はたらくひと必読!仕事人!!

仕事と人と地域をつなげる
介護支援のプランナー
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~橘友博さんプロフィール~  昭和55年7月16日生まれ(36歳)
 八工第一を卒業後、東京の福祉専門学校に進学し、20歳で帰郷してからは十和田湖会(社会福祉法人)特別養護老人ホーム湖楽園に勤める。34歳までケアマネージャーとしての仕事などを学び、独立を決断する。忙しい中ではあったが、じゅんちゃん一座の長男役で活躍しながらも平成27年10月に目標を叶え、「合同会社くらしラボ」をオープンした。

 今回はじゅんちゃん一座の長男役でも活躍中で去年10月に「合同会社くらしラボ」を起ち上げた橘友博さんを訪ねた。学生時代は柔道や極真空手で活躍していたという橘さんは、武道とは全く縁のなさそうな介護福祉の道を選んだ。そのきっかけは、亡くなったお祖父さんを介護した時に自分には出来ない事が多かったという後悔からだった。
 東京の福祉専門学校を卒業してからは地元に帰郷し、介護福祉士として実務しながら難関でもあるケアマネージャー(介護支援専門員)の資格を27歳の時に取得。介護だけではなく、利用者が何が必要で、どう支援すればいいかの計画を立てる役職となった。約14年間、湖楽園で働きながら目標であった独立を決意。平成27年10月に「合同会社くらしラボ」を設立した。
 現在は社長兼ケアマネージャーとして勤務し、病院や地域支援センターなどから依頼を受け、利用者の様々な要望がきて応えるのが仕事だが、何から何までやってしまうと金銭的負担も上がり、利用者が自立できなくなってしまう。そのため必要最低限のサービスで最大限の満足を得てもらうための計画を立てる。近い将来、高齢者は全体の30%を超えるため、生きがいや楽しみをもって生きていける社会。地域で見守り支え合う地域づくりを目指していきたいと語った。
 また、今後の目標としてはシニアの有償ボランティア事業も企画し、地域のコミュニティも復活させていきたい。仕事と人と地域のつながりの間に立てる仕事に誇りを持ってこれからも頑張っていきたいと語った。合同会社くらしラボへのお問い合わせは...0176‐58‐6429迄
頑張るママにオーダーメイドの癒しを届ける
自宅エステサロンAnje(アンジュ)
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 今回スポットを当てたのは自宅エステサロンを経営するエステティシャン天間綾子さんだ。昭和57年8月25日生まれ(34歳)出身は大阪府。父の仕事の転勤で中学3年生の時に八戸に引っ越してきて八戸の千葉学園高等学校に入学。卒業後は事務職に就職するが興味のあった大手の美容の会社に転職しエステティシャンとしての技術を学ぶ。それから結婚をし、育児と仕事を両立しながらも12年間仕事を勤め、5年前に十和田市に移住してきた。現在3人のお子さんがいる天間さんは第3子を生んだ後に育児にも時間を作りたいと去年の6月に自宅を改装し、エステサロン「Anje」をオープンした。綺麗になるサポートをするエステは女性のコンプレックスを解消する仕事だが、それ以外にもストレスなどの緩和、精神的な安定を促すことが出来る。同じ悩みで疲れている母親の仕事を癒すためにも独立を決意した。敷居が高いようなイメージのあるエステも自宅サロンで気軽に入りやすいと好評なようだ。
 また、神奈川県に手のマッサージ「エナジーハンド」を学びにいく。子供から高齢者までが対象で、関東の方では認知症の予防にも効果があるというシニアエステが注目されているためだ。ベースは自宅サロン、施設なども回り、企画なども考え、いろんな人に気軽に体験できる心の疲れを解すマッサージを届けていきたいと語った。

共に目指すのは社会貢献と地域活性化
サン・ロイヤルとわだ 総支配人 佐藤祐二さん
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一般財団法人 済誠会
法人事業管理部 部長心得 三浦親堂さん
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原点回帰
 記者/平成28年6月1日から「サン・ロイヤルとわだ」の経営が「一般財団法人済誠会」へと移行した。なぜ今なのか?そしてこれからどうするのか?をサン・ロイヤルとわだ総支配人「佐藤祐二」氏と(一財)済誠会の法人事業管理部部長「三浦親堂」氏に訊ねてみた。
佐藤 元々サン・ロイヤルとわだは社会福祉事業会館として創立した会館を平成13年に建て直したもので建物の所有権は済誠会のものだったんだよ。経営は順調ではあるが、どの業種にも当てはまる問題、人口減少の波からくるブライダル事業の低迷化は避けられない。将来的な経営を見据えて経営移行の話しが出たよ。
三浦 しかし、単に経営を入れ替えるのではなく、これまでの実績をきちんと評価し、基盤を築いてきたサン・ロイヤルとわだに運営を任せつつ、精神科を先駆ける済誠会の目標である社会貢献の1つ、心に病にある患者の自立支援、社会復帰の中間の場としてこの建物を活用出来ればと済誠会が経営を受け持つ運びとなったんだ。
共存共栄
 記者/まったく違う業界・職種が手を組んだことになりますが、お互いに何か変化はありましたか?
三浦 これまでも心に病のある人たちの社会復帰のためと思い仕事をやってきたが病院の施設だけでは限界を感じていた。外に出て仕事が出来る媒体の1つとしてサン・ロイヤルとわだという場所を活用していきたい。今までとはまったく違う職種について学ぶことも驚くことが多いが、出来る事は増えたので今後に広げていければと思う。
佐藤 基本的なスタンスは変わらない。しかし、これからはブライダル事業だけでなく様々な企画なども考えていかなくてはならない。いまは模索しながらお互いがWinWinの関係になれるような魅力的な仕事がしたい。それが出来れば会社が活性化し、それが地域の活性化にもつながっていければと思う。その手始めとして毎月開催しているランチバイキングを定着させていきたい。済誠会ともしっかり手を取り合い、もっと誰でも利用できるような気軽に入れる交流の場にもなればいいと思う。
 記者/お互いにベースは変わらないっとことですね。これから何か新しい事をやる予定はありますか?
三浦 事業を起ち上げたり拡大することは可能、サン・ロイヤルと組むことでさまざまな可能性は広がった。
佐藤 今回のランチバイキングではベル・クオーレ「(一財)済誠会・就労継続支援B型」のお菓子作りも組み込んだりね。
三浦 実は済誠会は農園もやっていて、今までは病院の給食として出していただけだったが農園の野菜などを加工したり、道の駅で販売したりするようになった。心の病と戦っている人に働ける場所を作ること、最終目標は患者様の社会復帰までを手伝う事だと思っています。
 記者/働ける居場所を作るって素晴らしいですね。そういえば経営移行までの発表と実行はかなり早かったですよね。
三浦 一番驚いたのは4月から話しが上がってバタバタと6月から切り替えがあって不安はたくさんあったのに、不満などがないことでしたね。これはサン・ロイヤルの受け入れ態勢がしっかりしていたんだと思います。
佐藤 もともとサン・ロイヤルではホールや営業、清掃員から厨房スタッフなど社員が集まって役割の違う目線からの意見などミーティングはかかさずやってましたからね。
 記者/トップダウンの意思統一がしっかりしてるんですね。
佐藤 6月からは現場にも患者様を社会復帰のためにスタッフとして働いてもらい、少しずつチャレンジさせている。サン・ロイヤルとしては人件費を落とせるし、浮いた利益をお客様にも還元できる。
 記者/患者の家族にとっても有り難い話しですね。これからの目標などありますか?
佐藤 ランチやイベントをメインに、それからまた広げていきたい。喫茶店などもやってみたいね。
三浦 これからは社会貢献できる場として活用していければいいと思う。患者様にも継続的な支援も続けていきたい。
佐藤 誰でも活用できる安定した十和田市の集会場のような存在になれるように、地域活性化につながる場所にこれからも頑張っていきたい。
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心と身体を温める癒しの空間
人が集まる温泉目指す女将さん
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~丸井香織さんプロフィール~
 昭和61年12月6日生まれ(29歳)十和田市出身。三沢高等学校を卒業後、東京にある共立女子大学に進学するが諸事情により大学2年の時に中退。当時は何かをやりたいという気持ちは強く、その何かを探して通信大学や心理学など学んだりしていた時期もあった。23歳の時に就職が決まっていたが、とある事件があり実家に戻ることになり、そのまま丸井重機建設に就職する事となる。十和田温泉オープンに伴い丸井商事株式会社に異動し総括課の課長として就任する。温泉ソムリエの資格も取り、女将的存在でお客様を迎える。

 今回訪ねたのは十和田温泉で美人女将を兼ねる丸井商事株式会社の総括課課長の丸井香織さんだ。22歳の頃に帰郷してからは丸井重機建設に総務として就職。また同年、何かをやりたいという意欲を持って十和田青年会議所にも入会し、十和田市のこれからについて様々な考え方や経験を学ぶ。数年前に丸井商事が十和田温泉を営業すると聞いた時はまだ他人事だったがオープンしてから直ぐに丸井商事に異動する事が決まり、29歳の若さで統括課課長として就任した。
 お客様に喜んでもらえるようにと任され、温泉ソムリエの資格も取得し、フロントに立って何を求められているか考えた。老若男女、様々な利用者の方が多いが、女性の視点から美容や癒しの空間として利用できるように「和酒女子」と企画した酒粕パックや、十和田バラ焼きゼミナールとコラボした「バラ風呂」など、女性の憧れを叶えられるような温泉を目指したいという。また、ゆったりとした空間と時間を過ごせるように漫画や雑誌、小説などを多めに置き、利用者が時間を気にせずくつろげるゆとりのスペースも用意した。
 まずは人材育成からとスタッフ内で「ありがとうカード」と名付けた感謝の気持ちを伝える投書箱を設置。これによって親近感が生まれ、感謝される喜びを知り、女性が働きやすい雰囲気と環境を作りたい。それがお客様にも伝わるような接客を心掛けていると教えてくれた。
 温泉は「安全・安心・清潔感」を一番大事にしたい。細かな所に目が届くような清掃と、かゆいところに手が届くようなサービスを提供したいと語ってくれた。
 営業は順調で利用客も増えている中、事件は今年7月に起きた。お客様から温泉が温いと報告があり、調べてみると塩分濃度が強いためか地下の配管ケーシングに穴が空いてしまい土が混ざった源泉が流れ出てしまっていた。やむなく約一ヶ月間休業する事となり、同敷地内に温泉を掘削する事を決めた。一時的にボイラー設備を導入し、源泉を混ぜた湯沸かし湯で営業は再開。工事中に珍しい掘削現場見学ツアーを企画するなどピンチがあってもプラスに変えていこうとする姿勢が素晴らしいと感じた。やりたい事はいっぱいあるが今はまだ我慢、温泉としての営業は今年12月から再開する予定なのでお客様が喜ぶような企画も今後考えていきたいと語った。
花咲く薬局のベリーダンサー・ユミト(希望)
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フラワー薬局
事務 村上 光紀子さん
 今回スポットを当てたのは最近はイベントなどに多数ゲスト出演などしているベリーダンサーとして活躍中の村上光紀子さんだ。
 昭和58年10月18日生まれ(32歳)で三本木中学校を卒業後、十和田西高等学校に進学。上京し働くために仙台の東京法律専門学校に進学したが、両親の強い愛に説得され地元に帰郷する。20歳の時にミス十和田に選ばれた経歴を持つ美貌はそのままに、帰ってきてからは中央病院の事務に3年勤め、それから市役所の雇用創造推進協議会に2年勤め就職支援活動などをする。その後、現在のフラワー薬局に就職し、28歳の時に結婚した。旦那さんは十和田湖のグリーンハウスでカヌーのインストラクターしているのでなかなか時間が合わずに寂しいという村上さん、そんな時に同じ職場の子から誘われたのがベリーダンスだった。セクシーな衣装に初めは少し戸惑ったが旦那さんからの「少し太った?」の一言で決意。三沢に拠点を置くベリーダンスサークル「アミ―ラ・ザハラ(花の王女)」に入会した。一言にベリーダンスと言っても様々なスタイルがあるがどれも独特なお腹の動きに特徴がある。安産を促す効果もあるようで実際にレッスンに通いながらも現在1歳半になる長男を産んだことには驚く。ベリーダンスの魅力を聞くと「女性が女性らしくいれる空間で、女性の魅力を引き出す動きが多い」と言う。現在は10歳~51歳までの幅広い年齢層の女性が楽しんで参加しているようだ。詳しくはホームページを検索...http://amira-zahra.wix.com/amira-zahra
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↑↓アミーラ・ザハラの情熱的なダンス。上は道の駅とわだぴあの3on3のイベントでの踊り。下は青森ワッツの試合でライトを浴びてのオープニングショー。
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十和田湖レークサイドホテル 常務取締役
十和田湖マリンブルー 店主 中村 二九実さん
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 今回スポットを当てたのは十和田湖レークサイドホテルの看板娘で美味しいアップルパイでも有名なマリンブルーの店主も務める中村二九実さんだ。
 昭和50年10月29日生まれ(40歳)三本木高等学校を卒業後、東京にある旧東横学園女子短期大学に進学し、卒業後は東京YMCA国際ホテル専門学校に進み、研修を兼ねながらホテルで働き学んだ。
 33歳の頃に帰郷し、家業である「十和田湖レークサイドホテル」に入社する。最初はホテル業に専念し業務を学んでから、小型観光遊覧船の運行サービスもやっている喫茶店「十和田湖マリンブルー」でも働く。また、そんな忙しい中にも十和田青年会議所にも入会。仕事との両立は難しかったが十和田湖と十和田市を往復していたという。朝はホテルで仕事をしてから、マリンブルーに移動し、営業時間が終わるとそのままホテルに戻り、また業務をする。4月から11月のシーズン中にはほとんど休みなく朝から晩まで働いているのには驚いた。そして12月から3月の冬季期間は逆にテレビや本などに時間を費やし引きこもりのような生活をしているらしい(笑)趣味はスキューバダイビングのライセンスも持っており、休みがあったら(ないけど)旅行に行きたいという。性格は実は人見知りもあり、仲良くならないと話も苦手だという一面ももつが、サービス業が好きでお店では笑顔で迎えてくれる。青森県産のフジを使ったあっさりとした手作りのアップルパイ(500円)を販売している。持ち帰りも多く、夏や秋の十和田湖を楽しむ家族連れや外国人観光客などに人気がある。ちなみにお店は県境にあり、青森県から県境を越え、秋田県に100mほど進んだ場所にある。お問い合わせは...0176‐75‐3025迄
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海を渡ってきた道を
十和田に伝えるアスリート
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~笹渕峰尚さんプロフィール~
 昭和51年4月27日生まれ(40歳)
北海道帯広市出身。3歳から始めているスピードスケートを続けるために日大の経済学部に進学し、卒業後は冬季スポーツでは有名な長野県にある三協精機に就職。スピードスケートの実業団のアスリートとして上を目指すも、怪我と会社の買収が重なり、26歳で退社する事となった。28歳でラム肉の小売りと卸しをする「ラム善」を穂並町にオープンし、31歳で相坂に移転するときに飲食店も兼用の「ラム善」に新規オープンした。新しい挑戦として10月17日に旧ととや場所に豚丼専門店「とん善」をオープンし、北海道の味を十和田市に伝えている。

 今回は相坂にある「ラム善」の社長・笹渕峰尚さんを訪ねた。北海道出身でスピードスケートのアスリートだった経歴を持つ。北海道のアスリートが青森県の飲食店の社長となった経緯はパートナーの奥様にある。長野県の実業団でスピードスケートをしていた笹渕さんと整体を通じて知り合った。驚いたのは実業団を怪我と不況が重なり退社する事が決まってから結婚した事だった。笹渕さんは余裕があって幸せな時ではなく、苦しくて辛い時を一緒に乗り越えてくれる人をパートナーとして選びたかったと教えてくれた。...とは言っても実際には仕事を辞め、スポーツ一筋だった笹渕さんは北海道と奥様のいる青森県を行き来しながら悩み考えた。そして、その先に見つけたものは「北海道にあって青森にないもの」だった。
 ジンギスカンのブームもあり、ラム肉に目をつけ経営の仕方を学び、十和田市の穂並町にラム肉を小売り・卸しする「ラム善」を開業した。ネットの普及で通信販売も順調、約3年で次のステップ、飲食も出来る「ラム善」を相坂に新規移転オープンした。よりラム肉の美味しさを知ってもらおうとメニューを充実させ、ラム肉以外も食事出来るように挑戦した。しかしオープン当初は心が折れそうになるほど暇だったという。貯金をほとんど吐き出すも経営がやっと軌道にのり、これからという時に東日本大震災があった。何度も挫折を経験しながらも決して折れない強い心で挑戦し続けてきた笹渕さんの挑戦は続く。今度は北海道帯広市の名物「豚丼」を十和田市に伝えるために青森県産にこだわった豚丼専門店「とん善」を旧ととやにオープンする。お問い合わせは...0176‐24‐9607迄
大地の恵みに感謝して
 牧草育て笑顔をつくる
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~漆畑善文さんプロフィール~
 昭和50年2月27日生まれ(41歳)
旧十和田湖町出身。高校は片道40分をかけて三本木農業高等学校畜産科に進学し卒業。卒業後は東京にある㈱丸金おおつかに就職。和牛の抜骨など解体する卸売業者で牛を部位ごとに分ける作業を学んだ。実感の事業が規模を拡大してきた事をきっかけに23歳で帰郷し、家業である漆畑畜産に入社した。そして3年前に粗飼料などを専門に販売する漆畑ファーム株式会社を起ち上げ独立した。

 今回訪ねたのは今年、短角牛専門店・牛楽館を新規出店した漆畑畜産から独立した漆畑ファーム㈱の代表取締役社長・漆畑善文さんだ。ゆっくりとした優しい口調と腰の低い姿勢で出迎えてくれた。もともと漆畑畜産は自家製の餌で育てた十和田湖和牛や短角牛にこだわり出荷していたが、規模が拡大してきたために畜産業と飼料製造業を分業する事を考えた。
 3年前に漆畑ファームを独立する運びとなり、今まで学んできた畜産ではなく牧草や稲ワラなどの粗飼料の生産・販売を業務とする物流を担う事になったが、どちらも自然の恵みに感謝して大事に育てて出荷するという点は変わらない。現在ある草地を少しずつ広げていき将来的には400haまで拡大していきたいという漆畑さん。より営業に回って売り上げを伸ばし、会社を拡大していきたいと意欲も語る。
 牧草は刈ってから時間がたったり、雨などにさらされると傷んで栄養が落ちる。牧草を伐採しながら鮮度を保つ梱包が出来るという最新の農機を購入し、新鮮な粗飼料を提供できるのが強みだという。乳牛の出が良くなったと評判もあり、全国草地畜産コンクールで農林水産大臣賞を受賞しているお墨付きだ。
 かなり厳しかったという経営セミナーにも入会し、様々なことを積極的に学び、一生懸命に経営理念を作った。大地の恵みに感謝し、農地を耕し成長する。ここで疑問になったのは豊かな農地を耕すために自然を壊すという矛盾。生きるために食べるという行為が必要な生き物だからこそ大地の恵みに感謝することを忘れてはならないと教えてくれた。将来的な夢は息子と一緒に観光できるような牧場を作って笑顔が集まるような場所をつくっていきたいと笑顔で語ってくれた。
北海道から十和田市民へ永久就職。CAから
フリーアナウンサーとして転職した働く女性
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フリーアナウンサー・MC 漆舘 優美花さん
 今回スポットを当てたのは上品さと可愛らしさの雰囲気を身にまとい、北海道出身で結婚を機に十和田市民となった漆舘優美花さんだ。昭和62年8月28日生まれ(29歳)。十和田市よりも少し人口の少ないまち北海道の登別市で3人兄弟の長女として育った。ピアノや書道などを習い、スノボーが趣味、そして英語が好きだったという漆館さんは、高校を卒業した後は、中学生からの夢だった客室乗務員(CA)になるために宇都宮大学国際学部国際文化学科へ進学した。
 大学を22歳で卒業し、そのまま全日空空輸株式会社に入社。CAを目指しながらも当時はグランドスタッフとして空港内でカウンターでの勤務となった。そこでは身長が足りないために当社ではCAを目指すには難しいという現実にぶつかった。しかし、中学生からの夢を叶えるために約2年半ほど働いてから台湾に本社があるチャイナエアラインに入社し、地上からCAへと念願の転職をした。それから運命の出逢いがあり、結婚。2014年12月に十和田市民となる。すぐに市役所の臨時職員として1月から勤務し、B‐1グランプリの事務局の一員としてイベントやボランティアの呼び掛けなどを手伝う事となる。バラゼミ舌校長の畑中氏と出会い司会をお願いされ、そこからCAとは違う、言葉で伝える司会の面白さを知った。現在は今年4月からアナウンサーとして起業し、八戸テレビ株式会社のケーブルテレビのリポーターやイベントなどの司会などをメインに活躍中だ。
いつでもスマイル!サン・ロイヤル十和田の小さな太陽
サン・ロイヤルとわだ
営業主任 太田 みどりさん
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 今回スポットを当てたのは今年6月から運営が「一般財団法人済誠会」に移った「サン・ロイヤルとわだ」で15年のキャリアをもつ若手のお局様、太田みどりさんだ。昭和55年12月28日生まれ(35歳)出身は旧十和田湖町で十和田西高等学校普通科を卒業。卒業後はきざん三沢に就職し、サービス課で勤める。その頃の先輩にいつもニコニコ笑っているつもりがヘラヘラしていると怒られたという笑い話もある。
 地元で働きたいとの想いから20歳の頃にサン・ロイヤルとわだのオープニングスタッフとして転職し、持ち前の明るさと経験で結婚式や宴会のプランニングや司会、雑用やライティングなどの裏方までマルチになんでもやってきた。みどりさんは、基本笑っているけどホントは人見知りでとっても心配性。しかし緊張を笑顔で誤魔化す技を身に着けているからか周りからはそうは見られないという。いまは営業主任という立場を任され、苦手な司会や営業も少しずつ慣れていくしかないと語った。
 最近では結婚式を挙げる人が少なくなってきた。どの業界でも人口減少、人材不足の問題は否めない。サン・ロイヤルとわだでは営業スタッフ、ホールから厨房まで全員集まりそれぞれの視点から考えた企画をミーティングで決める活動がある。現在は毎月ランチやパーティーイベントなど新たな客層の呼び込みを企画。小さな事から大きな事まで何でも承る姿勢でお客様に喜んでもらえるように頑張りたい。それが今まで自分を支えてくれたお客様への恩返しとなるようにとこれからの決意を語ってくれた。
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