はたらくひと必読!仕事人!!

花で伝わる気持ちと言葉  十和田に咲いた一輪の花

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脊戸 潤子さんプロフィール
 昭和47年11月19日生まれ(41歳)。
三本木高校を卒業後、東京のJFTD学園(花の専門学校)に進学。卒業してからは東京の花屋さんで27歳まで働き、その経験を活かして家業を継ぐために帰郷する。田島生花店は昭和20年に開業。平成2年に現在の場所に移転した。一昨年に待望の長男(隆大くん)が生まれ、子育てに奮闘しながらも3代目として修業中。
 今回は産馬通りに面した花屋さん(有)田島生花店を訪れた。店内に入ると辺り一面、色鮮やかな花で飾られている。ここには冬でも春を感じられる空間がある。冠婚葬祭、歓送迎会、母の日などさまざまな行事には欠かせない彩りを添える花。女の子の将来なりたい憧れの職業に常にランクインしているであろう花屋さんに潤子さんは産まれた。
 小さな頃から花と共に育ってきた潤子さんは高校を卒業してから当然のようにお花の専門学校(JFTD学園)に進学した。それから東京の花屋さんで27歳頃まで勤め、帰郷して家業を継ぐ。潤子さんは生まれてからずっと花に携わってきたことになる。それ以外にも商店街を活性化させたいと街の情報紙『ちょこっと』の創刊時にみぞぐち布団店さん、松本茶舗さんと共同作成(現在は十和田市商店街連合会が発刊)したり、商工会青年部に参加したりと活動的な一面も見せている。花屋さんは綺麗な花に囲まれて一見、華がある仕事のように思われるが、実際は力仕事、水仕事で大変だったり、生花なので仕入れが週に何度もあったり、水や湿度、温度の管理などは1日も欠かせないなど、見えない所は大変な仕事なんだと教えてくれた。八戸の花市場に行き、仕入れる花を選別するが日本だけじゃなく世界中から花は集まっていると知った。色や質、見た目や匂い、価格なども見極めて選ぶ。
 潤子さんは花は元気を与えてくれる。幸せを感じさせてくれる。できれば一輪でもいいから家に花がある生活をしてもらいたい。花を身近に感じられるような人、家、街であって欲しいと語る。また、田島生花店の二階では生け花教室を開講しているそうで、若い人にも昔からある花の文化なども伝えたいと語った。
 花言葉などを知っていれば受け取る側も、贈る側も言葉を交わさなくても花から伝わる気持ちがある。言葉を伝えることが苦手な不器用な男の人でも、内気な女の人でも花があれば気持ちは伝えられる。様々なお客様から色々な注文はくるが「出来ない」とは言わない事を心掛けて仕事に取り組んでいきたいと語ってくれた。

鏡の前でお客様と自分と向き合う 髪を切り、心を整える髪師

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前川原 弘仁さんプロフィール
 昭和51年6月30日生まれ(37歳)。
甲東中からサッカーをするために光星学院に進学、卒業後は八戸大学で学び、サラリーマンを半年勤めるが、幼少より憧れていた理容師になるため髪師ジパングに入社した。資格は後に通信で取得し現在入社15年目。27歳の時に店長として就任する。
 今回は理美容業界では十和田市を代表するであろう「髪師JIPANG」を訪ねた。前川原さんは大学卒業後、意外にもサラリーマンをしていたと言う。そんな事を感じさせない独特のゆったりとした和ませる雰囲気は職業柄身に付いたものかもしれない。当時は理美容師と縁遠い生活をしていたが昔から髪を切る仕事には興味をもっていたという。そんな時、当時髪師ジパングのオーナーである黒澤さんが新店舗のGrandBleuをオープンした。人員補強のために募集がかかり、タイミングよく憧れの理美容師業界に入社できたと密かに笑顔で語る。
 きっかけの門は運良く開いていたが、入ってからは専門学校を卒業していないため下積みを重ねながらも通信で資格を取得。慣れない仕事をしながらの勉強は身を削らなければ成功には結びつかない。陰ながらの努力は人一倍してきたんだと感じた。その後は前川原さんや従業員の努力も積み重ね、経営も安定してきた。
 平成18年に現社長である黒澤さんは、ジパング店長・前川原さん、グランブルー店長・金見さん(旧姓・遠藤)のイニシャルを一文字ずつとってM・K・Ecompanyと新たにスタートした。そこには独断経営ではなく手を取り合って同じ立場で物事を考える会社経営を目指していく決意も感じられた。国家試験でもある理容師と美容師には違いはあるが、それを超えたものを目指していきたいと3人で会社を立ち上げたと語った。前川原さんは、髪を切ること以外にもマッサージや細かい気配りなどマニュアル以外にもやる事が多いのは、お客様目線で何が求められているのかを常に考え行動する必要があるからで、これからもお客様の目線に立って仕事に取り組んでいきたいと密かに笑顔で語った。

十和田地産の食の財  麺と共に届ける青森の味
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小関 教仁さんプロフィール
 昭和52年10月2日生まれ(36歳)
三本木中学校を卒業後、山田高校に進学し、幼少から続けているサッカーで活躍。私立青森大学経営学部に進学し卒業後、㈲小関麺興商事に入社する。技術・知識・経験を積み重ね、2年前に工場長として就任する。十和田地産の食材を広めるために企画から製造、営業などを手掛け会社に貢献している。
 十和田地産の食材にこだわり、多彩な味わいの麺を提供している(有)小関麺興商事の工場を訪ねた。先日、十和田市褒賞を受けた小関力さんの息子である教仁さんは若いながらも工場長でもあり、企画から営業など会社の重要な責任を任せられている。米粉入りのうどんや、ごぼうを使った生麺などを開発し、十和田の味を全国へ届ける。それは十和田地産の食材の魅力を伝え、十和田を良くしていきたい気持ちから始まった。
 みちのくの郷土料理「かっけ」をご存知だろうか?もともとは昔の人が麺を製造する際に端っこの捨てる部分がもったいないという気持ちから誕生した料理である。それを現在では製造し、抜群の相性のにんにく味噌をつけて食べる。ケンミンSHOWの番組でも取り上げられたこともあり、一時は生産が追いつかない程の注文もあった。またコセキの「ごぼううどん」は生麺で製造している工場で、全国でも数少ないため、わざわざ九州から取り寄せがあったり、大泉洋さんの番組でも取材されるなど(工場ではなくひまわり亭)全国にも知れる十和田の郷土料理と言えるのかもしれない。
 小関の麺と聞くと、そばやうどんのイメージが強いが、工場長のおすすめは意外にもつけ麺。全国各地の有名店を食べ歩き、さまざまな味を学んだ。食べ歩きも仕事と聞けば羨ましいとも思うが朝から晩までつけ麺三昧は辛かったと思い出すように苦笑いで語った。また現在所属している十和田青年会議所の企画として5月に親子オラほのチャーハン選手権(仮)に協力参加し、食育をテーマに十和田の味や食材について親子で学び楽しめる場を作りたいと楽しげに語る。余談ではあるが教仁さんは去年に入籍し、待望の長男(教雅くん)が誕生した。将来は後を継ぐかはわからないが自慢できる故郷にするため食材を通じて会社を盛り上げ、十和田市を良くしていきたいと語った。

お菓子で伝える青森の魅力  野菜と果実のコーディネーター

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宮澤 洋平さんプロフィール
 昭和55年3月13日生まれ(33歳)
七戸高校卒業後、東京にある日本菓子専門学校へ入学し、御菓子作りを学ぶ。卒業後、帰郷し平成21年に父親の経営する(株)御菓子のみやきんに入社する。青森の魅力をお菓子から全国に伝えられるようにと青森県産にこだわったお菓子作りと、魅力ある店作りに貢献している。
 今回は青森県産の食材を次々とお菓子にしている(株)御菓子のみやきんを訪ねた。明治時代からあるという七戸町発祥のみやきんは現在6店舗と拡大している。製造が追い付かなくなるほどの売り上げで工場も足りないとの嬉しい悲鳴をあげていて、予定ではこの先まだまだ店舗を増やす勢いだ。そして十和田のみやきん総本店で常務としてお店を支えているのが宮澤洋平さんだ。菓子職人で常務という肩書きからは想像できない程、腰の柔らかい優しそうな雰囲気を持っている。宮澤さんは、小さい頃から菓子作り工場の2階が住む家という環境で育ち、社長である父の仕事を小さい頃から近くで見ていた。東京で学び、地元に帰ってきたのは家業を手伝うためでもあり、青森が好きだからだとも語った。お菓子作りの職人となったのはごく自然のことかもしれない。
 みやきんのお菓子は青森地産の食材にこだわった物ばかりで、そのどれもが美味しく独特の味わいも楽しめる。素材の魅力を引き出すために社員一同工夫を重ね、意見を交換し合う会議や現場の声を聞き逃さない姿勢がお店(会社と人)を作っているのだと感じた。十和田総本店では月に1回「店内食べ放題」を実施している。男性1800円・女性1500円・子ども1000円で店内のお菓子が食べ放題で飲み物もお土産もついてくる。
 また2月に新商品として出荷する長いもで作ったお菓子「長芋夫人の長イモンヌ」が発売する。女性に優しいオイルフリーのベジタブルスウィーツだ。「喜びを共に」を理念に、これからも青森の魅力をお菓子で伝えていく。

黒服、眼鏡、蝶ネクタイで駆け回る 十和田市飲食店業界のカリスマ
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岩城 康次さんプロフィール
昭和37年2月26日生まれ(51歳)。
 黒石市出身。三本木高校を卒業後、東京都立正大学へ進学。家業の事情で途中で自主退学し帰郷。当時のディスコブームの流れに乗り「ジグザグ」を経営。平成2年に「ビアプラザ ピルゼン」をオープンし、その後のカラオケブームの流れに乗り、「カラオケ フェスタ」を開業。十和田の飲食店業界を支え続けている。
 扉を開けると外からは想像出来ないオシャレな雰囲気のビアホールがあり、昔から同じスタイル、変わらない笑顔でお客様を出迎える岩城康次さんがいる。十和田市では知らない人はいないだろうと思える程の顔の広さを持っているのは昔から変わらない姿勢にあるのだと感じた。気さくで仕事は真面目、ふざけた話しから真剣な話しまで年齢は気にせずに誰でも話しの出来る人。それが岩城さんの魅力の一つで、営業だけではなく十和田市をもっといい街にしようと常に想い考え、行動している。
 ピルゼンはこの小さな町の十和田市でもキリン生ビールの専門店として東北でも上位を獲得する売り上げを記録したこともあるビアホールである。岩城さんが飲食店街の神様(カリスマ)と呼ばれる由縁は、時代の流れに遅れることなくディスコやカラオケボックスなど成功した商才だけではなく、常にお客様がどうしたら喜んでもらえるかを相手の立場にたって考える「おもてなしの気持ち」や、チャンスを見逃さず、捨てないための「もったいない精神」や、悪いことをするためには理由がいるがいいことをするためには理由はいらないと「有言実行」する行動力などがあるためなのかもしれない。商売には損得がなく、お互いに得が生まれれば経済もいい方向に向かえる。
 いい町にするには、働き住む人たちも同じ意識を持つことが大切だと語る。
 岩城さんの慈善活動の一部を紹介しよう。
 
 市援会「もったいない」から始まる慈善活動
市援会とは?...文字通り市を応援する会のことで、カケモ社長の欠畑さんを会長に、飲食業協会、遊戯業協会、ガソリンスタンド協会の協力を得て3年前に結成されました。十和田にあるいろんな会社や働く人たちが岩城さん等の口伝えで集まり協力してくれている市民ボランティア団体です。今まで捨てていた空き缶の蓋(プルタブ)やペットボトルのキャップなどを集めて換金し、そのお金で中央病院の車椅子などに替えて寄贈することが主なボランティア活動です。
 現在まで車椅子は15台寄贈しています。捨てればゴミ、集めればお金になる。1人では100年かかる事も100人いれば1年で、1000人集まれば何かが出来る、1万人集まればもっと凄い事が出来るかもしれない。「小さなことからコツコツと、やがて大きなうねりとなる!」を合言葉に市民の協力者と共に市に還元できることを考え活動しています。
 
 リユース箸を広める活動 十和田市の箸から端まで綺麗に...
なぜリユース箸に?...ゴミ袋に割り箸が穴を空け、カラスが減らない身近な環境から、日本の割り箸を作るために中国の木が伐採されている地球環境まで、日本の文化である箸は割り箸ではない。使い捨てを減らす時代になっていると感じた。スプーンやフォークは洗って使うのにどうして箸は使い捨てなのだろうと疑問に抱いた。岩城さんは飲食業協会に声を掛け理解をしてもらい箸を広めていった。結果はゴミは減り経費は削減された。
 
 百切会チャリティーゴルフコンペ
多々あるスポーツの中でこれほど年齢層が広い競技はないだろう。岩城さんの主催で、いつかは100を切ろう!と集まったゴルフ初心者たちが楽しむ場として年に1回開かれている。ちなみに必ずといっていいほど開催日は台風や雷雨に重なるらしいが参加者は増え続けている人気イベントだ。そして参加費の中からチャリティー代を集め車椅子やスタットレスタイヤなどを寄付している活動でもある。
 
 LED化、除雪、イベントなど...これからの飲食店業界の選ぶ道
不況や時代の流れによってこれからどんどん厳しくなっていくのはどの商売でも同じ。大手チェーン店は大量輸入によって安く仕入れているために個人経営の自営業は値段では勝ち目がない。数が力になることを理解し十和田市のために協力してくれる人たちで何とかしなくてはいけない現状だ。飲食業協会に働きかけLEDやリユース箸を団体購入という形式をとり、安く仕入れるために業者にお願いをし、 経費を削減する。また除雪などは市から機械を借りて自分たちで街を綺麗にする。これからは待っているだけではいけないと危機感を持ち、飲食業界だけではなく十和田市で働く人たちとみんなで笑えるように、十和田市をいい町にするために盛り上げていきたいと語る。
  
縁でつながる人と町 地産の魅力を提供する再建人
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阿左見 伸作さんプロフィール
 昭和40年8月12日生まれ(48歳)
三沢市出身。六戸高校を卒業後、東京のパレスホテルで15年間勤める。子どものために帰省をし、経験と実績を活かし八幡会館で10年支配人として勤める。平成23年8月に社長が病気を患い閉館となる。仕事で繋げた縁で「食事処おいらせ」に支配人として入社し、地域発展・売り上げ向上のために貢献している。
 今回は十和田湖へ向かう途中に右側に見える「食事処おいらせ」(旧十和田湖町役場向かい)を訪ねた。十和田地産のガーリックポークや低臭プレミアムにんにくを使用したおいらせ餃子、自家製のそばやうどん、馬刺しや馬肉鍋などが人気で平日でも賑わいをみせている。
 当時、旧八幡会館が閉鎖することになり、仕事を探していた阿左見さんは仕出しのお付き合いもあった和尚さんからの紹介がきっかけで縁と運が上手く重なり食事処おいらせの支配人として入社した。しかし現状は食事だけの売り上げだけでは厳しい状況だった。そこで前職からの付き合いがあった葬儀業の方などに仕出しをお願いし、お膳などを提供することを最初の目標に掲げた。会社と相手とお客様が互いに満足出来る関係にするために、時間がたってからお膳を提供する難しさや満足できる彩りや値段、全てを管理しながら営業など苦労は一言では語りきれないだろうが楽しそうに苦労話しをする明るさと行動力が魅力の一つだと感じた。
 安くて不味い、高くて美味しいのは当たり前。いかにコストを抑え、質を下げないかを社員一同苦悩し、安くて美味しいものを提供できるためには努力を惜しまなかった。お客様に喜んでもらえるように、会社の売り上げも伸ばし、地元を盛り上げられるようにと実行してきた行動には、いい結果が残るのは当然だと納得できた。
 悩みとして観光シーズンは忙しくても冬になると客足がピタッと止まる。十和田湖方面に人を呼べる何かがなければどうしても厳しい状況は変わらず続く。そのため現在は仕出しの分野も広げ、販売なども力を入れている。街中ではなく、立地はいいと言えないが地域も会社も盛り上げていくために「食事処おいらせ」の阿左見さんと社員一同の戦いは続いていく。
 
自然と人で育む農園カフェ 働く,生きる,想いがつなげる慈善びと
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立崎 文江さん プロフィール
 昭和41年8月11日生まれ(47)
東京出身。青森へきて18年目となる。十和田の野菜の美味しさに惹かれブルーベリー農園を営む日野口さんと共同経営で「農園カフェhibiki」を平成19年10月24日にオープン。障害者の就労支援にも力を入れ平成22年に自分で社団法人「日々木の森」を立ち上げた。
4号バイパスを五戸方面へ向かいイオン十和田を過ぎて右手に曲がると民家の中にオシャレなカフェがある。地産のものにこだわり安心安全と美味しさを提供してくれるお店「農園カフェ日々木」はある。
 ブルーベリー園を活用し自然の中で十和田の野菜を活かしたメニュー、新しくも伝統のあるような建物の雰囲気、そしてカフェを経営する従業員の母とも言える立崎文江さんがいた。立崎さんは東京の下町育ちで学校の登下校では働く人と触れ合いながら成長してきた。今では働く大人と子供の触れ合いの場はないと感じ、交流の場を増やせるように、十和田の野菜の魅力を伝えれるようにと考え行動し、お店を始めた。
 周りの農家とも連携し、口コミで客数も増え、農園カフェは順調に成功した。その間に何かのきっかけがあったのだろうか?障害者の就労支援を手伝いたいと一般社団法人・日々木の森を立ち上げた。
 今まで何人もの障害を持つ子を受け入れ、ただ働かせるだけではなく、向き合って社会に出せるように訓練し、実際に社会に適応して働き始めた子もいる。健常者でも心が病んでいる時代に働くことの素晴らしさとコミュニケーション(人との関わり合い)を大切に教えてきたことはその子も家族も救ったことになる。もちろん慈善事業だけでは会社は成り立たない。企業としても同時進行で会社を経営していくことは誰にでも出来ることではなく難しい事だと感じた。
 5月からデイサービス「てみる」を旧第2ちびっこハウスに設立。放課後に特別学級の生徒などの交流の場として提供している。テミルプロジェクトでは2月のバレンタインデーにプロから指導を受けたチーズタルトとブラウニーが西内としおさんのパッケージで発売される予定だ。立崎さんは自分の周りだけではなく、いろんな地域・分野と繋がっていくことで連携していくのだと語る。

「吟麗」全国新酒鑑評会 金賞受賞!十和田で造り、十和田を愛する酒護職人
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佐藤 企さんプロフィール
 昭和40年12月23日生まれ(47歳)
三本木農業高校卒業後、東京農業大学へ進学。蔵人として働いていた父親の仕事に興味を持ち、昭和63年に鳩正宗(株)に入社。以来26年間、会社と共に歩み、平成16年に十和田市初の南部杜氏となる。
全国鑑評会では青森県内で最多金賞の実績を誇る。
 日本の文化でもある日本酒がどうやって作られているか知っているだろうか?地元を愛し、地元のもので地酒を造る。今回は日本酒を造る職人たちが働く鳩正宗(株)を訪ねた。杜氏(とうじ)である佐藤さんは年齢よりも若く見え、頑固そうには見えない人柄だが、お酒造りが好きな芯のある職人であることが細かく詳しい話しを聞いてるだけで伝わってきた。佐藤さんは父親の蔵人としての仕事に興味を持ち、地元のものでお酒を造ってみたいと思い、この仕事を選んだのだと語る。
 お酒は寒造りと言って寒い時期を利用してお酒を造る。夏に米を育て秋に収穫したお米を精米、洗米する。蒸して酵母と発酵させ酒母を造る。約1ヶ月の間、酒母をアルコール発酵させ醪(もろみ)を造り、圧搾し新酒が出来る。滓(かす)引き・濾過・火入れをし貯蔵。そこまでの過程を経て瓶詰めされたものがやっと3月頃に出荷する。長い期間を厳しい管理と深い愛情をかけた結晶が美味しい地酒となるのだと納得できた。地酒と呼べる酒が全国各地にあるのは酵母、麹(こうじ)、水、米、土、気候、そして地元で働く人、また会社独自の配合など全部含めて地酒は生まれるので同じ味わいは他では造れないと教えてくれた。
 杜氏となった同年に酒粕から造った焼酎「稲本屋 利右衛門」を成功させ、夢であった自家栽培米で造った特別純米酒「佐藤 企」を完成。バラゼミとコラボした発泡醸造酒やアーティストの山本さんと酒プロジェクトで企画した「天祈り」などを限定発売。また第3回目となる青森県を代表する杜氏と共演した「FUTURE4」などこれからも意欲的に挑戦していく姿勢を感じた。

幸せを心に届ける魔法使い お菓子作り歴55年の専心職人
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大竹 正美さんプロフィール
 昭和18年6月17日生まれ(70歳)
青森北斗高校入学後、勉強しながら青森文化センター前の旧「虎屋」で働いていたが父親の怪我をきっかけに学校を辞め働くことを決意。15歳からお菓子作りを始め55年のベテラン職人として会社を支え続ける。25歳で大竹菓子舗を設立し、その後、店舗増設やネット販売など成長を続ける。
 今回は十和田を代表するお菓子を作る職人の店(株)大竹菓子舗を訪ねた。大きい身体で楽しそうに笑う大竹さんは今年で70歳になる。お菓子作りを始めたのは15歳の時。なんと55年のベテラン職人、そして未だに現役と聞き驚いた。
 昔は焼き菓子や煎餅のように日持ちのするつまみ感覚で食べていたお菓子が、今は冷凍や冷蔵をして、すぐに食べるケーキのようなデザート感覚に風潮は変わってきている。
 店舗販売よりもネット販売の売上が高かったり、販売個数を増やすため手作りだけではなく機械の導入をしたりと、売り上げが伸びるのは嬉しいことだが時代や文化の移り変わりには大変だったことの方が多かったと思い出す。
 大竹さんは子どもが4人に孫が7人、従業員も含め養って経営していくことは大変な苦労もあったろう。それでも息子や孫の話しをしている時や、お菓子作りの話しをしている時、苦労話しをしていても、何となく幸せそうに感じたのは単に売り上げだけじゃなく、昔から変わらない美味しいものを作ってお客様に笑顔を届けたいと継続してきた姿勢が当たり前のことになり、そのまま人柄に映し出されたのだろうと感じた。
 現在は3年フランスで修行を積んだ息子(正貴さん)が帰ってきて後継ぎとして入社して11年目となる。昔から親しまれてきた「キャベツ」や「魔女のプリン」を始め、もはや知らない人はいないであろう全国ご当地スイーツ選手権1位を受賞した「魔女のとろ生チーズケーキ」などネットで十和田から全国へ発信し続けている。また去年の4月に増築移転した空き店舗を親子のコミュニケーションの場を作るためにお菓子作り教室を始めたいとも語っていた。
 お菓子を作り、夢を売る仕事は忙しくても理想を持って働く職人が支えているのだと感じた。

深く「ありがとう」の感謝の形 まごころ込めて「ひと」にふれあうおくりびと
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沼岡 基晴さんプロフィール
 昭和36年11月26日生まれ(51歳)
三本木高校卒業後、3年間は水道設備の仕事をし昭和58年に十和田市農協に入社。金融、Aコープ、ブライダル、飼料などの部署を経験し、平成13年に子会社(株)協同サービスに支配人として勤める。
  (株)協同サービスは葬儀会社ということで冷たく感じた扉を開けると、温かく優しい空気を感じさせる沼岡支配人がいた。現在は支配人として13年目となるが、入社当時は農協職員として業種の異なった農協内の部署を、まるで転職しているかのように働いていた。部署異動があれば仕事業務を覚えることも人との関わり合いも最初から始めなければいけないことは大変だったと思い出す。葬祭業は24時間体制の勤務や亡くなった人との関わりなど、農協職員としては無理が生じるため、子会社として旧協同サービス(現・市民交流プラザ(仮称)建設予定地)が設立され出向という形で支配人として働き始めた。その時は十和田市の葬儀の1割をやるかどうかという状況だった。
 昔はお寺や自宅などで葬儀を行っていることが多かったが徐々にホールでの葬儀へと風潮は変わってきた。葬儀の依頼件数も少しずつ増えていき時代の流れと共に平成16年12月に「まごころホール駒街道」(現・農協の隣接地)を設立。人の死を真近で見る仕事は嫌だとは感じない。ただそれを見送る人の心のケアは今でも難しいと感じるという。葬儀は経験した人しか解らない事もあり慣れてる人はいないだろう。親族は悲しみながらも葬儀の準備、火葬、通夜などやるべき事が次々とあり寝る暇もないくらいに忙しい。葬儀の終わった後に少しホッとした親族から深々と「ありがとうございました」と感謝の言葉。それだけで「やりがいのある仕事」だと静かに熱く語る。
 顧客が増え、ホール1つでは日程が重なったりとの苦情もあり、少しでも送る側の気持ちに応えようと平成22年1月に102号線(旧45号線)沿いに「まごころホール十和田」を設立。
 昔は葬儀屋というだけで敬遠された事もあるが、映画「おくりびと」の影響もあり仕事に対する周りの理解は得られるようになってきた。現在は納棺研修や司会や接客マナー、グリーフ(悲嘆)ケアなど講師を呼んで若手の社員育成にも取り組んでいる。これからも送る側の気持ちになって仕事を続けていきたいと笑顔で語った。

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