はたらくひと必読!仕事人!!今月のスポットライト

身体と心を整える運動療法
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ルーシーダットンインストラクター
苫米地 香さん
 十和田市内外で「ルーシーダットン」のインストラクターとして活躍する苫米地香さんは昭和56年3月17日生まれ、新潟県出身。学生時代からアルペンスキーに情熱を打ち込んでいたが、腰などを痛める怪我をしてしまい、整体・病院通いが続く毎日に気持ちまで落ち込んでいた。結婚を機に青森県に移住。旦那さんの母親がアクアビクスのインストラクターをしていたこともあり、手伝いや参加をすることで身体を動かす事が気持ち良いと改めて感じた。何か出来ないかと探していたところに自己整体を目的としたタイで伝わる運動療法「ルーシーダットン」と出会う。初めて身体を動かす人や、筋力の衰えた人、高齢者でも始めやすいという点や「自己整体」という言葉に惹かれ週2で八戸市の教室に通った。自身の身体の調子が良くなっていくことを実感し、子育てで忙しい中でもずっと続けていきたいとの想いから、インストラクター養成講座を受けて日本ルーシーダットン普及連盟認定インストラクターとなった。
 苫米地さんは自身の会社(会場)を持たない出張インストラクターとして市内外から依頼があれば様々な場所で教室を開催している。現在の定期開催教室は総合型スポーツクラブRED HORSEの一環での開催、南部町での出張教室、お寺の本堂でルーシーダットン、座禅、法話をする教室も開催。また、保育園で子育てに忙しいお母さんを対象に企画しているホットママプロジェクトでも教室を開催し好評を得ている。自身で身体と気持ちを整える自己整体「ルーシーダットン」の良さをもっと広めていきたいと語った。お問い合わせは...Facebookで検索、またはtoma.kao.a@gmail.com迄。
新しい技術にも進んで取り組む
地域の境界 守りつなげる仕事人
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~力石優さんプロフィール~
 昭和58年12月6日生まれ(34歳)
十和田市出身。三本木高等学校を卒業後は福島県にある会津大学コンピューター理工学部に進学。(有)力石測研の創業は平成3年、力石さんが小学校1年生の頃に独立起業した。一人息子だったが家業を継ぐ事は強制されていなかったため、大学卒業後は東京の飲食チェーン店へ就職し接客や調理を経験した。諸事情により24歳の時に家業を継ぐために帰郷し、入社してからは資格を取得するために励む。25歳で行政書士、27歳で土地家屋調査士の資格を取得する。
 十和田市内の道路や下水道の測量・設計を行う有限会社「力石測研」の力石優さんを訪ねた。
 測量は新しい道路や建物を作るときに高さや距離を立体的に測ることが仕事。最近ではドローンを使った空撮や、そのデータを基に3Dビューで写真を立体的に見られる技術なども発達し、測量という仕事にも付加価値を生む事で依頼者へ解りやすく伝えることが出来るようになった。
 力石さんは測量士ではなく土地家屋調査士・行政書士の資格を取得。主に土地や建物の登記申請、土地境界の測量、行政への届出・許可申請などが業務だという。空き家問題など時代の流れや法律改正による課題にも順応していき、ドローンによる空撮・測量など新しい技術も進んで導入していきたいと語る。
 また、地域のために何かしたいと公益社団法人十和田青年会議所(JC)にも入会し6年目、今年はお祭り委員会の委員長を任せられた。今年から会場が変わるために雨天時にはどうするか?ステージ作りをどうするかなど懸念材料は多いが、課題を乗り越え成功させたいと意気込む。JCでは人とつながっていかなくては次に進めない事が多く、コミュニケーション力を磨ける場所だと思うと語った。
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 三本木タクシー向かい側にあるアロマショップ「アネモネ」を経営する若木加奈子さんを訪ねた。昭和49年7月10日生まれ。八戸西高等学校を卒業後は札幌にある短期大学に進学し、そのまま札幌で就職。雑貨販売のスタッフや飲食店の店長を勤めるなど多様な仕事を精力的にこなしていたが、仕事が好きすぎて身体を壊してしまう。止む無く札幌での仕事を辞めてからは八戸市で働き、そこで出会った旦那さんとの結婚を機に十和田市に移住してきた。今の仕事に関心を持ったきっかけは30歳のころに原因不明の病気にかかり薬や湿布では取れない自分にしかわからない痛みに苦しんだことだという。その時に一番効果があったのが温熱療法だった。自分と似たような悩みに苦しむ人の役に立てたらと温熱で痛みを和らげるホットセラピーを学んだ。また、出産・育児に追われる中で認知症にも効果があると言われるアロマセラピーの勉強に取り組み資格を取得した。創業は自宅でスタート、約2年前に現在の場所に移転オープンし、アロマセラピー・ホットセラピー以外にもハーブティーの販売や手づくり雑貨の委託販売、タロット占いなど幅広く活動する。 
 他にも自身の育児の悩みや経験を活かしたいと親子ヨガを始めた。乳児の目が離せない時期は一番観察が出来る時期でもあり、親子の触れ合いの時間を増やし、ヨガを通してママさんパパさんたちとの会話を楽しみながら育児の悩みを相談したりしあえる空間を作りたいと語った。また、市内の子育て支援センターで出張講座をしたり、こども園と協力してホットママプロジェクトを企画し、ヨガや手遊び、童歌などスマホに頼らない親子の時間を楽しめるように様々なイベントに意欲的に取り組んで活躍している。
お問い合わせは...090‐9535‐4568迄。アメブロやFacebookでも公開中
仕事・育児・地域貢献に専心
お弁当を届ける大家族で育った長男
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~紺野兼如さんプロフィール~ 昭和59年2月14日生まれ(34歳)
9人兄弟の2番目の長男として育つ。三本木農業高等学校では馬術部に所属。卒業後は様々な仕事を経験しながら母の起業した「のぎく」に入社し、21歳で代表として就任した。
 警察署通りにある一見、外観からはわからないがお弁当の仕出しを専門に受注販売の営業をしている「お弁当ののぎく」の代表・紺野兼如さんを訪ねた。創業は平成13年。主婦の働く場所を作るために母親が自宅で開業。その後は十和田市民文化センターで喫茶「のぎく」として移転オープン。新幹線開通を機にお弁当の仕出しを専門にする事となり、朝早くからの営業となるために現在の場所に移転した。
 9人兄弟の大家族で育ったという長男の紺野さんは学生時代から親代わりに下の子を面倒見る生活を過ごし、父は土建業、母はお弁当の仕出しと仕事をしており、家業を手伝うのが当たり前だった。高校を卒業してからは父の土建業を手伝ったり、自動車整備工場へ転職したり、帰郷してからは夜の飲食店でバイトをしながらお昼も働いたりと様々な仕事を経験して最後に母親の起業した「お弁当ののぎく」を継ぐことを決め、21歳という若さで代表として就任した。紺野さんは仕事以外にも地域貢献に精力的に取り組みたいと祭りを楽しむ子どもたちを増やしたい、十和田囃子を発信していきたいとの想いから集まった団体『まつりびと「羈」』に入会し、現在は事務局長を兼任している。また、去年から十和田青年会議所にも入会し、青少年育成委員会の委員も務める。また、仕事上の関わり合いがある放課後デーサービスで子どもたちのために何かしたいと資格を取得し、新しい事業も始めたいと意欲をみせる。仕事・育児・地域貢献とやりたい事は溢れてくる。これからの活躍に期待したい。お弁当の「のぎく」へのお問い合わせは...0176‐24‐1015迄。
積み重ねた実績が表彰
十和田市を代表する世界のおだしま
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~小田島幸寿さんプロフィール~
 昭和28年7月3日生まれ(64歳)
旧十和田湖町出身。9人兄弟の末っ子として幼少時代を過ごす。十和田工業高等学校電気科を卒業後は興味のあった写真技術を学ぼうと名古屋にあるタナベ写真館へ修行のため就職。十和田市に帰郷してからは旧エースカメラに入社するが、独立をするために社員を辞め、スタジオを借りて個人営業をする。23歳でカトリック教会向かいの旧S&Aでスタジオおだしまをオープン。駐車場や広さの立地を理由に現在の「スタジオおだしま」に移転オープンした。
 これまでの優秀な成績の積み重ねと優れた写真能力を認められ、PPA(プロフェッショナルフォトグラファーズofアメリカ※プロ写真家によるアメリカでもっとも大きい会)から、2018年度マスターオブフォトグラファーを獲得した「フォトスタジオおだしま」の代表取締役・小田島幸寿さんを訪ねた。
 マスターオブフォトグラファーとは単なる1枚の写真が認められたわけではなく、PPAで設定されている基準を満たした写真家に贈られる賞で、小田島さんは1999年からアメリカプロ写真協会(PPA)コンテストに写真を出品。これまで入賞やローンコレクション(優秀賞のようなもの)を多く受賞した。そこは世界中から作品が集まる大きな大会であり、世界から見た日本の写真、世界と比べた日本の写真の違いを学んだ。3万人以上いる会員の中で今年は78名が受賞。小田島さんはその中の1人に選ばれた。創業から41年、写真業界はフィルムからデジタルに移行。会社は息子が後継ぎとして戻ってきてくれたので成長を見守りながらお客様の思い出を形に残していきたいと語った。 
癒しの笑顔でフロント接客
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十和田シティホテル
下山 沙織さん
 今月は十和田シティホテルの下山夫妻の長女・下山沙織さんを訪ねた。
昭和63年5月11日生まれ。4代目となる父が経営する十和田シティホテル(旧下山旅館)の長女として生まれ、7歳下に双子の弟と妹がいる3兄弟として育った。おっとりとした雰囲気からは想像できないが、父の影響からか子どもの頃は卓球に励み好成績を収める。三本木高等学校を卒業後は、ものづくりや物理が好きなことから大阪府にある大阪府立大学工学部機械工学科に進学。卒業後は神奈川県にある日揮(エンジニアリング会社)に就職した。石油精製設備の管理を業務とし、海外でガソリンや重油などのエネルギー資源を作り、それを輸送して日本でガソリンスタンドなどに販売をする大手企業だ。
 諸事情により29歳で退社すると共に下山さんは2つの決断をする。1つは十和田市に帰郷をする事、もう1つは神奈川県で出会った彼との結婚(これは十和田市民を1人増やしたこととなる)。また、今月は結婚式を控え、十和田市内に新居を建てるなど現在はバタバタしていて忙しく、今後の事ははっきりとは決められてはいないが、これからは家業であるホテルの手伝いをしながら将来の事を考えていきたいと語った。
 当時は家業を継ぐ事は考えてはいなかったが、弟と妹も大学を卒業し県外で就職。ホテル業はGWなどの連休や年末年始など、みんなが遊び、休む時期には必要な仕事。現在は受付業務を勉強し、まだ社員とはなっていないが子供の頃からお手伝いはしていた家業のためにこれから頑張っていきたいと語った。十和田シティホテルでは宿泊だけではなくお得なランチや夜の宴会もおススメ。お問い合わせは...0176‐23‐2076迄
人から人へ「物」を運ぶ物流
行きたい場所へ「人」を送る運送
物流と運送で笑顔をつなげる仕事人
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~新山良平さんプロフィール~
 昭和55年6月17日生まれ(37歳)
十和田市出身。三本木農業高等学校を卒業後は駒澤大学経営学部に進学。卒業後は東京の運送会社へ入社した。約6年間勤務した後、父親の白髪が増えてきた事が理由で後を継ぐために帰郷したという。東京で結婚し、現在は3人の子宝に恵まれる。
株式会社新山運送
 十和田市街から七戸方面に向かう途中、ローソンを過ぎてすぐ左手に紫色のトラックが並ぶ運送会社「株式会社 新山運送」がある。
 株式会社新山運送の代表取締役常務の新山良平さんは東京の運送会社で学んだノウハウを活かし、帰郷してからはトラックの物流に力を入れ、関連会社の上十青果との事業を成功させ、新事業として約2年前から貸し切りバス「新山交通」を起ち上げ、物流・運送と活躍する。
物流の必要性
 新山さんは主にトラックの配車を業務とし、物流の要である運送業に従事する。交通時間や距離の計算、運送費(高速道路の料金やガソリン代など)、運転手の睡眠・休憩時間の管理などを計画するのが配車の役割。新山運送は全国を駆け回り、南は九州まで運ぶという。
 現在、運送事業は全国展開するネットショッピングなどには必ず必要不可欠なものだが、大型車の運転や荷物の受け取り・降ろし、長時間の運転など、厳しい労働業務イメージもあるのか人手不足の解消が難しいという。人材不足はどの業種でも言えることかもしれないが自社では現在38名いる従業員の高齢化にも対応するためにもパッカー車(ゴミ収集車)や塵芥車など市内近隣を回る業務にも取り組んでいる。
 物流の手段は陸海空と様々あるがトラックは物流の中でも一番気候の変化にも強く機動力があり、国内物流の約90%を締めるという。それを一番実感したのは東日本大震災の時。偶然にも前日に会社の燃料タンクを満タンにしていたため震災時にトラックを動かすことが出来た。もし、あの時トラックの物流が止まっていたら被害はもっと深刻化していただろうと思うし、あの時みんなが寝ている間も休まずに運転してくれた運転手には感謝しかないと語ってくれた。
バス事業の展開
 バス事業を始めようとしたきっかけは「物」を運んできたプロとしてのノウハウを活かして「安全・確実」を約束できること、十和田市は観光地でありながら人口減少のためにバスの本数自体が減ってきていることを感じたからで、学生のスポーツなどの遠征や会社の慰労会などの送迎などを行っている。
 東京などへ遠征の場合はバスよりも新幹線の方が少し安くなるかもしれないが混雑している電車の乗り継ぎもなく、目的地まで直接「人」を運べる利便性と安全性は確実にある。金額に関しては何年か前に格安バスツアーの運行で大きな事件が起きてからは規制が厳しくなり、国土交通省で決められた料金(時間×単位+距離×単位=バス料金)を貰わなくてはならないのが現状のため、下げ幅には限界があると教えてくれた。バス事業が厳しい現状にある中で、なんと貸切バスは7台中5台が新車だという。ゆったりとしたきれいな空間でバス運行を堪能できるのが強み。去年から約1年学んできたことを活かし、お客様とのつながりを次につなげてもっと稼働率を上げていきたいと語った。
 また、関連会社の上十青果とも連携して高原大根の収穫イベントなどを企画したり、手づくり村鯉艸郷でのそば打ち体験、奥入瀬渓流や十和田現代美術館の観光・散策、十和田バラ焼きを食べるなど地域貢献につながる事業も企画し展開していきたいと語った。
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お菓子のみやきんイオン十和田店
店長 田端 裕香さん
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お菓子のみやきんの美味しさ伝え
記憶に残る笑顔の接客で迎えたい
 今月はお菓子のみやきん・イオン十和田店の店長を勤める田端裕香さんを訊ねた。昭和55年12月9日生まれ(37歳)百石高等学校を卒業後は十和田観光電鉄の遊覧船のガイドに期間雇用で入社。ガイドの仕事にはやりがいを持っていたが人件費削減のために音声アナウンスへ切り替わる事を知り退社を決意。冬季期間に仕事を探し、居酒屋つぼ八でバイト始め、約8年間勤める。接客業は好きだったが夜間の仕事だったために日中の仕事を探していた。そんな時にお菓子のみやきん切田通り店(現在は移転して十和田総本店)を訪れた時のスタッフの笑顔と接客に感激し、ここで働きたいとの想いから面接を受けた。始めは移転した十和田総本店の喫茶店のバイトとして勤務。接客技術を活かしながら販売の手伝いなどする姿勢が評価され、人事でイオン十和田店のパートとなる。入社から約5年、33歳の時に社員として採用され、イオン十和田店の店長として就任する事となった。
 イオンは家族連れのお客様が多く子どもも多い。自分が小さかった頃のお菓子の味は覚えてないが接客してくれたお姉さんの笑顔と優しさは覚えているとの自身の体験から、今度は自分がそうなろうと記憶に残るような笑顔と接客を意識して働いていきたいと語った。接客の仕方に正解と当たり前はないと思うがお客様が喜んでくれるように、これからも日々の対応の中から積み重ねていきたいと語った。
 今後のイベントの予定としては週末限定のウィークエンド大福(月によって中身のフルーツが変わる大福)と6月に工場まつり(新工場でのイベント)などお客様が喜ぶイベントを企画している。お菓子のみやきんへのお問い合わせは...0120‐313‐263迄。
防災に強いまち十和田市を目指して
火災から命と財産を守るお手伝い
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~大和英樹さんプロフィール~
 昭和62年9月2日生まれ(30歳)
十和田市出身。十和田工業高等学校電気科を卒業後は東京電機大学電気電子工学科へ進学。卒業後は消火器のメーカー(現マルヤマエクセル)に入社し、営業として福岡県で勤務。諸事情により25歳で帰郷し株式会社マルヤマに入社。平成26年6月に代表取締役として就任した。

 十和田市内で消火器の販売・点検や防災コンサルタント業務などを手掛けている株式会社マルヤマの代表取締役・大和英樹さんを訪ねた。
 大学を卒業後は消火器メーカー(現マルヤマエクセル)に就職し、消火器を取り扱う企業へ営業・卸し業務を行っていた。学生時代に離婚した父親が株式会社マルヤマの前代表で当時は後継ぎの事は考えてはいなかったが、父親が急病で倒れたことをきっかけに帰郷し入社。平成26年に26歳という若さで代表取締役として就任した。
 業者に卸すメーカー側から、その販売などをする業者側になった大和さんは、卸した消火器のその先を知らなかったという。似ているようで違う初めての業務は手探りで覚えながらのもので、会社のためにすぐに代表として就任するなど帰郷してからは忙しい毎日だった。
 青森県は何年か前に出火率(人口に対する出火件数の割合)全国ワースト1位を記録したこともあり、火事は比較的に多い地域と言えるが、残念ながら防災に対する意識は薄いのが現状。地域の防災力を強めて十和田市を「防災に強いまち」のモデルとなるようにするのが将来的な目標だと語った。
 ①そのための取り組みの1つとして、町内会単位で定期的に「防災講演」を始めたという。火事になる前に準備する事、火災が発生してからどうするか、火災後に必要な行動など、生命と財産を守るために地域の防災力が必要な事を伝えている。防災の意識を持つことで町内会での結束を強め、地域の交流も深めることにもつながれば嬉しいと語った。
 ②もう一つの取り組みとして「消火器のオリジナルラベル」の制作を始めた。赤く目立つ消火器は逆に隠されてしまう事も多いため、いざ火事になった時に探せない人も多いという。消火器に店舗のラベルを貼ったり、小学生の防災図画や用語、家族写真やアート写真でもいい、隠されない見せる消火器を広めていければアートのまち十和田市は消火器も素晴らしいと注目されるかもしれない。消火器のデザインは元々規制が厳しかったためにオリジナルラベルの制作は全国的にも先駆けとなる。お客様の要望に応えて興味を持ってもらうことから防災への意識を高めていきたいと語った。もしかすると新築祝いの贈り物に家族写真の貼ってある消火器が贈られるようになるかもしれないと感じた。
 ③もう一つの取り組みは災害時の防災セット「SONAE」の周知。どんなに気を付けていても出火原因の1つにある放火を防ぐには高額な設備投資が必要で一般家庭では限界がある。防災用品と非常食12食分(3食×4日分)が入っている。この非常食(保存食)は非常時にしか食べてはいけないのではなく、当たり前に賞味期限はあるので毎月1つでいいので食べて買い足すようにすれば1年で交換と同じくなる。薬の常備薬のように置き場所や賞味期限などを確認する事でいざというときに役に立つ。将来的には保存食も十和田地産のものにしようと思案中。そうすることでもっと地域と密着した会社として地域社会に貢献できると考えていると教えてくれた。
 ④火災時の実施訓練を受ける消防士や消防団員とは違い、一般の方は実際に火災に遭った時の対応などは難しいだろう。将来的な夢となるが気軽に誰でも火災体験をして消火・避難訓練を出来る防災施設を作りたい。VRを使った疑似体験コーナーや保存食の試食体験などイメージは広がる。命と財産を奪う火災の怖さを知る事が一番防災意識を高めることにつながる。将来の十和田市が防災拠点のモデルとして全国に知られるように防災を通じて自分が出来る事を考えていきたいと語った。
 株式会社マルヤマへのお問い合わせは...HP/http://www.maruyama-t.co.jp/0176‐22‐0133迄
書く・聴く・話すことの大切さを伝えたい
言葉と文字のコミュニケーション講師
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日本習字あゆみ教室
講師 岡部 あゆみさん
 今月は「日本習字あゆみ教室」講師、岡部あゆみ先生を訪ねた。昭和41年10月23日生まれ、十和田市出身。三本木高等学校を卒業してから昭和女子大学日本文学科へ進学。卒業後は東京のイベント会社へ就職。その後、映画やCMの制作会社へ転職し、アメリカ支社の起ち上げメンバーとしてロサンゼルスへ出向、帰国後に諸事情により退社し平成11年に帰郷。帰郷後は職業訓練校で社員研修講師、コミュニケーション講師、カルチャースクール講師などを務めながら人材育成事業に携わり幅広く活躍。平成13年に「公文式ひがしの団地教室」を開設。6歳から習っていた習字を活かし、十和田市や八戸市で美文字講座を開催する。「言葉と文字のコミュニケーション」をテーマに日本習字あゆみ教室を平成26年にみちのく温泉隣にある神社「お不動さん」で始めた。
 子どものころはアナウンサーになりたかったという岡部さんは話しをするよりもどちらかというと聞く方が得意だという。近年、社会問題にもなっているスマホ依存症。最近では手紙や対話が苦手な子供が増えている現状があり、美文字講座やコミュニケーション講座など字と言葉を伝える講師を務めると共に、以前よりも字と言葉の大切さを想う。顔も見ない、声も聞かないメールや絵文字だけに依存していてはコミュニケーションの本質は失ってしまうだろう。「言葉は一瞬で消えるけれども字は書くことで形として残るもので、字は書かなくても気持ちを伝える言葉は心に想いとして残る。」と語る。
 岡部さんの習字教室は神社の中という事もあり、昔の寺子屋のような雰囲気で中に入ると心が落ち着き背筋が伸びる。字を上手くするためだけが目的ではなく、生徒とのコミュニケーションも大切にし、字と心を整えることで社会での自立につながるように心掛けていきたいと語った。現在はキャンペーン中で入会するとお習字セットがプレゼントされる特典付き。4歳から成人の方までが対象。お問い合わせは...090‐7074‐4768(岡部あゆみ)迄
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