はたらくひと必読!仕事人!!

ゆるキャラを超えた十和田市の生キャラ!?
 B‐1グランプリ十和田開催まであと[23日]
  まちおこしの想いを実現する偉業の仕事人!!
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十和田バラ焼きゼミナール
舌校長 畑中 宏之
プロフィール 昭和38年8月21日生まれ(52歳)
三本木高校を卒業後、沖縄大学に進学。途中自主退学をし放浪の旅に出る。28歳で帰郷し、家業である美容室山野を継ぐ。地域の人を知ろうと十和田青年会議所(JC)と商工会議所青年部(YEG)に入会。そこで社会奉仕のためのボランティア活動やまちおこし運動について学んだ。まちおこしツールの一つの手段として平成22年からB‐1グランプリ(厚木大会)に初出展する。さまざまな十和田市の魅力を全国へ発信しながら、去年の郡山大会で見事にゴールドグランプリを受賞した。そして今年の十和田市開催に最も貢献した立役者だと誰もが認めるであろう人だ。

 今回は毎日が24時間では足りないくらい多忙な日々を送っているであろう美容室山野のマネージャーでもあり、十和田バラ焼きゼミナールの舌校長・畑中宏之氏を訪ねた。ヒゲ面に薔薇をあしらった黒のタキシードで十和田市のゆるキャラではなく「生キャラ」として全国に魅力を発信し続けている。畑中氏は高校時代に生徒会長に立候補しても危険だと判断され先生に止められる(笑)その後、大学へ進学しても中退し、世界を見るため放浪の旅に出る(驚)など、人とは違った感性を感じさせる破天荒な一面を昔から持っていた。
 28歳の時に帰郷し家業を継ぐ。地域と人を知るために十和田青年会議所と十和田商工会青年部の2つに入会。そこで学んだものは「まちづくり」と「ひとづくり」の大切さ、社会奉仕活動とは何のためなのか、地域活性化のために自分たちが出来る事とは、仲間と未来を熱く語り、十和田市のために何かを実行したいとの想いは強くなる。それが今年開催されるB‐1グランプリin十和田につながったことは言うまでもない。
 平成22年にたった15名から始まったまちおこしのための小さな取り組みは現在では全国、世界からも注目を受ける大きな活動となって十和田市の魅力を発信し続けている。今では見慣れ聞きなれた畑中氏のキャラも、当時は奇抜な格好や言葉に地元市民からはバカにされることがあった。それでも「十和田市のため」にと揺るぎない信念の主張は変わる事なく、高校生や小学生を巻き込んでの取り組みや被災地の復興支援の活動などが全国メディアにも取り上げられる。5年という苦悩の年月を駆けてゴールドグランプリを受賞した喜びと感動は一生忘れる事が出来ないと語る。
 畑中氏はバラ焼きを売る事が目的でもなく十和田市で開催することも目的ではない、それをきっかけに大人から子どもまで「まちの人の意識を変える」きっかけになればいいと思うと語ってくれた。B‐1開催地の大きな経済効果は過去に実証されているが大切なのはその後にどうやってまちを発展させていくかで、次の世代には同じことではなく馬でも苔でもいいから何か十和田市の魅力を発信するための挑戦をして欲しいと語る。バラ焼きを通して知る事の出来た十和田市の歴史のある自然や建物、自慢できる地産品、地域愛溢れる子どもたち、まちの魅力を発信していくことで魅力のあるまちになってきたと感じた。
 9月10日時点でB‐1グランプリin十和田開催まであと23日となる。畑中氏はワクワクとドキドキと不安と緊張が止まらない。いまは全国から来てくれる人たちに「十和田スタイルのおもてなし」を全力でやりたいと語る。人口約6万人の小さなまちに何倍もの来場者が訪れる十和田市過去最大のまちおこしの祭典に期待と興奮を覚える。また、十和田開催に向けての企画の一つとして、まちおこしのために競争ではなく共闘している同志らが九州大分から「363日生花(薔薇)リレー」を出発したことを教えてくれた。十和田開催を成功させたい全国のみんなの熱い想いを繋げて10月2日に青森県十和田市に到着する予定だ。
 郡山大会へ参加した人なら分かるが、会場までの道のりにあるお店の人たちが店頭に出て何万人という来場者一人一人に「ようこそ郡山へ!」と笑顔で声を掛けてくれていた。畑中氏は十和田市開催ではおもてなす側として恥ずかしがらずに「ボンジュール!ようこそ十和田へ!」と声を掛けてもらえれば嬉しいと語った。まちのために子どもたちのために、この魅力ある十和田市民の一人として自信を持って声を掛けようと思う。

地域とひとの足となる仕事
 まちと人とのつながりを道に走る
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プロフィール 昭和48年12月7日生まれ(41歳)
三本木高校卒業後、青森大学に進学。大学時代に2種免許を取得し、卒業後に十和田タクシーに入社する。運転手から始めて経理や事務作業などの仕事も覚えながら働き、28歳で代表取締役に就任する。
 平成9年に十和田青年会議所に入会し2011年、東日本大震災の年に55代目理事長として就任した。現在は十和田タクシー協会の会長も務め、旅客運送業として安心と安全を運んでいる。

 今回は現十和田タクシー協会の会長も務め、昭和25年に創業した十和田タクシー(株)を継いで、若くして代表取締役となった田中宏一さんを訪ねた。
 重い肩書きにとらわれず、明るい性格で敵を作らないようなイメージがある田中さん。意外にも2歳で父親を病気で亡くし、両親がいないことが当たり前で2歳にして土地や権利を受け継いだ事となった。父親の記憶がほとんどないまま幼少の頃から会社を継ぐ事だけは決まっていた。三本木高校へ進学し、青森大学で二種免許を取得し、卒業後に十和田タクシーに入社、28歳の若さで代表取締役となる。ストレートにエリートコースを歩き、不自由なく人生を進んでいるようにも見えるが、早くして自立しなければならなかった事情があり、親の敷いたレールの上を歩く事は出来ず、親の残したレールの続きを敷いているのだと思えた。
 タクシー会社の仕事を始めた頃は「仕事を覚える事」以外にも「道を覚えること」や「人を覚える事」など、営業から業務まで何でも覚えなければならなかった。昔は70名ほど運転手がいた時代があったが少しずつ車社会となり、タクシー業(旅客運送業)は維持費や人件費が多くかかるため、決して大きく儲かるわけではなく、地道に少しずつ稼いでいかなくてはならない。会社を運営し、まちとひとを覚えるためにも何か行動をしなければならない。平成9年に青年会議所に入会した理由の一つでもあるだろう。55代目の理事長を務める事となった2011年、東日本大震災があった。誰もが苦しく助け合わなくては乗り越えていかなくてはいけない年を理事長として務める事が出来たのは田中さんだからだったのかもしれない。車に乗れない高齢者や観光客など、タクシーが必要なお客様がいる限り、地域の足となって頑張りたいと語った。

バラゼミと出会い
地元を愛する事を決めた
期待の新社会人
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プロフィール 平成8年7月1日生まれ(19歳)
旧十和田湖町出身、青森県立十和田西高等学校に進学。十和田バラ焼きゼミナールPRセンターのPR班として1年生の時からバラゼミと共に活動する。3年生の時にB‐1グランプリin郡山でゴールドグランプリを受賞した時のメンバーでもあり、地元に残りたいと卒業後、中沢水道設備工業(株)に就職する。

 今回「仕事人」のコーナーでは初の平成生まれ、西村公輔さんを訪ねた。西村さんは今年4月に中沢水道設備工業(株)に入社したばかりの新人社会人だ。十和田市だけの問題ではないが地方ほど地元に就職(進学)する数は少なく、地元雇用が地域の活性化、少子高齢化問題、発展にもつながるのだから有り難い人材だとも言える。水道メーターの交換や配管の交換作業など、まだ言われた事を言われたように出来ない事が難しいと苦笑いする。
 そんな西村さんは十和田西校の卒業生、あのゴールドグランプリを受賞した年のメンバーだ。一年生で入学してから十和田バラ焼きPRセンターの一員として活動する。初めて行った北九州の小倉大会では麺文化のまちで初の10位。当時、一年生で参加したのは自分一人。とにかく一生懸命だった思い出を振り返る。
 翌年の愛知県の豊川大会では見事にシルバーグランプリを受賞。PR隊として来場者に声を掛け続けた。当初は通行者もあまり話しを聞いてくれず、気持ちが折れそうになった事もある。地道な活動が少しずつ注目され、今よりもっと頑張ろうと感じた。バラゼミメンバーと震災復興支援で被災地に行ったこと、思ってたよりも現地の人が明るく、励まそうと思って逆に元気をもらった体験は忘れられないと語った。そして3年生の福島県郡山大会ではゴールドグランプリを受賞した。それまでの活動を思い出し、すごく辛くてすごく楽しかったと語る。普通の高校生だったら絶対に体験できない感動。ただ一生懸命だった頃から今よりもっと頑張りたい。自分に出来るおもてなしは来場者に楽しんでもらう事など、西村さんの思い出を聞いていると一年ごとにしっかりと物事の見方や考え方が変わってきているのだと感じた。地元に就職を決めたのも十和田市を好きになったからと笑顔で語る。これから何があるかわからないから楽しみだと言える若者の将来が楽しみだと感じた。

十和田市馬事公苑 指定管理者 NPO法人十和田馬主協会
十和田市馬事公苑駒っこランド牧場課 係長
馬の街・十和田市にある馬事公苑
駒っこ牧場で働き、人と馬と触れ合う女性
高橋 佳子さん
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 今回スポットを当てたのは十和田市馬事公苑(駒っこランド)の駒っこ牧場に勤める高橋佳子さんだ。六戸町出身、昭和64年1月1日に生まれ、小さい頃におじいちゃんが馬を飼っていたことがきっかけで動物に興味を持ち、三本木農業高等学校に進学。そこで馬術部に入り、馬と触れ合う。将来は動物に携わる仕事がしたいと日本獣医生命科学大学動物科学課に進学し学んだ。卒業式の日が東日本大震災だった忘れられない思い出もあるが無事、十和田市馬事公苑に就職が決まり、パートとして1年間働く。馬事公苑は主に交流館、称徳館、駒っこ牧場と3つに課が分類されている。次年度に駒っこ牧場の正社員となり、知識と経験を認められ入社4年で牧場課の係長となり、若くして責任者として働いている。
 馬事公苑は今年で10周年となるがまだ訪れていない人はたくさんいると思う。イベントや企画展示などを機会に訪れてもらい、知らない人にも駒っこランド牧場の事を知ってもらいたいと語った。月曜日は休苑日、現在13頭いる可愛い馬にも触れ合えるように8月は毎週日曜日に小中学生を対象に馬のえさやりや手入れ、乗馬まで体験できる夏休み企画「牧場の朝を体験しよう!」を実施している。お問い合わせは...0176‐20‐6022まで。

「Pray for the EARTH2015」「TMG48」など
まちの活性化のためにボランティアで取り組む。
「ドリームガールズ」で歌って踊れる事務局職員
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 今回スポットを当てたのは十和田市内の全294ある町内会をまとめている連合会の事務局で仕事をしている生出恵美子さんだ。昭和59年12月28日に生まれ14歳離れた兄と二人兄弟、十和田西高等学校を卒業後、映像や企画、制作などを学ぶ専門学校に進学し、卒業後は日テレ系列の制作会社で働いた。テレビの番組制作などで楽しくも忙しい時間を過ごしていたが、地元に1人残った母親が心配で27歳で帰郷し、現在の事務局の仕事に就いた。身体に染み込んだ性分か、今まで時間の不規則な仕事に慣れてしまっているために、決められた勤務時間が終わってからの空いている時間の使い方を考えるようになった。帰郷当時は地元にはあまり知り合いが多くなかったが生出さんの経歴を知る知人に誘われ、いろいろなイベントやボランティアなどに呼ばれるようになる。東日本大震災のイベント「Pray for the EARTH2015」の実行委員長を任せられたり、TMG48(十和田もてなしガールズ)花組のメンバーにも入会した。また、友達の結婚式の余興がきっかけでシュープリームスという歌手の完コピグループ「ドリームガールズ」を結成し歌って踊るなど忙しくも充実した毎日を過ごしている。これからも十和田市を盛り上げるであろうメンバーの一人として応援したい。

奥入瀬から浪漫と魅力を発信する
 十和田湖へ行く道の駅にいる仕事人
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プロフィール 昭和39年2月24日生まれ(51歳)
三本木高等学校を卒業後、東京の生地のデザインをする会社へ就職。3年間学び、もっと勉強したいと大阪へ転勤、バーバリーなどのメンズスーツのデザインを手掛けていたが、家業を継ぐために27歳の時に帰郷した。家業は全く違う職種で子ノ口の民宿をやっていた。勉強のため、奥入瀬グランドホテルと富士屋ホテルで勤めたが、約16年ほど前にバイパスを通すルートに民宿が入っていたために売却することとなった。そんな時に知人の紹介で平成9年7月から奥入瀬麦酒館のオープンと共にフロアマネージャーとして転職し、現在は味蕾館・麦酒館の店長として地域活性化に貢献している。

 今回は奥入瀬ろまんパークにある味蕾館と麦酒館の店長を務める小笠原省造さんを訪ねた。もともとは生地のデザイン系の仕事から始まった小笠原さんの職歴は家業が民宿という家に生まれたために手伝うことになり帰郷し、それからホテルのフロントから飲食業のホール、フロアマネージメントまでと転機のある人生を歩んできたようだ。
 おいらせの地ビールとして源流水を使い「アジアビアカップ」で2013年には「ハーフ&ハーフ」2015年には「ダークラガー」がゴールドメダルを受賞している。美味しい水で作った生のビールはビール酵母が活きているから抜群に美味しい。そんな奥入瀬の魅力を県外に発信しようと地ビールだけではなく、ソフトクリームや飲むヨーグルトなどの地産品を売りに歩いている。県外で売り上げを上げることは外貨を稼ぐことになり地域活性化につながる活動だと語る。残念ながら県外での活動は地元の人にはあまり知られていないが素晴らしい活動だといえるだろう。
 あまり知られていなかった県外での活動をしている幼馴染が、今では誰でも知っているバラゼミの舌校長の畑中氏だ。地域を見て地域を考える姿勢と地域の魅力を県外に発信することで地域に還元する活動はどこか似ているのかもしれない。
 余談となるが約3年前に結婚して子どもを授かった。今から子育てが楽しみだと語る。最後にもらった一言は「飲み過ぎには注意しよう!」だった。過去にお酒で失敗した事があるのだろう(笑)と思いながら、それを笑いながら言ってくれた言葉に小笠原さんらしさが出ていたように感じた。

マイクでまちを盛り上げる芸人の素顔は
   農機で土地を耕す土力の達人
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プロフィール 昭和48年2月14日生まれ(42歳)
三本木農業高等学校農業科を卒業後、実家が農家のため後を継ぐことは決まっていたがコンピューター関係の専門学校に進学し、卒業後は横浜へ就職した。23歳の時に帰郷し、実家の仕事を手伝いながら農繁期には休みを調整できる舗装工事や除雪の仕事をする兼業農家として働いていた。不幸にも25歳の時に父親を事故で亡くし、家業を継ぎ、39歳で山端グリーンファームと会社を立ち上げた。

 去年のハピコンやストリートフェスタ、今年の夏踊りや7月12日に開催される十和田ロックフェスティバル2015、八戸市長杯(カクテルコンペ)などの多彩なイベントのMC(司会)を務める山端潤一さんを訪ねた。
 自身もフレアバーテンダーをするなど、様々なイベント会場で活躍する山端さんは、派手なパフォーマンス、力強く太い声、色黒で大きい身体をしている。そして、本業は意外にも「農業」である。
 農業を営む家に生まれ、家業を継ぐ。それに反発するかのようにコンピューター関係の専門学校に進学し、横浜へ就職した。23歳で帰ってきた頃は農業は手伝いながら農繁期には時間調整が出来る舗装工事などの仕事をし、兼業農家として働いていた。そんな時に、不幸にも25歳の若さで父親を事故で失う。その辛い体験から、もしかしたら生きているうちに楽しんで色々やってみようと、今の行動力が生まれたのかもしれないと感じた。趣味はプロレスや青森ワッツの試合を観ることだと笑顔で語る山端さんは、フロアバーテンダーを初めて見た時に「町を盛り上げるイベントしよう!」と知り合いを集めて企画した。その時に初めて挑戦したMCが評判が良く、続けているうちに様々なイベントから声が掛かるようになってきた。イベントに参加することで、また知り合いを増やし、次のイベントへと仕事(MC)がつながっていく。本業(農家)以外に、農協や消防団など肩書きや役職は増えて時間は減っていく中で、趣味(MC)は人のつながりという財産を増やしているのだろう。
 山端さんは将来、地元(牛鍵)に直売所を作るのが夢だと語ってくれた。売買するだけではなく、会話を楽しめる地域の交流の場にもなればと考えている。近い将来に実現することを期待したいと感じた。

家業を継ぎながらも、自分の夢を叶え、
ケーキ作りで幸せを与え合う
すぱげ亭の看板娘
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 今回スポットを当てたのは十和田市にある「すぱげ亭」の看板娘の目時早さん、昭和60年2月11日に生まれ、今年の5月にめでたく入籍したばかりの新婚さんだ。そして意外にも家業であるすぱげ亭は副業で、本業は「ケーキ作り」。お店をかまえているわけではなく、ケーキ作りの工場があり、電話で注文を受ける完全オーダー制。1人で作っているため大量生産は難しいが、お客様の要望や相談に合わせたケーキを一つ一つ作ることができるのが強みと語る。創業40年となるパスタをメインとする家業に生まれながらも、小さい頃からケーキ屋さんになりたい夢を叶えるためにお菓子作りの専門学校に進学した。外国にも勉強のために自分で貯金を貯めて留学した経験は広い視野と気持ちをもつことに気付けた貴重な体験だと語る。自分の行動に対する両親の理解と支えは今でも感謝をしていると恩返しの気持ちでお店を手伝っている。もちろんバイト感覚ではなく、お店に来てくれたお客様に美味しい料理を美味しく食べてもらう雰囲気作りはホールの役割と仕事に対する姿勢も忘れてはいない。夜は同敷地内にある餃子食堂で働き、ケーキ作りは早朝、休憩時間、仕事終わりなど迷惑をかけないように空いている時間の隙間を埋めるように働いている女性だ。

 時代の流れと共に進化する写真
ひとの歴史と未来をうつす仕事人
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プロフィール 昭和36年2月8日生まれ(54歳)
七戸町出身、三本木高等学校を卒業後、日本大学芸術学部写真学科に進学し、東京で就職しコマーシャルフォト(広告営業写真)の仕事を13年間学ぶ。母親が病で倒れたことをきっかけに帰郷し家業を継ぐ。52歳で代表取締役として就任し、現在は3Dプリンターでのフィギア作成など新しい事に取り組み続けている。

 今回は何かと話題になっている3Dプリンタのフィギア制作やマタニティを対象にしたボディペイント写真(ベリーペイント)など新しいものに取り組んでいる株式会社 写真のオクヤマの代表取締役・奥山洋一さんを訪ねた。
 写真のオクヤマの創業は昭和10年。設置カメラでフイルムに焼いて暗室で現像する、今ではテレビでも見る事がなくなった古き時代、三代目となる奥山さんの大学時代はポータブルカメラが少しずつ普及されてきた時代だった。当時のセンシトメトリー(感光材料の感度測定)の権威である教授から「君たちが今から学校で学ぶ事は、将来、まったく役に立たなくなる」とはっきり言われたことは今でも忘れられないと語る。それを証明するかのようにカメラは携帯型となり、デジタル化し、画像解析は高くなるなど急激な進化を遂げてきた。
 写真の「あるある話し」の一つ、大掃除の時に昔の写真アルバムをつい見てしまうと懐かしさが溢れて止まらなくなる。そんな想いに共感できる時代があった。
 しかし、時代の流れか現代ではカメラではなく携帯電話の電子映像としてデータに保管し、SNSなどに投稿して終わり。データが消えると思い出を残すことさえ出来なくなるのは残念だとも思う。写真を現像する人も減ってきている。写真屋として何とかしなくてはいけない現状に、写真の良さを伝えるだけではなく、新しいアイディアで顧客を呼ぶ事も必要だと感じた。
 写真のオクヤマでは時期企画の撮影会や写真展を開催したり、、3Dフィギアの制作をしたり、ベリーペイントなど様々な事に挑戦している。時代の流れや技術の進化にいま何が自分に必要か、自分の価値が何なのかを考えなければいけないと笑いながら語ってくれた。

一枚の雑巾から誕生した まちを綺麗にする仕事
   感謝と誠意で出会いをつなぐ仕事人
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プロフィール 昭和40年3月3日生まれ(50歳)
むつ市で生まれ2歳の時に十和田市へ引っ越してきた。今から47年前に当時はあまり耳にしなかったダスキンの「フランチャイズ加盟店」として父親が起業した。開業当初は西三番町に店舗を構え、それから売り上げを伸ばし、従業員を増やし、規模を少しずつ拡大しながら現在の会社の場所が4回目の移転先となる。三本木高校を卒業後、大学に進学し、帰郷してからすぐに会社に入社し、同時期に十和田JCに入会した。そして、40歳で青年会議所の48代目の理事長を務めた多忙なその年に残念ながら父親が亡くなり、代表取締役として急遽就任し10年目となり会社を支える。

 十和田市から4号バイパスを抜け東北町に向かう途中、右手に見える株式会社ダスキンカキモト十和田店の代表取締役・柿本聡さんを訪ねた。
 最近では「B‐1応援マット」で十和田市の「おもてなし」を形として見せて地域を盛り上げている。メインのマットやモップのレンタル以外にもミスタードーナッツ、浄水や空調などの多面的なサービス事業に取り組み、市民とは馴染みのあるダスキンは今年で創業50周年となる。偶然にも誕生が同じ年となる柿本さんは3歳の頃から起業した父親の背中とダスキンの仕事を見続けていた。
 大学を卒業後、帰郷してから後継ぎとして会社に入社、同時期に十和田青年会議所にも入会する。柿本さんは22歳の若さで入会し、40歳の年に第48代目の理事長に就任。そんな忙しくもある時期に、不幸にも父親が他界した。代表取締役として急遽引き継ぎをする事にもなり、悲しむ間もないほどに人生で一番忙しく大変な時期だったと語る。
 苦しい時はあったが性格的に笑って進めた事、その頃に十和田JCで得た知識や人脈は多く、多忙な時期を乗り越えられた経験が自信となり、今の柿本さんを支えているんだと感じた。
 余談となるが今は聞きなれたダスキンの社名、初めは一枚のぞうきんから始まり社名は「株式会社ぞうきん」になりそうだったが役員の反対もあり、ダスト+ぞうきんで「ダスキン」となったと教えてくれた。また、49歳でめでたく結婚したと照れながら教えてくれた。
 地域を盛り上げるためにバラゼミとコラボで作製した「B‐1応援マット」は緑色・赤色・灰色の3種類、サイズはSとLがある。お問い合わせは...ダスキンカキモトフリーダイヤル/0120‐45‐0076まで

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