はたらくひと必読!仕事人!!

十和田地産の食の財  麺と共に届ける青森の味
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小関 教仁さんプロフィール
 昭和52年10月2日生まれ(36歳)
三本木中学校を卒業後、山田高校に進学し、幼少から続けているサッカーで活躍。私立青森大学経営学部に進学し卒業後、㈲小関麺興商事に入社する。技術・知識・経験を積み重ね、2年前に工場長として就任する。十和田地産の食材を広めるために企画から製造、営業などを手掛け会社に貢献している。
 十和田地産の食材にこだわり、多彩な味わいの麺を提供している(有)小関麺興商事の工場を訪ねた。先日、十和田市褒賞を受けた小関力さんの息子である教仁さんは若いながらも工場長でもあり、企画から営業など会社の重要な責任を任せられている。米粉入りのうどんや、ごぼうを使った生麺などを開発し、十和田の味を全国へ届ける。それは十和田地産の食材の魅力を伝え、十和田を良くしていきたい気持ちから始まった。
 みちのくの郷土料理「かっけ」をご存知だろうか?もともとは昔の人が麺を製造する際に端っこの捨てる部分がもったいないという気持ちから誕生した料理である。それを現在では製造し、抜群の相性のにんにく味噌をつけて食べる。ケンミンSHOWの番組でも取り上げられたこともあり、一時は生産が追いつかない程の注文もあった。またコセキの「ごぼううどん」は生麺で製造している工場で、全国でも数少ないため、わざわざ九州から取り寄せがあったり、大泉洋さんの番組でも取材されるなど(工場ではなくひまわり亭)全国にも知れる十和田の郷土料理と言えるのかもしれない。
 小関の麺と聞くと、そばやうどんのイメージが強いが、工場長のおすすめは意外にもつけ麺。全国各地の有名店を食べ歩き、さまざまな味を学んだ。食べ歩きも仕事と聞けば羨ましいとも思うが朝から晩までつけ麺三昧は辛かったと思い出すように苦笑いで語った。また現在所属している十和田青年会議所の企画として5月に親子オラほのチャーハン選手権(仮)に協力参加し、食育をテーマに十和田の味や食材について親子で学び楽しめる場を作りたいと楽しげに語る。余談ではあるが教仁さんは去年に入籍し、待望の長男(教雅くん)が誕生した。将来は後を継ぐかはわからないが自慢できる故郷にするため食材を通じて会社を盛り上げ、十和田市を良くしていきたいと語った。

お菓子で伝える青森の魅力  野菜と果実のコーディネーター

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宮澤 洋平さんプロフィール
 昭和55年3月13日生まれ(33歳)
七戸高校卒業後、東京にある日本菓子専門学校へ入学し、御菓子作りを学ぶ。卒業後、帰郷し平成21年に父親の経営する(株)御菓子のみやきんに入社する。青森の魅力をお菓子から全国に伝えられるようにと青森県産にこだわったお菓子作りと、魅力ある店作りに貢献している。
 今回は青森県産の食材を次々とお菓子にしている(株)御菓子のみやきんを訪ねた。明治時代からあるという七戸町発祥のみやきんは現在6店舗と拡大している。製造が追い付かなくなるほどの売り上げで工場も足りないとの嬉しい悲鳴をあげていて、予定ではこの先まだまだ店舗を増やす勢いだ。そして十和田のみやきん総本店で常務としてお店を支えているのが宮澤洋平さんだ。菓子職人で常務という肩書きからは想像できない程、腰の柔らかい優しそうな雰囲気を持っている。宮澤さんは、小さい頃から菓子作り工場の2階が住む家という環境で育ち、社長である父の仕事を小さい頃から近くで見ていた。東京で学び、地元に帰ってきたのは家業を手伝うためでもあり、青森が好きだからだとも語った。お菓子作りの職人となったのはごく自然のことかもしれない。
 みやきんのお菓子は青森地産の食材にこだわった物ばかりで、そのどれもが美味しく独特の味わいも楽しめる。素材の魅力を引き出すために社員一同工夫を重ね、意見を交換し合う会議や現場の声を聞き逃さない姿勢がお店(会社と人)を作っているのだと感じた。十和田総本店では月に1回「店内食べ放題」を実施している。男性1800円・女性1500円・子ども1000円で店内のお菓子が食べ放題で飲み物もお土産もついてくる。
 また2月に新商品として出荷する長いもで作ったお菓子「長芋夫人の長イモンヌ」が発売する。女性に優しいオイルフリーのベジタブルスウィーツだ。「喜びを共に」を理念に、これからも青森の魅力をお菓子で伝えていく。

黒服、眼鏡、蝶ネクタイで駆け回る 十和田市飲食店業界のカリスマ
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岩城 康次さんプロフィール
昭和37年2月26日生まれ(51歳)。
 黒石市出身。三本木高校を卒業後、東京都立正大学へ進学。家業の事情で途中で自主退学し帰郷。当時のディスコブームの流れに乗り「ジグザグ」を経営。平成2年に「ビアプラザ ピルゼン」をオープンし、その後のカラオケブームの流れに乗り、「カラオケ フェスタ」を開業。十和田の飲食店業界を支え続けている。
 扉を開けると外からは想像出来ないオシャレな雰囲気のビアホールがあり、昔から同じスタイル、変わらない笑顔でお客様を出迎える岩城康次さんがいる。十和田市では知らない人はいないだろうと思える程の顔の広さを持っているのは昔から変わらない姿勢にあるのだと感じた。気さくで仕事は真面目、ふざけた話しから真剣な話しまで年齢は気にせずに誰でも話しの出来る人。それが岩城さんの魅力の一つで、営業だけではなく十和田市をもっといい街にしようと常に想い考え、行動している。
 ピルゼンはこの小さな町の十和田市でもキリン生ビールの専門店として東北でも上位を獲得する売り上げを記録したこともあるビアホールである。岩城さんが飲食店街の神様(カリスマ)と呼ばれる由縁は、時代の流れに遅れることなくディスコやカラオケボックスなど成功した商才だけではなく、常にお客様がどうしたら喜んでもらえるかを相手の立場にたって考える「おもてなしの気持ち」や、チャンスを見逃さず、捨てないための「もったいない精神」や、悪いことをするためには理由がいるがいいことをするためには理由はいらないと「有言実行」する行動力などがあるためなのかもしれない。商売には損得がなく、お互いに得が生まれれば経済もいい方向に向かえる。
 いい町にするには、働き住む人たちも同じ意識を持つことが大切だと語る。
 岩城さんの慈善活動の一部を紹介しよう。
 
 市援会「もったいない」から始まる慈善活動
市援会とは?...文字通り市を応援する会のことで、カケモ社長の欠畑さんを会長に、飲食業協会、遊戯業協会、ガソリンスタンド協会の協力を得て3年前に結成されました。十和田にあるいろんな会社や働く人たちが岩城さん等の口伝えで集まり協力してくれている市民ボランティア団体です。今まで捨てていた空き缶の蓋(プルタブ)やペットボトルのキャップなどを集めて換金し、そのお金で中央病院の車椅子などに替えて寄贈することが主なボランティア活動です。
 現在まで車椅子は15台寄贈しています。捨てればゴミ、集めればお金になる。1人では100年かかる事も100人いれば1年で、1000人集まれば何かが出来る、1万人集まればもっと凄い事が出来るかもしれない。「小さなことからコツコツと、やがて大きなうねりとなる!」を合言葉に市民の協力者と共に市に還元できることを考え活動しています。
 
 リユース箸を広める活動 十和田市の箸から端まで綺麗に...
なぜリユース箸に?...ゴミ袋に割り箸が穴を空け、カラスが減らない身近な環境から、日本の割り箸を作るために中国の木が伐採されている地球環境まで、日本の文化である箸は割り箸ではない。使い捨てを減らす時代になっていると感じた。スプーンやフォークは洗って使うのにどうして箸は使い捨てなのだろうと疑問に抱いた。岩城さんは飲食業協会に声を掛け理解をしてもらい箸を広めていった。結果はゴミは減り経費は削減された。
 
 百切会チャリティーゴルフコンペ
多々あるスポーツの中でこれほど年齢層が広い競技はないだろう。岩城さんの主催で、いつかは100を切ろう!と集まったゴルフ初心者たちが楽しむ場として年に1回開かれている。ちなみに必ずといっていいほど開催日は台風や雷雨に重なるらしいが参加者は増え続けている人気イベントだ。そして参加費の中からチャリティー代を集め車椅子やスタットレスタイヤなどを寄付している活動でもある。
 
 LED化、除雪、イベントなど...これからの飲食店業界の選ぶ道
不況や時代の流れによってこれからどんどん厳しくなっていくのはどの商売でも同じ。大手チェーン店は大量輸入によって安く仕入れているために個人経営の自営業は値段では勝ち目がない。数が力になることを理解し十和田市のために協力してくれる人たちで何とかしなくてはいけない現状だ。飲食業協会に働きかけLEDやリユース箸を団体購入という形式をとり、安く仕入れるために業者にお願いをし、 経費を削減する。また除雪などは市から機械を借りて自分たちで街を綺麗にする。これからは待っているだけではいけないと危機感を持ち、飲食業界だけではなく十和田市で働く人たちとみんなで笑えるように、十和田市をいい町にするために盛り上げていきたいと語る。
  
縁でつながる人と町 地産の魅力を提供する再建人
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阿左見 伸作さんプロフィール
 昭和40年8月12日生まれ(48歳)
三沢市出身。六戸高校を卒業後、東京のパレスホテルで15年間勤める。子どものために帰省をし、経験と実績を活かし八幡会館で10年支配人として勤める。平成23年8月に社長が病気を患い閉館となる。仕事で繋げた縁で「食事処おいらせ」に支配人として入社し、地域発展・売り上げ向上のために貢献している。
 今回は十和田湖へ向かう途中に右側に見える「食事処おいらせ」(旧十和田湖町役場向かい)を訪ねた。十和田地産のガーリックポークや低臭プレミアムにんにくを使用したおいらせ餃子、自家製のそばやうどん、馬刺しや馬肉鍋などが人気で平日でも賑わいをみせている。
 当時、旧八幡会館が閉鎖することになり、仕事を探していた阿左見さんは仕出しのお付き合いもあった和尚さんからの紹介がきっかけで縁と運が上手く重なり食事処おいらせの支配人として入社した。しかし現状は食事だけの売り上げだけでは厳しい状況だった。そこで前職からの付き合いがあった葬儀業の方などに仕出しをお願いし、お膳などを提供することを最初の目標に掲げた。会社と相手とお客様が互いに満足出来る関係にするために、時間がたってからお膳を提供する難しさや満足できる彩りや値段、全てを管理しながら営業など苦労は一言では語りきれないだろうが楽しそうに苦労話しをする明るさと行動力が魅力の一つだと感じた。
 安くて不味い、高くて美味しいのは当たり前。いかにコストを抑え、質を下げないかを社員一同苦悩し、安くて美味しいものを提供できるためには努力を惜しまなかった。お客様に喜んでもらえるように、会社の売り上げも伸ばし、地元を盛り上げられるようにと実行してきた行動には、いい結果が残るのは当然だと納得できた。
 悩みとして観光シーズンは忙しくても冬になると客足がピタッと止まる。十和田湖方面に人を呼べる何かがなければどうしても厳しい状況は変わらず続く。そのため現在は仕出しの分野も広げ、販売なども力を入れている。街中ではなく、立地はいいと言えないが地域も会社も盛り上げていくために「食事処おいらせ」の阿左見さんと社員一同の戦いは続いていく。
 
自然と人で育む農園カフェ 働く,生きる,想いがつなげる慈善びと
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立崎 文江さん プロフィール
 昭和41年8月11日生まれ(47)
東京出身。青森へきて18年目となる。十和田の野菜の美味しさに惹かれブルーベリー農園を営む日野口さんと共同経営で「農園カフェhibiki」を平成19年10月24日にオープン。障害者の就労支援にも力を入れ平成22年に自分で社団法人「日々木の森」を立ち上げた。
4号バイパスを五戸方面へ向かいイオン十和田を過ぎて右手に曲がると民家の中にオシャレなカフェがある。地産のものにこだわり安心安全と美味しさを提供してくれるお店「農園カフェ日々木」はある。
 ブルーベリー園を活用し自然の中で十和田の野菜を活かしたメニュー、新しくも伝統のあるような建物の雰囲気、そしてカフェを経営する従業員の母とも言える立崎文江さんがいた。立崎さんは東京の下町育ちで学校の登下校では働く人と触れ合いながら成長してきた。今では働く大人と子供の触れ合いの場はないと感じ、交流の場を増やせるように、十和田の野菜の魅力を伝えれるようにと考え行動し、お店を始めた。
 周りの農家とも連携し、口コミで客数も増え、農園カフェは順調に成功した。その間に何かのきっかけがあったのだろうか?障害者の就労支援を手伝いたいと一般社団法人・日々木の森を立ち上げた。
 今まで何人もの障害を持つ子を受け入れ、ただ働かせるだけではなく、向き合って社会に出せるように訓練し、実際に社会に適応して働き始めた子もいる。健常者でも心が病んでいる時代に働くことの素晴らしさとコミュニケーション(人との関わり合い)を大切に教えてきたことはその子も家族も救ったことになる。もちろん慈善事業だけでは会社は成り立たない。企業としても同時進行で会社を経営していくことは誰にでも出来ることではなく難しい事だと感じた。
 5月からデイサービス「てみる」を旧第2ちびっこハウスに設立。放課後に特別学級の生徒などの交流の場として提供している。テミルプロジェクトでは2月のバレンタインデーにプロから指導を受けたチーズタルトとブラウニーが西内としおさんのパッケージで発売される予定だ。立崎さんは自分の周りだけではなく、いろんな地域・分野と繋がっていくことで連携していくのだと語る。

「吟麗」全国新酒鑑評会 金賞受賞!十和田で造り、十和田を愛する酒護職人
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佐藤 企さんプロフィール
 昭和40年12月23日生まれ(47歳)
三本木農業高校卒業後、東京農業大学へ進学。蔵人として働いていた父親の仕事に興味を持ち、昭和63年に鳩正宗(株)に入社。以来26年間、会社と共に歩み、平成16年に十和田市初の南部杜氏となる。
全国鑑評会では青森県内で最多金賞の実績を誇る。
 日本の文化でもある日本酒がどうやって作られているか知っているだろうか?地元を愛し、地元のもので地酒を造る。今回は日本酒を造る職人たちが働く鳩正宗(株)を訪ねた。杜氏(とうじ)である佐藤さんは年齢よりも若く見え、頑固そうには見えない人柄だが、お酒造りが好きな芯のある職人であることが細かく詳しい話しを聞いてるだけで伝わってきた。佐藤さんは父親の蔵人としての仕事に興味を持ち、地元のものでお酒を造ってみたいと思い、この仕事を選んだのだと語る。
 お酒は寒造りと言って寒い時期を利用してお酒を造る。夏に米を育て秋に収穫したお米を精米、洗米する。蒸して酵母と発酵させ酒母を造る。約1ヶ月の間、酒母をアルコール発酵させ醪(もろみ)を造り、圧搾し新酒が出来る。滓(かす)引き・濾過・火入れをし貯蔵。そこまでの過程を経て瓶詰めされたものがやっと3月頃に出荷する。長い期間を厳しい管理と深い愛情をかけた結晶が美味しい地酒となるのだと納得できた。地酒と呼べる酒が全国各地にあるのは酵母、麹(こうじ)、水、米、土、気候、そして地元で働く人、また会社独自の配合など全部含めて地酒は生まれるので同じ味わいは他では造れないと教えてくれた。
 杜氏となった同年に酒粕から造った焼酎「稲本屋 利右衛門」を成功させ、夢であった自家栽培米で造った特別純米酒「佐藤 企」を完成。バラゼミとコラボした発泡醸造酒やアーティストの山本さんと酒プロジェクトで企画した「天祈り」などを限定発売。また第3回目となる青森県を代表する杜氏と共演した「FUTURE4」などこれからも意欲的に挑戦していく姿勢を感じた。

幸せを心に届ける魔法使い お菓子作り歴55年の専心職人
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大竹 正美さんプロフィール
 昭和18年6月17日生まれ(70歳)
青森北斗高校入学後、勉強しながら青森文化センター前の旧「虎屋」で働いていたが父親の怪我をきっかけに学校を辞め働くことを決意。15歳からお菓子作りを始め55年のベテラン職人として会社を支え続ける。25歳で大竹菓子舗を設立し、その後、店舗増設やネット販売など成長を続ける。
 今回は十和田を代表するお菓子を作る職人の店(株)大竹菓子舗を訪ねた。大きい身体で楽しそうに笑う大竹さんは今年で70歳になる。お菓子作りを始めたのは15歳の時。なんと55年のベテラン職人、そして未だに現役と聞き驚いた。
 昔は焼き菓子や煎餅のように日持ちのするつまみ感覚で食べていたお菓子が、今は冷凍や冷蔵をして、すぐに食べるケーキのようなデザート感覚に風潮は変わってきている。
 店舗販売よりもネット販売の売上が高かったり、販売個数を増やすため手作りだけではなく機械の導入をしたりと、売り上げが伸びるのは嬉しいことだが時代や文化の移り変わりには大変だったことの方が多かったと思い出す。
 大竹さんは子どもが4人に孫が7人、従業員も含め養って経営していくことは大変な苦労もあったろう。それでも息子や孫の話しをしている時や、お菓子作りの話しをしている時、苦労話しをしていても、何となく幸せそうに感じたのは単に売り上げだけじゃなく、昔から変わらない美味しいものを作ってお客様に笑顔を届けたいと継続してきた姿勢が当たり前のことになり、そのまま人柄に映し出されたのだろうと感じた。
 現在は3年フランスで修行を積んだ息子(正貴さん)が帰ってきて後継ぎとして入社して11年目となる。昔から親しまれてきた「キャベツ」や「魔女のプリン」を始め、もはや知らない人はいないであろう全国ご当地スイーツ選手権1位を受賞した「魔女のとろ生チーズケーキ」などネットで十和田から全国へ発信し続けている。また去年の4月に増築移転した空き店舗を親子のコミュニケーションの場を作るためにお菓子作り教室を始めたいとも語っていた。
 お菓子を作り、夢を売る仕事は忙しくても理想を持って働く職人が支えているのだと感じた。

深く「ありがとう」の感謝の形 まごころ込めて「ひと」にふれあうおくりびと
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沼岡 基晴さんプロフィール
 昭和36年11月26日生まれ(51歳)
三本木高校卒業後、3年間は水道設備の仕事をし昭和58年に十和田市農協に入社。金融、Aコープ、ブライダル、飼料などの部署を経験し、平成13年に子会社(株)協同サービスに支配人として勤める。
  (株)協同サービスは葬儀会社ということで冷たく感じた扉を開けると、温かく優しい空気を感じさせる沼岡支配人がいた。現在は支配人として13年目となるが、入社当時は農協職員として業種の異なった農協内の部署を、まるで転職しているかのように働いていた。部署異動があれば仕事業務を覚えることも人との関わり合いも最初から始めなければいけないことは大変だったと思い出す。葬祭業は24時間体制の勤務や亡くなった人との関わりなど、農協職員としては無理が生じるため、子会社として旧協同サービス(現・市民交流プラザ(仮称)建設予定地)が設立され出向という形で支配人として働き始めた。その時は十和田市の葬儀の1割をやるかどうかという状況だった。
 昔はお寺や自宅などで葬儀を行っていることが多かったが徐々にホールでの葬儀へと風潮は変わってきた。葬儀の依頼件数も少しずつ増えていき時代の流れと共に平成16年12月に「まごころホール駒街道」(現・農協の隣接地)を設立。人の死を真近で見る仕事は嫌だとは感じない。ただそれを見送る人の心のケアは今でも難しいと感じるという。葬儀は経験した人しか解らない事もあり慣れてる人はいないだろう。親族は悲しみながらも葬儀の準備、火葬、通夜などやるべき事が次々とあり寝る暇もないくらいに忙しい。葬儀の終わった後に少しホッとした親族から深々と「ありがとうございました」と感謝の言葉。それだけで「やりがいのある仕事」だと静かに熱く語る。
 顧客が増え、ホール1つでは日程が重なったりとの苦情もあり、少しでも送る側の気持ちに応えようと平成22年1月に102号線(旧45号線)沿いに「まごころホール十和田」を設立。
 昔は葬儀屋というだけで敬遠された事もあるが、映画「おくりびと」の影響もあり仕事に対する周りの理解は得られるようになってきた。現在は納棺研修や司会や接客マナー、グリーフ(悲嘆)ケアなど講師を呼んで若手の社員育成にも取り組んでいる。これからも送る側の気持ちになって仕事を続けていきたいと笑顔で語った。

想いを形にする仕事 家族が最後に住む場所をつくる建築家
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野月 耕造さんプロフィール
 昭和34年6月24日生まれ(54歳)
三沢商業高校中退後、三本木高校定時制に編入。卒業後は内山鉄骨に入社するが目を悪化し、やむなく退社。昭和53年に十和田石材に約2年間働く。その経験を活かし昭和56年に独立して野月石材を起業する。平成3年に販売と製造を分けるために(株)石乃店のづきを立ち上げる。約33年間、石と向き合い石材の仕事を続ける。
 今回は墓石を販売する(株)石乃店のづきを訪ねた。墓石屋さんは文字通りに堅く重い仕事で、どんな人が社長なのか想像していたが、待っていたのは気さくな雰囲気の真面目な仕事人だった。若い頃から起業したかったと語る野月さん。当時は建設業と考えていたがお世話になった石材業で独立。若干21歳の若さで起業したのだから語りきれない苦労もあったのだろうが、その行動力と決断力には驚き感心した。墓石に対する知識もなくいろいろ話しを聞くと知らない事ばかりだった。
 現在は日本の石だけではなく9割近くは海外の大材(大きな石)を現地に行って輸入し日本で石を切り磨く。何万種類もある石の中から使えるのは約60種類。 どんな石でもいいワケではなく模様や耐久性に優れた大理石よりも高価な厳選されたものを使う。それを磨いたものを御影石(みかげいし)と呼ぶ。
 墓石は台座も囲いも含めて墓石で上に乗っている家名を刻んだ石の塔を仏塔(ぶっとう)と呼び、耐震対策のためのゴム質の接着剤などが使われている。墓はピラミッドや古墳のように昔は偉い人が残した証だった。いつから墓というものが出来たのか正確にはわからないが、先祖を敬い供養する気持ちがお墓が生まれた文化だと語る。
 年に2度あるお彼岸やお盆の墓参りなどでは「ありがとう」と言葉に出したり手を叩いて笑って喜んだりするわけではなく、静かに手を合わせて感謝の意を先祖に現す。お墓が怖いものではなく「幸せのシンボル」に見えるような墓石を作り、この先祖を敬う文化を大切にしていきたいと語った。
県内唯一の経産省「おもてなし企業選」選出 変わらない姿勢と変えていく工夫 
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木村 哲也さんプロフィール
 昭和41年4月4日生まれ(47歳)
五所川原出身。高校卒業後、今の仕事からは想像もつかない多事多様な仕事を経験し、後に一心亭に入社。当時は八戸店の厨房で働き仕事を認められ、十和田店へ転勤し支配人となり会社を引っ張り支えてきた。
 十和田に住んでいて知らない人はいないだろう焼肉レストラン・一心亭が創業したのは今から約28年前。五所川原に本店を立ち上げてから各地へ展開。その一つに選ばれたのが十和田市だ。当時のつい、口ずさんでしまいそうなCMは今でも記憶に新しい。
 一心亭十和田店は今年で23年をむかえる。一心亭に入社してから五所川原・八戸で厨房の仕事も経験し、十和田店に転勤。以後12年間支配人として会社と従業員、また家族を支えてきた歴史には厳しい時期も当然あった。
 それを感じさせないような穏やかな人柄も人を惹きつける木村支配人(一心亭)の魅力の一つなのかもしれないと感じさせられる。
 過去に記憶もあるだろう、BSE(狂牛病)問題などの外食産業に関連する多種多様な問題、東日本大震災など会社が抱えた苦悩も社員一丸となり、必死に受け止め、向かい合い、解決してきたことが一心亭の強さでもあり、おもてなし企業選に選出された根拠だと納得できた。
 現在は人気のサラダバーをより良いものとしてお客様に食べてもらいたいと「野菜ソムリエ」の資格を取得させ旬の野菜を美味しく提供する工夫。会社内に塾や委員会を設立し、社長と社員、パートの個人面談や店舗ごとの意識向上の話し合い、誰でも変わらずに「おもてなし」の気持ちで接客できるような横繋がりの強さをもてる会社にしたいと実践。
 見える部分、見えない部分での工夫や、創業当初から変わらない姿勢などは「さすが」のひと言。
 また木村支配人は地域密着型の姿勢、子供たちを大事にしている事が今の一心亭十和田店を支えていると語った。事実「元気クラブ」の会員数はこの小さな町でも4千人以上もいるのだと言う。子供から大人まで楽しめる雰囲気作りを心掛けていると語った。
 そして、ただ安くすることがサービスではなく安いと感じさせるような接客が大型チェーン店に負けないための姿勢だと社員一同実行。変わらない姿勢のまま進化していく一心亭のこれからを期待せずにはいられない。

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