店長を務めたあと平成19年(2007)に独立し現在に至っている。
 「東京にいるとなかなかふるさと人に会う機会が少ないので、ぜひ立ち寄って下さい」と語る。

 田中奈穂美 さん(50歳)
 昭和38年(1963)十和田市に生まれる。三本木高校、東京美容学校卒業。平成19年(2007)に独立、美容院Palmstageを経営、現在に至る。知っている方は電話してみて下さい。℡03‐3265‐8839

 青森PR居酒屋「りんごの花」が現地で地酒を楽しむ会
 ringonohana1.jpg東京・新宿荒木町にある、青森県の食材を100㌫使った青森PR居酒屋「りんごの花」(女将十和田こまち)が、実際に酒造りの蔵元に行って酒造りを体験すると同時に新酒を味わう「陸奥八仙を楽しむ会」ツアーを企画。
 ツアーには、東京から25名が参加。2月16日・17日の日程で八戸酒造㈱を訪れた。
 一行は、16日に、カフェ&ギャラリー「うみ音」で食事したあと、葦毛崎展望台、種差海岸や蕪島を散策。そして目的地である八戸酒造に移動し蔵を見学。そこで「陸奥八仙」の試飲と、山影匡瑠さん津軽三味線ライブ。夜は「酒菜屋」で新酒ナイトを楽しんだ。
 17日は酒造り体験で、蒸した米を酒樽まで運んだ。
 ちょうどこの日は、八戸えんぶりの初日だったこともあり、えんぶりを鑑賞。八食センターでお土産を買うなど、八戸の二日間を満喫して帰った。
ringonohana2.jpg 青森PR居酒屋「りんごの花」は、平成23年(二〇一一)1月にオープン。平成24年(二〇一二)2月、オープン1年目にして、新宿区商店会連合会推奨「金賞」受賞するなど、頑張っている。
 女将の十和田こまち(本名=坂本真奈美)さんは、
 「今後、東京とふるさとをつなぐ企画を年数回やって行きたいと話している。
 まさに、青森をPRする居酒屋である。
ふるさとへ想いを込め第28回総会を行なう
 toukyoutowadakai.jpgtoukyoutowadakai2.jpg首都圏で生活する、十和田市出身及び、関係する人たちの会「東京十和田会」(小原武夫会長)の第28回総会及び懇親会が2月10日、東京・アルカディア市ヶ谷(私学会館)で開かれた。
 これには、会員及び十和田市から市長や議員も参加し賑やかに行なわれ、それぞれの健康と発展を誓い合った。
 東京十和田会は、三本木高校、三本木農業高校、十和田工業高校の在京同窓会を中心に、昭和61年(一九八六)に設立された。現在登録会員約760名という大所帯になっている。
 東京十和田会は、総会のあと、来賓挨拶、来賓紹介などが行なわれ乾杯。
 懇親会では、ふるさとの思い出や、それぞれの近況を語り合い、和やかなひと時を過ごした。
 また、アトラクションでは、十和田市出身の演歌歌手」近江綾さんの歌謡ショーも行なわれた。
 今年3月、高校を卒業して就職、あるいは進学などで上京した方も多いであろう。東京十和田会の連絡は次の通りである。
toukyoutowadakai3.jpg 東京十和田会の事務局は、〒165‐0031 東京都中野区上鷲宮4‐20‐18 ゴールド18‐203 TEL・FAX 03‐3970‐74376(中野渡うめ)迄。

 旧十和田湖出身、今、ひっぱりだこの経営コンサル会社㈱iiの代表取締役
 kamikuborumiko.jpg
昨年、8月と10月の2回、ポータルミュージアムはっちで、八戸経営セミナーが行なわれた。
 これには、不況といわれ続けている今の状況から脱皮しようという、県南の若手経営者や起業者たちが50人ほど参加し、熱心に聞きいっていた。
 この日のセミナーの講師は、起業支援ネットワークNICe代表理事の増田紀彦さん。
 増田さんは、企業&地域の「不」「負」「普」を、「富」転化しよう!というテーマで話し、「不」「負」「普」に知恵を付加することで、それは「富」に大変身するということで、寒冷地の「不」「負」「普」を「富」に転化した、北海道音更町の、氷点下での南国フルーツ栽培や、山口県周防大島の、ジャム屋と伝統農業コラボの例などを紹介。
 後半はグループに分かれてのワークショップである。
 故郷を元気にしたいという想いで、これを企画したのが、旧十和田湖町出身で、㈱ii代表取締役の上久保留美子さんである。
 上久保さんは、昭和53年(一九七八)旧十和田湖町に生まれた。十和田湖一中、八戸工大二高、日本外国語専門学校卒業。
 上京後、焼き鳥屋でのアルバイト、居酒屋、リゾートレストラン、BAR、高級レストランなどを経て、高級料亭の店長となる。
 しかし、料亭のお客は、上場企業のエリートサラリーマンばかり。
 よし、私も上場企業へ入るぞと、もう一度学校に入り猛勉強。そして念願の上場企業に入った。が、入ったものの、所詮は大きな歯車の一つに過ぎなかった。
 そこで生甲斐を見いだせず、自分らしく働ける職場を探し、平成12年(二〇〇〇)に、リクルートの広告代理店に転職。リクルートでたくさんの経営者たちに会い、経営を学びたいと経営コンサルティング会社へ再び転職。ここで、3年間で、600のフランチャイズ店をつくった。
 これが自信となり、平成21年(二〇〇九)に独立。㈱iiを設立し現在に至っている。
 ㈱iiの問い合わせは、
 〒104‐0061 東京都中央区銀座3‐13‐4 真光ビル4F‐B ℡03‐3209‐7274迄。

青森県七戸町出身の学者姉妹

aidayouko.jpg (あいだ) 陽子さん(理化学研究所分子ウイルス学研究ユニットリーダー)
 理化学研究所(以下理研)。実は、一般にはあまり知られていないが、すごいところである。
 「2位じゃダメなんでしょうか?」といった馬鹿な政治家がいたが、世界最速のスーパーコンピュータ「京」を開発したのが、この理研である。
 それだけではない。理研理事長の野依良治さんは平成13年(二〇〇一)のノーベル科学賞の受賞者。同じく理研の脳科学研究センター長の利根川進さんは、昭和62年(一九八七)のノーベル医学生理学賞受賞者。その他、ノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士(昭和24年受賞)や朝永振一郎博士(昭和40年受賞)も、かつて理研の研究者であった。
 また今、ノーベル賞受賞の山中伸弥京大教授が開発した、iPS細胞を使った目の治療やがん治療の臨床研究にも着手した。
 理研は、大正6年(一九一七)、日本資本主義の基礎を築いたといわれる渋沢栄一らによって設立された、95年の歴史を持つ、物理学、工学、化学、農学、生物学、医学の日本最大の頭脳集団である。
 間陽子さんは、その理研の分子ウイルス学特別研究ユニットのリーダーであると共に、東京大学連携大学院の、連携教授でもある。
 「理研は、研究者の自由な楽園です。研究者が好きな研究をすることができます。
 私が今取り組んでいるのは、世界の死亡原因の約3割がエイズやサーズ、インフルエンザなどの感染症なんですが、それらのワクチンと抗ウイルス薬をつくることなんです。自分のやっている研究が必ず人類の役に立つ。そう思って研究しています」と語る。
 間陽子。昭和31年(一九五六)4月、七戸町に生まれる。七戸中学校、青森西高、北里大学獣医学部卒業。北海道大学大学院博士課程修了後、理研に入り現在に至る。
 二人の実家は、実は七戸町の諏訪牧場である。

 (あいだ) 弘子さん(日本中央競馬会競走馬総合研究所運動科学研究室室長)
 「競馬は男の世界でしょう。私が入るまでは、女性の獣医師なんて一人もいなかったんです」と語る間弘子さん。
 今は、日本中央競馬会で、運動科学や臨床医学、感染症、温泉リハビリなどの研究に取り組む、競走馬総合研究所で、運動整理学の研究をしている。
 間弘子。昭和34年(一九五九)1月、七戸町に生まれる。七戸中、三本木高校、北里大学獣医学部卒業。アメリカ・カルフォニア大学ディビス校動物病院留学。
 帰国後、実家が競走馬を生産していたということもあって、昭和59年(一九八四)日本中央競馬会に入る。しかし、前述したように競馬界は男性社会で、正職員にはなれなかった。
 平成3年(一九九一)になって、男女雇用機会均等法が整備されこともあって、ようやく正職員として採用された。
 そして平成7年(一九九五)に、北海道大学で獣医学博士号取得し、現在は、競走馬総合研究所運動科学研究室の室長である。

 写真/七戸町出身の姉の間陽子さん(向かって写真左)と、妹の間弘子さん。二人揃って学者姉妹だ

 

日展会員の鈴木實さんに青森県文化賞 suzukiminoru.jpg平成24年度の青森県文化賞に4個人1団体が発表された、その一人に十和田市出身の画家鈴木實さんが選ばれた。
 鈴木さんは、昭和5年(一九三〇)1月、十和田市に生まれた。青森師範予科、弘前大学教育学部美術科卒業。美術家の第1期生である。
 卒業後、地元の三本木中学校、五戸高校などの教壇に立つが、地方にいては絵の勉強ができないと上京。
 上京後、教壇に立つ傍ら、全国造形教育研究会の中核として、教育美術の分野で活躍した。
 また画家としては、全国的な美術団体「示現会」で、佳作賞、日展で特選を獲得。現在は「示現会」の常務理事・審査員を務めている。
 平成12年(二〇〇〇)に県褒賞も受賞している。

故菅野暎子さんの夢実現
 

nanbusakiori.jpg着古した布を捨てず再生させる、貧しさの中から生まれた南部裂織。その裂織を復活させ、新しい布文化まで高めた故菅野暎子さん。
 女性にとっては三越が憧れであった。その三越で、いつか裂織展をやりたいねというのが菅野さんの夢であった。
 南部裂織保存会を発足させて37年、ついにその夢が実現した。
 10月17日~23日、銀座三越で、暮らしに映える伝統工芸として、南部裂織と、津軽のこぎん刺しが、展示販売されたのである。
 ことはこうであった。
 昨年、三宅一世の「東北の底力ー心と光」展に呼ばれた。それが『家庭画報』の英字版に南部裂織の炬燵掛けが紹介された。それを見た三越の担当者から、ぜひ伝統工芸の炬燵掛けを展示して欲しいとの依頼があり展示した。これは、伝統工芸品としての展示だけであった。
 そして今年8月、裂織を展示販売して欲しいとの依頼がきた。これは作品の販売である。
 販売となると、ある一定の量がなければならない。期限は2ヵ月しかない。会員たちは手分けをして作品をつくった。
 こうして、450点ほどを持って銀座三越に臨んだ。
 いざ蓋をあけてみると、裂織保存会の、関東の会員にも手弁当で手伝ってもらったが、休む暇もないほどの忙しさ。売上げ目標を大幅に越す、大成功に終わった。
 事務局長の小林輝子さんは、
 「これまで物産展などには出したことがあったが、売るための展示ですから、商品の並べ方、陳列台の高さ、接客など、大変勉強になりました。さすが三越です」と語る。
 南部裂織は、近年会員の努力によってセンスの良い作品が次々に生まれている。いわば伝統工芸品から一歩飛び出した感のある、十和田発信の新しい布文化である。

 写真は、銀座三越で行われた南部裂織の展示販売と十和田のスタッフの皆さん

1  2  3  4