はたらくひと必読!仕事人!!

周りに支えられ、真っ直ぐ育った優しい心
はにかんだ笑顔が似合う妹or娘にしたい女の子
takegaharaharuka.jpg
竹ヶ原興行 株式会社 
総務部 竹ヶ原 春香さん

 今回スポットを当てたのは竹ヶ原興行株式会社の愛娘、竹ヶ原春香さんだ。
昭和62年5月11日生まれ(28歳)、三本木高校を卒業後、仙台にある東北学院大学経済学部経営学科に進学した。卒業後は家業をすぐに継ぐ事は出来たが自分の力で社会勉強をしたいとあえて20~30社の面接を受けたという。その努力の甲斐あって、本社は東京にある大手の総合電機メーカーの埼玉県の営業所に就職を決めた。約3年間、経理を勤め26歳の年に帰郷した。
 竹ヶ原興行株式会社の創業は昭和38年、農業用の資材の販売や施工などを業務としてやっていて、春香さんが生まれる前から続いてきた歴史ある会社だ。なんとなく子どもの頃からちょくちょく会社には遊びにきていた記憶はあるが、物心がつく頃にはいずれは後を継ぐのかと秘かに思っていたようで、大学時代には長い春休みを利用して会社の手伝いなどもしていたという。
 趣味はバトミントンで週に1日は身体を動かしている。帰郷してからのプライベートでの悩みは地元に残っている同級生や友達が少ないこと。それでも家族との時間が楽しいため苦にはなっていないという親孝行な本音を教えてくれた。仕事ではまだ耳が慣れていないのか電話でのお客様の言葉が聞き取れない事が多々あって少し苦戦しているようだ(笑)。また、昔から勤めている作業員や事務の人は小さな頃からの自分を知っている。今までも、これからも、たくさんの人に支えられている事を実感し、周りに感謝して頑張っていきたいと語ってくれた。仕事はまだ3年目だが少しでも自分の仕事の出来る範囲を増やしていき、地域のためにも役にたてる活動もしていきたいと笑顔で教えてくれた。

通り道の駅から目的地へ
十和田市の魅力を発信する道の駅とわだの駅長
takegaharayasuteru.jpg
プロフィール 昭和44年12月1日生まれ(46歳)
十和田工業高校を卒業後、東京の専門学校(東京読売理工専門学校)情報処理科に進学。卒業後は帰郷し、三八五観光(株)三沢空港営業所でフライトプランや航空機との無線交信などの業務につき、20年間勤務するが40歳の時に一身上の都合で退職することとなった。退職後は業種の違う仕事を経験し、当時の道の駅(良品開発)で駅長募集があり、駅長として勤めたが事情により一時退職することになった。その間、道の駅が良品開発から(株)パワフルジャパンに指定管理者が移行することとなった。退職後は別の仕事についていたが駅長職の経験から声を掛けられ今年4月に再び駅長となった。

 今回は道の駅とわだの指定管理を受託している株式会社パワフルジャパン十和田の駅長、竹ヶ原康輝さんを訪ねた。
 駅長となったのは今年の4月、20年間は十和田市外の三沢空港で働いていた竹ヶ原さんは事情により退社後、道の駅とわだ(当時の指定管理者は良品開発)で働くことを決めた。そこで十和田市の魅力やポテンシャルに気付かされ、野菜やハーブ、加工品の地産品などを市内外へ発信していきたいと感じたと言う。
 一時、駅長を退いた時期もあったが気持ちは変わらずNPO法人から立ち上げた(株)パワフルジャパン十和田が道の駅とわだの指定管理者となってから声を掛けられ再び駅長として就任する事となった。竹ヶ原さんは以前やり残した事を成し遂げるためにも新たに挑戦もしていきたいと秘かな想いを語った。今までは「目的地の途中」にあるのが道の駅だったが、今は地産品やお土産などを充実させイベントなども企画し「目的地自体となる」ように試行錯誤している。
 青森県では唯一のプロバスケットボールチーム・青森ワッツの後援企画や十和田ふぁみりーずでの一次産業の地産品発信はもちろん、六次産業化の商品開発にも積極的に協力し、加工品など十和田市に関する食や情報など充実させ、道の駅から十和田市の魅力を発信していきたいと語った。

役職は変わっても自分は変わらない
これからを見据える35歳の若社長
kogatakasi.jpg
プロフィール 昭和55年9月18日生まれ(35歳)
十和田西高校を卒業後、東京の専門学校(東京法律杉並専門学校)に進学。宅地建物取引主任者の資格を取るために入学したが、この時は残念ながら取得できずに帰郷した。家業を学びながら働くも資格がないとなかなか認められない業界。焦らずに勉強し、24歳の時に宅地建物取引士(旧宅地建物取引主任者)を取得した。また、賃貸不動産経営管理士も取得し、会社の運営を学ぶ。平成27年10月2日に家業を継ぎ、35歳という若さで代表取締役社長として就任した。

 今回は今年10月に35歳の若さで有限会社サンポウの代表取締役社長として就任した古賀崇さんを訪ねた。
 趣味は年間を通して取り組んでいるサーフィン、秋祭りも重要な役割を任されている。本人曰く、性格は面倒くさがり屋であまり人の上に立つのは好きではないようだが、波の上と人の役には立つのは好きなようだ。頼まれると手を抜かずやってしまうのは長所でもあり短所でもあるという。
 仕事内容はお客様と建設業などの間に入って重要な説明義務や管理代行などをする事で、宅地建物取引士(略称・宅建士)と呼ばれる資格がないと信用を得る事は出来ないという。今では笑い話となるが東京の専門学校へ行くも残念ながら資格を取る事は出来ずに親には謝ったと言う。20歳で帰郷してからの4年は下積みを重ね勉強しながら会社で働いた。そして24歳の時、念願の国家資格・宅建士を取得した。
 古賀さんは10年前も社長となった現在も基本的な考え方は変わらない。しかし変わっていく現状には対応しながら会社の運営を考えていきたいと語った。
 地域の未来の事を考えると一人では出来ない事の方が多い。これからは経済的にも厳しくなっていく事がわかっているからこれまで、これからの人との出会いを大切にして、いろんな分野で協力しながら会社も十和田市も良くしていきたいと想いを語った。
 気さくでフレンドリーな一面の他にある熱い想いや代表としての責任の重圧。これからの時間の使い方を考えながら仕事もプライベートもきちんとやれる人になりたいと語る古賀さんのこれからの活躍に期待したい。

雨ニモマケズ風ニモマケズ
ヘルメットをかぶった現場で働く女子監督
uemurahusae1.jpg
株式会社 みどり
工事部土木二課 植村 房恵さん

 今回スポットを当てたのは男性のイメージが強い土木建設業界で女性で現場監督となった(株)みどりの植村房恵さんだ。昭和61年7月26日生まれで八戸出身。小学生の頃から絵を書くのが好きだったが170cmの身長を活かし中学生の頃から今でも続けている柔道に青春を捧げる。それが美術の世界ではなく土木建設の業界へ進むきっかけとなったのかもしれない。
 八戸工業高校土木科を卒業し、八戸工業大学環境建設工学科に進学。測量や土木技能を学び卒業後は十和田市の建設会社に勤めるが諸事情により退社。休職中にフォークリフトや大型の免許を取得し、26歳の時にダンプの運転手として(株)みどりに入社する。しかし現場監督になりたかった想いを捨てきれずに仕事をしながら勉強し、難しいと言われる「一級土木施工管理技士」を若くして取得した。現在は現場監督として活躍し、道路や側溝などの外構工事を中心に施工し、必要な道具の準備や人員の管理、工程や現場写真を管理している。何もない景観から完成をイメージするのは難しいが自分が現場監督を任されたからには安全面はもちろん、作業途中も完成もきれいに仕上げたいと想いをもって仕事に取り組んでいると教えてくれた。そこには男性では気付かない女性の現場監督ならではの気配りや細かな目配りがあるんだと感じた。
 余談となるが植村さんは社内でラーメン部やカツカレー部に所属、趣味はスノボと柔道という体育会系女子だ。取材時間の1/3がラーメンの話しになる(笑)など性格もお笑いの道へ進めると思えるくらい面白い一面を見せる。これからも現場の第一線で働く女性として頑張って欲しいと感じた。

変わらない想いと新たな挑戦!
老舗の5代目に就任した仕事人
miyazamahitosi.jpg
プロフィール 昭和50年6月8日生まれ(40歳)
七戸町出身。野辺地工業高校(現野辺地西校)を卒業後、日本菓子専門学校に進学。卒業後はお菓子作りを学ぼうと福島の「太郎庵」で3年、仙台の「モリヤ」で2年、修行に励む。25歳の時に帰郷し、家業である(株)御菓子のみやきんに入社し、和菓子製造部で働く。5年ほど前に製造部から専務となり会社の運営などを学び、今年8月21日に代表取締役として就任した。

 今年8月に(株)御菓子のみやきんの5代目・代表取締役として就任した宮沢一史さんを訪ねた。七戸町出身で日本菓子専門学校を卒業後、味覚が近い東北の菓子舗で修行し、御菓子作りや運営などを学び25歳で帰郷。(株)御菓子のみやきんに入社し、和菓子製造部でお菓子作りを専門に励む。当時は季節商品や限定商品などがあまりなかったため開発にも携わり、通年販売商品のリニューアルや季節商品などを開発し売り上げを伸ばす。規模の拡大に伴い大量生産が必要となり、人の手だけではどうしても不揃いな商品も出来てしまうため出荷数と生産能力を上げるために機材設備を購入。しかし、機械では作れない手づくりのよさもあるため商品により使い分けていると教えてくれた。
 宮沢さんが帰郷してから15年で売り上げは当時の約3倍、店舗は4店舗から7店舗(3店舗が移転などで6店舗増)へ、今年12月においらせ町に8店舗目がオープンする。工場生産が追い付かなくなる事もたびたびあり、現在は新たに広い工場を探しているという嬉しい悩みを持つ。
 また、工場が拡大しても売り上げが伸びなければ意味がないので県外だけではなく国外にも実演販売などでシェアを広げようと挑戦。日本の和菓子の味覚(甘さ)が現地の人の口に合うかどうかの声を聞き、大きさや甘さを調整するという。40歳になってからNOVAに通うなど来年創業155周年となる御菓子のみやきんの5代目として会社を背負う宮沢さんは初代のお想いを忘れずにお客様に喜んでもらえる商品を変わらずに作り、新しい事にも挑戦していきたいと語った。

ご当地スイーツ選手権2連覇!!
  生涯修行中のお菓子の職人
ootakemasaki.jpg
プロフィール 昭和41年11月27日生まれ(48歳)
三本木高校を卒業後、東京製菓学校洋菓子科に進学。卒業後は埼玉で2年、東京で3年間働きながらフランス語を勉強。25歳の時にフランスに修行のために留学し、パリ・南フランス・シャンパーニ地方などを周りながら職人としての腕を磨く。阪神大震災がきっかけで日本に戻る事を決意。帰郷後は地域のため、会社のために今もなお修行を積み重ねる。

 全国ご当地スイーツ選手権を二連覇中の(株)大竹菓子舗の職人であり、専務取締役の大竹正貴さんを訪ねた。御菓子屋の家に生まれた大竹さんは迷うことなく製菓の道に進み、都会や海外で腕を磨き帰郷する。驚くのは当時十和田市ではまだ普及が遅れているネット販売に着目し、いち早く始めた事。今よりもシステムが難しく受注も発送も手間がかかるだけではなく、経理や営業やお菓子作りまで何でもやらなくてはならなかったため寝る間も惜しんで仕事に明け暮れていた。今思うとフランスでの修行時代にひたすらお菓子作りの技術を磨き、味を追求していた頃が一番楽しかったかもしれないと思い出す。
 昔はいいものを作れば売れる時代だったが今では工夫しても簡単には結果が出ない難しい時代になってきた。青森県産にこだわった食材を使用したり、県内外のイベントにもテナントで出展し販売するなど時代に対応した様々な手法で会社だけではなく青森県を盛り上げようと頑張っている。
 その取り組みの一つとして十和田の米粉を使ったスイーツがある。小麦アレルギーのお客様が増えてきたため生まれた商品だが、米粉の特徴としてデンプンの老化が早く扱いは難しい。諦めずに素材を研究し、完成までは約10年近くかかったという。その米粉を使ったスイーツで全国二連覇するのだからさすがとしか言いようがない。
 また、輸入の値段が高くなってきた事もあるが青森県産の食材で姿・形の悪く出荷出来ないものを全て引き取ってジャムやペーストとして活用するなど青果農家にとっても必要な存在となっている。米粉から果物まで青森県の魅力を全国に伝える菓子舗としてこれからも活躍に注目していきたい。

 人のために人を想う行動力
会社を守る情報管理の仕分け人
iwamatakasi.jpg
プロフィール 昭和35年12月19日生まれ(54歳)
三本木高校を卒業後、神奈川県にある東海大学に進学。税理士を目指し大原簿記学校に入学し、税理士の受験に合格する。帰郷してからは2年以上の実務経験を積み平成6年に税理士登録し、家業である税理士事務所に入社する。創業は昭和48年、父親が開業するも平成11年に病で亡くなってから所長として就任した。

 今回は会社や個人の会計、税金の納付の指導や代行などを管理する岩間貴税理士事務所を訪ねた。お堅い仕事の代表のような職種に怖いイメージがあったが岩間さんは普通に笑顔で迎えてくれた。
 税理士の仕事は会計業務から税金の計算まで個人や会社の中身を知る重大な責任のある仕事。電子申告の普及や来年からはマイナンバー制度の運用が開始されることから情報は決して外に漏れることのないようにパソコンのセキュリティー問題には気を付けて強化しているという。例えると身体のどこが悪いのかを診断し、見付けて病気を治す医者のような仕事のように思えた。
 岩間さんは父親が開業した税理士という仕事を中学生の頃から何となく見て育った。その頃は税理士を目指していたのではないが、大学生の時に父の仕事に興味を持ち、将来は助けてあげたいという気持ちが芽生え、税理士になる事を決めたという。
 平成5年に十和田青年会議所(JC)に入会する。各部の委員長などにはならなかったが専務理事などの経験と仕事柄か日本青年会議所に出向した。そこでは会計監査グループの代表として活動し、様々な事を学んだ。また、二人の子供にも恵まれたため学校側からはPTAの役員も頼まれ、各学校のPTAを取りまとめる十和田市連合PTAの会長も務める。ほとんどの時間を余裕もなく仕事・JC・PTAに費やしてきた。現在はPTA活動で青少年の様々な問題に考えさせられる事も多いという。仕事も同じく、まずは人の気持ちを考えられるように自分自身の気持ちに余裕を持っていきたいと語った。

 会社と同じ時間を生きる仕事人
生き物を育てて見送る感謝の食育
husehisasi.jpg
プロフィール 昭和35年10月19日生まれ(54歳)
三本木高校卒業後、函館大学に進学。意外にも学生時代はハンドボールで全国大会へ出場するなどスポーツへ熱心に打ち込んでいた一面を持つ。大学卒業後は建材関係の卸問屋に勤めていたが、24歳の時に婿養子として結婚し、後継者として(有)布名林養鶏商事に入社する。平成13年に(株)フナバヤシと社名変更すると同時に社長として就任した。

 今回は養鶏や養豚で卵や鳥の丸焼き、豚肉などを販売している株式会社フナバヤシの代表取締役社長の布施久さんを訪ねた。25歳の時に婿養子として結婚し、会社を拡大し、子宝にも恵まれる。物静かな口調だが坦々と聞きたいことを笑顔で答えてくれる心に余裕のある人だと感じた。
 偶然にも会社の創業と同じ年に生まれた布施さん。結婚した入社当時は(有)布名林養鶏商事だった。今では珍しいが、当時は市内の民家に鶏を預けてエサと卵を交換するという委託生産をしていたという。また、25歳から入会していた十和田青年会議所(JC)の40代理事長を務め、そこで学んだ事、つないだ人脈を活かし、平成13年に株式会社フナバヤシと社名を変更し、代表取締役社長として就任した。
 昭和44年、安定生産を目的にグループ会社(有)ふなばやし農産を設立。安心・安全はもとより、高付加価値を求め、管理に高度な技術を要す「無薬豚」に挑戦。今では年間3万頭を出荷、鶏卵は2千t以上の生産を実現し、地域を代表とする企業となった。
 他にも農場ではシャワーイン・シャワーアウト(菌を中にも外にも持ち込まない)を徹底している事や、食べる生き物に感謝の気持ちを込めて鎮魂祭を毎年やっている事、卵の黄身の色は食べるエサの色素で変わる事(緑色も作れる)、卵は産まれてから4日目が一番美味しいなど色々と教えてくれた。
 また、記念日やイベントには電話予約で熱々の鶏の丸焼きを提供するなど大手では出来ないようなサービスも考えてお客様のニーズに対応していきたいと語ってくれた。電話予約は0176‐23‐4225迄

身体を動かす事が大好きな
オールシーズンの趣味を持つスーパーウーマン
ionouetukako.jpg
 今回スポットを当てたのは十和田市を代表する建設会社の一つ、株式会社福萬組の御令嬢・井上司子さんだ。井上さんは昭和60年5月28日に生まれ、学生時代はバスケットボールに熱意を注ぐ。三本木高等学校を卒業後、マサチューセッツ州のセーラム州立大学に留学した。そこではスポーツイベントなどの企画や経理などを学ぶスポーツマネージメントを専攻。卒業後はアメリカのスポーツジムで働きながらも色々と悩む事もあり、日本に戻るかアメリカに残るかを考える時期もあった。そんな時に御祖父さん(福萬組の創業者)が亡くなり2008年に帰国することになる。その当時、営業部長だった小笠原さん(現常務)に声を掛けられ2009年4月に株式会社福萬組へ入社する運びとなった。
 始めは総務課に配属され会社の流れを学びながら覚えた。その後、広報室長となり会社のホームページや広告などを担当する。まずは会社のイメージアップのために事務から作業員、関連会社の社員や役職のある偉い人から社長までを「AKB48」の音楽に合わせて踊らせた「恋するフォーチュンクッキー福萬ver.」を作成し、市内でも話題となった。他にも運動会を企画するなど会社と会社、事務と現場、男性と女性、若手と年輩の方々とのコミュニケーションの場を作り、交流を深める事で仕事の環境(雰囲気)を変える事を目指した。今でも建設・土木関係の仕事は男社会で技術者も男が多いのはしょうがない事、昔の3K(きつい・きたない・きけん)のイメージもあり若い世代も少なくなっている。働きたい女性にとって将来の仕事の選択肢に建設業もあって欲しいと考え、これからも「笑顔」を会社全体のモットーとし、楽しい職場作りを目指す。
※追記...平成28年、常務取締役から副社長に昇進。
笑顔のある女性も働ける会社をPRするホームページも開設...www.fukumangumi.com
十和田市に住む人の声を聞く癒し系女子
hasibayuuko.jpg
マイシティハウス(有)橋場不動産
(有)アットホームサービス
専務取締役 宅地建物取引士
 今回スポットを当てたのは橋場不動産の愛娘、橋場悠子さんだ。昭和60年12月25日のクリスマスに生まれたという強運!?を持つ。三本木高等学校を卒業後、明治大学に進学。卒業してからは東京の証券会社に入社した。一分一秒を争う仕事で当時はとにかく毎日が忙しく、必死に社会の流れを学んだ。
 25歳で帰郷することとなり家業の(有)橋場不動産に入社する。いつの間にか「せっかち」になってしまった自分の性格を直すために普段から「ゆっくり・ゆったり・たんたんと」を意識して行動しているという。
 土地や建物など動かない物から利益を産むのが不動産業、しかし入居してからは動かない銅像などではなく感情のある「ひと」との長い付き合いとなる。大家さん代行としてお客様の様々なトラブルや要望に対応するために(有)アットホームサービスで管理業をメインに働いている。そのため24時間体制でクレームや困っている人からの電話も受け付けているために残業もあり、働く女性には厳しい職場だと感じた。
 心にゆとりを持つことがお客様の話しをよく聞く姿勢を持つことだと考え、もっとワークライフバランスを大切にして欲しいと思い、ノルマ的な目標は掲げず、当たり前の事を坦々とやり続け、残業を少なくする。近江商人の言葉で「三方良し」とある。売り手よし、買い手よし、世間よしとお互いにプラスになるように心掛け、さらに会社よしとしていきたいと語った。よい職場の雰囲気がお客様にも伝わるように今日もゆったり坦々と働く。


1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11