はたらくひと必読!仕事人!!今月のスポットライト

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 十和田市稲生町のAST付近にある「はるひと診療所」の片野春人院長(59)が還暦を記念して「写詩心集」と「散文集」をそれぞれ自費出版した。
 片野院長は秋田県大仙市生まれで三沢市育ち。令和2年3月20日に60歳となり還暦を迎えた。八戸高等学校を卒業後、弘前大学医学部に進学。そこから埼玉県や県内での勤務医として経験を積み、弘前市でクリニックを独立開業した。2005年に十和田市に移住。旧松木屋で診療所を開業。松木屋取り壊し、AST建設に合わせて現在の場所に2010年に移転した。
 また、片野先生は同院で内科医として診療しながら、休診日の水曜日には十和田市立中央病院の糖尿病内科非情勤務医としても働く。
 1993年から年に4回発行されるという上十三医師会誌でデビュー作となる小説「クロコダイル・ティアーズ1993」を掲載、他にも日常の何気ない風景や医師会の出張先での写真などを掲載することとなり、その書き溜めた小説や写真を還暦を迎える記念にと自費出版することを決めた。
 写詩心集は1ページごとに、ポエムを添えて掲載。自分の年齢と同じく60ページでまとめた。お気に入りは表紙にもなっている「白い傘」。旧松木屋の赤いフロアの上で乾かしている白い傘を何気なく写したもの。最終ページの学生時代の片野先生の写真も是非見て欲しいと感じた。
 散文集は2018年8月までの短編小説やエッセー、時代劇から童話まで、様々なジャンル19作品を掲載。その中でも「なったらあかんで、糖尿に」は是非みて欲しい。上十三医師会誌では割愛されてしまったものも全部掲載されている。片野先生は11月14日の世界糖尿病デーに合わせて「糖尿病を退治しナイト」のイベントも企画。怖いのは合併症。まずは糖尿病にならないようにするための知識をしっかり持って欲しいと語った。
 現在、片野先生の作品集「写詩心集」と「散分集」は十和田市大七書店と三沢市好文堂書店とはるひと診療所でのみ販売している。写詩心集は2200円(税込)。散文集は1100円(税込)となっている。はるひと診療所(休診日/水曜・日・祝)へのお問い合わせは...0176‐22‐4007迄。
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 全国でもまだ例のない「子ども食堂バス」で青森県に住む子どもたちに美味しい食事を届けたいと水尻和幸さんが去年の10月から始めたクラウドファンディング。目標金額の200万円を大きく超え、412万円の支援を受けた。それを資金にバスを購入し、食事を作れるように改装。バスには厨房が完備され、客席数は16名となっている。
 水尻さんは有限会社ケアサービス十和田イースト・グループホームたかしずの森の管理者であり、公益社団法人十和田青年会議所60代目の理事長を務め、2017年、ホビースタジオ笑輪を開設。十和田こども食堂実行委員会委員長を務める。
 趣味がオフロードバイクだったが怪我をきっかけに引退。生きがいであった趣味がなくなったことで誰かのために何かをやりたいと考えた。鈴木弁護士と出会い、満足に食事をとれない子どもがいることを知り、全国的にも広がっている子ども食堂をやりたいと去年から「子ども食堂」実施していた。実施についての課題を考え、交通の便を解消するためにバスで子ども食堂を出来ないかとクラウドファンディングを活用し、その夢を叶えた。
 今まで公民館や市民交流プラザトワーレや相撲場を借りて実施していたが場所が固定されると来たくてもこれない子もいるし、場所の使用料金もかかる。そこで移動できる食堂バスで提供できないかを考えた。バスならもし震災などの場合も活躍できるし雨でも対応できる。暖房冷房もあるしメリットは多い。
 課題は運営費。クラウドファンディングはバス購入まで。手数料や返礼品や改装費まで終わっても実際に活動できなければ意味がない。そこでバス広告を活用して運営をしていきたいと考えている。
 今回はコロナウイルスの影響もあって先週が初開催、料理の提供ではなく弁当の配布となった。全国でも初となる子ども食堂バスは今後、他でやりたい人が出た時にモデルとなればいいと思う。
 5月5日に八甲荘駐車場で開催予定。また、人数が予定よりも増えた時にも対応できるようにテントも購入済み。約60名までは受け入れることが出来る。今後はバスの維持費や機材の破損なども考えられるので、子どもたちからお金を取らずに運営を継続できるように助成金を活用したり、広告を活用出来ればいいと思うと話した。
 固定店舗ではなく、移動できるバス店舗でしか出来ないことにもチャレンジしていきたい。お金がなくてもお腹を空かせている子どもがいなくなるように今後もこの活動を続けていきたので協力できる方はお願いしたい。お問い合わせは...0176‐27‐1815迄
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有限会社橋場不動産
公益社団法人青森県宅地建物取引業協会
会長 橋場 寛さん
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十和田市出身。昭和26年7月生まれ。八戸高専機械工学科卒業。昭和60年に有限会社橋場不動産を会社を起業し、十和田市では初となる(公社)青森県宅地建物取引業協会の会長も務める。

 社会福祉法人十和田市社会福祉法人協議会(江渡恵美会長)と公益社団法人青森県宅地建物取引業協会(橋場寛会長)とが主催となり、十和田市内不動産関係者と福祉関係者との情報交換会が市民交流プラザトワーレで開催された。
 情報交換会へは【高齢者分野】から各地域包括支援センターや介護施設の専門員やケアマネージャーなど、【居宅介護支援分野】から各居宅介護支援事務所の介護支援専門員など、【障がい者分野】から社会福祉法人共生の杜自立訓練事業所リナシタや一般社団法人日々木の森農園カフェ日々木などの理事長など、【高齢者・障がい者・児童分野】から主催も務める社会福祉法人生きがい十和田の山端政博理事長、【児童分野】から社会福祉法人友愛会事務局長、社会福祉法人開成会十和田つくし保育園理事長、【行政分野】からも高齢介護課・生活福祉課・こども子育て支援課・健康増進課・都市整備建築課の係長らが参加。オブザーバーとして国土交通省建設部、青森県社会福祉協議会等、計32事業所・施設・機関の代表者ら51名が参加した。
 初めに「超高齢社会が来る!仲介は、管理は、その時どうする」をテーマに橋場会長が講演を務める。資料映像として「老後に住める家がない!明日は我が身の漂流老人問題」の著書であり、司法書士の太田垣章子さんの「なぜ大家さんと管理会社は高齢者に貸したくないのか!」をテーマにした座談会での動画を流し、実際に現実問題として高齢者へ貸し渋る大家さんの理由。借りれない高齢者の悩み、法律の観点からみた現状や相続に関する課題など、それぞれの立場でどうすればいい方向へ収まるのかを考えた内容となっている。
 次に社会福祉法人の社会貢献活動「青森しあわせネットワーク」保証人確保支援モデル事業について「制度の狭間で支援が必要な人」について紹介した。保証人の名称もいろいろあり、社会福祉施設では「身元引受人」、病院や賃貸住宅では「連帯保証人」と呼ばれ、そのほとんどが親族となる。費用・家賃の不払い、緊急時の連絡などが主で、保証人がいないことで利用・居住を拒否されることもある。既存の制度やサービスでは対応できない課題が多くある。そこで橋場さんが会長も務める高齢者世帯、障がい者世帯、子育て世帯等の居住の安定確保をサポートする青森県居住支援協議会で取り組んでいる「青森県あんしん賃貸支援事業」を活用することを勧めた。
 十和田市では初となる公益社団法人青森県宅地建物取引業協会の会長を務め、令和元年に黄綬褒賞を受賞した橋場寛さんにお話しを伺ってみた。
 高齢者や心身的障がい者、片親家庭など居住弱者と呼ばれる方を対象に、その情報を包括支援センターと共有できないかと情報交換会の場を設けた。不動産側の立場としては、居住する建物を管理するだけで、その人の生活の面倒を見るわけではない。アパートや賃家は介護施設ではないので借りる人のサポートやフォローをするのがケアマネなどの仕事となるが、今まではその情報を交換できていない。そのために高齢者の孤独死や突然死などもあり、亡くなった後の後始末などまでは大家としての仕事となるが事故物件となるために大家としてのプラスはほとんどない。また、見つかるまでに時間がかかると腐敗も進んでしまい、掃除やメンテナンスなど本当に大変だ。亡くなった方の財産として残った遺品など、相続権や賃借権など法律的な問題があり、解約できるのは相続人となる。定期的に見回りなどがあればある程度回避できる問題だが、それは大家の仕事ではない。その立場の違いをしっかりと理解していただき、その居住弱者へのフォローなどは別の分野だと分け、お互いに情報共有することが必要だと語った。
 また、生活保護を受けている人がそのお金を管理できずに使ってしまった場合、収入が増えることはないので家賃は当たり前に滞納する。契約違反となるので権利として追い出すことはできるが、行くべき場所がない人はその後の生活は出来ないだろう。他市では直接仲介会社が家賃を市から代理納付してもらうことでその問題を解決しているが、十和田市はまだ取り組んでいないという。
 また、基本的に地域包括支援センターは高齢者が対象となる。表に出てはいない育児放棄問題や、障がい者とのいざこざなどの問題も実際にある。事業者単位でアパートを借り上げし、障がい者専用居室として物件を活用すれば、家族・施設・本人にかかる負担も減るだろう。使える制度をしっかりと活用し、各分野が居住弱者をサポートできる環境を作る事で来たる超高齢化社会へ対応しなくてはならない。
 4月1日から約120年ぶりに民法が改正される。保障の限度額が制定されることで良い方向に変わればいいと思うと語った。
スポーツ流鏑馬を十和田から世界に
東京五輪2020聖火ランナー
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上村 鮎子さん
 東京五輪聖火リレーの推薦ランナーとして選出された上村鮎子さん。男性だけの神事だった流鏑馬を女性も参加できる「スポーツ流鏑馬」として創立・実行し、馬のまち十和田市を世界にPRし、市の文化発展に貢献していることから推薦を受けた。
 上村さんは馬に乗って走ってはいるけど自分の足で走るのは高校生以来、去年から体育センターに通って身体作りはしていて、実際に走るのは約200m区間だから問題ないかな?と笑顔で語った。
 最近はコロナウイルスの影響で次々とイベントが中止となっているので心配。3月を過ぎた頃には先月は大変だったねと思えるように願いたい。去年のラグビーなどを見ても、スポーツが人に与える活力は確実にある。走る姿を見せることで誰かに元気を与えられるなら頑張りたいと語った。
 近況としては4月24日・25日の桜流鏑馬をしっかりと成功させて、現高校生の騎手のあおいちゃんと十和田市代表として5月にドイツ・アーヘンに行ってくる。そこで開催される世界規模の大会のオープニングセレモニーとしてスポーツ流鏑馬をPRしてきます。流鏑馬は日本発祥の伝統芸能でもあり、もし、オリンピック競技としてスポーツ流鏑馬が発展していけば日本流鏑馬競技連盟で級を取るために世界から日本へ、東北へ、十和田市へと交流人口も増えるかもしれえない。女性指導員として第一号となった実績もあり、スポーツ流鏑馬を十和田市でけん引していければいいと思う。
 また、父がパラリンピック新設競技の中に馬術を組み入れた第一人者で、いろんな人の支えの中で神事としての流鏑馬をスポーツとして取り組んだ活動し、その延長線上に今回の聖火リレーの話しがきたんだと思う。先人たちが築き上げてきたものを振り返るきっかけにもなったと語った。
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 十和田市にある飲食店「ビアプラザPILSEN」が2月某日、約30年間続けて来たお店を令和2年3月29日に閉店する張り紙を店内に出した。大きく宣伝はしていないがあっという間に噂は広がり、惜しむ声が多く聞こえた。それというのも十和田市飲食店を牽引してきた代表的なビアホールであり、店長の人柄や美味しいビールや料理のファンが多くいるからである。
 ビアプラザPILSENは平成2年12月12日にオープン。当時はお洒落すぎるビアホールとして、県内では他にない飲食店として注目を集めた。十和田市の人口でもビールの消費量はキリン生ビールが青森県1位、ハイネケンが東北1位の記録を出したことがあるほど繁盛していたこともある。
 ピルゼンは約60名ほど受け入れることが出来る大きなフロアで結婚式の二次会や歓送迎会、団体から個人客、老若男女、幅広い年齢層に支持されてきたので十和田市に住む現社会人であれば一度は足を運んだことのあるお店ではないだろうか?
 また、プルタブ回収活動やチャリティゴルフコンペを通しての中央病院への寄附寄贈、リユース箸の推進運動、ベルマークを集めて学校への寄付など、地域に根差した活動を通し、少しでも十和田市のためにと活動を続けている。繁盛店閉店の経緯や理由などは本紙P7で紹介。現時点で閉店までは予約も多いと聞くが最後に行ってみたい方は電話予約を下記まで...「0176‐25‐1231」
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↑店長の岩城康次さん。飲食店街からここの明かりが消えるのは本当に残念だ。↓ピアプラザPILSENのお店の入口と店内の様子
十和田市に移住してきた美術教育のスペシャリスト
見留 さやかさん
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 1986年11月15日(33歳)東京都出身。十和田市現代美術館が好きで地域おこし協力隊として十和田市にきたことをきっかけに十和田市に移住を決める。約1年半で地域おこし協力隊を辞め、そのまま十和田市現代美術館で勤める事になったが、元々の業務が美術館とまちをつなぐ活動だったので業務内容は変わらない。見留さんは元々十和田市現代美術館が好きで大学時代から何度か足を運んだこともあるという。大学では美術教育について勉強し、十和田市へ地域おこし協力隊として来る前は香川県の美術館などに勤めていた。東京へ帰郷後に東日本大震災があり、その時に東京と被災地の時間軸の違いに驚いて、本当に今の仕事が必要なのかを考えた時期もあり、そこからボランティアなどに携わっている。ドイツへの旅行では難民キャンプも見てきた。被災地、難民キャンプ、東京、同じ時間に同じ地球に生きているはずなのにそこにはまったく違う時間軸が流れていることに色々と思う事があった。
 アートの世界は平等で、それを見る側の受け取り方は人それぞれ千差万別なのが魅力。自分が出来る美術教育の分野で何かできないかと考えたことが十和田市現代美術館へとつながった。地域の人と顔がわかる関係性がもてる町は素敵だと思う。だからこそ地域に根差した美術館にすることを目標に頑張りたいし、十和田市からアーティストが生まれることも期待している。観光もあり、美術館もある魅力的な場所、十和田市にしかないものを磨いていきたい。美術館はいろんな答えがある場所。2010年にアート広場がオープンし、今年は10周年となる。今年度は1年を通した華やかな展覧会になると語った。また、補足として見留さんは元々自然が好きで休みの日には温泉へよく行ったりするらしい。カラオケも抜群に上手いらしいので是非一度聞いてみたいと思った(笑)
第10代 商工会議所会頭に就任
明るく元気に楽しく行動する商工会議所
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~今泉 湧水さんプロフィール~
 昭和29年9月16日生まれ(65)十和田市出身。三本木高等学校を卒業後は専修大学へ進学。卒業後はそのまま帰郷し、家業である㈱十和田ビルサービスに社員として入社した。
 自身が小学5年生の時に父が起業した会社を継ぐために業務では清掃や廃棄物の運搬、機械の整備や警備員などなんでもこなした。社員、常務を経て、平成8年に社長に就任した。業務以外にも公益社団法人十和田青年会議所の理事長も務め、卒業後には十和田商工会議所青年部に入会。約13年、副会頭として前会頭の石川正憲氏(72)をサポート。石川氏からお願いされ、令和元年度の会頭として就任した。

 十和田市商工会議所の令和元年度の会頭として就任した今泉湧水さん(65)。株式会社十和田ビルサービスの社長として200人を超える従業員を雇用している。会社の創業は今泉さんが小学5年生の頃。三本木高校を卒業後に専修大学に進学し、後継ぎとして帰郷した。会社は多い時で300人を超える従業員を雇う時期もあった大企業として成長。当時は亀屋や松木屋、とう鉄駅ビルなど大きな建物もあり忙しかったと振り返る。今泉さんは帰郷後、会社に社員として入社してからは清掃業務や廃棄物の運搬、機械の整備工事、警備員など、なんでもこなして仕事を学んだ。
 また、公益社団法人十和田青年会議所(以下、十和田JCと略)に25歳の頃に入会。当時は100人を超える会議所として盛り上がり、飲み会も多く町は活気にあふれていた。日本JCに出向が決まったときは飛行機で西日本へ何度も足を運んだ。あの頃が仕事との両立が一番大変だったと振り返る。JC時代にはまちづくり市民会議を起ち上げ、当時はまだ壁のあった民間と行政のつながりを作ったことが一番の思い出。39歳で十和田JCの理事長として就任し、直前(理事長の次の年に勤める役職)を務めて卒業。当時はJCを卒業してからでないと十和田商工会議所(以下、十和田YGと略)には入会できないという風潮があったという。卒業後はそのまま十和田YGに入会。入会と同時に県連の専務理事に抜擢されるなど、忙しい中で翌年に父の後を継ぎ、平成8年41歳の若さで㈱十和田ビルサービスの社長として就任した。
 十和田商工会議所入会から25年、会頭を5期続けて来た前会頭の石川正憲氏の任期満了に伴い、令和元年度の会頭として就任した。
 会頭となり、まず初めに第二期の中心市街地活性化の認可が下りたので、これを活かしたい。上手くいけばこれから人の流れはガラっと変わっていく。逆に言えば、これが中心市街地活性化のラストチャンスだと思っている。観光客は多いが、お金を落としてもらう仕掛けを作らないと活性化にはつながらない。若い人に空き店舗を活用してもらい、高齢者や観光客が立ち寄れる居場所を作ってもらいたいと語った。
 十和田市には仕事はいっぱいある。どこの会社でも仕事があっても人手が足りないとの声を聞く。働く若手があれば十和田市はもっと活性化していく。昼の仕事をしている人から夜の清掃でバイトをしたいという声もある。働きたいのに働けないのは残念だがこれは仕方ない。会社側からは有給など休んでも給与を保障しなければならないから大企業であれば金銭的な部分で、小企業であれば人員的な部分で負担は大きくなる。働き方や雇用の方法を考えて、選ばれるような会社にならないといけないと思う。
 街中を歩く人はほとんど見ないが秋祭りなどでは道が埋め尽くされるほど若い人も歩いているのを見ると、十和田もまだまだ捨てたもんじゃないと安心できる。ただ町内会の集まりでは子どもはほぼ見ない。日本全国どこでも言えることだが少子高齢化の波はどうにもならない。ただ、住むのなら十和田市はまだ他と比べていいとは思う。車で1時間圏内で山にも海にも行ける。特に近年、自然災害が多発しているが、台風被害もほとんどなく、内陸だから津波もないし、上下水道を全部通してあるから断水もない。空港も漁港も電車もないが、安心・安全で暮らせる街としてPRしたい。
  商工会議所として商業・工業に関わる人たちの意見を聞き、それを行政に要望を上げる役割をするのが仕事。前会頭の石川さんが「行動する商工会議所」を掲げていたので、私はそれに「明るく元気に楽しく」を付け加えて、会頭として責務を果たしたいと語った。
ダンスイベント「Foot Step」で表現豊かなダンス・振り付けをする
ダンサー 兼 保育士  福地 幸恵さん
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↑愛犬のコテツと写真撮影する幸恵さん
 ダンスイベントFoot Stepでダンス講師を務めている福地幸恵さんは1987年8月25日生まれの十和田市出身。十和田西高等学校を卒業後はロサンゼルスにダンス留学した。小学生に習っていたバレエでは人前に出るのは苦手で辞めてしまったこともあったが、母にわがままを聞いてもらい留学を決める。あてもなく海外へ行くも、習った英語も通用せず、次の日には帰りたいと泣いて電話したこともあるという。それでも午前は語学学校、午後はダンススクールに通いながら本場アメリカで経験を積む。
 1年の短期留学から帰国してからは東京でアルバイトをしながらダンスを続け、ダンススクールに通ったり、舞台で踊ったりしながら日々を過ごす。帰国してから3年後、母との約束通りに資格を得るために横浜市の短大の保育科に入学。卒業し保育士となってからもダンスに重きを置きながら託児所で働いた。
 去年の春に結婚を機に帰郷した。保育士として働きながら小さな森こども園2階や東コミュニティセンターなどを借りてダンス教室を開催して講師として活動している。
 FootStepは初めに最初は生徒3名からスタート。母から障がい者の子のためにダンスをやらせたいとお願いされ、小さな森こども園主催で始まった。今では健常者との垣根もなく、ダンスをしたいと生徒も増え続け、今年で第11回目となった。現在は70名まで増え、独自に開催するダンスイベントとして開催した。
 ダンスだけではなく、歌を歌ったり、太鼓などの楽器も使って。将来的な夢は自分のダンススタジオを持つこと。上手になるのが目的じゃなく、歌やダンスや楽器を通して表現する楽しさを知って欲しいと語った。現在も生徒は募集中。ダンスを習ってみたい方は...【 footstepis1234@gmail.com 】迄。
「十和田の手仕事プレミアム展」を開催した地域おこし協力隊
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 上官 妮娜さん
 去年の9月1日に地域おこし協力隊として任命されてから約1年、今年初めてとなる企画展「十和田の手仕事プレミアム展」を「14‐54」で開催した上官さん(30)は中国雲南省昆明市出身。小さい頃から日本のアニメなどが好きで、十和田市で地域おこし協力隊として任命される前は埼玉県で翻訳の仕事をしていたという。
 交流スペースである14‐54で作家さんたち、DMOの人たちと話しをしていて、アートによるまちづくりの一環として、地域おこしのために伝統工芸など特徴のあるものを伝えたいと企画展を立案した。展示作品は南部裂織やきみがらスリッパ、菱刺し、つるし雛、裂織こけし、十和田むらさきで染めた毛糸で編んだとんがり帽子など、県南地方の伝統工芸である作品を中心に展示や販売、製作体験などを行い、中心市街地の活性化、回遊性の向上につながればと考えた。実際には観光客よりも地元の人たちが購入していくことが多かったので、もっとご当地ならではの観光品として制作・発信していく工夫が必要だとも感じた。
 普段、上官さんは翻訳活動などを行いながら、SNSで十和田市の魅力の発信を主に業務としている。これからの一番の目標としては世界最大マーケットとも言える中国圏の人たちにもっと発信していきたいと語る。関東や関西は国外からも有名な観光スポットもあると認識されているが、十和田市は素晴らしいものがいっぱいあるのに、まだ発信力は足りてないと感じることもある。
 十和田市を代表するバラ焼きだけではなく、地域の特産品なども食べていただきたい。知名度の高い店は知られているが、観光客は知らない美味しい定食屋さんや喫茶店なども多くある。地域おこし協力隊としての任期は最大3年。自分の役割をしっかりと認識し、中国圏の観光客の増加に努めていきたいと語った。
日本刺繍と手織りの初個展を開催
着物の文化と魅力を伝えたい
工房さんり 藤原 史華さん
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 8月に市民交流プラザトワーレで日本刺繍と手織りの作品展「ぬいとり と おり」の初個展を開いた工房さんりの藤原史華さん。生まれた頃は父が弘前大学系列の病院の勤務医だったため転勤族だったという。中学2年生の頃に父が藤原内科を開業し、十和田市に移住した。三本木高等学校を卒業してから大学へ進学したが、体調を壊し帰郷する。工房さんりの名前の由来は、繍(ぬいとり)、染織(そめおり)、錺(かざり)の3つの"り"から名付けた。
 学生時代からフランス刺繍やクロスステッチなどが好きだったという藤原さんは日本刺繍の小笠原光子さんに弟子入りし刺繍を学ぶことを決意。最後の弟子となった藤原さんは小笠原さんが1999年に他界した後、独立を決めた。呉服屋さんから少しずつ注文を受けながら自分の刺繍の腕を磨いていたが、染めや織りもやってみたいと両親を説得し、奈良県にある大原和服専門学院に入学を決めた。職人の世界は完全分業で一つの着物を作るまで20工程ほど専門の職人が携わるという。
 一人で染めから織り、刺繍までをやる人は全国でも珍しい事を知り、自分にしか出来ないことをやってみたいと卒業後は京都へ移住し、約5年間、染めや織りなどの修行をし、平成29年に第10回現代手織物クラフト公募展でグランプリを受賞した。
 翌年に帰郷をした時に高校時代の恩師でもある現南部裂織保存会の小林輝子さんと再会し、もっと広めたいと奨められ、初個展を開く運びとなった。個展では来場者からのニーズを知り、ヒントや受け、アイデアはどんどん溢れだす。今後はとりあえずは姪っ子の着物作り、時間に余裕があれば教室も開いてみたいと語った。
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