はたらくひと必読!仕事人!!

お客様の期待に120%で応えたい
陰で成功を支える設計建築士
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~甲田徹さんプロフィール~
 昭和57年9月8日(34歳)三本木高等学校を卒業後は新潟大学工学部建設科に進学。22歳で帰郷してからは設計事務所を手伝いながら資格を取るまで勉強浸けの毎日が続く。28歳で念願の一級建築士の資格を取得した。十和田商工会議所青年部に入会する。今年開催された第2回目の十和田湖マラソンのマラソン委員会の委員長を務めるなど活躍の場を広げる。

 さくらんぼ保育園向かいにある甲田設計は1983年に創業。その翌年に生まれ、後継ぎとして一級建築士の資格を持ち働く甲田徹さんを訪ねた。どこか憎めないような明るくおっとりとした雰囲気をもつ甲田さんは新潟大学工学部建設科を卒業してから帰郷。それから約6年もの時間をかけて仕事を覚えながら一級建築士の資格取得のために勉強浸けの毎日を過ごしたという。資格を取得してからは他にも何かやりたいと十和田商工会議所青年部に入会。今年開催された第2回目の十和田湖マラソン大会のマラソン委員会の委員長を努め、裏方に徹して成功を支えた。
 甲田さんは小さい家から大きな建物まで今までいろんな物件を見て来た。お客様のイメージや要望に応えるのが仕事でお客様の100%に120%で形にするのがやりがいだと語ってくれた。今は昔と違ってネットで情報が見れたりパソコンで仮想の建物を作れるのでイメージはし易い。同じ仕事をしても同じ現場はないということを忘れずに心掛けていきたい。まちの設計屋さんとして気軽に相談にこれるような事務所を目指していきたいと語った。
お客様に彩りをクリエイティブ
地域のために活動で恩返し
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~国分聡さんプロフィール~
 昭和55年5月13日生まれ(37歳)三兄弟の長男として育ち三本木高等学校を卒業。学生時代は演劇部で活躍するなど意外な一面もある。明治大学に進学するがバイトに明け暮れて学業が追い付かなくなり止む無く中退した。中退後は東京に残り働いていたが22歳からバイトで入ったダクトの清掃や設備の仕事で認められ正社員として入社する。約10年ほど働くが東日本大震災をきっかけに家族や地域のために何かしたいと想うようになり、32歳で帰郷し家業を継いだ。今までとは畑違いの仕事のため、まずは人を覚えようと十和田商工会議所青年部、十和田青年会議所に入会し地域のために奉仕活動をしながら会社のために働いている。

 今回は中央モータースクール近くにある有限会社プロスクリーンの専務取締役・国分聡さんを訪ねた。個性的な髪型とメガネが印象的で親しみやすい雰囲気を持っている。
 会社設立は1980年、国分さんが生まれた年だった。ほとんど記憶はないが会社の中のベビーベッドに寝かされて会社と共に育った。三兄弟の長男として育ったが当時は家業を継ぐ気持ちはなかったため東京で32歳まで働いていた。東日本大震災がきっかけで自分のためだけじゃなく家族や地域のために生きて恩返ししてみようと何となく想うようになり帰郷を決めたと照れながら教えてくれた。
 仕事は主に紙以外の印刷で看板制作やシャツのプリントなどがメイン、印刷業というよりもデザインなどのアパレル関連の業務を担当している。もっと様々なデザインを学びたいと意欲を見せる。
 国分さんは帰郷後にまずは地域の人たちの顔を覚えようと十和田商工会議所青年部(YEG)と十和田青年会議所(JC)の二つに入会。JCでは3年前に全国会員拡大のゴールデングラブ賞を受賞した時の委員長も務めたという素晴らしい実績もある。
 現状の仕事が20年後に続けていれるかは不安。地域に合った選択をしていかなくてはならない。ひとや会社に彩りを与える側として少しでもクリエイティブな感性も磨かなくてはいけないし、人と人とのつながりも大切にしていかないといけない。
 「今の自分が見えていない物を探していく」ことをテーマにそれが自分のため、家族や会社、地域のためになるんだと信じて頑張りたいと語ってくれた。
 今回スポットを当てたのは人ではなく青森県上十三・十和田湖地区ガイドブック「ハッケン!上十三」だ。主なターゲットを女性に向け、ランチやスイーツに注目。女性目線ということもありSNSにアップしたいようなオシャレな食べ物が多く掲載されていて、十和田市だけではなく上十三地区、十和田湖地区のお店が紹介されている。また、圏内市町村のイベントを掲載し、スタンプラリーでつなげ、圏内交流人口の増加を図ることを目的に発行されたガイドブックで、近くにあっても実は行ってなかった隣町のおススメしたいお店、参加したことのない地域のイベントなどにも興味が持てる内容となっている。
 スタンプラリーの対象イベントは...『  のへじ祇園まつり(野辺地町)・美味満彩まつり(東北町小川原湖)・アメリカンデー(三沢市)・小坂鉄道まつり2017(秋田県小坂町)・世界流鏑馬選手権(十和田市)・しちのへ秋の大収穫祭(七戸町)・メイプルタウンフェスタ(六戸町)・ろっかしょ産業まつり(六ヶ所村)・日本一のおいらせ鮭まつり(おいらせ町)・横浜なまこフェア(横浜町)』の10ヶ所。スタンプの個数(2個~8個)に応じてガイドブックについている応募用紙を送ると抽選で35名様に2,000円~10,000円分の青森県上十三・十和田湖地区「美味しいもの」が当たる。知ってるようで知らない上十三のお店や物産を探して、地域イベントにも参加してみませんか?   お問い合わせは...0176‐51‐6772(上十三・十和田湖広域定住自圏観光推進協議事務局)迄。
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雑穀から見つけた「食」の大切さ
自然と調和する幸せのかたち
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クッキングサロン もみの木 つぶつぶ雑穀
石井 ともみさん
 今回スポットを当てたのは昭和48年12月9日生まれ。北海道出身。結婚を機に青森県に移住し、獣医師として働いていた石井ともみさんだ。獣医として業務に努めるが仕事に悩む時期もあり、アトピーで苦しむ娘に「元気に生きて欲しい」との想いの方が強くなった。旦那さんが県職員のため県内を転々としていたが十和田市に移住し、動物を治す側から食材を活かす側になりたいと決意し、約4年前に家を建てると同時に自宅兼クッキングサロン「もみの木つぶつぶ雑穀」を起ち上げた。玄関を開けると県産スギ材で建てた木の匂いがする。広い空間と自然を感じられる造りで夏は風と緑が気持ちいい。冬には薪ストーブがあり吹き抜けの家全体を暖めてくれるという素敵な自宅兼サロンだ。
 生まれた子どもがアトピーだったのがきっかけで「食」に興味を持ち、食の力で体質改善をすればアトピーも治ると知り、食から身体が健康になる事の大切さを「雑穀」から学んだ。始めは公民館を借りてやっていたが時間の調整が難しく自宅でクッキングサロンを始める。自然と調和するような料理や暮らしは生徒さんからも好評なようだ。雑穀は昔からあるパワーフード。現代の食生活は良くも悪くも変わってきてアトピーなど身体の健康に関する問題も増えて来た傾向もある。精進料理のようなイメージのある雑穀を美味しい健康料理として作れるように伝えたいと笑顔で語る。ヒエやキビなど貧しいイメージを払拭して新しい雑穀の魅力を広めていきたい。東北は全国的にも恵まれている雑穀どころなのでヘルシー&ダイエットに通じる雑穀料理で美味しく楽しく身体にいい食を提供して笑顔になれる人たちを増やすために頑張っていきたいと語った。もみの木各種料理クラスやイベントについてのお申込み、お問い合わせは  090-9429-3184/tubu.tomomi@i.softbank.jp 石井まで    

  つぶつぶは、つぶつぶグランマゆみこさんが提案している雑穀料理とライフスタイルです。
もっと詳しく知りたい方はつぶつぶJPへ→ http://tsubutsubu.jp/index.html
一家に活字、地域に活力を届ける
情報は「見る」より「読む」新聞
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~小笠原大地さんプロフィール~
 昭和53年5月9日生まれ。七戸高等学校を卒業し測量の専門学校に進学。測量の資格を取得し青森市の測量会社で30歳まで勤務した。家業を継ぐために退社し帰郷する。販売営業実績を伸ばし、一昨年には七戸販売店㈱七戸小笠原新聞店を開業した。今年、念願の長男(総一郎くん)が誕生し会社と家族の大黒柱となる。
 十和田市・七戸で新聞販売業を営む株式会社小笠原新聞店の取締役社長・小笠原大地さんを訪ねた。ちなみによくBUNKA新聞社と間違われる(笑)
 近年、ネットが普及しペーパーレスの流れになってきているが紙の文化は無くせない。理由として読み書きが出来ない子供や大人が増えてきている現状がある。実際に家庭に新聞がある家庭と、ない家庭の子どもの学力調査の結果もはっきりと出ているという。
 昔は一家に必ず新聞があったが無料でネットで情報を見れる時代となり新聞がない家庭も残念ながら増えてきている。18歳から選挙権が持てる時代となった今の子どもたちでも音楽を聞いたり芸能映像を見たりゲームはやっても、ネットで政治を検索はしないだろう。流し読みでもいいから世情を知るためにも新聞は読んで欲しいと語る。
 小笠原さんは今年6月から学校へ教材用新聞として企業協賛を受け新聞提供を開始するなど新たな試みを実践。また、十和田JCやYEGにも入会し活躍の場を広げる。ネットで管理する便利な時代からネットで管理される時代になった時の怖さも考え、選択肢の一つとして正確な情報を伝え残す新聞の文化は無くしてはいけないと語った。 お問い合わせや新聞購読の申し込みは...0176‐23‐4044迄
企画・制作・発信などを
様々こなす情報クリエイター
可能性広がる魅力の伝え方
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~米内山和正さんプロフィール~
 昭和53年3月生まれ。十和田工業高等学校電子機械科を卒業後は学生時代から続けていたギターの趣味を活かせるESPミュージックアカデミーに進学。音楽の曲作りや楽器を作る専門学校で学んだ。様々な資格を活かしていろんな仕事に就いてきたが震災をきっかけに地域のためになるような事をしたいと思い、得意分野であるパソコンでネットに動画をアップするボランティア活動やホームページの作成、PR動画の作成などを手掛ける。
 B‐1グランプリでは毎日配信の「とわだに愛にいこう」を手掛けたり、地域の魅力を伝える「アテンション・プリーズ」を配信したりとこれからの時代に合ったネット発信の事業で活躍している。
 B‐1グランプリ開催前に開催カウントダウンの毎日配信動画、地域の魅力発信「とわだに愛にいこう」は覚えているだろうか?また、最近では地域の施設やお店のPR動画をSNSで配信、漆舘優美花さんがリポーターを務める「アテンション・プリーズ」を見た事がある人は少なくはないだろう。
 今回はその動画配信などを手掛けている動画・音楽・WEBクリエイターの米内山和正さんを訪ねた。何年か前まではタンクローリーの運転手など各地を回る仕事をしていた。東日本大震災の現場にも仕事で行く事もあり、そこでの経験から何か地域のために出来ないかと考えるようになったという。高校時代から続けている音楽活動をしながら動画の制作やSNSへの投稿など出来る事がバラゼミ舌校長の畑中氏の耳に入り、B‐1グランプリ開催カウントダウン動画を担当する事となり、WEBクリエイターとしての活動を広めた。つながりから出来た紹介で会社のホームページの作成や観光協会からの委託を受けて秋祭りの動画を作成するなど幅広くインターネットの世界を通して地域の魅力発信に取り組んでいる。
 最近は立体映像に見えるVRに挑戦。そこに行けなくても疑似体験できる仕掛けを観光客や高齢者に届けたいと語る。もちろん音声も入るので翻訳付きの動画は外国人に向けて発信、歩くことが困難な高齢者でも例えば奥入瀬渓流に行って散歩するような疑似体験も出来るなど可能性は様々広がる。
 会社の名前は自身の名前「米内山和正」。自分にしか出来ない方法でこれからも地域活性化につながる情報を地域の人たちとつながって発信していきたいと語った。
父から継いだこだわりの黒にんにく
自信を持って広めたい青森の味力
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~畑山啓恵さんプロフィール~
 昭和57年6月30日生まれ。十和田市出身。三姉妹の末っ子として育ち、父親が子どもたちのためにと平成18年に起業した米の卸し業を手伝う。平成18年に父親の体調が悪くなり、その時奨められてた「黒にんにく」に興味を持ち、手探りで研究を兼ねて生産を始めた。ヨーロッパで開催されるモンドセレクションにも3度選ばれ、金賞を受賞するまでとなった。

 今回は現在全国で注目を浴びている「黒にんにく」を生産している「青森第一食糧有限会社」代表取締役・畑山啓恵さんを訪ねた。
 会社に到着し車を降りると、にんにくの食欲をそそる匂いが鼻に飛び込んでくる。昔はカラオケボックスだった場所を室(熟成庫)に改装し、会社を設立。黒にんにくを自社生産し全国に販売している。
 当時は黒にんにくの生産が少なかった時代、製造法も社外秘の会社が多く、初めは自分たちで一から研究しながら温湿度の管理や塾製法を編み出した。完成までに捨てる事となった多くのにんにくのおかげで海外のコンテストでも金賞を受賞するまでの品質となった。JAから直接ミネラルが豊富なにんにくを仕入れ品質管理にもこだわりがある。
 一番嬉しいのは電話で注文してくれるお客様から直接感謝の声が聞けること。熟成したにんにくの成分には様々な効果があると注目されている。昔は嫌だった亡くなった父親の手伝いも今では自分の生きがいとなり本当に感謝している。これからは女性であることを武器に、女性ならではの目線で出来ることにも取り組んでいきたいと語った。
 生産を始めた頃の夢は「全国に黒にんにくを広めたい」だった。それが叶った次の目標は青森県でしか買えない地域限定商品の開発だという。完成までは情報発信出来ないが今後に期待したいと感じた。ご注文、お問い合わせは...0176‐23‐7118迄
インターネットで地元の魅力を発信
生産者と消費者をつなげる仕事人
身体を動かす地域密着のIT企業
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~岡山拓也さんプロフィール~
昭和57年7月9日生まれ(34歳)
十和田市出身。学生時代はサッカー部に所属し活躍。三本木高等学校を卒業後は文京大学情報学部へ進学した。当時はインターネットが普及し始めた頃でIT企業に興味を持ち、現在ではブラック企業といわれる某ベンチャー企業に就職し朝から晩まで働いた。知り合いの先輩に誘われシステムサーバーメンテナンスの会社に転職したが地元に帰郷する事を前提に仕事を考え、EC業者にターゲットをしぼり、2011年に地元食材をネット販売する㈱WANDを起業した。
 今回は株式会社WANDの代表取締役・岡山拓也さんを訪ねた。パッと見の外見からは強面に見える岡山さんは話しをすると気さくで温かく知性を感じさせる話術もあり、若くして会社を起業した根拠と自信をうかがわせた。
 学生当時、インターネットが普及し始めた頃からIT関連の仕事に興味を持ち、大学と社会で様々な事を学びながら、将来は地元に帰郷する事を前提に戻ってきたら何をするかを考えていた。
 様々な職業の中で絶対になくならないものは「食」業。地元では安価な食材が関東では高値で販売されている。農家では品質や形によって食べられるのに捨ててしまう食材があるという事を知り「もったいない」の気持ちから自分が架け橋となって生産者と消費者がどちらも喜んでくれる仕事、地元食材を直接仕入れ、通信販売で安価で全国へ配送をする事業の起業へと辿り着いた。
 帰郷してからすぐに単身で農家に飛び込んで営業。想いを伝え、会社の説明をして各地を回ったが...当時はどこも相手にしてくれなかったという。まずは農家を知る事から始めようとJAおいらせふじさか青年部に入会。実際に農家の手伝いをしながら無農薬のオーガニック商品や選別で捨てられてしまう良品食材に目をつけた。少しでも高く買い、少しでも安く売るために農家に直接交渉し、ネット販売事業は大成功を収める。
 地元から学んだ事が多かったという岡山さんは十和田青年会議所にも入会し、地域密着の企業として地域のためにあり続けたいと語った。商品に関するお問い合わせはオンラインショップ「青森機体の新人商店」を検索。または...0176‐27‐6234迄
自然と触れ合う子どもの居場所
拡げていきたい親子の時間
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Happy  Children
新藤 幸子さん
 今回スポットを当てたのは自分の家の庭にプレパークを作り、自然の中で遊ぶ子供たちの成長をSNSなどで発信しているHappyChildren新藤幸子さんを訪ねた。新藤さんは昭和46年12月15日生まれ。弘前出身、転勤や結婚を機に子育てをするならここだと思い、平成9年に十和田市に移住してきた。現在は三男一女の4人の子育てに奮闘中。
 当時、長男が4年生 の頃に近所の子どもたちが家に遊びにくる事が多かった。全国的にも言える事だが片親や共働きで親子の時間が作れない家庭が増えてきている現状があり、自分の周りだけでも何とか出来ないだろうかと考えた。昔はよく見かけた空き地や車通りが少ない道路で遊ぶ子供たちは目にしない。根本的に集まって遊べる場所、遊びを許してくれる場所がないと気が付いた。家の中でゲームだけでは心と身体が成長するわけがなく、自然と触れ合いながら子供たちらしい遊び場を作ってあげたいと夫婦で自分の家の庭に手作りの小屋やブランコを作った。そうすると呼びかけているわけでなくても自然と近所の子供たちが集まって遊び始めた。木登りしたり鬼ごっこをしたり、底なしに元気な子供たちはご近所迷惑になりそうなほど遊んだ。悪ガキたちとの思い出も今では懐かしいと語る。最近では自分の庭にある小さな公園で遊ぶ子供たちを見守るだけではなく、ちとせ小学校などの広場を借りて出張プレパークも開催している。情報発信しているSNSでは共感の声が多く、真似してみたい、参加してみたいとの声が市内外からも多く寄せられた。始めは自分の周りだけでも...と始めた子供たちの自然と触れ合える居場所作りは県内でも拡大していき、仕事と子育てを両立している親と子どもの成長の助けとなっている。活動についての情報は...「 ameblo.jp/sa-shindo/ 」を検索。
幸せな木の下で待っている
踊れるパティシエ
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Cafe Happy TREE
パティシエ白山 紋子さん
 今回スポットを当てたのはカフェハッピーツリーを共同経営で起ち上げ、でパティシエとしてお客様を迎える白山紋子さんだ。昭和60年2月11日生まれ。中学時代は引きこもりがちで家で絵を描いていたような生活を送っていたが、友達に誘われダンス教室に通う事になってからは夜も家を抜け出してダンス練習に熱中するような青春時代を過ごしたという。三本木農業高等学校生活科学科へ進学し、卒業してからは興味のあったお菓子作りを学ぶため有名な大阪の製菓の専門学校に進学。大阪では働いて給料を貰いながら製菓づくりを学んだ。十和田市に帰郷してから就活をするが当時は残念ながらパティシエの募集はなかった。三沢市で就職先を見つけることは出来たが業務はパティシエではなく製菓店のホールスタッフだった。通勤が困難だったこともあり約3年間働いたが退職し、十和田市で就職を探す。昔から勤めたいと思っていた京甘堂で短時間働いたり、パソコンを学べる職業体験でネット事業販売に就職するなど自分探しのような時期を過ごす。そんな中、北里大学でダンスサークルが出来たために大学生と一緒にダンスを始める。現在のマスターとは友達を通じここで知り合い自分の表現方法を変えていこうと決める。28歳の時に空いてる倉庫で何かしないかと声を掛けられパンケーキとベーグルのお店を始めた。お客さんがこない日が続き、辞めようかと考えた頃に偶然テレビ局の人がきて取材・放送された。それからは客数もファンも増え、今の物置として使ってた倉庫を改装オープン。気持ちが張りつめていた自分を見直し、今後は頑張り過ぎないでマイペースに生きたいと笑顔で語った。
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