はたらくひと必読!仕事人!!

伝えたいのは季節で変わる旬の味  包丁握った十和田の侍

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櫻田正樹さんプロフィール 昭和39年11月14日生まれ(49歳)
十和田工業高校を卒業後、東北電子計算機専門学校へ進学。その後は帰郷して今で言うフリーターをしながら料理を学ぶ。23歳の時に本格的に料理の道へ進み三沢市の大竹鮨で約8年半を修業。平成12年5月に「すし侍まさ木」を開業した。今年で15年目を迎える。

 旧国道4号線から青銀北支店側に曲がり、ワークショップのづきの手前を左側に入ると寿司屋がある。
 開業から15年目を迎えた「すし侍まさ木」の店主・櫻田正樹さんを訪ねた。
 寿司職人となったきっかけは、まだ若い頃に三沢市にある大竹鮨に連れて行ってもらった時に食のカルチャーショックを受けたことだと語る。それから何度か通い、いろいろな寿司を食べ、作ることに興味持ち、アルバイトとして修業を積んだ日々は懐かしい。
 寿司と聞くと昔は贅沢なご馳走だというイメージも少なくはないと思うが最近は激安回転寿司のチェーン店も増え、子どもにも馴染み深くなっている。スポーツで例えるとゴルフのように年齢に関係なく楽しめる料理と言えるだろう。
 「味・量・値段」の中で唯一、目に見えないもので勝負するからには一切の手抜きはない。旬の魚を寿司として出すだけではなく、焼いたり天ぷらにしたりと調理の工夫で同じ魚でも違った味わいを楽しむことが出来るのは料亭ならではの強みだろう。
 櫻田さんはこの味を宣伝することもなく、外に発信するのは苦手でスマホも上手く使えないと笑いながら教えてくれた。それでもあけぼの学園(様々な事情で親が育てられない子を受け入れる児童福祉施設)へクリスマスに無料で寿司を握るなどの活動もしている。その時の喜んだ子供達の顔を見たいために今年もサンタになりたいと照れ笑いした。
 今が食べ頃の魚は何?美味しい調理法は?そんな話しを肴に食べる寿司は一味違う味わいがあるだろう。来てくれたお客様との会話の中で旬の情報や仕入れたオススメなどを伝えてその時にしか出会えない味を提供したいと語った。

舌も大地も震える麺家 隠しきれない個性のラーメン

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小笠原誠さんプロフィール 昭和55年3月7日生まれ(34歳)
十和田西高校普通科を卒業後、趣味である音楽を学びにミュージックカレッジメーザーハウスという音楽学校へ行くが2年で中退。
 その後は様々な仕事を経験しながらも自分の店を持ちたいとの想いから平成20年11月に東北町へ「麺家だいち」をオープンした。今年で7年目となる。

 小川原湖道の駅から三沢に向かう通りを走ると左側にラーメン屋がある。十和田市出身の小笠原誠さんが経営する「麺家だいち」は7年程前にオープンされ、今も根強いファンが通い続けているお店だ。
 趣味が美味しいものを食べること。昔からいろんなお店を食べ歩き、その味に自分だったらこうしたいとの想いが独自の工夫を生んだ。その考えは「食べたい」から「作りたい」と変化し、たどり着いたのがラーメン屋だったと語る。
 ラーメン屋を起業しようと広い駐車場付きの物件を探していたら東北町で見つかった。当時は若干27歳で「若い」という名の肩書きを背負っての経営は様々な苦労があったと語る。
 有り難い事にオープンしてからはお店は繁盛し、経営も起動に乗り始めていた頃に、あの大震災があった。
 材料にもこだわって作っていたため当時は県外から食材を仕入れていた。そのために提供したくても食材が届かない。塩ラーメンすら作れない日々が続き、客足も少しずつ遠のいて一時は本気で閉めようかと悩んだ時期もあったと言う。
 それを乗り越えてきた今では、短い休憩時間にお腹を満たすために急いで食べてすぐに仕事に戻るお客様も、店内に2000冊以上ある本でも読みながらゆっくり時間を満喫していくお客様も、恋人や家族で来て味を楽しんでくれるお客様も、同じ空間でラーメンを食べれるような店にしたいと語ってくれた。
 どんなに疲れてもお客様から「美味しい」の一言が聞けたら幸せ、だから自分とお客様がお互いに幸せになれるように今日も腕を振り続けている。

快眠から日本を元気にしたい 十和田にある眠りの店の美女

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溝口 奈美子さんプロフィール
 昭和47年10月31日生まれ(41歳)
三沢商業高校を卒業後、東京で就職する。当時は家業を継ぐとは考えられなかったが、平成3年に会社を移転オープンすることになり、一時手伝うために帰郷した。父親の病も気になりそのまま手伝うことになる。そして平成16年の時に父が他界した。以来会社を支え寝具専門店として睡眠で悩むお客様により良い眠りを提案している。
 産馬通りと旧4号線の交差点の角に「みぞぐち布団店」がある。今回は、いつも笑顔を絶やさない店長の溝口奈美子さんを訪ねた。枕や布団、ギフト用品の専門店として昔からお客様に快眠する喜びを提案してきた。本来であれば疲れを取るための睡眠のはずなのに、首が凝ったり、眠りが浅かったり、疲れが取れなかった経験のある人は少なくないだろう。首を支える枕、身体を休ませる布団、人それぞれ体型が違うのと同じで人それぞれに合った形や硬さ(軟らかさ)などがあるという。それをオーダーメイドが出来る店としていち早く専用の測定器を取り入れた。当時は全国でも10店舗ほどしかなかったが効果が認められ現在は120店舗ほどの専門店で取り入られている。測定器で測りすぐに体型にフィットする布団と枕が出来上がるのには驚いた。高さ(凹凸)や硬さもすぐに微調整出来る。
 アフターケアも万全で、ただ布団を売って終わりではなく時間と共に変化する体型にも対応出来るのはオーダーメイドシステムを取り入れている専門店ならではの強みだと感じた。人が生きていくために必要な睡眠時間、実は人生の約1/3を占めている。たぶん、ほとんどの人が靴や服など自分のサイズ(体型)に合ったものを選ぶ。それと同じように睡眠には欠かせない布団や枕も自分に合ったものがいい事は当たり前なのかもしれない。
 どうしても大手の寝具店よりは少し高くなってしまう事があるが、全ての人のために大量生産された寝具より、自分のためだけに作られた寝具の寝心地は値段以上の価値があることは間違いないと感じた。ちなみに6月はオーダーメイド枕&布団の無料体感期間だと教えてくれた。睡眠で悩みを持っている人は気軽に相談してみてはどうだろうか。
触と食で身体と心を癒す 整体で働く主婦の生きる道

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小野 美保さんプロフィール
 昭和50年9月16日生まれ(38歳)
十和田出身。八戸工業大学第二高等学校を卒業後、19歳で結婚、出産。パートの仕事をしながら育児に専念していたが、何かをしたいとの想いから整体師の資格取得を目指し、平成15年に切田通りの青森銀行南支店前に開業。自宅の敷地内にサロンを移転開業し、平成23年に102号線沿いに2号店をオープン。翌年にaomn隣接にガーデンキッチン垂穂を開業した。余談ではあるが三本木小学校歴代2人目の女性のPTA会長も務めた。
 102号線沿いの旧コンビニ跡地に二つのお店が並ぶ。整体を営むボディバランスケアamonと食事処のガーデンキッチン垂穂だ。その2店を経営し、整体師としても勤めるのが代表の小野美保さんだ。若くにして結婚、出産し、若くにして起業する。それまでの道のりは運良くでもなく、簡単でもなく、苦悩と苦労しか記憶にないと語る。主婦として子育てをしながら、それを成し遂げてしまう行動力と実行力には感心するしかない。
 当時、親の面倒と3人の子育て、主婦業をしながらパートだと満足のいく生活は出来ない。何か自立できる仕事をと探している時に旦那が昔やってみたかったと言っていた整体の学校の雑誌が目に入った。整体師の資格を取りに学校に行っている時から開業するつもりで動いていたと語る。いつかは...ではなく、これからどう生きていくためには何が必要かを考え必死に学び、行動した。また整体のamonを開業した時から隣りには喫茶店を営業しようと決めていたらしい。そして有言実行、翌年に垂穂をオープンし、勢いは止まらないように見える。しかし実際は不安しかなく、もう前に進むしかないと覚悟を持って、家族も従業員も養っていかなくては!という気持ちで頑張っていると語る。少し不安症な性格と変わらない低姿勢、それでも足は常に前に進み続けている。そんな不思議な魅力が従業員やお客様から支持を受けているのかもしれない。来て良かったと思える店、働いて良かったと思える店にしていきたいと語ってくれた。

記憶を引き出す宝物  大切な思い出を残す写真家

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小原 達郎さんプロフィール
 昭和54年7月11日生まれ(34歳)
七戸出身で三本木中学校に転入、三沢高校へ進学し、東京農業大学へ進学し卒業後に地元に帰郷。幼少から頑張っている野球を趣味で続けている。平成14年に実家を継ぐ形で写真を始めた。正確に年月はわからないが、大正時代に東京の二葉堂から、縁あって七戸に本店を創業。昭和40年頃に三本木稲荷神社前に十和田店をオープンした。代々受け継ぎ、6代目となる。
 今回は稲荷神社の前にある㈲フォトショップふたばのフォトグラファー・小原達郎さんを訪ねた。青森に帰郷してからはPGC(パイオニアグリーンサークル)に入会し、そこで出会った人たちからいろいろな技術を学んだと語る。当時はフィルムでネガを焼くという現像方法の写真だったが、現在は100%デジタルに変わってきている。その影響からか、せっかく思い出として写真を撮っても現像する人は減ってきているように感じると語る。達郎さんが現在、一番力を入れているのは「家族写真」だと教えてくれた。きっかけは、あの東日本大震災だった。ボランティアで「写真を洗う」手伝いをしていた。お婆ちゃんが泣きながら家族の写真を探している現状も見てきた。潮水に浸かった写真はなかなか復元は難しい。人の薄れていく記憶を、写真は一瞬で思い出せる宝物なんだと改めて写真の大切さを感じたと言う。
 あまり宣伝はしていないらしいが、写真を現像してアルバムに貼るのではなく、画像データを元に構成・デザインをし、写真集のようなアルバム製作もしている。お店に訪れた時には是非、目を通してもらいたい逸品だと感じた。また、去年から取り組んでいる「ラブフォトメッセージ」という写真に言葉を入れて大切な人への贈り物として渡せる企画もあり、額と送料込みで3000円(税別)となっている。達郎さんは仙台で毎年やっているイベント「家族の絆展」にも出展する。様々な節目に撮る写真も大事だが、何でもない様な日常も家族にとって大切な一枚なんだと感じた。
 写真を残す意味を考えれば、何十年後かに「過ぎた日を思い出せる宝物」を増やす事も今後は楽しみになるだろうと感じた。

会社の顔を作る会社の顔  イメージを形にする代行人

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鎌田 秀幸さんプロフィール
 昭和51年11月7日生まれ(37歳)
三本木農業高校卒業後、多目な仕事を経験し、20歳で今の仕事に出会った。大きな会社との取引や信用を得るために平成18年8月(30歳)に独立し、㈱サンコウゲイプラスを起業する。去年の2月に待望の男の子(島帆くん)が産まれた。
 いつでも「おはようございます!」と大きな声で挨拶を忘れない元気な男。㈱サンコウゲイプラスの代表取締役を務める鎌田秀幸さんを訪ねた。看板やデザインを手掛ける仕事を始めたのは20歳の頃から、平成18年に法人として㈱サンコウゲイプラスを起業した。デザインやプリントの仕事と一言で言ってもいろいろと種類は細かくあり、得意分野は分かれていると言う。当店ではお店のオープン時などに看板やチラシ、名刺なども一括で出来ることが強みだと語る。
 看板や名刺などはお店や人の「顔」の代わりとなる重要なもの。お客様のイメージに少しでも近付けるようにするために、社員で様々なデザインパターンを提案・提示して、お客様の満足がいくものを提供して応えなくてはならない。たしかに相手の気持ちを汲み取れなくては、ある意味、この共同作業は上手くはいかないだろうと感じた。
 信用のある市内の仕事だけではなく、県外の仕事なども広範囲で請け負えるネットワークがあることも強みの一つ。人とのつながりを大切にする鎌田さんの姿勢の表れだろう。私がこれを作りました。と表現できる芸術家とは違い、看板やチラシのデザインなどは大手会社の下請けの場合が多いため、自社の宣伝は難しく、新規のお客様をつかむためには待っているだけではだめである。
 まだ思案段階だが、わかり易い看板の展示をする事や古い看板のリフォームなども考えていると言う。鎌田さんは声は大きくても慎重な性格だとパートナーが教えてくれた。石橋を叩いて少しずつ渡っていく姿勢も信用ある会社の顔なのかもしれない。今まで何となく視野に入っていた看板にどんな工夫やこだわりがあるのかを気にしながら街を歩いてみてはどうだろうか。
子供から年配者まで楽しめる空間  遊戯で育む人との触れ合い

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秋元 博行さんプロフィール
 昭和48年6月29日生まれ(40歳)
三本木高校卒、山梨学院大学経営学科を卒業後、東京のブランズウィックスポーツガーデン(現スポルト池袋)で2年間修業をして25歳で帰郷。イーグルボウルは入社16年目となる。今年の2月に待望の長女(咲良ちゃん)が生まれ、現在は家業を継ぐために勉強中。
 今回は十和田でボウリングを楽しむ場所として昔から親しまれているイーグルボウルを訪ねた。平成2年10月1日にオープンし、現在23年目となるボウリング場を継ぐために常務取締役として働いているのが眼鏡の似合う秋元博行さんだ。秋元さんが高校生の時は9打席あるバッティングセンターだった。同敷地内にイーグルボウルを建設し、遊べる場所としてお客様に提供する。当時はカラオケブームもあり、現在ビリヤードのある場所にはカラオケボックスがあったことを思い出す。県内には9店舗のボウリング場があり、そのボウリング協会の会長にも秋元さんは選任されている。
 どの業界でも言える事だが大手の「安さを売り」にする同業者には同じことをしても売り上げが下がるだけ。地元ならではの人との付き合いを大切にして、次にどうやってきてもらえるかを工夫、新規のお客様をどうやって増やすかが今後の課題でもあると語る。若者が少ない町のイメージが強い十和田市で、まずはシニア客を増やそうと「健康ボウリング教室」などを企画。触れ合う機会が少なくなる世代にも楽しみながらもコミュニケーションもとれると好評を得ている。幅広い年齢層が集まって、天候に左右される事がないのが強みだと感じた。
 サービス業でもあるが受付、会計時の時にしかお客様と触れ合うことが出来ないので、そのさりげない一瞬の一言が一番大事だと語ってくれた。お酒の席から始めるだけではなく、身体を動かして会話を楽しんだり、スコアを競ったりすることも人との距離を近付ける方法の一つだと感じた。家族割プランやナイトプラン(夜9時以降)、団体割引もやっているので是非、コミュニケーションツールの一つとしてお薦めしたいと語った。

地元と観光をつなげる場所  身体と心を温める温泉とホテル

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白濵 道義さんプロフィール
 昭和47年11月15日生まれ(41歳)
三本木高校を卒業後、小樽商科大学へ進学。卒業してからは日興証券に入社、その後コンピュータ関係の仕事に就き28歳の時に帰郷した。当時、十和田湖のホテルを任せられ経理も担当し、5年前に兄(前社長)が急病で亡くなり、36歳の若さで3代目を継いだ。
 十和田湖へ向かう途中、右手に見えるポニー温泉の社長兼ホテルの支配人としてお客様を出迎える若旦那の白濵道義さんを訪ねた。最初、ポニー温泉はドライブインだった。小学校の頃は皿洗いを手伝っていたが、高速道路が出来てバス観光のお客様が一切こなくなってしまった。そこでドライブインをポニー温泉として再興し、十和田湖の旅館も経営する。地域客と観光客をつかみ、パチンコ店やコンビニを経営するなど、多目な営業をする父親の背中を見て育ってきた。時代は移り変わり、後を継いでからは温泉と旅館、食事処に専念した。それからは新幹線も開通し、外人客も増え、ネット予約にもいち早く対応するなど観光地としての経営も安定していくかに思えた矢先に...東日本大震災は起こった。3ヶ月は宿泊客がほぼゼロという最悪な状況が続き、十和田湖の旅館を閉めた。その時に続ける力になったのが地元の人が集まれる温泉だったと語る。
 現在は大手ビジネスホテルも増え、旅館だけ、安さだけの経営は難しくなり、地元資本のホテルが経営を続けていくためには、それ以外の何かで生き残らなければいけないと考えた。週末は観光客や外人客をもてなす旅館として、平日は仕事などで滞在するお客様のためのビジネスホテルとして、どちらにも対応できる旅館のようなホテル経営へとシフトしていった。シャワーや入浴剤だけに慣れた若い人も増え、家庭の浴室普及率も95%を超えた今こそ温泉にくる意味を持たせたい。
 実は青森県は人口比率で見ると日本で1番多い公衆浴場数があり、源泉の名地でもある。温泉の効能や大衆浴場の良さは、アトピーで悩む人、コミュニケーションが苦手な人にも良い効果が生まれる場なんだと知って欲しいと感じた。そのために回転率のいい温泉経営から、飲食も楽しめ、ゆったりとした時間を過ごせる温泉を目指したいと語る。

花で伝わる気持ちと言葉  十和田に咲いた一輪の花

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脊戸 潤子さんプロフィール
 昭和47年11月19日生まれ(41歳)。
三本木高校を卒業後、東京のJFTD学園(花の専門学校)に進学。卒業してからは東京の花屋さんで27歳まで働き、その経験を活かして家業を継ぐために帰郷する。田島生花店は昭和20年に開業。平成2年に現在の場所に移転した。一昨年に待望の長男(隆大くん)が生まれ、子育てに奮闘しながらも3代目として修業中。
 今回は産馬通りに面した花屋さん(有)田島生花店を訪れた。店内に入ると辺り一面、色鮮やかな花で飾られている。ここには冬でも春を感じられる空間がある。冠婚葬祭、歓送迎会、母の日などさまざまな行事には欠かせない彩りを添える花。女の子の将来なりたい憧れの職業に常にランクインしているであろう花屋さんに潤子さんは産まれた。
 小さな頃から花と共に育ってきた潤子さんは高校を卒業してから当然のようにお花の専門学校(JFTD学園)に進学した。それから東京の花屋さんで27歳頃まで勤め、帰郷して家業を継ぐ。潤子さんは生まれてからずっと花に携わってきたことになる。それ以外にも商店街を活性化させたいと街の情報紙『ちょこっと』の創刊時にみぞぐち布団店さん、松本茶舗さんと共同作成(現在は十和田市商店街連合会が発刊)したり、商工会青年部に参加したりと活動的な一面も見せている。花屋さんは綺麗な花に囲まれて一見、華がある仕事のように思われるが、実際は力仕事、水仕事で大変だったり、生花なので仕入れが週に何度もあったり、水や湿度、温度の管理などは1日も欠かせないなど、見えない所は大変な仕事なんだと教えてくれた。八戸の花市場に行き、仕入れる花を選別するが日本だけじゃなく世界中から花は集まっていると知った。色や質、見た目や匂い、価格なども見極めて選ぶ。
 潤子さんは花は元気を与えてくれる。幸せを感じさせてくれる。できれば一輪でもいいから家に花がある生活をしてもらいたい。花を身近に感じられるような人、家、街であって欲しいと語る。また、田島生花店の二階では生け花教室を開講しているそうで、若い人にも昔からある花の文化なども伝えたいと語った。
 花言葉などを知っていれば受け取る側も、贈る側も言葉を交わさなくても花から伝わる気持ちがある。言葉を伝えることが苦手な不器用な男の人でも、内気な女の人でも花があれば気持ちは伝えられる。様々なお客様から色々な注文はくるが「出来ない」とは言わない事を心掛けて仕事に取り組んでいきたいと語ってくれた。

鏡の前でお客様と自分と向き合う 髪を切り、心を整える髪師

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前川原 弘仁さんプロフィール
 昭和51年6月30日生まれ(37歳)。
甲東中からサッカーをするために光星学院に進学、卒業後は八戸大学で学び、サラリーマンを半年勤めるが、幼少より憧れていた理容師になるため髪師ジパングに入社した。資格は後に通信で取得し現在入社15年目。27歳の時に店長として就任する。
 今回は理美容業界では十和田市を代表するであろう「髪師JIPANG」を訪ねた。前川原さんは大学卒業後、意外にもサラリーマンをしていたと言う。そんな事を感じさせない独特のゆったりとした和ませる雰囲気は職業柄身に付いたものかもしれない。当時は理美容師と縁遠い生活をしていたが昔から髪を切る仕事には興味をもっていたという。そんな時、当時髪師ジパングのオーナーである黒澤さんが新店舗のGrandBleuをオープンした。人員補強のために募集がかかり、タイミングよく憧れの理美容師業界に入社できたと密かに笑顔で語る。
 きっかけの門は運良く開いていたが、入ってからは専門学校を卒業していないため下積みを重ねながらも通信で資格を取得。慣れない仕事をしながらの勉強は身を削らなければ成功には結びつかない。陰ながらの努力は人一倍してきたんだと感じた。その後は前川原さんや従業員の努力も積み重ね、経営も安定してきた。
 平成18年に現社長である黒澤さんは、ジパング店長・前川原さん、グランブルー店長・金見さん(旧姓・遠藤)のイニシャルを一文字ずつとってM・K・Ecompanyと新たにスタートした。そこには独断経営ではなく手を取り合って同じ立場で物事を考える会社経営を目指していく決意も感じられた。国家試験でもある理容師と美容師には違いはあるが、それを超えたものを目指していきたいと3人で会社を立ち上げたと語った。前川原さんは、髪を切ること以外にもマッサージや細かい気配りなどマニュアル以外にもやる事が多いのは、お客様目線で何が求められているのかを常に考え行動する必要があるからで、これからもお客様の目線に立って仕事に取り組んでいきたいと密かに笑顔で語った。

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