はたらくひと必読!仕事人!!

花咲く薬局のベリーダンサー・ユミト(希望)
muerakamimikiko.jpg
フラワー薬局
事務 村上 光紀子さん
 今回スポットを当てたのは最近はイベントなどに多数ゲスト出演などしているベリーダンサーとして活躍中の村上光紀子さんだ。
 昭和58年10月18日生まれ(32歳)で三本木中学校を卒業後、十和田西高等学校に進学。上京し働くために仙台の東京法律専門学校に進学したが、両親の強い愛に説得され地元に帰郷する。20歳の時にミス十和田に選ばれた経歴を持つ美貌はそのままに、帰ってきてからは中央病院の事務に3年勤め、それから市役所の雇用創造推進協議会に2年勤め就職支援活動などをする。その後、現在のフラワー薬局に就職し、28歳の時に結婚した。旦那さんは十和田湖のグリーンハウスでカヌーのインストラクターしているのでなかなか時間が合わずに寂しいという村上さん、そんな時に同じ職場の子から誘われたのがベリーダンスだった。セクシーな衣装に初めは少し戸惑ったが旦那さんからの「少し太った?」の一言で決意。三沢に拠点を置くベリーダンスサークル「アミ―ラ・ザハラ(花の王女)」に入会した。一言にベリーダンスと言っても様々なスタイルがあるがどれも独特なお腹の動きに特徴がある。安産を促す効果もあるようで実際にレッスンに通いながらも現在1歳半になる長男を産んだことには驚く。ベリーダンスの魅力を聞くと「女性が女性らしくいれる空間で、女性の魅力を引き出す動きが多い」と言う。現在は10歳~51歳までの幅広い年齢層の女性が楽しんで参加しているようだ。詳しくはホームページを検索...http://amira-zahra.wix.com/amira-zahra
amirazahara2.jpg
↑↓アミーラ・ザハラの情熱的なダンス。上は道の駅とわだぴあの3on3のイベントでの踊り。下は青森ワッツの試合でライトを浴びてのオープニングショー。
amirazahara.jpg

十和田湖レークサイドホテル 常務取締役
十和田湖マリンブルー 店主 中村 二九実さん
nakamurahukumi.jpg
 今回スポットを当てたのは十和田湖レークサイドホテルの看板娘で美味しいアップルパイでも有名なマリンブルーの店主も務める中村二九実さんだ。
 昭和50年10月29日生まれ(40歳)三本木高等学校を卒業後、東京にある旧東横学園女子短期大学に進学し、卒業後は東京YMCA国際ホテル専門学校に進み、研修を兼ねながらホテルで働き学んだ。
 33歳の頃に帰郷し、家業である「十和田湖レークサイドホテル」に入社する。最初はホテル業に専念し業務を学んでから、小型観光遊覧船の運行サービスもやっている喫茶店「十和田湖マリンブルー」でも働く。また、そんな忙しい中にも十和田青年会議所にも入会。仕事との両立は難しかったが十和田湖と十和田市を往復していたという。朝はホテルで仕事をしてから、マリンブルーに移動し、営業時間が終わるとそのままホテルに戻り、また業務をする。4月から11月のシーズン中にはほとんど休みなく朝から晩まで働いているのには驚いた。そして12月から3月の冬季期間は逆にテレビや本などに時間を費やし引きこもりのような生活をしているらしい(笑)趣味はスキューバダイビングのライセンスも持っており、休みがあったら(ないけど)旅行に行きたいという。性格は実は人見知りもあり、仲良くならないと話も苦手だという一面ももつが、サービス業が好きでお店では笑顔で迎えてくれる。青森県産のフジを使ったあっさりとした手作りのアップルパイ(500円)を販売している。持ち帰りも多く、夏や秋の十和田湖を楽しむ家族連れや外国人観光客などに人気がある。ちなみにお店は県境にあり、青森県から県境を越え、秋田県に100mほど進んだ場所にある。お問い合わせは...0176‐75‐3025迄
hukumiyuurannsn.jpg
海を渡ってきた道を
十和田に伝えるアスリート
sasabuchiminetaka.jpg
~笹渕峰尚さんプロフィール~
 昭和51年4月27日生まれ(40歳)
北海道帯広市出身。3歳から始めているスピードスケートを続けるために日大の経済学部に進学し、卒業後は冬季スポーツでは有名な長野県にある三協精機に就職。スピードスケートの実業団のアスリートとして上を目指すも、怪我と会社の買収が重なり、26歳で退社する事となった。28歳でラム肉の小売りと卸しをする「ラム善」を穂並町にオープンし、31歳で相坂に移転するときに飲食店も兼用の「ラム善」に新規オープンした。新しい挑戦として10月17日に旧ととや場所に豚丼専門店「とん善」をオープンし、北海道の味を十和田市に伝えている。

 今回は相坂にある「ラム善」の社長・笹渕峰尚さんを訪ねた。北海道出身でスピードスケートのアスリートだった経歴を持つ。北海道のアスリートが青森県の飲食店の社長となった経緯はパートナーの奥様にある。長野県の実業団でスピードスケートをしていた笹渕さんと整体を通じて知り合った。驚いたのは実業団を怪我と不況が重なり退社する事が決まってから結婚した事だった。笹渕さんは余裕があって幸せな時ではなく、苦しくて辛い時を一緒に乗り越えてくれる人をパートナーとして選びたかったと教えてくれた。...とは言っても実際には仕事を辞め、スポーツ一筋だった笹渕さんは北海道と奥様のいる青森県を行き来しながら悩み考えた。そして、その先に見つけたものは「北海道にあって青森にないもの」だった。
 ジンギスカンのブームもあり、ラム肉に目をつけ経営の仕方を学び、十和田市の穂並町にラム肉を小売り・卸しする「ラム善」を開業した。ネットの普及で通信販売も順調、約3年で次のステップ、飲食も出来る「ラム善」を相坂に新規移転オープンした。よりラム肉の美味しさを知ってもらおうとメニューを充実させ、ラム肉以外も食事出来るように挑戦した。しかしオープン当初は心が折れそうになるほど暇だったという。貯金をほとんど吐き出すも経営がやっと軌道にのり、これからという時に東日本大震災があった。何度も挫折を経験しながらも決して折れない強い心で挑戦し続けてきた笹渕さんの挑戦は続く。今度は北海道帯広市の名物「豚丼」を十和田市に伝えるために青森県産にこだわった豚丼専門店「とん善」を旧ととやにオープンする。お問い合わせは...0176‐24‐9607迄
大地の恵みに感謝して
 牧草育て笑顔をつくる
urusihatayosihumi1.jpg
~漆畑善文さんプロフィール~
 昭和50年2月27日生まれ(41歳)
旧十和田湖町出身。高校は片道40分をかけて三本木農業高等学校畜産科に進学し卒業。卒業後は東京にある㈱丸金おおつかに就職。和牛の抜骨など解体する卸売業者で牛を部位ごとに分ける作業を学んだ。実感の事業が規模を拡大してきた事をきっかけに23歳で帰郷し、家業である漆畑畜産に入社した。そして3年前に粗飼料などを専門に販売する漆畑ファーム株式会社を起ち上げ独立した。

 今回訪ねたのは今年、短角牛専門店・牛楽館を新規出店した漆畑畜産から独立した漆畑ファーム㈱の代表取締役社長・漆畑善文さんだ。ゆっくりとした優しい口調と腰の低い姿勢で出迎えてくれた。もともと漆畑畜産は自家製の餌で育てた十和田湖和牛や短角牛にこだわり出荷していたが、規模が拡大してきたために畜産業と飼料製造業を分業する事を考えた。
 3年前に漆畑ファームを独立する運びとなり、今まで学んできた畜産ではなく牧草や稲ワラなどの粗飼料の生産・販売を業務とする物流を担う事になったが、どちらも自然の恵みに感謝して大事に育てて出荷するという点は変わらない。現在ある草地を少しずつ広げていき将来的には400haまで拡大していきたいという漆畑さん。より営業に回って売り上げを伸ばし、会社を拡大していきたいと意欲も語る。
 牧草は刈ってから時間がたったり、雨などにさらされると傷んで栄養が落ちる。牧草を伐採しながら鮮度を保つ梱包が出来るという最新の農機を購入し、新鮮な粗飼料を提供できるのが強みだという。乳牛の出が良くなったと評判もあり、全国草地畜産コンクールで農林水産大臣賞を受賞しているお墨付きだ。
 かなり厳しかったという経営セミナーにも入会し、様々なことを積極的に学び、一生懸命に経営理念を作った。大地の恵みに感謝し、農地を耕し成長する。ここで疑問になったのは豊かな農地を耕すために自然を壊すという矛盾。生きるために食べるという行為が必要な生き物だからこそ大地の恵みに感謝することを忘れてはならないと教えてくれた。将来的な夢は息子と一緒に観光できるような牧場を作って笑顔が集まるような場所をつくっていきたいと笑顔で語ってくれた。
北海道から十和田市民へ永久就職。CAから
フリーアナウンサーとして転職した働く女性
urusideteyumika.jpg
フリーアナウンサー・MC 漆舘 優美花さん
 今回スポットを当てたのは上品さと可愛らしさの雰囲気を身にまとい、北海道出身で結婚を機に十和田市民となった漆舘優美花さんだ。昭和62年8月28日生まれ(29歳)。十和田市よりも少し人口の少ないまち北海道の登別市で3人兄弟の長女として育った。ピアノや書道などを習い、スノボーが趣味、そして英語が好きだったという漆館さんは、高校を卒業した後は、中学生からの夢だった客室乗務員(CA)になるために宇都宮大学国際学部国際文化学科へ進学した。
 大学を22歳で卒業し、そのまま全日空空輸株式会社に入社。CAを目指しながらも当時はグランドスタッフとして空港内でカウンターでの勤務となった。そこでは身長が足りないために当社ではCAを目指すには難しいという現実にぶつかった。しかし、中学生からの夢を叶えるために約2年半ほど働いてから台湾に本社があるチャイナエアラインに入社し、地上からCAへと念願の転職をした。それから運命の出逢いがあり、結婚。2014年12月に十和田市民となる。すぐに市役所の臨時職員として1月から勤務し、B‐1グランプリの事務局の一員としてイベントやボランティアの呼び掛けなどを手伝う事となる。バラゼミ舌校長の畑中氏と出会い司会をお願いされ、そこからCAとは違う、言葉で伝える司会の面白さを知った。現在は今年4月からアナウンサーとして起業し、八戸テレビ株式会社のケーブルテレビのリポーターやイベントなどの司会などをメインに活躍中だ。
いつでもスマイル!サン・ロイヤル十和田の小さな太陽
サン・ロイヤルとわだ
営業主任 太田 みどりさん
ootamidori.jpg
 今回スポットを当てたのは今年6月から運営が「一般財団法人済誠会」に移った「サン・ロイヤルとわだ」で15年のキャリアをもつ若手のお局様、太田みどりさんだ。昭和55年12月28日生まれ(35歳)出身は旧十和田湖町で十和田西高等学校普通科を卒業。卒業後はきざん三沢に就職し、サービス課で勤める。その頃の先輩にいつもニコニコ笑っているつもりがヘラヘラしていると怒られたという笑い話もある。
 地元で働きたいとの想いから20歳の頃にサン・ロイヤルとわだのオープニングスタッフとして転職し、持ち前の明るさと経験で結婚式や宴会のプランニングや司会、雑用やライティングなどの裏方までマルチになんでもやってきた。みどりさんは、基本笑っているけどホントは人見知りでとっても心配性。しかし緊張を笑顔で誤魔化す技を身に着けているからか周りからはそうは見られないという。いまは営業主任という立場を任され、苦手な司会や営業も少しずつ慣れていくしかないと語った。
 最近では結婚式を挙げる人が少なくなってきた。どの業界でも人口減少、人材不足の問題は否めない。サン・ロイヤルとわだでは営業スタッフ、ホールから厨房まで全員集まりそれぞれの視点から考えた企画をミーティングで決める活動がある。現在は毎月ランチやパーティーイベントなど新たな客層の呼び込みを企画。小さな事から大きな事まで何でも承る姿勢でお客様に喜んでもらえるように頑張りたい。それが今まで自分を支えてくれたお客様への恩返しとなるようにとこれからの決意を語ってくれた。
1人から始まった機械と人が接する工場
積み重ねた信用と実績で挑戦し続ける仕事人
yokozawakenji.jpg
~横澤賢司プロフィール~
 昭和29年7月27日生まれ(61歳)
三戸町出身。当時の農業研修所(現営農大学)に進学するが、中学3年生の時に自身に起こったバスの転落事故の後遺症で身体を痛め、通学を断念。学校を中退し実家の農業を手伝うことになる。造林関係の仕事をしながらも18歳を過ぎてからは冬季は家族で出稼ぎに出ていた時代があった。21歳の頃に国内を回っていた調査ボーリング(地盤検査)の会社に作業員として働き、そのままついていく形で会社に入社し、全国を回った。27歳で退社後に地元に帰郷し、名川町にある製鉄所のプレス部で溶接工の募集があり資格はなかったが入社し、研修を受け半自動溶接の資格を取った。仕事は順調で30歳で結婚したが...オイルショックで仕事がなくなり会社を辞め農家に戻った。退社する時に近所の農家のために趣味の範囲で溶接の機械を買った。近所の農機を直したりとしていたがお金にはならず、以前お付き合いのあった会社に直接電話して仕事を貰えないか聞いてみた。三戸町にある自宅で仕事を受けることとなり、すぐに忙しくなったため、手積みでの運送に時間がかかり過ぎる地元から倉石に土地を借りて小屋を建てた。当時の佐々木農機から仕事を貰えるようになり、仕事はどんどん忙しくなった。知り合いから諸事情から工場が1つ空いていると声を掛けられ、平成元年に横澤溶接工業所として現在の場所に移転し創業した。少しずつ工場を拡大し、平成17年に株式会社ヨコサワに社名を変更した。

仕事人・横澤賢司
 今回紹介したいのは十和田市藤島にある株式会社ヨコサワの代表取締役を務める横澤賢司さんだ。
 ㈱ヨコサワは板金加工の工場で、機械の組み立てに必要な部品を溶接やカット、ベンダー(曲げ)などして製作する仕事。現在は仕事は増えるが人員が足りない嬉しい悲鳴を上げていて、国外に人材を育てに視野を拡大中の勢いのある会社の始まりに驚く。
会社の誕生
 プロフィールにも書いてある通り、30歳の頃の本業は造林業などを営む農家だった。最初は自宅で近所の農機の溶接や修理などを趣味の範囲で個人でしていた所から始まった。しかし、お金にはならないと自分で以前の職場で付き合いのあった会社に直接電話を掛け、仕事を貰う事となる。個人で会社から仕事を貰うという発想にたどり着いた事には驚く。
 すぐに忙しくなり、自宅も手狭になり、運送の効率を上げるために隣町へ小屋を借りて仕事を受けることとなる。もっと忙しくなり、個人で受けれる仕事の量は超えてしまったため、お手伝いとして個人で従業員を雇うまでとなる。切らすことなく増やしてきた人とのお付き合いから声を掛けられ、複雑な諸事情もありながらも工場を借りられる事となり、平成元年(33歳の頃)有限会社 横沢溶接工業所が誕生した。家の庭で1人でやっていた趣味の溶接が約3年で工場をもつ会社として生まれ変わったのは決して偶然ではなく、仕事へ対する姿勢と人とのお付き合いを大切にしてきた結果があるからで、今の優しい顔からは想像もつかないような血の滲むような努力があったのだと感じた。
小さな事からコツコツと
 業務は機械を組み立てるための部品を作ること。一言に機械の部品といっても厚さや硬さ、材質がそれぞれに違い、相手先の要望に応えてカットや穴あけ、溶接や曲げなど細かな作業が多い。大手が嫌がるような少量の部品生産や急ぎの仕事なども出来るだけ断らずに受けてきた。どんな注文でも受けるために溶接用の機械なども少しずつ増やしていく。リーマンショックの時も積極的に営業に回り逆に業績を伸ばしていった。気が付くとここでしか生産できない製品もあり、仕事の付き合いはどんどん増えていって業績を伸ばし工場は徐々に拡大、従業員も少しずつ増えていき、現在は株式会社ヨコサワとして40名を超える従業員を養う会社となった。
課題と挑戦
 手作業と機械作業を併用して部品を作っていくが最終的に大切なのは「人」だという。工場が軌道に乗っても人が足りなければ完成も出来ずに納期にも間に合わない。工場勤務の機械作業のイメージや若者の地方離れなど原因は様々あるが人材不足が今の一番の課題だという。昔は出来ない人は辞めてもらってもいいと思っていた時期もあったが、今は不器用でも時間はかかるがじっくり育てれば後から結果はついてくる。一番は辞めない人材が必要だと語ってくれた。また、課題を解消するために現在はフィリピンに設計事務所を構える計画をし、人材を育成しながらも海外への進出も視野にいれている。
 「ものづくり」のルールは何でもやってみようと思う姿勢。製品チェックを怠らずに部品の精度を上げていく。少量でも急用でも必要とされている仕事は受け、納期は従業員の力を借りて遅れないことが信条だと語る。無理だ駄目だと思わずに前向きに目標に挑戦していく姿勢が会社を成長させてきた横澤さんの魅力なんだと感じた。

営業品目~溶接(S.S、ステンレス、アルミ)板金・パイプ加工、シャーリング加工、切断加工、レーザー加工(5尺超)、ベンダー加工(油圧)、アングル加工、パイプベンダー加工、製缶加工、精密板金加工、機械加工、カッティング・ブランクCO2レーザー加工、試作品加工、CADなど
現在社員の求人募集中!詳しくは...0176‐28‐3267迄
十和田湖和牛の魅力を伝える美人姉妹
takahasikumiko.jpg
十和田湖和牛 焼肉牛楽館
副店長 髙橋 久美子さん
 今回スポットを当てたのは一本木沢にある十和田湖和牛 焼肉牛楽館で働く美人姉妹の妹、髙橋久美子さんだ。親しみやすく、明るい性格がにじみ出ているような笑顔でお客様を迎える。旧十和田湖町出身、昭和55年9月30日生まれ(35歳)天秤座。
 光星学院高等学校を卒業後、八戸短大の経営情報学科に進学。当時、バイトでろまんパークで働きサービス業を知る。大学卒業後は医療事務や税理士事務所などで働くがパソコンと向き合うよりも人と向き合うほうが好きだと気が付く。仕事で悩んでいる時に姉からの誘いで接客業に転職を決め、おいらせろまんパークの麦酒館で働くこととなった。
 麦酒館で働きながらも、もっと漆畑畜産の父・善次郎氏の育てた十和田湖和牛を食べさせたい気持ちが強くなり、平成15年8月8日に一本木沢に十和田湖和牛焼肉牛楽館をオープンした。父の経営で姉と兄、家族一緒にオープニングスタッフとして働く。オープン当時は慣れない事も多く、バタバタと忙しい中、色々と失敗やトラブルもあって大変だった。黙って10分間も立ってお客様に怒られ続けたこともあったという。
 23歳でめでたく結婚し、仕事と家庭を両立する大変さも経験。子育てに追われながらも今年三番街に2号店がオープンすることとなり、1号店である一本木沢店を副店長として任された。これからも十和田湖和牛の魅力を笑顔で伝えたいと語った。
地産地消の十和田湖和牛と日本短角種
地域の魅力を伝える焼肉屋さん
takeuchiishko.jpg
プロフィール 昭和48年9月8日生まれ(42歳)
旧十和田湖町出身、光星学院高等学校を卒業後は地元に就職し、飲食業を学ぶ。その後は一般財団法人十和田湖ふるさと活性化公社に社員として入社し、おいらせ源流水の販売などを営業する。道の駅・奥入瀬ろまんパークの麦酒館のオープンに合わせてオープニングスタッフとして異動し、ホール主任としてサービス業を学び約10年働く。その仕事の中で特産品について考える事が多くなり、十和田湖和牛をPRしていた父に相談し30歳の時に一本木沢店「十和田湖和牛 牛楽館」をオープン。そして今回、2号店となる日本短角牛専門店牛楽館を三番街にオープンした。...ちなみに乙女座のB型である。

 今回は十和田市の飲食街、三番街に新規オープンした日本短角牛専門店「牛楽館」の店長・竹内志穂子さんを訪ねた。実家は旧十和田湖町の漆畑畜産で和牛を育て、ほぼ中央に出荷していた。高校を卒業後は地元に就職、その後はろまんパークにある麦酒館で約10年働き、サービス業を学びながら地元食材を提供していた。その時に十和田湖和牛や地元食材が素晴らしいと実感し、もっともっとPRしていければと考える事が多くなった。
 父親である漆畑畜産・漆畑善次郎氏に相談し一本木沢にある空き店舗を改装して十和田湖牛直送の「十和田湖和牛 牛楽館」をオープンする運びとなった。麦酒館ではホールの経験しかなかったため厨房とホール、お店の経営を担当する役割が増え、オープン当初は当たり前に大変だったが自分には苦労が足りない!もっと勉強したい!と言い聞かせながら働いた。気が付くと「何かをしたい」...から「何かをする」に考え方は変わっていた。
 北里大学と十和田八甲田日本短角牛推進協議会の協力もあり、短角牛に触れて、いいところを再発見できたことをもっと発信したい。お店にくるお客様から「三番街に出さないの?」とよく言われるようになって今回、三番街にあった旧黒丸の店舗に2店舗目となる「日本短角牛専門店 牛楽館」をオープンする事となった。
 放牧や牧草などを食べて低コスト生産法で育てた健康な牛を提供している。是非、お店に一度は来てみて欲しいと語った。
この街の衣料品屋さん
明るく暮らしのふくを売る
tanakakadaiicjhi.jpg
プロフィール 昭和50年1月28日生まれ(41歳)
三本木高校を卒業後、国士舘大学政経学部政治学科に進学。卒業後は千葉県に本社がある大手アパレル業の㈱三喜(サンキ)に入社した。約4年半、アパレル関係の仕事を学び、28歳の時に帰郷した。
 帰郷後に家業を継いでからは仕事の傍ら、小学校から続けている社会人サッカーを始める。また、北園小学校のサッカースポ少のコーチも務め、現在指導歴は14年目となる。病で他界した父の会社を継いで36歳で代表取締役として就任して現在に至る。

 今回は創業90周年目となる㈱田清商店から平成8年に独立し、開業した田清第一店舗の代表取締役・田中大一さんを訪ねた。
 癒し系の優しい雰囲気の笑顔で出迎えてくれた田中さんは姉と妹がいる三人兄弟の長男で、帰郷してから家業である田清第一店舗に入社した。そして家族、従業員と共に会社を運営してから8年ほどたった2011年、父親が病で他界したため36歳の若さで代表取締役となった。業務内容はそれほど変わらなかったが会社の社員から会社とスタッフを守る立場に変わったことが一番の変化だったという。
 田中さんは自分が子どもの頃から働いている社員やパートさんと一緒に働けることが嬉しい。子供も生まれ、父親が残してくれた会社をこれからも守っていきたいと語った。
 昔はベビーブームもあり、衣料品(特に子供服)は多く必要とされていた。現在では少子化が進み、必然的に影響は出るが同時に高齢化も進むため地域密着型の店として婦人服や実用衣料品(肌着や靴下)の販売に力をいれて時代の流れに合わせて営業していきたいと語る。
 そして田中さんのもう一つの顔は現在14年目となる北小サッカースポ少のコーチ。勝ち負けではなく、子供たちがサッカーを通して成長してくれればいいと想いを語る。そして生涯現役選手としてもサッカーを続け、そこで得たつながりを大切にし、商工会議所や商協、商店街とのつながりも自分にとってのプラスに変えていきたい。
 これからも田清第一店舗が皆様に愛され、地域にとってなくてはならない店にする事を目標に地域貢献をしていきたいと語った。
1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11