はたらくひと必読!仕事人!!

音楽の色を増やした音色で奏でるピアノ奏者
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ヤマハ音楽教室㈱東京堂八戸店
システム講師 平 菜摘さん
 今回スポットを当てたのは現在colorsのピアノ奏者として多方面で活躍中の平菜摘さんだ。平成元年2月1日に生まれ、母親がピアノの先生で幼少の頃から身近に音楽があったためか、物心のついた頃(4歳)からピアノを始めた。おっとりとしたイメージ通りに学生時代は習字、水泳、バレエや新体操などたくさんの習い事をしていたというが、ダンスやサッカーなど身体を動かす事も好きだという意外な一面ももつ。三本木高校を卒業後、昭和音楽大学短期大学部ピアノコースに進学。卒業後はヤマハ音楽振興会に就職し、研修期間を経て神奈川県で念願のピアノの先生となった。東日本大震災をきっかけに帰郷を考え、転勤形式をとり青森県に帰郷した。現在はヤマハの講師として働きながら1歳コースから大人まで、1人で約70~80人の生徒をもち、ピアノの楽しさを教えながらも時には厳しく、優秀な生徒をコンクールに送り出したりなどしている。
 十和田市は残念ながら他の地域と比べると演奏会などは少ない。もっと近くで気軽に聞ける音楽を浸透させていきたいと、ピアノだけの演奏会ではなく若手の音楽仲間、豊川さんのヴァイオリン、亀山さんのソプラノ(歌)などと様々な音色を奏でられるカラーズを結成した。中央病院や美術館、カワヨやハピたのなどで演奏会を開き、音楽に興味のある人を増やしていきたいと語った。また、ヤマハでは無料体験レッスンもあり、生徒は随時募集している。
お問い合わせは...0176‐22‐5155迄
苦労を笑顔に変えた看板屋の看板娘
株式会社サンコウゲイプラス
専務取締役 鎌田 久美子さん
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 今回スポットを当てたのは株式会社サンコウゲイプラスの専務取締役鎌田久美子さんだ。昭和52年2月10日生まれ。もともとの家業が看板製作などをしていたサン工芸で六戸高校を卒業後、すぐに家業を継ぎ入社する。本音を言うと専門学校へ行って違う仕事を経験したり、県外にも就職してみたかったが、親の愛が強すぎてそのまま家業を継がされる事となった(苦笑)。当時は手作業で看板に塗装していた仕事が多かったが、看板以外にもチラシや名刺などデザインを必要とする仕事が増え、パソコン作業を独学で覚えるなど新しい事に取り組む事が多くなり、嫌々ながらもやっていた仕事がいつの頃からか面白くなってきたという。お客様とのやりとりで提案したことを喜ばれたり、いち早く取り入れたホームページで県外からのお客様が増えたりと、つながりが増えていく事に喜びを感じ、仕事量が増えても苦に思わず、次に新しく挑戦したい事を考える時が楽しいという。この考え方や取り組み方は21歳の頃から入会した十和田青年会議所で学べたことが多くあり、自分にとってはものすごくプラスになっていると笑顔で教えてくれた。看板も製作から取り付け、チラシから名刺まで一括して出来る事が強みで内装に近い事までやることもあるという。いつのまにか無理やり継がされた看板娘は会社の看板となって夫婦二人三脚プラス1(長男)でこれからも新たな事に挑戦しながら頑張っていくのだろうと感じた。
庭園の空間づくりから
多世代交流の空間づくりへ
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(中岫崇さんのプロフィール)昭和45年9月22日
 十和田市出身。三本木農業高校土木科を卒業後、当時活躍していたラグビーのスポーツ推薦もあり、東京農業大学農学部造園学科に進学した。卒業後は大手ゼネコンのグループ会社・かたばみ興業㈱に就職し緑化造園事業部に就いた。造園の仕事は家にある庭などの範囲ではなく、ゴルフ場やリゾート地など大規模な造園事業がほとんどだった。6年間造園業を学び、28歳の時に帰郷した。
 帰郷後は㈲芦名造園に就職。ゆくゆくを考え32歳で独立する事を決意し、造園会社「エバーグリーン」を起ち上げた。そして、今年3月10日に今まで縁をつないできた仲間たちの支援もあり、十和田市東十一番町に異業種である複合型介護施設「よつ葉」をオープンした。

仕事人・中岫崇
 今回訪ねたのは今年3月10日に異業種である複合型介護施設「よつ葉」をオープンし、昔から造園業を営む株式会社エバーグリーンの代表取締役・中岫崇さんだ。
 およそ介護のイメージにはない色黒でがっしりとした身体、親しみ感溢れる素敵な笑顔で出迎えてくれた。今まで造園を学び、造園業に携わってきた中岫さんが、異業種である介護福祉だけではなく、スポーツジムやカフェや学生寮などが入った複合型施設をオープンした事には驚くばかりでその経緯の所以を聞いてみた。
造園から介護福祉へ
 造園業から介護施設へと事業を拡大したきっかけは造園の仕事で伺うお客様との会話からだった。高齢化が進み、将来の話しをしても造園業だけでは安定がない事を自身で感じていた中岫さんは昔から縁のあるラグビーや仕事仲間に相談することも多くなり、次の世代に残せる安定した事業をやっていきたいと決意したという。
 造園の仕事では高齢者とつながりを持つ事が多く、細かな面倒も見る事もある。高校ラグビーの指導にも携わっており、ラグビーから学ぶ大切な精神を子どもたちにも伝えていきたいと日ごろから想っていた。高齢者と若輩者の将来を考え、今を生きる働く人の生活のためにも何か出来ないか...と悩んだ先に見付けたものが複合型介護施設「よつ葉」だった。オープンしてみてまったくの異業種ではあるが意外にも違和感を感じないのは、造園は庭に「安らげる景観と空間を造る仕事」で、介護施設は「安らげる空間と時間を提供する仕事」。どちらも良い空間という環境をつくるサービス業だからかもしれないと語ってくれた。
複合型介護施設よつ葉
 複合型介護施設「よつ葉」は①広い空間と優しい光が入り込む介護施設「ショートステイよつ葉・デイリーサービスセンターよつ葉・委託介護支援事業所よつば」と、②身体を鍛えて健康を推進、大きな壁鏡のある広いフローリングスペースとジム機材のある「メディカルフィットネスよつば」と、③食べ放題のランチバイキングでお客様のお腹を満たす「cafeフォーリーフ」と、④市外からの高校生などを受け入れる学生寮「よつ葉寮」で形成され、多世代の交流が図れる工夫が随所に見られた。
「ONE FOR ALL ALL FOR ONE」
 企業理念はラグビーでも有名な言葉「ONE FOR ALL ALL FOR ONE~ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために~」だと教えてくれた。地域で働き暮らす方々のために生活環境づくりを支援していきたい。その支援が自分たちの支えになってお互いの利潤を生んでいく。良い環境をつくり、良い循環を生み、良い結果となるようにこれからやるべき課題は多い。一人一人が地域のために働くという意識を持ち、社会へ貢献する事を目指し、従業員一同で実践していくための人材育成・教育がこれからの課題だと教えてくれた。
 取材の合間にすれ違う従業員が必ず立ち止まって笑顔で挨拶してくれた事がきっと教育の表れなんだろうと感心した。複合型介護施設よつ葉へのご利用のお問い合わせは...0176‐58‐5757迄。また、さまざまなフィットネス教室が充実しているメディカルフィットネスよつ葉へのお問い合わせは...0176‐58‐5758迄

見つけた幸運のクローバー
複合型介護施設 よつ葉
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ひとつの双葉、互いに支え合うフォトショップふたばの頼れるお姉さん
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 今回スポットを当てたのは有限会社ふたばで働く西塚准子さんだ。昭和48年5月23日(42歳)に写真屋の長女として生まれ育った。七戸町で中学時代を過ごし、八戸工業第二高等学校へ進学。その後東京の工芸大学写真学科に進学し写真の基礎を学び、帰郷して家業を継いだ。中学卒業時に実家を十和田市に引っ越したが、学生時代は十和田市で過ごさなかったために残念ながら知り合いは少なく、お酒も飲めなかったために家と職場の往復となっていたが趣味で音楽関係のイベントのスタッフ側で手伝いをしている時に現在の旦那と出会い、33歳の頃に結婚した。周りには個性が強く面白い人がたくさんいるので自然と笑っていることの方が多いようだ。
 准の字のごとく一歩下がって周りを支える方が得意でプライベートでも仕事でも同じようで、弟の小原達郎くんとはお互いに得意な分野が違って互いに足りない部分をおぎなっているという。西塚さんは色彩や光度などの細かい調整で商品を仕上げる品質管理の役割をこなす。小物などを作ってかわいく仕上げるのも得意なようだ。
 写真は印刷と違って色をのせるのではなく薬品で発光させるのが大きな違いで震災の時に思い出を残せた人がたくさんいた事は自分の仕事の誇りにもなる。写真屋に生まれて42年、仕事を始めて22年たった今でもお客様のために新鮮な気持ちできれいに写真を仕上げたいと笑顔で語った。

内閣総理大臣賞を受賞!!
ふるさとイベント大賞の「桜流鏑馬」
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散らない桜は未来を射貫く
馬と共に駆け抜ける女流騎手
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(プロフィール)昭和46年2月3日生まれ(45歳)
十和田市出身。七戸高校を卒業後、東京の建築関係の専門学校に進学。卒業後はフリーターとして働き、22歳の結婚を機に地元に帰郷した。実家の手伝いをしながら27歳の頃に正社員として入社し、運命の馬と出会う。
 女人禁制・男だらけの伝統技の流鏑馬の美しさと魅力に感動。盛岡八幡宮流鏑馬の師範に弟子入りし、流鏑馬を競技化したスポーツ流鏑馬に女性として初めて大会に参加し、初挑戦・初優勝の快挙を成し遂げた。
 32歳で乗馬のインストラクターを取得し、馬のまち、十和田市を盛り上げようと駒フェスタや桜流鏑馬などの大会を企画し、体験できる観光型事業として海外へも発信している。このたび第20回ふるさとイベント大賞の「桜流鏑馬」が内閣総理大臣賞を受賞し、年々増加している女流騎手の第一人者として現在も活躍中だ。

仕事人・上村鮎子
 今回は第20回ふるさとイベント大賞・内閣総理大臣賞を受賞した「桜流鏑馬」その第一人者として活躍している農業法人㈲十和田乗馬倶楽部の代表取締役兼ウエスタン乗馬インストラクターの上村鮎子さんを訪ねた。
 177㎝の身長からか堂々とした雰囲気で、何でも思ったことを正直に話してくれるような男気ある女性という印象の上村さんは流鏑馬の世界に飛び込んだきっかけとこれからの目標を話してくれた。
桜流鏑馬の誕生
 流鏑馬は800年から1000年の歴史ある神聖な伝統競技で女人禁制だった。最初は男性が守ってきた儀式的な馬術競技で女性がやるものではないと思った。しかし、現在は乗馬人口の女性の割合が増えてきたこと、スポーツ競技として楽しめるようになったこともあり、女性への普及を考える。どうせやるなら本物を覚えたいと盛岡八幡宮流鏑馬の師範に弟子入りし、初参加の大会で初出場・初優勝の快挙も成し遂げた。
 桜流鏑馬はただ馬に乗って矢を射るのではなく伝統ある流鏑馬の作法や姿勢を大切に考え、そこに女性ならではの華やかさを加える事で観る人にも楽しみを与えたいという気持ちと、当時愛情をかけて乗っていた馬が弱ってきて最後に花道を作ってあげたいとの想いもあり、全国で唯一の女性だけのスポーツ流鏑馬「桜流鏑馬」が誕生したという。
 春の桜舞う季節の女流騎手の祭典、桜流鏑馬だけではなく、秋の枯れ葉彩る駒フェスタは季節と景観を感じながら観るだけでも楽しめる。コースは200m、実際は射る区間110mを馬に乗て両手を離し、9秒以上10秒未満で駆け抜けながら3回射貫かなくてはならないため、かなり高度な技術も必要だと教えてくれた。
継続と連携は力なり
 もちろん最初から何でも上手くいったわけではなく苦労も多かった。自分は詰めが甘く周りの人に助けてもらい連携が上手くできた事もある。若い頃はすぐ結果を求めていたが、今は流鏑馬を通して我慢する事と物事を坦々と進める事を覚えた。また、女性が見栄えするような衣装や色使いなどにも気を配ったり、馬のまち十和田市のイベントとして恥じないような内容を作っていかなくてはと企画し、今年で第13回目となる。それの活動が去年の十和田市の地域資源として認定されたことや今年の内閣総理大臣賞につながったと思うと語った。
滞在体験型観光事業の実現へ
 現役は続けられる限りやっていきたいが、いつでも裏方に回れるように準備もしていきたいと語る上村さんが次に目指すものは外国人の体験型観光事業だという。十和田市の活性化のため外貨を稼ぐ意味でも、世界に通じる十和田市の新しい文化として根付くためにも情報を発信したり、魅力あるイベントとして女流騎手の拡大などをしていきたいと語る。結果として外国人を誘致し滞在した事によって宿泊・飲食などの利益や他の観光事業との連携も準備できればと目標を志しているようだ。十和田市活性化のためにも、これからも桜流鏑馬と上村さんの活躍を期待したいと感じた。
思いやり溢れる街と人
そんな十和田市にと願う癒し人
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 昭和52年3月12日生まれ(38歳)
十和田西高等学校を卒業後、親戚に福祉関係の仕事をしている人が多かったためか自然と東北福祉大学・社会福祉学部社会教育学科へ進学した。卒業後は東北町の社会福祉法人で2年勤務しながら仕事を学んだ。銀行マンだった父がもともと社会福祉施設を開業しようと考えていて平成13年に㈲ケアサービス十和田イーストグループホームたかしずの森を設立した。管理者として施設を管理し、現在は創業15年となる。子どもも生まれ仕事も忙しくも周りからの後押しもあり、今年度は十和田青年会議所の60代目の理事長も務める事となった。
 今回は「㈲ケアサービス十和田イーストグループホームたかしずの森」の管理者を勤め、第60代目の十和田青年会議所の理事長を務める事となった水尻和幸さんを訪ねた。優しそうだと誰でも感じそうな顔と体型で出迎えてくれた。
 高校時代に最初はJRの運転手になりたかったが親戚に福祉関係の仕事が多かったためか、いつの間にか自然と東北福祉大学に進学した。平成13年に会社が設立し管理者として勤務。現在は介護報酬がどんどん減らされて入所を希望する人は増えているが受け入れる側は厳しくなってきている。それでも認知症対応共同住宅として管理し、病院への送迎や食事の管理なども考えなくてはならないと教えてくれた。
 平和を愛する温厚そうな性格だが意外にも趣味はバイク。レースに出場したりモトクロスの大会を運営管理するなど人には見せない一面を持っているのかもしれない。30歳で結婚し、青年会議所にも入会。仕事と家庭、趣味とJC運動など忙しく毎日を過ごしている水尻さんが今年度の理事長に立候補するきっかけとなったのは...誕生日の前日に起こった東日本大震災だった。施設には食料は多めに貯蓄していて発電機もあったため何とか繋ぐことができた。誰かが助けを求めている時に助ける側の仕事についた意味を深く感じ、同時に自分も周りに支えられている事に気付く。
 今年度の十和田青年会議所のスローガンを「感謝と絆~思いやりで彩る魅力ある人と街へ~」にしたのは、自分の事だけではなく周りの人の事を考えられる人と街になって欲しいから、繋がる事で絆は強くなり感謝の気持ちは自然と生まれると思うと優しく語ってくれた。
革新が必要と確信したお坊さん
隠しきれない覚悟でいのちを活かす
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長谷川 覚仙さん
 昭和56年2月15日生まれ(34歳)
三沢高校を卒業後、東京の駒澤大学に2年、北海道の駒澤大学に2年と学業を学び卒業後は福井県の永平寺に修行に入る。三沢に帰郷してからは建立50年の曹洞宗中央院の家業を継ぎ、作法や教えを学びながら僧侶の資格を取得し、現在副住職となる。24歳の時に三沢青年会議所に入会。今年度、若くして53代目の理事長を勤める事となった。
 今回は法事以外では訪ねる事がないであろうお寺、三沢市の曹洞宗中央院で副住職を務める長谷川覚仙さんを訪ね、話しを聞いた。
 長谷川さんは僧侶でありながら今年度の公益社団法人三沢青年会議所の第53代目の理事長を務める。住職であり理事長でもあるというギャップに驚いたが青森県ではまだ少ないだけで全国的に見ると珍しくはないという。
 生まれながらにお寺で過ごし、小さな頃から着物を着てお経を読んでいた。家業を継ぐことに対しては何の疑問や不満もなく継ぐ事が当たり前の事だと思っていたと話す。宗教はどこで生まれたのか、宗派はなぜ出来たのか、お経は何から出来たのかなど教えてくれた。社会勉強とは世間に出てからするもので社会(歴史)の勉強は先人を知る事から始めるのだと感じた。
 知人に誘われたのがきっかけで24歳の時に三沢青年会議所に入会。初めは何の団体かもわからず何かの宗教団体かと思ったと笑って話す。三沢市のお祭り中日の神輿担ぎや沖縄児童との交流事業などに参加し、ひとを知る。日本青年会議所に出向し他県を見てきてまちを知る。足りないと気付いた事は、まちおこし事業が三沢市にはあまりないことだった。若者が多いイメージがある三沢市だが20代から30代が少ない。今のままでは未来は暗いものとなるだろう。生きているうちに出来る事は限られている。だからこそ失敗を恐れずに意識を高く持ち、町にいいものを残し次世代につないでいく事が自分の役目だと思い、覚悟を持って新しい事に挑戦していきたいと語った。今年度のスローガンはその想いを込めて「覚新~RealInnovation~」とした。これからの三沢市の未来を担う青年の一人としてこれからの長谷川さんの活躍を見守りたいと感じた。
建材用品を卸売る家業を継いで
地元に根差し、地域のつながりを大切に
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 今回スポットを当てたのは有限会社ニタドリの愛娘で総務で働く似鳥友理さんだ。昭和61年9月3日生まれの29歳。
 三本木農業高等学校を卒業後、市内の別会社に勤務していたが20歳の時に父から事務が足りないと家業でもある(有)ニタドリ建材塗料に勧められ入社した。約6年前に塗料以外にも仕事の範囲を広げるためにと社名を変更し、(有)ニタドリと改名した。
 似鳥さんは5人兄弟の2番目の長女として生まれ、2歳上の兄から13歳下の妹までいる賑やかな家族で育った。どちらかというと人見知りで自分からあまり話し掛ける方ではないが、誰かと会話をするのは好きで仲良くなると年齢性別関係なく誰とでも楽しく会話することが出来るというのはこの家庭があったからだろう。
 大人しそうな印象はあるが中学はバトミントン、高校はバレー、冬季はスノーボードなどスポーツ好きで活発な一面もある。倫理道徳の研究と社会教育を推進するという公益社団法人モラロジー研究所に入会しており、にじみ出るような優しい人間性は道徳を知る事から身に付けたのかもしれない。また、21歳の頃(8年前)から何度も誘われ続けていた十和田青年会議所にも今年度から入会する事となった。祖父、父親と入会していて自分で三代目だというのだから昔から地域のためのJC運動などをしている背中を見てきたことになる。ベテランの新人として今後の活躍を期待したい。
周りに支えられ、真っ直ぐ育った優しい心
はにかんだ笑顔が似合う妹or娘にしたい女の子
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竹ヶ原興行 株式会社 
総務部 竹ヶ原 春香さん

 今回スポットを当てたのは竹ヶ原興行株式会社の愛娘、竹ヶ原春香さんだ。
昭和62年5月11日生まれ(28歳)、三本木高校を卒業後、仙台にある東北学院大学経済学部経営学科に進学した。卒業後は家業をすぐに継ぐ事は出来たが自分の力で社会勉強をしたいとあえて20~30社の面接を受けたという。その努力の甲斐あって、本社は東京にある大手の総合電機メーカーの埼玉県の営業所に就職を決めた。約3年間、経理を勤め26歳の年に帰郷した。
 竹ヶ原興行株式会社の創業は昭和38年、農業用の資材の販売や施工などを業務としてやっていて、春香さんが生まれる前から続いてきた歴史ある会社だ。なんとなく子どもの頃からちょくちょく会社には遊びにきていた記憶はあるが、物心がつく頃にはいずれは後を継ぐのかと秘かに思っていたようで、大学時代には長い春休みを利用して会社の手伝いなどもしていたという。
 趣味はバトミントンで週に1日は身体を動かしている。帰郷してからのプライベートでの悩みは地元に残っている同級生や友達が少ないこと。それでも家族との時間が楽しいため苦にはなっていないという親孝行な本音を教えてくれた。仕事ではまだ耳が慣れていないのか電話でのお客様の言葉が聞き取れない事が多々あって少し苦戦しているようだ(笑)。また、昔から勤めている作業員や事務の人は小さな頃からの自分を知っている。今までも、これからも、たくさんの人に支えられている事を実感し、周りに感謝して頑張っていきたいと語ってくれた。仕事はまだ3年目だが少しでも自分の仕事の出来る範囲を増やしていき、地域のためにも役にたてる活動もしていきたいと笑顔で教えてくれた。

通り道の駅から目的地へ
十和田市の魅力を発信する道の駅とわだの駅長
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プロフィール 昭和44年12月1日生まれ(46歳)
十和田工業高校を卒業後、東京の専門学校(東京読売理工専門学校)情報処理科に進学。卒業後は帰郷し、三八五観光(株)三沢空港営業所でフライトプランや航空機との無線交信などの業務につき、20年間勤務するが40歳の時に一身上の都合で退職することとなった。退職後は業種の違う仕事を経験し、当時の道の駅(良品開発)で駅長募集があり、駅長として勤めたが事情により一時退職することになった。その間、道の駅が良品開発から(株)パワフルジャパンに指定管理者が移行することとなった。退職後は別の仕事についていたが駅長職の経験から声を掛けられ今年4月に再び駅長となった。

 今回は道の駅とわだの指定管理を受託している株式会社パワフルジャパン十和田の駅長、竹ヶ原康輝さんを訪ねた。
 駅長となったのは今年の4月、20年間は十和田市外の三沢空港で働いていた竹ヶ原さんは事情により退社後、道の駅とわだ(当時の指定管理者は良品開発)で働くことを決めた。そこで十和田市の魅力やポテンシャルに気付かされ、野菜やハーブ、加工品の地産品などを市内外へ発信していきたいと感じたと言う。
 一時、駅長を退いた時期もあったが気持ちは変わらずNPO法人から立ち上げた(株)パワフルジャパン十和田が道の駅とわだの指定管理者となってから声を掛けられ再び駅長として就任する事となった。竹ヶ原さんは以前やり残した事を成し遂げるためにも新たに挑戦もしていきたいと秘かな想いを語った。今までは「目的地の途中」にあるのが道の駅だったが、今は地産品やお土産などを充実させイベントなども企画し「目的地自体となる」ように試行錯誤している。
 青森県では唯一のプロバスケットボールチーム・青森ワッツの後援企画や十和田ふぁみりーずでの一次産業の地産品発信はもちろん、六次産業化の商品開発にも積極的に協力し、加工品など十和田市に関する食や情報など充実させ、道の駅から十和田市の魅力を発信していきたいと語った。

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