はたらくひと必読!仕事人!!今月のスポットライト

見えないものを売る仕事
  損しても得を生む尊徳人
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プロフィール 昭和40年9月19日生まれ(49歳)
弘前市東奥義塾高校を卒業後、札幌市の北海道自動車短期大学に進み、卒業後に青森トヨペット十和田店に昭和61年に入社した。入社当時は自動車整備士として勤務していたが翌年に営業部へ異動。営業成績№1の実績を認められ店長として勤務。平成18年4月まで店長として勤めた後、現在の会社、株式会社エイ・ジェイ・アイへ転職した。

 北園小学校の向かいの角地にある保険代理店・株式会社エイ・ジェイ・アイで努める佐々木毅彦さんを訪ねた。主にカーリースやイベント保険なども担当する佐々木さんはトヨペット時代からたくさんのお客様にお世話になり現在があると言う。
 保険といっても扱うのは生命保険や車両保険だけではなく祭りやバラゼミ、様々なイベントなどにも多くあると教えてくれた。
 誰かに何かがあったら...取り返しのつかないことがないように責任を請け負うのが保険だと感じた。
 佐々木さんは株式会社エイ・ジェイ・アイの営業部長でもあり、十和田商工会議所青年部の会長でもあり、交通安全協会青年部の部長、バラゼミの教授兼キッチンボスでもあり、高校生の息子を育てる父親でもある。多くの肩書きに、真っ直ぐ家に帰れる日はほとんどないと言えるくらい多忙な日々を仕事とボランティア活動で費やしている。人間は生きることが営業。何を考えて行動してきたかが今につながっていると思うと語ってくれた。
 現在はB‐1グランプリ郡山大会のゴールドグランプリを目標にバラゼミで活動、他にも十和田湖マラソンの実現なども企画したいと行動している。なぜ給料も出ない事にそこまで一生懸命になれるのかを聞くと町興し事業は地域の経済効果につながる事、今までお世話になった全ての方々に恩返しがしたい、そして将来、県外に出た子供たちが帰ってきても働ける場所があり、胸を張って誇りに思えるような街にすることが大人の役割だと思うと熱く坦々と語ってくれた。
 偶然にも取材中に県外から来たと思われる人が訪れ迷っていたのを見ると、パッと立ち上がり十和田市の観光や飲食店を紹介している行動力には驚いた。何でもすすんで行動する姿勢が佐々木さんの営業なんだろうと感じた。
 最後に伝えたいことは?の質問に「これからもよろしくお願いします」と笑顔で挨拶して終わった。

 まちづくりと共に育ち
    街を守り道を作る建設人
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プロフィール 昭和45年6月24日生まれ(44歳)
三本木農業高校農業土木科を卒業後、八戸工業大学土木工学科に進学。卒業して22歳の時、㈱福萬組へ入社。5年の実務経験を受け一級土木施工管理技師を取得。現場監督として会社に貢献し、平成19年に営業部へ配属された。現在は入社22年目となる。3人の子育てに奮闘しながらも、さまざまな慈善事業にも積極的に参加し地域にも社会貢献している。

 今回は十和田市で最も多い六差路の交差点の角にある㈱福萬組の営業課長、小笠原光博さんを訪ねた。
 大きな会社の玄関で丁寧に挨拶し出迎えてくれたのは大きな身体で強面の顔、そして素敵な笑顔の小笠原さんだった。
 今の仕事をしているのは子供の頃に見たCMがきっかけだと言う。道路や街を作る仕事をしたかったという想いを忘れることなく、そのまま大学を卒業し、現在の会社に入社したという。
 外観は土木建築の会社というより、一流ホテルのような建物の福萬組だが、創業当初はタンスなどを作る小さな建具屋だったという。福島萬次郎(前会長の父)の名前から昭和38年に福萬組と改名し、会社は大きく発展、時代と共に成長した。
 十和田市は天災(特に水害)には強く、空気も綺麗で住むにはいい街だと教えてくれた。それほど人口は多くないが、稲生川から始まった開拓の町、十和田市には県内に40社程ある特A級の認定を受けている会社(簡単に言うと大きな仕事を受ける事が出来る資本や人材がいる会社)が約10社もある事も納得出来た。
 会社の方針の一つとして、地域に貢献出来ない会社には存在意義がないとの教えからか様々な慈善事業にも参加している。その中の一つとしてバラゼミがあった。仕事や家庭の合間にボランティアで活動に参加。大変な事の方が多いが活動を通して一番感じた事は「前よりも十和田市を好きになった事」と笑顔で語ってくれた。
 学生時代はサッカーの守護神としてゴールを守っていたという小笠原さん、今では会社と家庭と十和田市を大きな身体で守ってくれているようで頼もしく感じた。

知らないまちで出会ったひと
 繋がりを大切に想う印刷屋さん
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プロフィール 昭和49年1月11日生まれ(40歳)
茨城県出身。土浦日大高校を卒業後、続けていたバスケットの実業団を持つ日立の関連会社で務める。結婚を期に八戸に引っ越してきてからは障害者施設で約3年勤める。現在12歳になる長女が生まれた年に十和田市へ引っ越してきた。八甲荘で2年間勤務し、縁あって平成16年7月にアート印刷へ入社した。現在は3人の子供を育てる。

 当新聞社もお世話になっている㈲アート印刷の営業部長である黒田真之さんを訪ねた。ゆったりとした空気、決して慌てないような雰囲気をもつ人柄だと感じた。そんな黒田さんは茨城県出身。様々な縁と結婚を期に十和田市に住むことになり12年となる。
 現在は子供は3人。もしかしたら、一番の功労者は十和田市民を4人も増やした奥様なのかもしれない。
 印刷業はポスターやチラシ、新聞などを発行するお客様との契約があり、紙やインクなどを製造する会社との橋渡しをする仕事とも言えるだろう。紙には目があり、縦と横があるなどの豆知識から仕事での苦労談なども教えてくれた。機械で部品を作る仕事から障害者や高齢者を支援する仕事をしてきた黒田さんが全く違う職種に就いた。
 当時は聞いたことのない専門用語が飛び交う中、知らないからこそ気付けた事もあったと語る。
 ㈲アート印刷に入社してから8年目となる黒田さんが仕事を覚えるために営業に回り、一番最初に出会ったのが現在バラゼミ舌校長の畑中氏だった。もちろん当時はバラゼミのない時代。商工会青年部に誘ってもらい、仕事やプライベートでの付き合いもお世話になった事、茨城県から知らない土地にきて知らない人ばかりに囲まれた黒田さんにとっては救いの手だったことだろう。
 その恩を忘れずに縁を大切にした黒田さん、新幹線が開通した翌年に畑中氏に誘われ、連れて行かれた先は「とことん青森」という青森の魅力(ねぶたや林檎など)を発信するイベントだった。それが茨城県出身の黒田さんが青森県の魅力を何かで発信したいという想いに変わり、バラゼミに入ったきっかけとなり、現在バラゼミの副学長兼総料理長も努める由縁となった。
 人と街に育てられた恩、それを人と街を育てるための活動で恩返ししているのだろうと感じた。

  見送る側から贈る側へ
 人生の道を知る結婚仕立て人
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 プロフィール 昭和45年6月5日生まれ(44歳)
三沢商業高校を卒業後、稲本胃腸科外科で約3年医療事務を務めるが、結婚を機に退職。その後、子育てをしながらの新産測量の事務を約13年務める。それから桜田造花店で6年間を働き、人を送る職務を続けるが家庭の事情で退職。パートなどをして生活していた苦しい時期に、縁あってサン・ロイヤルとわだに平成23年1月にパートとして雇用される。同年3月に震災があり、人件費削減のために退職を覚悟していたが仕事力を認められ正社員として雇用され、ブライダルプランナーとして活躍する。

 今回はサン・ロイヤルとわだで勤務の、十和田市で唯一の女性のブライダルプランナー・三浦潤子さんを訪ねた。
 年齢よりもずっと若く見える外見に、すでに孫がいるギャップに驚く(笑)
 いつも笑顔で元気なイメージがあるが、現在の仕事をするまでは様々な苦労と苦悩があったと教えてくれた。
 結婚式を一生の幸せの思い出にするための仕事。この職務の以前の仕事は、意外にも人の一生を見送る仕事だった。
 当時の仕事にもやりがいを持って働いていたが、家庭の事情で退職することになった時には現在の仕事は想像もしなかったであろう。
 冠婚葬祭の葬儀から婚儀への転職。3回あると言われる人生の主役になる時を仕事で携われた経験が潤子さんの仕事に対する姿勢を培ってきたのだと感じた。
 ブライダルプランナーとしては、自分は女性であることが最大の強みだという。男性には分かりづらい結婚前の女性の不安な気持ちにも様々な経験から、アドバイスやメンタルケアもしていきたいと語る。 それはやはり一生に一度の晴れ舞台にみんなに笑顔でいて欲しい気持ちがあり、二人の幸せを応援する潤子さんにも同じ笑顔が溢れるのは当たり前なのかもしれない。
 また、サン・ロイヤルとわだではハピコンパーティーへの全面協力、市内24店舗の飲食店とのコラボ企画、新しい中華の料理長を迎えるなど十和田市民の人々が幸せになれるような様々な企画に挑戦し続けている。

家電と人と共に育った街の頼れるでんき屋さん

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プロフィール 昭和44年7月21日生まれ(45歳)
三沢商業高校を卒業後、SHARPに研修し、1年後に帰郷する。小学五年生から家電屋の家業を手伝っていたという。幼少からずっと家電と共に育ってきて、今年で35年目のベテランと言える。販売だけではなく、修理、リフォーム、太陽光発電と自ら仕事を増やし、街に必要な家電店としてお客様の要望に応えて続けている。

 今回は切田通りのカケモから中央公園側に進み、サークルKが交差する通りに家電製品を扱うお店が昔からある。今年で創業47周年を迎えた㈱大竹電化センターの取締役である大竹 昇さんを訪ねた。
 家電屋さんの家に生まれ、幼少の頃から家電と共に育ってきた。小学校5年生の頃から家業を手伝い、19歳で家業を受け継ぐ。
 店舗販売だけがメインではなく、修理やリフォームなども請け負う。お客様の相談にのったり、意見を提案したりもする。最終的には買ってくれたお客様がよかったと思ってくれて感謝された事が一番嬉しいとも感じ、それまでの会話ややりとりが仕事の面白みだとも語ってくれた。
 家電というと何からどこまでなのかと聞くと、家の中にある電気で動くものはほとんど当てはまる。冷蔵庫やクーラーだけではなく、お客様の修理の相談には水道やボイラー、換気扇まで頼まれる事もある。古くなったら買い替える事は簡単だが修理すれば使える物、愛着があったり、買い替えのお金がない場合は強力な助っ人と言えるだろう。お客様の要望を断らずに何でも引き受けていたら何でも出来るようになっていたと笑いながら語る。
 時代は電気を節約する節電ブームとなっているが、同時に電気を売る発電も主流となっている。国からの補助もあり、必ず投資に見合った利益を得ることは知る人ぞ知る。節電と発電、目的は違うがエネルギーの無駄をなくし活用する事はこの先の生活に大きく関わる事だろう。
 日常には欠かせない存在である電気と家電製品。発電することによって電気代を節電することにつながる家庭用の太陽光発電の工事も受注していると教えてくれた。これから先の未来を考えて...詳しい内容は是非、訪ねてみて欲しい。

仕事と家庭とバラゼミと、3つの顔を持つ電気工事士

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 昭和52年5月26日生まれ(37歳)
三本木高校卒業後、日大の生産工学部・電気工学科を卒業。父親の体調不良のために一時帰郷、そのまま家業を手伝うことになった。創業は昭和48年に個人事業として設立。平成7年に㈲相坂電気として会社名を戒名した。電気工事士や施工管理技士などの資格を仕事を手伝いながら勉強し取得した。今年11月に待望の第一子が生まれる予定。バラゼミなどでは学長として活動もしている。

 今回はバラゼミで学長としても活動する㈲相坂電気の木村長敏さんを訪ねた。電気工事の仕事をしてからは15年目となる。
 学生時代から続けている野球。当時は笑顔を作るのが苦手だった自分に恩師が「笑顔が出来ないやつは泣くことも出来ない」と教えてくれた事は忘れない。それがあるから今の自分がいるかもしれないと語ってくれた。
 電気工事士の仕事は様々な現場があるが、例として新築の家を建てる時には最初と最後に仕事をすると教えてくれた。元請の業者から設計、水道工事、建築、電気工事など分野に分かれたプロが仕事を協同作業で進めていく。工事用の主電を最初につなぎ、建物が建てられたら配線をつないでいく。仕事は黙っていてもくるものではなく、元請けの業者から注文が入る場合が多いので若かりし時から会社の付き合いも大切にしているという。
 野球というスポーツで学んだ事、仕事で生きていくために身につけた事、そして十和田市をもっと盛り上げていきたいという気持ちがバラゼミに入った理由なのかもしれない。
 最初は舌校長の畑中氏に声を掛けられたことがきっかけだった。バラゼミの活動は素晴らしいとは思っていたが、最初はタキシードを着ることに多少の抵抗はあったと笑いながら語る。それでも当時は県外での活動が主だったから思い切り出来たんだと思うと語ってくれた。そして今では全国的にも認知される存在となり、若くして学長の肩書きを背負う。
 メンバー全員が木村さんより年輩の中で名前が先に上がるのは人柄、責任感などが認められた証なのだと思う。学んだ事を次に活かし、自分のために、十和田市のためにと活動している事がいい循環と結果を作っていくのだろうと感じた。

伝えたいのは季節で変わる旬の味  包丁握った十和田の侍

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櫻田正樹さんプロフィール 昭和39年11月14日生まれ(49歳)
十和田工業高校を卒業後、東北電子計算機専門学校へ進学。その後は帰郷して今で言うフリーターをしながら料理を学ぶ。23歳の時に本格的に料理の道へ進み三沢市の大竹鮨で約8年半を修業。平成12年5月に「すし侍まさ木」を開業した。今年で15年目を迎える。

 旧国道4号線から青銀北支店側に曲がり、ワークショップのづきの手前を左側に入ると寿司屋がある。
 開業から15年目を迎えた「すし侍まさ木」の店主・櫻田正樹さんを訪ねた。
 寿司職人となったきっかけは、まだ若い頃に三沢市にある大竹鮨に連れて行ってもらった時に食のカルチャーショックを受けたことだと語る。それから何度か通い、いろいろな寿司を食べ、作ることに興味持ち、アルバイトとして修業を積んだ日々は懐かしい。
 寿司と聞くと昔は贅沢なご馳走だというイメージも少なくはないと思うが最近は激安回転寿司のチェーン店も増え、子どもにも馴染み深くなっている。スポーツで例えるとゴルフのように年齢に関係なく楽しめる料理と言えるだろう。
 「味・量・値段」の中で唯一、目に見えないもので勝負するからには一切の手抜きはない。旬の魚を寿司として出すだけではなく、焼いたり天ぷらにしたりと調理の工夫で同じ魚でも違った味わいを楽しむことが出来るのは料亭ならではの強みだろう。
 櫻田さんはこの味を宣伝することもなく、外に発信するのは苦手でスマホも上手く使えないと笑いながら教えてくれた。それでもあけぼの学園(様々な事情で親が育てられない子を受け入れる児童福祉施設)へクリスマスに無料で寿司を握るなどの活動もしている。その時の喜んだ子供達の顔を見たいために今年もサンタになりたいと照れ笑いした。
 今が食べ頃の魚は何?美味しい調理法は?そんな話しを肴に食べる寿司は一味違う味わいがあるだろう。来てくれたお客様との会話の中で旬の情報や仕入れたオススメなどを伝えてその時にしか出会えない味を提供したいと語った。

舌も大地も震える麺家 隠しきれない個性のラーメン

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小笠原誠さんプロフィール 昭和55年3月7日生まれ(34歳)
十和田西高校普通科を卒業後、趣味である音楽を学びにミュージックカレッジメーザーハウスという音楽学校へ行くが2年で中退。
 その後は様々な仕事を経験しながらも自分の店を持ちたいとの想いから平成20年11月に東北町へ「麺家だいち」をオープンした。今年で7年目となる。

 小川原湖道の駅から三沢に向かう通りを走ると左側にラーメン屋がある。十和田市出身の小笠原誠さんが経営する「麺家だいち」は7年程前にオープンされ、今も根強いファンが通い続けているお店だ。
 趣味が美味しいものを食べること。昔からいろんなお店を食べ歩き、その味に自分だったらこうしたいとの想いが独自の工夫を生んだ。その考えは「食べたい」から「作りたい」と変化し、たどり着いたのがラーメン屋だったと語る。
 ラーメン屋を起業しようと広い駐車場付きの物件を探していたら東北町で見つかった。当時は若干27歳で「若い」という名の肩書きを背負っての経営は様々な苦労があったと語る。
 有り難い事にオープンしてからはお店は繁盛し、経営も起動に乗り始めていた頃に、あの大震災があった。
 材料にもこだわって作っていたため当時は県外から食材を仕入れていた。そのために提供したくても食材が届かない。塩ラーメンすら作れない日々が続き、客足も少しずつ遠のいて一時は本気で閉めようかと悩んだ時期もあったと言う。
 それを乗り越えてきた今では、短い休憩時間にお腹を満たすために急いで食べてすぐに仕事に戻るお客様も、店内に2000冊以上ある本でも読みながらゆっくり時間を満喫していくお客様も、恋人や家族で来て味を楽しんでくれるお客様も、同じ空間でラーメンを食べれるような店にしたいと語ってくれた。
 どんなに疲れてもお客様から「美味しい」の一言が聞けたら幸せ、だから自分とお客様がお互いに幸せになれるように今日も腕を振り続けている。

快眠から日本を元気にしたい 十和田にある眠りの店の美女

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溝口 奈美子さんプロフィール
 昭和47年10月31日生まれ(41歳)
三沢商業高校を卒業後、東京で就職する。当時は家業を継ぐとは考えられなかったが、平成3年に会社を移転オープンすることになり、一時手伝うために帰郷した。父親の病も気になりそのまま手伝うことになる。そして平成16年の時に父が他界した。以来会社を支え寝具専門店として睡眠で悩むお客様により良い眠りを提案している。
 産馬通りと旧4号線の交差点の角に「みぞぐち布団店」がある。今回は、いつも笑顔を絶やさない店長の溝口奈美子さんを訪ねた。枕や布団、ギフト用品の専門店として昔からお客様に快眠する喜びを提案してきた。本来であれば疲れを取るための睡眠のはずなのに、首が凝ったり、眠りが浅かったり、疲れが取れなかった経験のある人は少なくないだろう。首を支える枕、身体を休ませる布団、人それぞれ体型が違うのと同じで人それぞれに合った形や硬さ(軟らかさ)などがあるという。それをオーダーメイドが出来る店としていち早く専用の測定器を取り入れた。当時は全国でも10店舗ほどしかなかったが効果が認められ現在は120店舗ほどの専門店で取り入られている。測定器で測りすぐに体型にフィットする布団と枕が出来上がるのには驚いた。高さ(凹凸)や硬さもすぐに微調整出来る。
 アフターケアも万全で、ただ布団を売って終わりではなく時間と共に変化する体型にも対応出来るのはオーダーメイドシステムを取り入れている専門店ならではの強みだと感じた。人が生きていくために必要な睡眠時間、実は人生の約1/3を占めている。たぶん、ほとんどの人が靴や服など自分のサイズ(体型)に合ったものを選ぶ。それと同じように睡眠には欠かせない布団や枕も自分に合ったものがいい事は当たり前なのかもしれない。
 どうしても大手の寝具店よりは少し高くなってしまう事があるが、全ての人のために大量生産された寝具より、自分のためだけに作られた寝具の寝心地は値段以上の価値があることは間違いないと感じた。ちなみに6月はオーダーメイド枕&布団の無料体感期間だと教えてくれた。睡眠で悩みを持っている人は気軽に相談してみてはどうだろうか。
触と食で身体と心を癒す 整体で働く主婦の生きる道

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小野 美保さんプロフィール
 昭和50年9月16日生まれ(38歳)
十和田出身。八戸工業大学第二高等学校を卒業後、19歳で結婚、出産。パートの仕事をしながら育児に専念していたが、何かをしたいとの想いから整体師の資格取得を目指し、平成15年に切田通りの青森銀行南支店前に開業。自宅の敷地内にサロンを移転開業し、平成23年に102号線沿いに2号店をオープン。翌年にaomn隣接にガーデンキッチン垂穂を開業した。余談ではあるが三本木小学校歴代2人目の女性のPTA会長も務めた。
 102号線沿いの旧コンビニ跡地に二つのお店が並ぶ。整体を営むボディバランスケアamonと食事処のガーデンキッチン垂穂だ。その2店を経営し、整体師としても勤めるのが代表の小野美保さんだ。若くにして結婚、出産し、若くにして起業する。それまでの道のりは運良くでもなく、簡単でもなく、苦悩と苦労しか記憶にないと語る。主婦として子育てをしながら、それを成し遂げてしまう行動力と実行力には感心するしかない。
 当時、親の面倒と3人の子育て、主婦業をしながらパートだと満足のいく生活は出来ない。何か自立できる仕事をと探している時に旦那が昔やってみたかったと言っていた整体の学校の雑誌が目に入った。整体師の資格を取りに学校に行っている時から開業するつもりで動いていたと語る。いつかは...ではなく、これからどう生きていくためには何が必要かを考え必死に学び、行動した。また整体のamonを開業した時から隣りには喫茶店を営業しようと決めていたらしい。そして有言実行、翌年に垂穂をオープンし、勢いは止まらないように見える。しかし実際は不安しかなく、もう前に進むしかないと覚悟を持って、家族も従業員も養っていかなくては!という気持ちで頑張っていると語る。少し不安症な性格と変わらない低姿勢、それでも足は常に前に進み続けている。そんな不思議な魅力が従業員やお客様から支持を受けているのかもしれない。来て良かったと思える店、働いて良かったと思える店にしていきたいと語ってくれた。

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