はたらくひと必読!仕事人!!

元気があれば何でも出来る!
紅馬で十和田を駆ける設備屋さん
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プロフィール 昭和42年4月21日生まれ(48歳)
三本木農業高等学校を卒業後、中央工学校建築設備科へ進学。卒業後、東京の設備会社に就職し、約4年半勤めたが、父親が体調を壊したことをきっかけに帰郷し(株)成田設備に入社した。現場で下積みを重ね、28歳で常務取締役、34歳の時に(株)成田設備の代表として就任した。また、十和田青年会議所(JC)に28歳で入会し、39歳の時に第50代目の理事長として大きく地域に貢献した経歴を持ち、40歳で「十和田ラグビースクールRED HORSE」を立ち上げるなど、スポーツを通して青少年育成に取り組む一面も持っている。

 パワーズUの裏手側の通りにある株式会社成田設備を訪ねると、少し強持ての顔と太く甘い声で代表の成田一郎さんが迎えてくれた。仕事の事を聞くと、大きな建物は設計・建築・設備・電気などの分野が入札し、造られる。会社の仕事は建設設備という業種に区分けられ、大きな建物の水道や排水、空調や換気、酸素配管や油配管など工事も細かく分けられ、主に設備工事を請け負っていると教えてくれた。
 成田さんは第50代目の十和田JC理事長として務め、節目の企画として青年フォーラムを実行。十和田市の元気を見せつけ成功を収め、翌年に卒業した経歴を持つ。卒業してからJCの青少年育成委員会に所属していた頃に感じていた想い、現在は子供が身体を動かす遊びから学べる環境がない。外は危ないから家の中でゲームがほとんどで「ゲーム脳」は社会問題にもなっている。想いを形にしようと約9年前(40歳の頃)に「十和田ラグビースクールREDHORSE」を立ち上げた。7人制ラグビーが2016年にオリンピックの正式種目となりラグビー業界は盛り上がっている。ラグビーは社会の縮図だとも言われている程、役割分担がはっきりしているスポーツだ。主張が目立つスポーツ種目の中でラグビーは犠牲の精神がなければ出来ない。One for ALL&ALL for One(1人はみんなのために!みんなは1人のために!)は有名な名言だ。また、平成25年に「総合型スポーツクラブREDHORSE」と改組し、ラグビー以外にも陸上競技やヨガ、ルーシーダットンなど活動の輪を広げている。団員は募集中!興味のある方は連絡を!
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 今回スポットを当てたのは十和田市民交流プラザの愛称を一般応募し、「トワーレ」と名付け、見事に選ばれた「渡辺真奈美」さんだ。
 昭和60年7月6日生まれの29歳。3人兄弟の長女として生まれ、小学生から大学生まで学生時代は吹奏楽を続けていた。実力も運も兼ね備え、卒業と共にすぐに教員として採用され三沢市の木崎野小学校に勤務する。三沢クレールウィンドオーケストラにも入団するが、運命の出会いから結婚し出産、育児に専念するために残念ながら音楽からは少し手を離れる。その後、東北町の甲地小学校へ転勤となるが今年の2月にめでたく2人目を出産し、育休を取っていた。そんな時に目についたのが市民交流プラザの愛称応募、市民交流プラザが十和田市民の交流の場として人と人をつなぎ、輪になれば...から組み合わせて連想し「トワーレ」と考えたと言う。選出されたのにはびっくりしたが、将来子供たちと歩いているときに「ここの愛称はママが付けたんだよ。」と言えれば嬉しいと語った。これからの目標は生まれた子ども2人が女の子だったこともあり、3人目に男の子が欲しいと教えてくれた。

白衣の戦士の公務員
大切な命と向き合う看護師長
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 姥神 佐奈江さん
プロフィール 昭和39年7月19日(50歳)
十和田出身で五戸高校を卒業後、北里看護専門学校(旧名)で正看護師を取得。北里大学病院で3年間勤務したのちに帰郷した。24歳の頃は夜勤専務(非常勤)として働いていたが、平成2年から十和田市立中央病院に正職員として勤めた。現在は看護師長として外来で医者と患者の掛け橋をしながら看護師らを管理する。

 今回は十和田市立中央病院で働く看護師長の姥神佐奈江さんを訪ねた。テレビを見てての影響か看護師長という役職は看護師を厳しく指導する立場にもあるために怖いというイメージはあったが、姥神さんは人と話しをするのが好きで意外にも趣味は押し花だと教えてくれた。また、ドライブも趣味の一つでじっと家にいることは少ないという行動派な一面も見せる。
 看護師という仕事は患者に一番近い場所で接し、医者に正確に患者の様子を伝えなくてはならない。医者と患者の掛け橋となって医療に間違いのないように手助けし、命を守る責任のある仕事に誇りを持っている。今は看護師長となったため看護師の管理指導にもあたる仕事も兼ねている。人の死とも向き合い、大変な事や辛いことも今までたくさんあったが患者との何気ない会話が楽しみで頑張っていられると教えてくれた。若い時は患者が息を引き取ることも目の当りにして泣いていた時期もあったという。人命に関わる職種である看護師。「白衣の天使」とは誰がどんな意味でつけたのだろうかと考えさせられてしまう。
 そんな姥神さんの意外なもう一つの顔はバラゼミメンバーの一人だということ。畑中氏とは昔からの知り合いだったが互いに忙しくなり、しばらくは音信不通だったというが何かのきっかけで声が掛かり、北海道・東北B‐1グランプリから参加することとなったという。次の十和田大会では正式に要請があればボランティア活動に参加したい看護師仲間もいるという。十和田市立中央病院の看護師が心強いボランティアメンバーとして協力してくれるなら、参加者の安心も増えることだろうと感じた。

仕事でまちを盛り上げる
 まつりでひとを盛り上げる建設人
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小川 秀樹さん
プロフィール 昭和43年12月13日生まれ(46歳)
旧十和田湖町で生まれ、三本木高校を卒業後、大東文化大学法学部法律学科へ進学。卒業後は東京のエルカクエイという不動産会社に勤めた。業務は主に不動産の仲介などをしていたが25歳で帰郷し(株)小松建設に入社する。

 今回は十和田三沢線を三沢方面へ向かうと左手に見える株式会社小松建設の小川秀樹さんを訪ねた。創業は昭和43年、小川建材から始まった会社は基礎工事やブロック積などを主に引き受けていたが、徐々に社員も仕事量も増え、会社として大きくなってきたため、昭和51年に移転し、株式会社小松建設を設立した。それからは建築工事や道路工事等、公共工事なども受注し始めた。
 25歳で帰郷した小川さんは、会社では作業を覚え、外では顔を覚えてもらう事が最初の仕事となった。その手段の一つとして十和田青年会議所(JC)に入会し、いろいろな人と知り合ったという。当時は100名ほどいたメンバーの中で半分以上が建設関係の仕事をしている人がいる中、それ以外の人との交流も大切にしてきた。
 会社を大きくし、十和田市を盛り上げ、JCでも何かを残そうと2006年に「青年フォーラム」を仲間と企画した。市外から来る人たちに「十和田市の元気」を見せるために祭りをテーマに試行錯誤し行動、文化センターに飾りつけをし、官庁街で一夜限りの特別な祭りを開催したことは忘れる事ができない思い出だと語ってくれた。
 十和田囃子もJC50周年の企画として作ったと教えてくれた。各町内会の囃子は各々に考え取り入れてはいるが、まとまりがなく芯が必要だと考え、民俗芸能をやっている「白神」に頼んで何回もやり取りをしながら作ってもらった。出来た音はチンドン屋と最初は馬鹿にされていたが今ではすっかり定着している。また、お祭りでは町内会関係なく受け入れるチームを作り、町内外からもやりたい人を集めているという。祭りが好きなんだと感心するのではなく、何かを引き継いでやることよりも何か新しいものにチャレンジしようとする姿勢に感心した。
 現在、建設業業界も若い人が減ってきているのが悩みだというが、挑戦する力でこれからも十和田市を盛り上げて欲しいと感じた。

まちおこしするサラリーマン
  工場勤務の愛Bリーガー
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プロフィール 昭和33年7月24日生まれ(56歳)
十和田市出身、十和田工業高等学校電気科を卒業後、静岡県の紡績会社に就職する。約15年勤務し、34歳の時に帰郷した。帰郷してからすぐに株式会社ササキコーポレーションに勤め、現在22年目となる。

 今回は株式会社ササキコーポレーションで勤務する椛木鉄男さんを訪ねた。椛木さんは工場で農機や除雪機など組み立てたり、部品塗装などして働いている、いわゆるサラリーマンだ。物腰は低く真面目そうだが何か面白いことを言ってくれそうな雰囲気を感じた。約5年前のこと、椛木さんが何気にブログを検索していた時に「バラ焼き好き集まれ!」と食べ歩きのグループのようなページを見つけた。単に面白そうだから参加してみようと思い、行ってみたのが始まりだった。それが後に「バラ焼きゼミナール」となるまちおこし団体、舌校長の畑中氏との初めての出会いだった。
 集まった時に、周りはみんな顔見知りで会社経営をしているような人たちが多く、自分は場違いな所にきてしまったと密かに後悔もしていたが、バラ焼きの認知度を知るための調査に行ったり、バラ焼きでまちおこしをしようと飲みながら熱く語る人たちを見て、一緒に活動するうちに「仲間」として関わりをもつようになっていった。
 しかし、バラゼミとしての活動で会社を休むわけにもいかず、平日のイベントにはなかなか参加は出来なかった。自分に出来る範囲では週末は休みだったために積極的に参加したと語る。少しずつ認知度も高くなり、県外での活動が多くなってきた時には会社にお願いをし、この活動を少しずつ理解してもらい、休んでまで行かせてもらいましたと苦笑いしながら教えてくれた。
 椛木さんは自分はサラリーマン、仕事以外の休める時間に自分の時間と身体を削ってまでまちおこしのために活動するメンバーには感銘を受けたという。
 働く時間に稼いで給料をもらい、働いていない時間に活動し感動をもらう。こんな活き活きとしたサラリーマンが格好いいと感じた。

まちかどにある印刷屋さん
 子供たちを優しく見守る仕事人
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プロフィール 昭和43年10月23日生まれ(46歳)
三本木高校を卒業後、札幌大学に進学し、卒業後は高校の先生になるために働きながら勉強していたが、28歳の時に帰郷して家業を継ぐこととなる。現在は3人の子供を育てながらも自身が小学校から続けている野球のコーチとして三本木高校附属中学校の野球部で子供たちの指導もしている。

 今回は北園小学校がある交差点の斜め向かいの角にある日刊東北印刷所の佐藤百年さんを訪ねた。28歳の時に帰郷し家業を継ぎ、現在は印刷業18年目となる。佐藤さんは過去に51代目の十和田青年会議所の理事長も務めたという経歴もあるが、それを感じさせないほどの自然体で気さくで話し掛けやすい雰囲気をもっている人だと感じた。印刷の仕事は主に、チラシや名刺、伝票などを刷ることで紙を使う文化が無くならなければ仕事はなくなることはない。新聞発行業にとっては一番近い職種だろう。しかし、ネットが主流となってきた現代では将来的には新聞も無くなるんじゃないかという不安もあると相談すると、何にだって言えることだから頑張って続けていれば大丈夫だと優しく答えてくれた。
 また、佐藤さんの長男はサッカー、娘は吹奏楽をやっていて、自分は子供の頃から続けている野球をやっている。そして三本木高校附属中学校で野球部を創設することなった時、高校時代の恩師である先生に声を掛けられコーチとして就任した。現在は創設3年目、まだ公式戦では勝ち星は少ないが子供たちと楽しんでやっていると、野球の面白さを語ってくれた。大学を卒業した当時、高校の先生を目指した理由の一つに甲子園に行きたいとの想いもあったと教えてくれた。取材中も3分の2の時間は野球の話しで盛り上がり、ホントに野球が好きな人なんだと感じた。

まちに住む人の幸せ建てる人
 有言実行の一級建築士
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 プロフィール 昭和50年7月19日生まれ(39歳)
八戸工業大学第一高等学校建築科を卒業後、渡辺一級建築設計事務所で働く。設計の仕事を学びながら難関の国家資格、一級建築士を平成17年(29歳)で取得した。社長が亡くなり、後継ぎがいない事情から事務所を閉めることになったが、それをきっかけに起業し、平成24年9月に株式会社渡辺設計として設立した。また、2012年に三沢JCに入会し、2015年度の理事長として任命された。

 今回は十和田市を離れ、2015年度の三沢JCの理事長に任命された(株)渡辺設計の代表取締役・渡辺卓也さんを訪ねた。年齢よりも見た目は若いが、若くして落ち着いた雰囲気を持っているように感じたのは会社を経営する代表に若くしてなった実行力からかもしれない。高校時代から設計に携わる仕事がしたいと八戸工業大学第一高等学校建築科に進学。卒業してから親戚にあたるという渡辺一級建築設計事務所に就職し、必要資格である一級建築士も見事に取得した。渡辺さんはその頃から会社を起業し、独立を考えていたという。平成22年に社長が亡くなり事務所を閉めることとなったが、それをきっかけに自身で会社を起業した。
 いま思うと進学、資格取得、起業、もちろん簡単な事ではなく、いろいろと苦労も失敗もしたと懐かしむように語る。将来はこうしたいと思うことは誰でも出来るがそれを実現する行動力は素晴らしいと感じた。設計と聞くと製図を書くまでが仕事の範囲だと思っていたが、意匠設計という外壁、室内のデザインも含めた家を建てるために必要なものまでほとんど手掛けているという。そのため一軒の建物を建てるための設計図の枚数は電話帳並の厚さになるのだと教えてくれた。そして、自身のテーマは「余裕をもって急ぐこと」そうすれば無理もなくミスも減る。どんなに忙しくても聖職者と呼ばれる設計士は建築基準法を守る番人であるから自分がきちんとしなくてはいけないと語った。そんな渡辺さんは2012年に三沢JCに誘われ入会した。青少年育成のためのイベントやまちづくり委員会などでJC運動、2014年に専務理事となり、2015年度の理事長になった。
 今年度の三沢JCのスローガンは「~己を律し、友と学び、共に歩み、未来へと紡ぐ~」を掲げ理事長としての活躍にも期待したい。

...また、本紙には記載はできなかったが、意外な趣味はバンド。最近は忙しく行けていないそうだが十和田市にある[MARS」で時折イベントに参加しているようだ。ベースを奏でる姿も見てみたい。

笑顔で財産を守るガードマン
 JC運動で未来を守る仕事人
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 プロフィール 昭和51年8月14日生まれ(38歳)
東北町出身。三沢高校卒業後、産能大学経営情報学部に進学。卒業後、青森みちのく警備保障株式会社に就職する。2010年に十和田JC(公益社団法人十和田青年会議所)に入会する。平成24年10月に青森みちのく警備保障株式会社の代表取締役として就任。そして2015年度の十和田JCの理事長を務めることとなった。

 2015年度の十和田JCの理事長にも就任した青森みちのく警備保障株式会社の代表取締役でもある蛯沢達彦さんを訪ねた。最近、蛯沢さんとは交流があり、個人的なイメージでは声が大きく、ポジティブでテンションが高く真面目で常に元気な人だという印象がある(笑)警備業とは、会社や病院や介護施設を泊まりで見回る施設警備、建物に警報機器や防犯カメラの設置などで被害拡大を防ぐ機械警備、道路工事などで交通渋滞の軽減、事故などを予防する交通誘導警備、警備ではないが建物を清掃する業務もあり、大きく分けて4つの仕事を約200名の従業員で分担するという。派遣や出向とは違い「役務提供」という仕事になると教えてくれた。
 警備とは誰かの財産を守る大切な仕事。そして、自分にとっては働く人が財産だと感じていると語る。もちろん失敗は許されない仕事だが、失敗をしない人は誰一人いない。業務教育だけではなく働く人のモチベーションを上げるように会社からもアプローチをしていく。それでも自分の知らない所での従業員の失敗も時にはある。だから私のもう一つの仕事は会社の代表として謝ることだと少し笑いながら語ってくれた。
 当時の悩みの一つ、自身が親から受け継ぐ会社はあっても自分には何もない。そんな思いから自分で何かしようと2010年に十和田JCに入会した。その活動の中で経験し、学んだ事は伝えきれないほど沢山あり、その中で見つけた答えは...自分を楽しむ事、それができれば相手に対して思いやりがもてるようになり、笑顔が溢れるまちになると笑顔で語った。
 今年度の十和田JCのスローガンは「こころ~笑顔のために~」を掲げ理事長としての活躍にも期待したい。

ベストローカルを目指し
地域と共存していくスーパーな社長
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プロフィール 昭和35年4月生まれ(54歳)
七戸町出身、八戸高校を卒業後、都内の大学に進学し、卒業後は就職を決めて東京で働いていたが、当時母親が重い病気にかかり、急ながら会社を辞めて帰郷した。23歳の若さで母親を亡くすも、翌年には東京の大手スーパーで勉強するために修行に行く。修行後、帰省してからは社員として学び、働きながら、強い信念と共に41歳の時に社長として就任した。最大6店舗まで拡大し、十和田市内では知らない人はいない地域密着型のスーパー。当時は七戸が本店で十和田市には3店舗進出し始めた頃だった。2015年で創業は109年目、会社設立は57年目となる歴史ある企業の社長、そして180人を超える従業員を養っている。七戸町出身だった事もあり、まずは十和田市の事を知ろうと十和田JC(社団法人青年会議所)に入会した。2000年に日本青年会議所にも出向し、副会頭に就任。日本青年会議所の団体組織の中で2番目に青森県十和田市から人材が選ばれた事は驚くべきことで、その活動力、行動力は全国、世界を回った。その経験を活かし、地域密着型のベストローカルを掲げ、スーパーカケモを経営する。

 十和田市にあるスーパーカケモといえば、市内の主婦であれば、誰もがお世話になっている地域密着型のスーパーだ。今回はその歴史ある会社を支えている社長の欠畑茂治氏を訪ねた。これまで様々な場所で何度も面識はあるが、どこか気軽には声をかけにくい凄みのある雰囲気と、意外にも近くまで寄って話しをしてくれる親しみのある2つの雰囲気を合わせ持っているイメージがあり、恐る恐る会社の扉を開けると、欠畑氏は忙しい時期に取材をお願いしたにもかかわらず笑顔で応えてくれた。スタートから会話をする回転の速さと、言い切ってしまう決断力の強さに社長とはリーダーシップをもって引っ張っていく力が必要なんだと感じながらの取材だった。
 会社を運営していくには社員を雇う責任や、経営をプラスにするための戦略、地域に何を貢献し、何をすべきかなど、働く以外にもやるべきことがたくさんある。それを学べたのは十和田市に来て、JC(青年会議所)に入会した経験が自分の力になっていると教えてくれた。JCとは、まちづくり、人づくりの場で、青少年育成や地域の事に注目し、地元の人も知らない十和田市に埋蔵されているポテンシャルを掘り出してまちを元気にする。もちろんまちを盛り上げるには自分も良くなければならない。
 どの職種であれ、小さなまちこそ安さを売りする大手チェーン店に対抗するためにベストローカルを目指し、地元に貢献、還元できる体制が必要だと語る。攻めの農林水産業特別貢献賞(生産者の直売コーナーを最も早く導入、県内の食品企業との連携による商品開発により農林水産業に貢献)を受賞し、有言実行の根拠が欠畑氏の自信となっているんだと感じた。
 また、日本青年会議所という全国の青年経済人が集まる団体組織にも所属し、この小さな街の十和田市から出向し、副会頭にまでなったことがあると聞いて驚いた。この時は欠畑氏は39歳にして日本中、世界中を駆け回ったという。地域に目を向けながら世界を見るという視点は想像も出来ないが、この経験が欠畑氏の力になっているのだと感じた。また、様々な肩書きを持つ欠畑氏は「市援会」の会長も努め、捨てる物をお金に換えて車椅子を寄贈する活動などもしている。
 最近の取材で気が付いた事で、忙しい人ほど、いろんな事をしているのが不思議だと思うと質問すると、仕事が出来る人ほど忙しいのは当たり前だから私はものを頼むときには忙しくて暇のない人間に頼むんだと教えてくれた。欠畑氏の経験からの説得力になるほどとも思いながらも実践できる人材は何人いるんだろうと考えてみて、頭に浮かんだ人たちが十和田市を活性化させてくれるには間違いがないだろうと確信も出来た。
 ベストローカルを目指し、「安心・安全・環境・美味しさ・健康・地産地消」の6つのテーマを掲げ、これからも地域、働く人、会社のために活躍をする欠畑氏を応援していきたいと感じた。

 経験がひとを成長させる
学校では学べない授業を学べる学舎
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プロフィール 昭和46年8月7日生まれ(43歳)
八戸西高校を卒業後、八戸学院大学へ進学。教師を目指しいろんな高校を転勤しながら学び、29歳の時に正教諭となる。商業系の科目を得意としていたが、38歳の時に十和田西校に赴任し、初めてとなる観光科の担任となった。県内唯一の観光科の意味を深く強めるために2011年の2月から子供たちとバラゼミをつなぐ窓口として自身もバラゼミの一員としてスタートした。

 今回は県内唯一の観光科がある十和田西校の担任の川村真一さんを訪ねた。個人的な学校の先生の勝手なイメージはどこかに一般人との壁があり、本音の会話をする機会も少ない聖職者と呼ばれる遠い存在だったように思えていた。そんなイメージを覆すような川村さんは気さくで話しやすく、気持ちの芯は子供たちのためにと熱く語り、行動できる人だと感じた。
 元々は商業科に赴任する事が多く、十和田西校の観光科に赴任してきた時は自分に何ができるかの判断が難しかったという。
 そんな時にまちおこしのために一生懸命、十和田市を盛り上げていこうと活動しているバラゼミと出会った。まちおこしのためには、まず子供たちに街を知ってもらう事から始まった。2011年の2月から子供たちの窓口として連携する役割から始まったが、当時はほんの数名が手伝うような状況からスタートした。そして翌月の3月に忘れることのない大震災があった。地域復興の前に震災復興のために炊き出しなどにも参加し、亡くなった人や残された家族にも声を掛けた。2011年の姫路大会ではたった4人の西校生をPR隊として初めてB‐1グランプリへ連れていった記憶は今でも鮮明に覚えている。過去の失敗から学びながらも、少しずつ努力が結果となってきた。
 本気の大人が本気を子供たちに見せることで本気で協力する気持ちをもつ生徒たちも増えてきた。人を笑顔にさせる仕事を覚える事。震災の仮設住宅を一緒に回った経験は弱い者に対する気持ちを育んでいった。苦難苦闘の毎日は、いつの間にか生徒から仲間のような信頼関係になっていた。普通であれば有り得ない体験をさせてもらった。生徒のために授業では勉強を教え、卒業のために就職先や進学先を考える事も大事だが、経験が人を成長させるのだからバラゼミには感謝しかないと最後に語ってくれた。

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