はたらくひと必読!仕事人!!

「成分と品質のナリス」の魅力を伝える
トータルビューティーのプロフェッショナル
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田清第一店舗
小坂 亜希さん
 今回スポットを当てたのは田清第一店舗でトータルビューティーをお勧めしている小坂(旧姓・田中)亜希さんだ。昭和51年11月28日生まれ。三沢高等学校を卒業後は多くのデザイナーや著名人を輩出している文化服装学院系列の文化女子大学(現文化学園大学)に進学し、家政学部造形学科インテリアデザインコースで学ぶ。卒業後は様々な職種の仕事を経験しながら東京で働いていた。家業である田清第一店舗で定年退職者が多く出た時期があり、父親を手伝うために27歳で帰郷。衣料の販売をメインにしながら働いていたが(株)ナリス化粧品の製品をお店で扱うようになり次第にその魅力に惹かれていった。製品の魅力をもっと多くの人に伝えたいという想いでフェイシャルエステやフットケア、ボディケア、ネイルやメイクアップなど様々な資格を取得し、約6年前に店内の一角に姉妹二人の名前の頭文字からとったR&Aというトータルビューティーのスペースを作った。創業85周年を迎えたナリス化粧品は「余分なものを取り除き必要なものを与える」という美容理論のもと、安全性や効果効能の高い製品を取り扱っている。もし肌トラブルや化粧品選びに困っている人がいたら是非お勧めしたいと語る。
 化粧品販売だけではなくトータルビューティーを目指したのはお客様の肌の悩みやその人にあったプランなどを相談しながら考えておススメ出来るからだ。「肌を変えていく自信はある!」そう語る小坂さんの話しからナリス製品に対する愛情が伝わってきた。これからはアロマやヘアメイクの資格なども取得して女性の悩みにもっと応えられるようにしていきたいと語った。
大きな平野に羽ばたく仕事人
勇知を持って起業した紙器製造
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~平野 訓弘さんプロフィール~
 昭和21年5月26日生まれ(70歳)岐阜県出身。高校を卒業してから家業の平野商店を継ぐ。包装資材の販売の業務から縁があり紙トレーなどの製造の仕事に転機。それからは平野紙器工業所、株式会社平野紙器、ビッグプレイン株式会社と事業を拡大。16年前に十和田市の誘致企業として創業。女性の雇用、働きやすい職場を推進してきた。去年、借家だった工場から移転、新たに新工場社屋を建設し更なる飛躍を目指す。

 今回は誘致企業として十和田市に工場を建設。去年、念願の新工場社屋を設立したビッグプレイン株式会社の代表取締役・平野訓弘さんを訪ねた。岐阜県出身の平野さんがなぜ十和田市に工場を建設してくれたのか、その人柄や社長となった経緯などを聞いてみた。
人生の転機
 岐阜県に生まれた平野さんは高校時代は演劇部で活躍。芸能界に興味があり、将来は俳優になりたいと夢を持っていた。しかし母親が有名な占い師に占ってもらうと、「息子さんは一旦家を出ると二度と戻ってはこない」と言われ、なんとか家業を継いで欲しいと頼まれたという。夢を諦める代償として当時高級車だった日産のプリンス・スカイラインを買う事を条件に出す。お金の使い道には厳しく経済的にも余裕がない時代。断られると思っていた返事は「わかった」でした。両親の思いに平野さんも覚悟を決めて家業である「平野商店」を継いだ。
商売の転機
 元々はお菓子の包装紙やのし紙などの包装資材を販売する業務だったがお客様から和菓子に使うトレー紙(紙カップ)を作ってくれないかと頼まれ手探りながら製造業を始める。それが軌道にのってきたために販売するディーラーから製造するメーカーとなる。商売も自宅兼工場では手狭になり、昭和41年に「平野紙器工業所」を建設し事業を拡大した。平野さんは父親がものづくりと営業、母親が仕入れや財務を担当し、その両方を学べる英才教育のような環境で商売を学び育った。
運命の出会い
 昭和42年に山崎製パン㈱様と出会う。出会うと言っても偶然や紹介ではなく、これからの会社の命運を掛けた山崎製パンへの飛び込み営業だった。当時の資材課課長に「山崎製パンと真剣に付き合えますか?本当に大変ですよ?」と笑顔で問われ、試されるような厳しい注文を受注し、それを二日間徹夜で仕上げて認めてもらった。当時は交通手段の選択肢が少なく、全国へ工場を急激に拡大展開していた山崎製パンの指定業者として貨物列車で品物を送るなどの不便もあったが、父の教えの「受けた注文は必ず納期を守って届ける」を実行し、共に拡大するために東北地方への進出も視野に入れ始める。
事業の拡大・社長就任
 業績も右肩上がりとなり、昭和51年に「株式会社平野紙器」を設立。業界トップメーカーを目指す。この頃には父親と意見が対立することもあり、一時家業を離れるが他の会社の組織の一員として社員教育、財務管理、顧客管理などを学び約5年の武者修行を終え戻ってくる。昭和59年には本拠地の工場を移し、量産体制を整え、販売拡大のためにビッグプレイン株式会社を設立。同年に社長として就任した。45歳で社長となってからは「良品・安価・デリバリー・信用」を信念に就く。そして責任を強く感じながらも、夢だった自分独りで起ち上げる工場建設に動き出す。
理想の工場
 十和田市は山崎製パンの十和田工場があること、北海道にも近く東北圏内を回れること、観光地でもあり、自然環境や食材も豊富、なにより人が良いと判断し決断した。誘致企業の話しもあり、平成12年に借家として工場を借り稼働した。工場と言っても紙器製造なので女性を中心に運営が出来る会社として、女性が働ける雇用環境を作り、地元の人にやりがいを持って働いてもらいたい。理想の工場を求めるたった独りの挑戦から始まった。
十和田進出
 働く場を作っても働く人がいなければ工場は稼働しない。知り合いなどいない十和田市で唯一の知人で縁があった氣田さんにお願いをし、面接の手伝いを頼んだ。30名の応募に120名が殺到し、その中から採用。面接が終わってから最後に私も一緒に働きたいと気持ちをいただき2人3脚で理想を叶えるパートナーとして採用する事となった。それから16年、十和田市だけではなく五戸町や七戸町からも雇用をし、地元雇用を支える企業として活躍する。
信用は企業の命
 「信用は山登りと同じく一歩ずつ上がるのは大変で落ちるのは一瞬」そう語る平野さんは社員の反対を押し切ってまで東日本大震災の時に地上の交通手段が限られた時にも赤字を覚悟で空輸で注文の品を配送したという。お金は無くなっても信用を無くさなければ必ず戻ってくる。その言葉を証明するように業績は更に伸びた。
夢の実現
 平成28年に夢だった自社工場を建設した。工場内はストレスが感じにくくなるように屋根が高く衛生的で広い空間がある設計。社屋は無駄なものがなく、それでも細かいこだわりが要所にある。「和をもって人とのつながりをつくる」を社訓に平野紙器・アイテック(機器製造会社)・ビッグプレインの調和を図り共に発展していきたい。次の夢は世界に羽ばたいていけるように挑戦していきたいと語った。 
株式会社 小原工業
十和田香美工房 開発室
松田 美穂子さん
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食卓のご飯にちょい足しのひと工夫
菜食健美を求めるものづくり
 今回スポットを当てたのは次々とドレッシングなどの新商品を開発・販売している㈱小原工業 十和田香美工房 食品開発室の松田美穂子さんだ。
昭和45年8月26日生まれ。三本木高等学校を卒業後は北海道の札幌大学短期大学部に進学。帰郷してからは家業である㈱小原工業の事務として就職した。趣味として始めていた英国式マッサージ(リフレクソロジー)を自宅サロンでやるなど女性とも接する機会が多く、建設業事務だけではなく美と健康と食をつなげる仕事にも次第に興味が強くなった。
 加工食品とは縁のない業種だが元々実家が農家で昔から野菜を使って自家製のタレを作っていたという。その韓国風醤油タレの評判が良く、商品化出来ないかと勧められていたところに異業種参入という支援事業があり、手探りながら加工食品として販売する事となった。
 平成25年に「ちょいちょいシリーズ」としてみそとしょうゆの4種類の調味料を販売。平成26年に委託製造から自社に加工場を作り自社製造を始める。平成27年には林檎と山葡萄ドレッシングや林檎と姫トマトドレッシングや華やぎ香美塩などを増やしてスタッフを雇うまでとなった。平成28年には真空パックなど出来るレトルト機も購入し他の加工食品の委託も受けるようになる。平成29年に激辛の地獄みそシリーズも発売するなど創作意欲は止まらない。松田さんは常になにかを作り続ける「ものづくり」を楽しんでいきたい。熱や混合で成分や色が変化するものがあるので科学的な勉強も学んでいきたいと語った。
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安心・安全を届けるタイヤ屋さん
カーライフに必要な車を支える力持ち
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~石田朋也さんプロフィール~
昭和50年8月30日生まれ(41歳)
 十和田中学校を卒業してからは八戸工業高等専門学校土木工学科へ進学。5年間学業を努め卒業後は関東にある建設会社に就職した。
 平成15年に父親が「タイヤガーデン十和田」を起業することとなり、家業を手伝うために帰郷した。今までの建設業ではないタイヤの販売や交換や修理なども覚えながら外回りの営業を担当。営業に必要な知識と人脈を築きながら平成25年に代表取締役として就任した。

 今回訊ねたのは旧4号線沿いにあるタイヤの専門店、タイヤガーデン十和田の代表取締役・石田朋也さんだ。阿部寛似の濃い顔に高身長で高校時代はバスケしていたというのもうなずける。
 一時は建設業の道へ進んだが家業を継ぐために帰郷した石田さんは代表取締役と言っても社長室で黙って座っているのではなく、タイヤ販売をメインに交換や修理など業務とし、基本は外回りの営業だという。人脈を作るため、ものの仕組みや考え方を学ぶために平成20年に十和田青年会議所にも入会し、約9年間努めた。
 当たり前の事だが車はタイヤが無くては走らない。ただ走ればいいかと言えばそうではなく、タイヤのすり減りが原因で事故につながる事も多い。車を運転するには大事な部品だが意外とその特徴を知らない人も多い。
 例えば夏タイヤなら雨で滑らないかどうかや燃費の違いにも影響がある。冬タイヤはゴムの種類や模様(パターン)で止まる距離も違う。最近は静かに走れる事が特徴のタイヤなども需要があると教えてくれた。普段の生活スタイルやカーライフに合ったタイヤを提供する事、メーカーやカーディーラーをお客様とつなげるタイヤ販売店として安心・安全を届けられるようにこれからも頑張っていきたいと語ってくれた。
 タイヤに関するお問い合わせは...0176‐22‐5049迄
 余談となるが南部駒踊りなど地域の伝統芸能を子どもたちに伝える活動もしている。
安心・安全を届けるタイヤ屋さん
カーライフに必要な車を支える力持ち
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~石田朋也さんプロフィール~
昭和50年8月30日生まれ(41歳)
 十和田中学校を卒業してからは八戸工業高等専門学校土木工学科へ進学。5年間学業を努め卒業後は関東にある建設会社に就職した。
 平成15年に父親が「タイヤガーデン十和田」を起業することとなり、家業を手伝うために帰郷した。今までの建設業ではないタイヤの販売や交換や修理なども覚えながら外回りの営業を担当。営業に必要な知識と人脈を築きながら平成25年に代表取締役として就任した。

 今回訊ねたのは旧4号線沿いにあるタイヤの専門店、タイヤガーデン十和田の代表取締役・石田朋也さんだ。阿部寛似の濃い顔に高身長で高校時代はバスケしていたというのもうなずける。
 一時は建設業の道へ進んだが家業を継ぐために帰郷した石田さんは代表取締役と言っても社長室で黙って座っているのではなく、タイヤ販売をメインに交換や修理など業務とし、基本は外回りの営業だという。人脈を作るため、ものの仕組みや考え方を学ぶために平成20年に十和田青年会議所にも入会し、約9年間努めた。
 当たり前の事だが車はタイヤが無くては走らない。ただ走ればいいかと言えばそうではなく、タイヤのすり減りが原因で事故につながる事も多い。車を運転するには大事な部品だが意外とその特徴を知らない人も多い。
 例えば夏タイヤなら雨で滑らないかどうかや燃費の違いにも影響がある。冬タイヤはゴムの種類や模様(パターン)で止まる距離も違う。最近は静かに走れる事が特徴のタイヤなども需要があると教えてくれた。普段の生活スタイルやカーライフに合ったタイヤを提供する事、メーカーやカーディーラーをお客様とつなげるタイヤ販売店として安心・安全を届けられるようにこれからも頑張っていきたいと語ってくれた。
 タイヤに関するお問い合わせは...0176‐22‐5049迄
 余談となるが南部駒踊りなど地域の伝統芸能を子どもたちに伝える活動もしている。
お客様と長く付き合える中古車の
修理・販売・保険の相談請負人
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~中野隆生さんプロフィール~
昭和54年6月20日生まれ(37歳)
 旧東北町出身、野辺地西高等学校を卒業後、札幌にある建築関係の専門学校に進学。20歳で卒業してからは十和田市の建設会社に就職し、約9年間勤務して退社。(有)中野自動車整備工場の中古車部門で販売・営業をする。
 保険も学びたいと出向のような形で東京海上日動のインシュアランスプランナーの研修制度を利用して社員として入社。34歳で(有)中野自動車整備工場に復帰勤務し、中古車の販売・修理・保険などに務める。

 今回は中野自動車整備工場勤務の中野隆生さんを訪ねた。おっとりとした優しそうな雰囲気で迎えてくれた中野さんは、東北町出身で野辺地西高校を卒業後は札幌の建築関係の専門学校に進学。当時は家が裕福ではなかったために学業の成績で特待生となるために努力したという。20歳で卒業し、十和田市の建設会社に就職。そこで9年間勤務し、退社後は(有)中野自動車整備工場に転職する。中古車の販売や修理、営業もしていた。
 東日本大震災をきっかけに保険も学びたいと出向のような形で一度退社し、研修制度を利用して東京海上日動に入社。当時はかなり厳しいノルマをこなす研修だったために苦労も多かったと語る。飛び込み営業は苦手ではなかったが、そこで気付かされたのは自分は十和田市に同世代の知り合いがいないという事だった。まずは人脈を作るために忙しい最中だったが十和田青年会議所に入会を決めた。34歳の時に東京海上日動を退社し、(有)中野自動車整備工場に復帰した。
 また、去年の十和田青年会議所60周年記念ではおまつり委員会で委員長を務め、初めてのウマジンの創作演舞や十和田囃子の合同演奏など担当するなど活躍もみせる。
 中野さんはこれからも客層を増やしながら中古車を販売・修理し、お客様と長く付き合えるように接していきたいと語った。
 中古車販売・修理などのお問い合わせは...0176‐23‐5570迄
ゆっくりとした時間と空間で
教えるよりも伝えたい美術の面白さ
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合同会社スクール&カフェ友実家
主任講師 佐伯 知美さん
 今回スポットを当てたのは旧仏蘭西屋にスクール&カフェ友実家をオープンし、講師としても活躍する佐伯知美さんだ。(現在の姓は安田)
 昭和57年12月18日生まれ(34歳)旧東北町出身。三本木高校を卒業後は弘前大学教育学部生涯教育課芸術文化専攻に進み教育と美術について学ぶ。卒業後は七戸町立鷹山宇一記念美術館に勤務しながらも、七戸高校八甲田校舎(旧八甲田高校)や六戸高校の美術の非常勤講師としても働いた。
 7年間勤務した鷹山宇一記念美術館では教育普及を担当。地域の人が美術館に足を運んでもらえるようにワークショップなどを企画し講師として務める。諸事情があり29歳で鷹山宇一記念美術館を退職する。
 退職後は先生として美術を教えるよりも講師として美術の面白さを伝える事が好きなんだと気が付き、東公民館を借りてソープ&ベジタブルカービングや日本画の教室を始めた。喫茶店でバイトをしながら教室を開き、以前からつながりのあった出張講師も続けていた。借りている教室が時間枠で決められていて、あと少しで完成する作品も途中で終わらなければならない事もあり、ゆっくりとした空間と時間を作りたいとの想いは強くなった。フワっと考えていたイメージに少しずつ輪郭と色を付けていき平成27年10月21日にスクール&カフェ友実家をオープンする事となった。
 お問い合わせは...0176‐23‐6300/ホームページは...https://www.tomomika.com/Facebookでも教室の情報を発信している。
郷土の未来を切り拓く先駆者たれ
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~西村盛男さんプロフィール~
昭和56年6月15日生まれ(36歳)
 三沢市出身、東奥義塾高等学校を卒業後、早稲田大学へ進学。大学卒業後は家業を継ぐために帰郷した。ライズオートに入社し、車両部品販売の卸売り業を学びながら主に市内の整備工場やディーラーなどに販売する。2008年12月に現在卒業してしまった先輩に誘われ、三沢青年会議所に入会する。国際色の強い三沢の個性をJC運動を通して学びながら、次の世代を担う先駆者としての覚悟を持ち、今年度の三沢青年会議所の理事長として就任した。

 今回訪ねたのは、2017年度の三沢青年会議所の第54代理事長として就任したライズオートの西村盛男さんだ。早稲田大学を卒業という素晴らしい経歴を持つが、それを感じさせないような親しみやすい人柄と雰囲気を感じた。
 家業を継ぐために帰郷してからは主に一般販売ではなく、整備工場やディーラーなどの業者に車両の部品販売をする仕事を学ぶ。
 西村さんは約1/5が外国人だという特徴のある三沢市で生まれ育った。外に出て気付かされた他の街にはない個性と魅力がある大好きな街のために何かしたいと27歳の頃に三沢青年会議所に入会する事となる。
 そこでしか出会えない仲間、そこでしか学べない経験など、JC運動を通して活躍し成長。
 「三沢国際サマーフェスティバル」や「三沢・沖縄児童交歓事業」などを軸に、地域の活性化と青少年の健全育成に貢献し、これからの郷土の未来を担う先駆者として多様な運動を展開していきたいと、三沢青年会議所の第54代理事長として任命され、就任する事となった。スローガンである「郷土の未来を切り拓く先駆者たれ」は自分自身だけではなく、一人一人が郷土の未来に責任を持って欲しいという想いと、それを実現するためにリードしていける人になるという意志が込められている。
 課題はたくさんあるが国際色豊かな文化を活かして、青少年育成と地域活性化に貢献していきたいと語った。
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~私たちの未来を創造する~
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~小関教仁さんプロフィール~
昭和52年10月2日生まれ(39歳)
 三本木中学校を卒業後は幼少から続けているサッカーで上を目指すために、名門・山田高校に進学し活躍。卒業後は私立青森大学経営学部に進学し経営学を学ぶ。大学卒業後は家業である有限会社小関麺興商事に入社し、一から麺の作り方を学び、技術・知識・経験を積み重ね、34歳で工場長として就任した。2011年11月に十和田青年会議所に入会。今年度の十和田青年会議所の理事長として就任した。

 今回は十和田市青年会議所第61代理事長として就任した(有)小関麺興商事の小関教仁さんを訪ねた。2011年11月に十和田青年会議所に入会。そして今年度の第61代理事長として就任した。
 去年が60周年という節目であったが、今年度はその節目の次の一歩目として大事な年だと思う。その理由の1つとして第一線で活躍してくれたメンバーが去年6人、今年で13名が卒業することとなり、この2年間で19名も会員が減る事になる現状がある。まずは最優先課題だと思っている会員拡大に力を入れたい。
 事業としては青少年育成事業、中日お祭りを軸に地域に貢献していきたい。今年のスローガンを「image」としたのは想像なくして創造もない。イメージしたことを行動に起こすことが大事だとサッカーを通して学んだ。技術よりも挨拶や礼儀を大事にしていき、JCの個性の強いメンバーをしっかりとまとめて強いチームにしていきたいと語った。
 自分はまだ入会5年目で経験は浅いので自身の成長のため、そしてメンバーの成長のために理事長職をまっとうしていきたい。組織の上に立ち、責任とプレッシャーを感じながら様々な事業を経験とし、人の役に立てるように地域貢献につなげていきたい。
 理想のJCをイメージして今年1年取り組んでいきたいと語った。
立ち止まって観ると探せる光
 自然が生んだ歴史を歩きながら
奥入瀬渓流の魅力を伝える案内人
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NPO法人 奥入瀬自然観光資源研究会
事務局・ガイド 玉川 えみ那さん
 今回スポットを当てたのはNPO法人奥入瀬自然観光資源研究会(通称・おいけん)の事務局でガイド(案内人)を務める玉川えみ那さんだ。
 昭和60年3月24日生まれ(31歳)三本木高等学校を卒業後、東京の玉川大学に進学。この時に知り合った玉川さんと後に結婚する事になる。卒業後は写真関連の卸売り業で働き、27歳の時に帰郷した。
 学生の頃にはあまり興味もなく行ったこともなかった奥入瀬渓流。父親の起ち上げた旧ノースビレッジが企画していたモスプロジェクトに参加することになり、カヌー体験や苔の専門家を呼んでの講習会などを開いたりと奥入瀬渓流に携わることが多くなり、自然の大きさへの衝撃と小さな自然の感動の虜になってしまったという。ガイドの河井さんとの出会いで蔦温泉の周りのブナの話しや奥入瀬渓流の自然や苔の価値や魅力を教えられ、それを伝えたい!との使命感が生まれた。任意団体として起ち上げた「おいけん」は河井さんを中心に2014年にNPO法人に認定された。素晴らしい景色を見て歩く観光から、本当の「光」を「観」る観光へ、立ち止まらないと観えない苔などの小さな自然が大きな自然を作り上げている事を知って欲しい、ガイドをしながら伝えたいと語った。観光シーズンも一旦落ち着き、これからの冬季の観光事業をどうするべきかが課題という。また、玉川さんはこの取材の中でも書ききれないほど絶対に聞かなければ知らないような事をたくさん教えてくれた。
 奥入瀬渓流の本当の魅力を知りたい方は...0176‐23‐5866(おいけん)迄
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