はたらくひと必読!仕事人!!今月のスポットライト

第10代 商工会議所会頭に就任
明るく元気に楽しく行動する商工会議所
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~今泉 湧水さんプロフィール~
 昭和29年9月16日生まれ(65)十和田市出身。三本木高等学校を卒業後は専修大学へ進学。卒業後はそのまま帰郷し、家業である㈱十和田ビルサービスに社員として入社した。
 自身が小学5年生の時に父が起業した会社を継ぐために業務では清掃や廃棄物の運搬、機械の整備や警備員などなんでもこなした。社員、常務を経て、平成8年に社長に就任した。業務以外にも公益社団法人十和田青年会議所の理事長も務め、卒業後には十和田商工会議所青年部に入会。約13年、副会頭として前会頭の石川正憲氏(72)をサポート。石川氏からお願いされ、令和元年度の会頭として就任した。

 十和田市商工会議所の令和元年度の会頭として就任した今泉湧水さん(65)。株式会社十和田ビルサービスの社長として200人を超える従業員を雇用している。会社の創業は今泉さんが小学5年生の頃。三本木高校を卒業後に専修大学に進学し、後継ぎとして帰郷した。会社は多い時で300人を超える従業員を雇う時期もあった大企業として成長。当時は亀屋や松木屋、とう鉄駅ビルなど大きな建物もあり忙しかったと振り返る。今泉さんは帰郷後、会社に社員として入社してからは清掃業務や廃棄物の運搬、機械の整備工事、警備員など、なんでもこなして仕事を学んだ。
 また、公益社団法人十和田青年会議所(以下、十和田JCと略)に25歳の頃に入会。当時は100人を超える会議所として盛り上がり、飲み会も多く町は活気にあふれていた。日本JCに出向が決まったときは飛行機で西日本へ何度も足を運んだ。あの頃が仕事との両立が一番大変だったと振り返る。JC時代にはまちづくり市民会議を起ち上げ、当時はまだ壁のあった民間と行政のつながりを作ったことが一番の思い出。39歳で十和田JCの理事長として就任し、直前(理事長の次の年に勤める役職)を務めて卒業。当時はJCを卒業してからでないと十和田商工会議所(以下、十和田YGと略)には入会できないという風潮があったという。卒業後はそのまま十和田YGに入会。入会と同時に県連の専務理事に抜擢されるなど、忙しい中で翌年に父の後を継ぎ、平成8年41歳の若さで㈱十和田ビルサービスの社長として就任した。
 十和田商工会議所入会から25年、会頭を5期続けて来た前会頭の石川正憲氏の任期満了に伴い、令和元年度の会頭として就任した。
 会頭となり、まず初めに第二期の中心市街地活性化の認可が下りたので、これを活かしたい。上手くいけばこれから人の流れはガラっと変わっていく。逆に言えば、これが中心市街地活性化のラストチャンスだと思っている。観光客は多いが、お金を落としてもらう仕掛けを作らないと活性化にはつながらない。若い人に空き店舗を活用してもらい、高齢者や観光客が立ち寄れる居場所を作ってもらいたいと語った。
 十和田市には仕事はいっぱいある。どこの会社でも仕事があっても人手が足りないとの声を聞く。働く若手があれば十和田市はもっと活性化していく。昼の仕事をしている人から夜の清掃でバイトをしたいという声もある。働きたいのに働けないのは残念だがこれは仕方ない。会社側からは有給など休んでも給与を保障しなければならないから大企業であれば金銭的な部分で、小企業であれば人員的な部分で負担は大きくなる。働き方や雇用の方法を考えて、選ばれるような会社にならないといけないと思う。
 街中を歩く人はほとんど見ないが秋祭りなどでは道が埋め尽くされるほど若い人も歩いているのを見ると、十和田もまだまだ捨てたもんじゃないと安心できる。ただ町内会の集まりでは子どもはほぼ見ない。日本全国どこでも言えることだが少子高齢化の波はどうにもならない。ただ、住むのなら十和田市はまだ他と比べていいとは思う。車で1時間圏内で山にも海にも行ける。特に近年、自然災害が多発しているが、台風被害もほとんどなく、内陸だから津波もないし、上下水道を全部通してあるから断水もない。空港も漁港も電車もないが、安心・安全で暮らせる街としてPRしたい。
  商工会議所として商業・工業に関わる人たちの意見を聞き、それを行政に要望を上げる役割をするのが仕事。前会頭の石川さんが「行動する商工会議所」を掲げていたので、私はそれに「明るく元気に楽しく」を付け加えて、会頭として責務を果たしたいと語った。
ダンスイベント「Foot Step」で表現豊かなダンス・振り付けをする
ダンサー 兼 保育士  福地 幸恵さん
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↑愛犬のコテツと写真撮影する幸恵さん
 ダンスイベントFoot Stepでダンス講師を務めている福地幸恵さんは1987年8月25日生まれの十和田市出身。十和田西高等学校を卒業後はロサンゼルスにダンス留学した。小学生に習っていたバレエでは人前に出るのは苦手で辞めてしまったこともあったが、母にわがままを聞いてもらい留学を決める。あてもなく海外へ行くも、習った英語も通用せず、次の日には帰りたいと泣いて電話したこともあるという。それでも午前は語学学校、午後はダンススクールに通いながら本場アメリカで経験を積む。
 1年の短期留学から帰国してからは東京でアルバイトをしながらダンスを続け、ダンススクールに通ったり、舞台で踊ったりしながら日々を過ごす。帰国してから3年後、母との約束通りに資格を得るために横浜市の短大の保育科に入学。卒業し保育士となってからもダンスに重きを置きながら託児所で働いた。
 去年の春に結婚を機に帰郷した。保育士として働きながら小さな森こども園2階や東コミュニティセンターなどを借りてダンス教室を開催して講師として活動している。
 FootStepは初めに最初は生徒3名からスタート。母から障がい者の子のためにダンスをやらせたいとお願いされ、小さな森こども園主催で始まった。今では健常者との垣根もなく、ダンスをしたいと生徒も増え続け、今年で第11回目となった。現在は70名まで増え、独自に開催するダンスイベントとして開催した。
 ダンスだけではなく、歌を歌ったり、太鼓などの楽器も使って。将来的な夢は自分のダンススタジオを持つこと。上手になるのが目的じゃなく、歌やダンスや楽器を通して表現する楽しさを知って欲しいと語った。現在も生徒は募集中。ダンスを習ってみたい方は...【 footstepis1234@gmail.com 】迄。
「十和田の手仕事プレミアム展」を開催した地域おこし協力隊
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 上官 妮娜さん
 去年の9月1日に地域おこし協力隊として任命されてから約1年、今年初めてとなる企画展「十和田の手仕事プレミアム展」を「14‐54」で開催した上官さん(30)は中国雲南省昆明市出身。小さい頃から日本のアニメなどが好きで、十和田市で地域おこし協力隊として任命される前は埼玉県で翻訳の仕事をしていたという。
 交流スペースである14‐54で作家さんたち、DMOの人たちと話しをしていて、アートによるまちづくりの一環として、地域おこしのために伝統工芸など特徴のあるものを伝えたいと企画展を立案した。展示作品は南部裂織やきみがらスリッパ、菱刺し、つるし雛、裂織こけし、十和田むらさきで染めた毛糸で編んだとんがり帽子など、県南地方の伝統工芸である作品を中心に展示や販売、製作体験などを行い、中心市街地の活性化、回遊性の向上につながればと考えた。実際には観光客よりも地元の人たちが購入していくことが多かったので、もっとご当地ならではの観光品として制作・発信していく工夫が必要だとも感じた。
 普段、上官さんは翻訳活動などを行いながら、SNSで十和田市の魅力の発信を主に業務としている。これからの一番の目標としては世界最大マーケットとも言える中国圏の人たちにもっと発信していきたいと語る。関東や関西は国外からも有名な観光スポットもあると認識されているが、十和田市は素晴らしいものがいっぱいあるのに、まだ発信力は足りてないと感じることもある。
 十和田市を代表するバラ焼きだけではなく、地域の特産品なども食べていただきたい。知名度の高い店は知られているが、観光客は知らない美味しい定食屋さんや喫茶店なども多くある。地域おこし協力隊としての任期は最大3年。自分の役割をしっかりと認識し、中国圏の観光客の増加に努めていきたいと語った。
日本刺繍と手織りの初個展を開催
着物の文化と魅力を伝えたい
工房さんり 藤原 史華さん
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 8月に市民交流プラザトワーレで日本刺繍と手織りの作品展「ぬいとり と おり」の初個展を開いた工房さんりの藤原史華さん。生まれた頃は父が弘前大学系列の病院の勤務医だったため転勤族だったという。中学2年生の頃に父が藤原内科を開業し、十和田市に移住した。三本木高等学校を卒業してから大学へ進学したが、体調を壊し帰郷する。工房さんりの名前の由来は、繍(ぬいとり)、染織(そめおり)、錺(かざり)の3つの"り"から名付けた。
 学生時代からフランス刺繍やクロスステッチなどが好きだったという藤原さんは日本刺繍の小笠原光子さんに弟子入りし刺繍を学ぶことを決意。最後の弟子となった藤原さんは小笠原さんが1999年に他界した後、独立を決めた。呉服屋さんから少しずつ注文を受けながら自分の刺繍の腕を磨いていたが、染めや織りもやってみたいと両親を説得し、奈良県にある大原和服専門学院に入学を決めた。職人の世界は完全分業で一つの着物を作るまで20工程ほど専門の職人が携わるという。
 一人で染めから織り、刺繍までをやる人は全国でも珍しい事を知り、自分にしか出来ないことをやってみたいと卒業後は京都へ移住し、約5年間、染めや織りなどの修行をし、平成29年に第10回現代手織物クラフト公募展でグランプリを受賞した。
 翌年に帰郷をした時に高校時代の恩師でもある現南部裂織保存会の小林輝子さんと再会し、もっと広めたいと奨められ、初個展を開く運びとなった。個展では来場者からのニーズを知り、ヒントや受け、アイデアはどんどん溢れだす。今後はとりあえずは姪っ子の着物作り、時間に余裕があれば教室も開いてみたいと語った。
30周年記念を迎えた白黒の彩り
独学で描く鉛筆画の世界
鉛筆画家 遠藤 光子さん
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 十和田市馬事公苑称徳館で「遠藤光子 鉛筆画展」が7月20日~8月18日まで開催されている。鉛筆画家として今年で30周年記念となる遠藤光子さんは午年生まれで今年、初めての年金をもらったという。去年まで夫婦で埼玉県に住んでいたが、三戸町出身ということもあり、定年退職を機に帰郷・移住した。遠藤光子さん自身は小さい頃まで南部町に住んでいて、当時は町なかで冬には馬ソリが走っていた記憶があるという。その時見た大きな馬の顔が忘れられなく、35歳で鉛筆画家として独学で描き始めた。
 小さい頃から動物が好きで馬や犬など描いていた遠藤さんは専門学校や弟子入りすることなく、画家として活動を始めたのは30年前。サラブレットやアラブ馬を中心に犬や猫など鉛筆でしか表わせない独自の手法で描き、馬の絵を描き続けた。代表作と言える「誕生の時」では後光が射したような白馬を描き、カンヌ国際芸術祭2004「コートダジュール国際芸術賞」の最高位を受賞した。
 作品は大きなもので仕上げるまで約2ヶ月ほどかかる。14本(6H~6B)の濃さの違う黒一色だけで様々な色を表現する手法は他に類を見ないため、海外からも注目を浴びている。また作品の1つ「天空」という白馬の絵は観る角度によって表情や顔の向きまで違って見える不思議さがある。是非、一度見に行って体感して欲しい。見る人の気持や受け取り方によって作品の表情も変わってくるという。最近では亡くなったペットなどの遺影として、またプレゼントとしても鉛筆画の作品依頼もある。写真とは違う柔らかさを表現出来るのも鉛筆画の魅力の一つと言えるだろう。作品依頼のご要望は...0179‐22‐0771迄。
大正創業の観光会社 入社から44年の歴史を経て
観光・交通・宿泊を担う新代表の挨拶
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~佐藤 行洋さんプロフィール~
 昭和28年7月24日生まれ(66)十和田市出身。青森県立三本木高等学校を卒業後、明治大学へ進学。卒業後は帰郷し十和田観光電鉄株式会社に就職した。会社の総務、タクシー運行管理、ホテルの支配人、バスの乗合い・観光・営業企画、駅ビル店長など様々な業務を経験し、出向を経て今年、入社44年目で前社長・白石鉄右エ門氏に奨められ、6月24日開催の定時株主総会で代表取締役として就任した。

 このたび、6月24日に開催された定時株主総会で、十和田観光電鉄株式会社・株式会社十和田電鉄観光社の代表取締役社長・白石鉄右エ門氏が退任し、新たに佐藤行洋氏が代表取締役社長として就任することが決まった。
 代表となった佐藤氏は十和田市出身。青森県立三本木高等学校を卒業後は明治大学へ進学。大学卒業後に帰郷し、最初に選んだのが十和田観光電鉄株式会社だった。最初はバスの乗合い課・観光課を経て、営業企画課を担当しながら、昭和60年にオープンしたとうてつ駅ビルへ出向した。テナント管理・人材管理など駅ビルの店長として従事し、最後は三沢店の店長として計約22年勤め、時代の移り変わりを見守ってきた。
 とうてつ駅ビル閉館と合わせ、一度総務へ戻り、その1年後、今度はまかど温泉富士屋ホテルの支配人として出向となる。管理役職を経てから、約2年間慣れないサービス業やホテル接客業を任された。ホテルでは周りの若い世代の従業員に助けられ、学ぶことも多かったと振り返る。
 その後は、現在運行を終了した十和田観光タクシーの代表取締役専務として出向。タクシーの管理業務を5年勤めてから本社へ戻り、総務部長として就任。
 今年の初め頃に前代表の白石さんから相談を受け、今年6月24日から代表取締役社長として就任した。22歳で入社してからは、本社勤務15年、出向29年と会社に腰を下ろし、実直に働いてきた実績を認められた結果と言えるだろう。
 佐藤氏は「大正3年が創業の歴史ある会社。今まで携わってきた人たちの頑張りで現在がある。公共交通として地域に必要とされ続ける会社でありたい。交通事業もホテル事業も安心・安全が第一。お客様に認められる会社として力を入れていきたい。」と語った。
 今後は路線バス・観光バスの2部門を充実させていく。人材不足のため、お客様に迷惑をかけないように富士屋ホテルに人員を集約。そのため、来年にはグランドホールの休館を決定した。もちろん最後までしっかりと予約を承ったお客様に対して満足いただけるように精一杯のサービスを徹底していく。人材確保は難しいとは思うが現在はオリンピックの影響で人材が東京に集中している。それが終わってから戻ってくる人に期待したい。
 遊覧船事業はインバウンド客も増加し、安定しているが、去年は悪天候が続き、欠航が多かった。今年はすでに去年の乗船客数を超えている状況。現在4艘ある遊覧船のうち、3艘の双胴船にはワイファイを付けてインバウンド客へ満足できるように対応している。
 これから夏秋にかけて忙しくなる。10月の紅葉シーズンに向けて交通・宿泊の面で満足いただけるように取り組んでいきたいと語った。
野菜ソムリエの資格を持ったフリーアナウンサー
上明戸華恵さん
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 フリーアナウンサーとして活躍し、野菜ソムリエとしても講師を務める上明戸華恵さんは十和田市出身。三本木高等学校を卒業後、関東学院女子短期大学へ進学。卒業後は青森県へ帰郷し、青森放送(RAB)のアナウンサーとして入社した。
 約7年勤めた後、フリーアナウンサーとして独立。イベントの司会やリポーター、ラジオ番組などフリーとなってからもお世話になっている方々からの紹介で依頼は増え、気が付くと20年経っていたという。
 ラジオを聴いてくれる方が農家の人が多いということもあり、仕事で食に携わることも多く、興味もあったので何かの形で恩返しを出来ないかと考え、野菜ソムリエの資格を取得し、地域活動として青森県産物を伝えていきたいと思った。野菜ソムリエの活動としては5~6年前に開催したキッズソムリエで十和田市と協力して子どもたちを対象にした「とわだ野菜楽校」を開催するなど、食の文化から十和田市を自慢してもらいたいと活動。また、野菜を食べない子どもが増えてきているので十和田市の美味しい野菜を知ってもらいたいと語った。
 将来的な夢は「コミュニティFM」をやってみたいと語る。地域の人たちがもっとつながりを身近に感じられるように、子育ての世代や、高齢者の方と情報を共有して発信したい。ラジオで感謝の言葉を伝えたり、サプライズな告白をしたり、イベントの告知をしたりなど、十和田市だからこそできるコミュニティFMが出来れば嬉しいと語った。
 イベントの司会、ナレーションやリポーターなどご依頼有れば『http:
//www.kamiakito.com』までご連絡を。
元・駄菓子屋ゲーセン息子の
レトロゲーム秘密基地 
代表 鳥居 秀憲さん
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 4月29日に十和田市民文化センター斜め向かいにオープンしたレトロゲームハウス「元・駄菓子屋ゲーセン息子のレトロゲーム秘密基地」。その代表を務める鳥居秀憲さんを訪ねた。昭和46年11月30日生まれ(47)五戸町出身。八戸工業第一高等学校を卒業後に東京で就職。某大手ゲームメーカーの営業や修理、カラオケ店など様々な仕事を経験し、その後システムエンジニアとして働きながら2010年に帰郷した。
 鳥居さんの実家は駄菓子屋ゲーセンをしていた。そのため、小さな頃は自分の家がお菓子を買いに来た近所の子どもやゲームする大人が集まる場所だった。しかし、帰郷した頃には昔あった場所はなくなっていた。早くに家族を亡くしてしまったという鳥居さんはゲームやレジャーが好きで、そこに集まる人たちも好きだった。現在は携帯ゲームやスマホゲームの普及で顔を合わせなくても会話をしなくても、どこでも簡単にゲームが気軽に遊べる時代になった。だからこそ、あえて空間で遊べる場所を作るためにお店をオープンすることを決めたという。ゲームは体感型の常設ゲームが2台、タイトルが1ヶ月毎に変わるテーブル台ゲームが7台。お店に置いてあるタイトルは80年代が多い。久しぶりにゲーセンで遊ぶ人は懐かしんで遊んでくれるし、高校生たちは逆に新しい感覚で遊んでくれる。駄菓子は他のお店よりも安く、値上げ前と同じ値段設定なのが嬉しい。
 今後はクリアした人に記念として認定証を作って渡したり、フリーペーパーなども渡す予定。アウトランやハングオンなど値打ちのある体感ゲームもおススメ。詳しくは"info@livingbird.jp"で検索。
信じる。挑む。~「自分次第」が導く価値づくり~
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~国分聡さんプロフィール~
※以前に仕事人で紹介しているので割愛させていただきます(詳しくはネット新聞「夢追人」で検索)2019年度公益社団法人十和田青年会議所の第63代目の理事長として就任する。
 第63代目の公益社団法人十和田青年会議所(以下JC)理事長として就任した国分聡さん。自身が数年前に拡大委員長を任された時に拡大大賞部門別全国1位を受賞した実績を持つ。もちろん自分の力だけではなく、メンバーの助けがあってこそ成せたことだが、増やす事を目的しても個人の成長につながらないと感じた。会員拡大を第一にするのではなく、会員育成を重点に置きたい。まずはメンバー自身に魅力的な組織だと感じてもらうこと。そうする事が結果として会員拡大につながると語った。JCで1年ごとに役職が変わる理由として、経験を積ませることがある。経験とは悩んだり、失敗したり、怒られたり、たまに褒められたりすること。大人になってからも失敗を恐れず、新しい事に挑戦していきたい。仕事の幅を広げるためにも、仕事の
仲間を増やすためにも、仕事と兼務するからこそ得られる価値がJCにはあると知って欲しい。
 十和田市はDMOの設立を追い風に観光ビジネスに力を入れる流れになっている。JCはまだ地域の魅力を見つけるための意見出しの段階だが、青年経済人としてビジネスチャンスを掴む力を養う機会をどんどん創っていきたい。中日お祭り広場では来年が50周年となるので、今年は来年に向けて何をするか考える年。もっと人を呼べるような仕掛けを考えていきたい。青少年育成事業では恒例となった職業体験をもっと子供たちの成長につながる内容に進化させたいと考えている。
 理事長として就任した今年の初めに、父が亡くなり、周りには「大変だね」と言われる事も多いが、仕事面も精神面でも仲間に支えられ、助けられることが多く、本当に感謝している。JCに入会して良かったと言われるような組織作りをしていきたいと語った。
地上から空まで
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~新谷 智央さんプロフィール~
 昭和56年7月11日生まれ(37)十和田市出身。八戸高専に進学し、千葉大学へ編入。大学を卒業してからは地元にある建設会社、田中建設工業(株)に入社し、現場監督として勤める。約3年勤務してから八戸市にある土地家屋調査士事務所へ転職した。働きながら29歳で土地家屋調査士の資格を取得し、会社で勤務しながらも個人でも独立起業した。30歳で北園小学校前に会社を設立。従業員の増加により現在ある切田通りに移転した。
 若くして会社を起業し、土地家屋調査士事務所だけではなく、ドローン専門の株式会社ATZや行政書士事務所も兼任する「あらや土地家屋調査士事務所」の代表を務める土地家屋調査士の新谷智央さんを訪ねた。
 新谷さんは大学を卒業してから、地元の建設会社に就職。一旦は八戸市の土地家屋調査士事務所に転職し、資格を取得し、30歳の若さで十和田市で起業した。平成26年の株式会社ATZを起ち上げ、不動産管理や測量業務の他にドローン会社として空撮やPV作りなど、様々な事に携わっている。また、今年5月には行政書士事務所も起ち上げた。地方では深刻な課題になっている空き家を活用するために、所有権や相続権など法律が絡む問題を自社で解決できるようにと語った。新しく家を建てる人のための分譲の業務も多くなっている一方、後継者のいない高齢者の家も増えている。
 仕事が増えると人が増える。人が増えると出来る事が増える。必要な資格を持っている社員を増やす事で、市内外の仕事を拡大していきたいと語る。自身は休みも返上して忙しく働く理由は、将来、ライバル会社が増えたり仕事が減ったりと淘汰されていく時代がくるかもしれない。その時に従業員と一緒に生き残れる会社でありたいと語った。

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