はたらくひと必読!仕事人!!

  見送る側から贈る側へ
 人生の道を知る結婚仕立て人
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 プロフィール 昭和45年6月5日生まれ(44歳)
三沢商業高校を卒業後、稲本胃腸科外科で約3年医療事務を務めるが、結婚を機に退職。その後、子育てをしながらの新産測量の事務を約13年務める。それから桜田造花店で6年間を働き、人を送る職務を続けるが家庭の事情で退職。パートなどをして生活していた苦しい時期に、縁あってサン・ロイヤルとわだに平成23年1月にパートとして雇用される。同年3月に震災があり、人件費削減のために退職を覚悟していたが仕事力を認められ正社員として雇用され、ブライダルプランナーとして活躍する。

 今回はサン・ロイヤルとわだで勤務の、十和田市で唯一の女性のブライダルプランナー・三浦潤子さんを訪ねた。
 年齢よりもずっと若く見える外見に、すでに孫がいるギャップに驚く(笑)
 いつも笑顔で元気なイメージがあるが、現在の仕事をするまでは様々な苦労と苦悩があったと教えてくれた。
 結婚式を一生の幸せの思い出にするための仕事。この職務の以前の仕事は、意外にも人の一生を見送る仕事だった。
 当時の仕事にもやりがいを持って働いていたが、家庭の事情で退職することになった時には現在の仕事は想像もしなかったであろう。
 冠婚葬祭の葬儀から婚儀への転職。3回あると言われる人生の主役になる時を仕事で携われた経験が潤子さんの仕事に対する姿勢を培ってきたのだと感じた。
 ブライダルプランナーとしては、自分は女性であることが最大の強みだという。男性には分かりづらい結婚前の女性の不安な気持ちにも様々な経験から、アドバイスやメンタルケアもしていきたいと語る。 それはやはり一生に一度の晴れ舞台にみんなに笑顔でいて欲しい気持ちがあり、二人の幸せを応援する潤子さんにも同じ笑顔が溢れるのは当たり前なのかもしれない。
 また、サン・ロイヤルとわだではハピコンパーティーへの全面協力、市内24店舗の飲食店とのコラボ企画、新しい中華の料理長を迎えるなど十和田市民の人々が幸せになれるような様々な企画に挑戦し続けている。

家電と人と共に育った街の頼れるでんき屋さん

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プロフィール 昭和44年7月21日生まれ(45歳)
三沢商業高校を卒業後、SHARPに研修し、1年後に帰郷する。小学五年生から家電屋の家業を手伝っていたという。幼少からずっと家電と共に育ってきて、今年で35年目のベテランと言える。販売だけではなく、修理、リフォーム、太陽光発電と自ら仕事を増やし、街に必要な家電店としてお客様の要望に応えて続けている。

 今回は切田通りのカケモから中央公園側に進み、サークルKが交差する通りに家電製品を扱うお店が昔からある。今年で創業47周年を迎えた㈱大竹電化センターの取締役である大竹 昇さんを訪ねた。
 家電屋さんの家に生まれ、幼少の頃から家電と共に育ってきた。小学校5年生の頃から家業を手伝い、19歳で家業を受け継ぐ。
 店舗販売だけがメインではなく、修理やリフォームなども請け負う。お客様の相談にのったり、意見を提案したりもする。最終的には買ってくれたお客様がよかったと思ってくれて感謝された事が一番嬉しいとも感じ、それまでの会話ややりとりが仕事の面白みだとも語ってくれた。
 家電というと何からどこまでなのかと聞くと、家の中にある電気で動くものはほとんど当てはまる。冷蔵庫やクーラーだけではなく、お客様の修理の相談には水道やボイラー、換気扇まで頼まれる事もある。古くなったら買い替える事は簡単だが修理すれば使える物、愛着があったり、買い替えのお金がない場合は強力な助っ人と言えるだろう。お客様の要望を断らずに何でも引き受けていたら何でも出来るようになっていたと笑いながら語る。
 時代は電気を節約する節電ブームとなっているが、同時に電気を売る発電も主流となっている。国からの補助もあり、必ず投資に見合った利益を得ることは知る人ぞ知る。節電と発電、目的は違うがエネルギーの無駄をなくし活用する事はこの先の生活に大きく関わる事だろう。
 日常には欠かせない存在である電気と家電製品。発電することによって電気代を節電することにつながる家庭用の太陽光発電の工事も受注していると教えてくれた。これから先の未来を考えて...詳しい内容は是非、訪ねてみて欲しい。

仕事と家庭とバラゼミと、3つの顔を持つ電気工事士

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 昭和52年5月26日生まれ(37歳)
三本木高校卒業後、日大の生産工学部・電気工学科を卒業。父親の体調不良のために一時帰郷、そのまま家業を手伝うことになった。創業は昭和48年に個人事業として設立。平成7年に㈲相坂電気として会社名を戒名した。電気工事士や施工管理技士などの資格を仕事を手伝いながら勉強し取得した。今年11月に待望の第一子が生まれる予定。バラゼミなどでは学長として活動もしている。

 今回はバラゼミで学長としても活動する㈲相坂電気の木村長敏さんを訪ねた。電気工事の仕事をしてからは15年目となる。
 学生時代から続けている野球。当時は笑顔を作るのが苦手だった自分に恩師が「笑顔が出来ないやつは泣くことも出来ない」と教えてくれた事は忘れない。それがあるから今の自分がいるかもしれないと語ってくれた。
 電気工事士の仕事は様々な現場があるが、例として新築の家を建てる時には最初と最後に仕事をすると教えてくれた。元請の業者から設計、水道工事、建築、電気工事など分野に分かれたプロが仕事を協同作業で進めていく。工事用の主電を最初につなぎ、建物が建てられたら配線をつないでいく。仕事は黙っていてもくるものではなく、元請けの業者から注文が入る場合が多いので若かりし時から会社の付き合いも大切にしているという。
 野球というスポーツで学んだ事、仕事で生きていくために身につけた事、そして十和田市をもっと盛り上げていきたいという気持ちがバラゼミに入った理由なのかもしれない。
 最初は舌校長の畑中氏に声を掛けられたことがきっかけだった。バラゼミの活動は素晴らしいとは思っていたが、最初はタキシードを着ることに多少の抵抗はあったと笑いながら語る。それでも当時は県外での活動が主だったから思い切り出来たんだと思うと語ってくれた。そして今では全国的にも認知される存在となり、若くして学長の肩書きを背負う。
 メンバー全員が木村さんより年輩の中で名前が先に上がるのは人柄、責任感などが認められた証なのだと思う。学んだ事を次に活かし、自分のために、十和田市のためにと活動している事がいい循環と結果を作っていくのだろうと感じた。

伝えたいのは季節で変わる旬の味  包丁握った十和田の侍

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櫻田正樹さんプロフィール 昭和39年11月14日生まれ(49歳)
十和田工業高校を卒業後、東北電子計算機専門学校へ進学。その後は帰郷して今で言うフリーターをしながら料理を学ぶ。23歳の時に本格的に料理の道へ進み三沢市の大竹鮨で約8年半を修業。平成12年5月に「すし侍まさ木」を開業した。今年で15年目を迎える。

 旧国道4号線から青銀北支店側に曲がり、ワークショップのづきの手前を左側に入ると寿司屋がある。
 開業から15年目を迎えた「すし侍まさ木」の店主・櫻田正樹さんを訪ねた。
 寿司職人となったきっかけは、まだ若い頃に三沢市にある大竹鮨に連れて行ってもらった時に食のカルチャーショックを受けたことだと語る。それから何度か通い、いろいろな寿司を食べ、作ることに興味持ち、アルバイトとして修業を積んだ日々は懐かしい。
 寿司と聞くと昔は贅沢なご馳走だというイメージも少なくはないと思うが最近は激安回転寿司のチェーン店も増え、子どもにも馴染み深くなっている。スポーツで例えるとゴルフのように年齢に関係なく楽しめる料理と言えるだろう。
 「味・量・値段」の中で唯一、目に見えないもので勝負するからには一切の手抜きはない。旬の魚を寿司として出すだけではなく、焼いたり天ぷらにしたりと調理の工夫で同じ魚でも違った味わいを楽しむことが出来るのは料亭ならではの強みだろう。
 櫻田さんはこの味を宣伝することもなく、外に発信するのは苦手でスマホも上手く使えないと笑いながら教えてくれた。それでもあけぼの学園(様々な事情で親が育てられない子を受け入れる児童福祉施設)へクリスマスに無料で寿司を握るなどの活動もしている。その時の喜んだ子供達の顔を見たいために今年もサンタになりたいと照れ笑いした。
 今が食べ頃の魚は何?美味しい調理法は?そんな話しを肴に食べる寿司は一味違う味わいがあるだろう。来てくれたお客様との会話の中で旬の情報や仕入れたオススメなどを伝えてその時にしか出会えない味を提供したいと語った。

舌も大地も震える麺家 隠しきれない個性のラーメン

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小笠原誠さんプロフィール 昭和55年3月7日生まれ(34歳)
十和田西高校普通科を卒業後、趣味である音楽を学びにミュージックカレッジメーザーハウスという音楽学校へ行くが2年で中退。
 その後は様々な仕事を経験しながらも自分の店を持ちたいとの想いから平成20年11月に東北町へ「麺家だいち」をオープンした。今年で7年目となる。

 小川原湖道の駅から三沢に向かう通りを走ると左側にラーメン屋がある。十和田市出身の小笠原誠さんが経営する「麺家だいち」は7年程前にオープンされ、今も根強いファンが通い続けているお店だ。
 趣味が美味しいものを食べること。昔からいろんなお店を食べ歩き、その味に自分だったらこうしたいとの想いが独自の工夫を生んだ。その考えは「食べたい」から「作りたい」と変化し、たどり着いたのがラーメン屋だったと語る。
 ラーメン屋を起業しようと広い駐車場付きの物件を探していたら東北町で見つかった。当時は若干27歳で「若い」という名の肩書きを背負っての経営は様々な苦労があったと語る。
 有り難い事にオープンしてからはお店は繁盛し、経営も起動に乗り始めていた頃に、あの大震災があった。
 材料にもこだわって作っていたため当時は県外から食材を仕入れていた。そのために提供したくても食材が届かない。塩ラーメンすら作れない日々が続き、客足も少しずつ遠のいて一時は本気で閉めようかと悩んだ時期もあったと言う。
 それを乗り越えてきた今では、短い休憩時間にお腹を満たすために急いで食べてすぐに仕事に戻るお客様も、店内に2000冊以上ある本でも読みながらゆっくり時間を満喫していくお客様も、恋人や家族で来て味を楽しんでくれるお客様も、同じ空間でラーメンを食べれるような店にしたいと語ってくれた。
 どんなに疲れてもお客様から「美味しい」の一言が聞けたら幸せ、だから自分とお客様がお互いに幸せになれるように今日も腕を振り続けている。

快眠から日本を元気にしたい 十和田にある眠りの店の美女

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溝口 奈美子さんプロフィール
 昭和47年10月31日生まれ(41歳)
三沢商業高校を卒業後、東京で就職する。当時は家業を継ぐとは考えられなかったが、平成3年に会社を移転オープンすることになり、一時手伝うために帰郷した。父親の病も気になりそのまま手伝うことになる。そして平成16年の時に父が他界した。以来会社を支え寝具専門店として睡眠で悩むお客様により良い眠りを提案している。
 産馬通りと旧4号線の交差点の角に「みぞぐち布団店」がある。今回は、いつも笑顔を絶やさない店長の溝口奈美子さんを訪ねた。枕や布団、ギフト用品の専門店として昔からお客様に快眠する喜びを提案してきた。本来であれば疲れを取るための睡眠のはずなのに、首が凝ったり、眠りが浅かったり、疲れが取れなかった経験のある人は少なくないだろう。首を支える枕、身体を休ませる布団、人それぞれ体型が違うのと同じで人それぞれに合った形や硬さ(軟らかさ)などがあるという。それをオーダーメイドが出来る店としていち早く専用の測定器を取り入れた。当時は全国でも10店舗ほどしかなかったが効果が認められ現在は120店舗ほどの専門店で取り入られている。測定器で測りすぐに体型にフィットする布団と枕が出来上がるのには驚いた。高さ(凹凸)や硬さもすぐに微調整出来る。
 アフターケアも万全で、ただ布団を売って終わりではなく時間と共に変化する体型にも対応出来るのはオーダーメイドシステムを取り入れている専門店ならではの強みだと感じた。人が生きていくために必要な睡眠時間、実は人生の約1/3を占めている。たぶん、ほとんどの人が靴や服など自分のサイズ(体型)に合ったものを選ぶ。それと同じように睡眠には欠かせない布団や枕も自分に合ったものがいい事は当たり前なのかもしれない。
 どうしても大手の寝具店よりは少し高くなってしまう事があるが、全ての人のために大量生産された寝具より、自分のためだけに作られた寝具の寝心地は値段以上の価値があることは間違いないと感じた。ちなみに6月はオーダーメイド枕&布団の無料体感期間だと教えてくれた。睡眠で悩みを持っている人は気軽に相談してみてはどうだろうか。
触と食で身体と心を癒す 整体で働く主婦の生きる道

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小野 美保さんプロフィール
 昭和50年9月16日生まれ(38歳)
十和田出身。八戸工業大学第二高等学校を卒業後、19歳で結婚、出産。パートの仕事をしながら育児に専念していたが、何かをしたいとの想いから整体師の資格取得を目指し、平成15年に切田通りの青森銀行南支店前に開業。自宅の敷地内にサロンを移転開業し、平成23年に102号線沿いに2号店をオープン。翌年にaomn隣接にガーデンキッチン垂穂を開業した。余談ではあるが三本木小学校歴代2人目の女性のPTA会長も務めた。
 102号線沿いの旧コンビニ跡地に二つのお店が並ぶ。整体を営むボディバランスケアamonと食事処のガーデンキッチン垂穂だ。その2店を経営し、整体師としても勤めるのが代表の小野美保さんだ。若くにして結婚、出産し、若くにして起業する。それまでの道のりは運良くでもなく、簡単でもなく、苦悩と苦労しか記憶にないと語る。主婦として子育てをしながら、それを成し遂げてしまう行動力と実行力には感心するしかない。
 当時、親の面倒と3人の子育て、主婦業をしながらパートだと満足のいく生活は出来ない。何か自立できる仕事をと探している時に旦那が昔やってみたかったと言っていた整体の学校の雑誌が目に入った。整体師の資格を取りに学校に行っている時から開業するつもりで動いていたと語る。いつかは...ではなく、これからどう生きていくためには何が必要かを考え必死に学び、行動した。また整体のamonを開業した時から隣りには喫茶店を営業しようと決めていたらしい。そして有言実行、翌年に垂穂をオープンし、勢いは止まらないように見える。しかし実際は不安しかなく、もう前に進むしかないと覚悟を持って、家族も従業員も養っていかなくては!という気持ちで頑張っていると語る。少し不安症な性格と変わらない低姿勢、それでも足は常に前に進み続けている。そんな不思議な魅力が従業員やお客様から支持を受けているのかもしれない。来て良かったと思える店、働いて良かったと思える店にしていきたいと語ってくれた。

記憶を引き出す宝物  大切な思い出を残す写真家

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小原 達郎さんプロフィール
 昭和54年7月11日生まれ(34歳)
七戸出身で三本木中学校に転入、三沢高校へ進学し、東京農業大学へ進学し卒業後に地元に帰郷。幼少から頑張っている野球を趣味で続けている。平成14年に実家を継ぐ形で写真を始めた。正確に年月はわからないが、大正時代に東京の二葉堂から、縁あって七戸に本店を創業。昭和40年頃に三本木稲荷神社前に十和田店をオープンした。代々受け継ぎ、6代目となる。
 今回は稲荷神社の前にある㈲フォトショップふたばのフォトグラファー・小原達郎さんを訪ねた。青森に帰郷してからはPGC(パイオニアグリーンサークル)に入会し、そこで出会った人たちからいろいろな技術を学んだと語る。当時はフィルムでネガを焼くという現像方法の写真だったが、現在は100%デジタルに変わってきている。その影響からか、せっかく思い出として写真を撮っても現像する人は減ってきているように感じると語る。達郎さんが現在、一番力を入れているのは「家族写真」だと教えてくれた。きっかけは、あの東日本大震災だった。ボランティアで「写真を洗う」手伝いをしていた。お婆ちゃんが泣きながら家族の写真を探している現状も見てきた。潮水に浸かった写真はなかなか復元は難しい。人の薄れていく記憶を、写真は一瞬で思い出せる宝物なんだと改めて写真の大切さを感じたと言う。
 あまり宣伝はしていないらしいが、写真を現像してアルバムに貼るのではなく、画像データを元に構成・デザインをし、写真集のようなアルバム製作もしている。お店に訪れた時には是非、目を通してもらいたい逸品だと感じた。また、去年から取り組んでいる「ラブフォトメッセージ」という写真に言葉を入れて大切な人への贈り物として渡せる企画もあり、額と送料込みで3000円(税別)となっている。達郎さんは仙台で毎年やっているイベント「家族の絆展」にも出展する。様々な節目に撮る写真も大事だが、何でもない様な日常も家族にとって大切な一枚なんだと感じた。
 写真を残す意味を考えれば、何十年後かに「過ぎた日を思い出せる宝物」を増やす事も今後は楽しみになるだろうと感じた。

会社の顔を作る会社の顔  イメージを形にする代行人

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鎌田 秀幸さんプロフィール
 昭和51年11月7日生まれ(37歳)
三本木農業高校卒業後、多目な仕事を経験し、20歳で今の仕事に出会った。大きな会社との取引や信用を得るために平成18年8月(30歳)に独立し、㈱サンコウゲイプラスを起業する。去年の2月に待望の男の子(島帆くん)が産まれた。
 いつでも「おはようございます!」と大きな声で挨拶を忘れない元気な男。㈱サンコウゲイプラスの代表取締役を務める鎌田秀幸さんを訪ねた。看板やデザインを手掛ける仕事を始めたのは20歳の頃から、平成18年に法人として㈱サンコウゲイプラスを起業した。デザインやプリントの仕事と一言で言ってもいろいろと種類は細かくあり、得意分野は分かれていると言う。当店ではお店のオープン時などに看板やチラシ、名刺なども一括で出来ることが強みだと語る。
 看板や名刺などはお店や人の「顔」の代わりとなる重要なもの。お客様のイメージに少しでも近付けるようにするために、社員で様々なデザインパターンを提案・提示して、お客様の満足がいくものを提供して応えなくてはならない。たしかに相手の気持ちを汲み取れなくては、ある意味、この共同作業は上手くはいかないだろうと感じた。
 信用のある市内の仕事だけではなく、県外の仕事なども広範囲で請け負えるネットワークがあることも強みの一つ。人とのつながりを大切にする鎌田さんの姿勢の表れだろう。私がこれを作りました。と表現できる芸術家とは違い、看板やチラシのデザインなどは大手会社の下請けの場合が多いため、自社の宣伝は難しく、新規のお客様をつかむためには待っているだけではだめである。
 まだ思案段階だが、わかり易い看板の展示をする事や古い看板のリフォームなども考えていると言う。鎌田さんは声は大きくても慎重な性格だとパートナーが教えてくれた。石橋を叩いて少しずつ渡っていく姿勢も信用ある会社の顔なのかもしれない。今まで何となく視野に入っていた看板にどんな工夫やこだわりがあるのかを気にしながら街を歩いてみてはどうだろうか。
子供から年配者まで楽しめる空間  遊戯で育む人との触れ合い

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秋元 博行さんプロフィール
 昭和48年6月29日生まれ(40歳)
三本木高校卒、山梨学院大学経営学科を卒業後、東京のブランズウィックスポーツガーデン(現スポルト池袋)で2年間修業をして25歳で帰郷。イーグルボウルは入社16年目となる。今年の2月に待望の長女(咲良ちゃん)が生まれ、現在は家業を継ぐために勉強中。
 今回は十和田でボウリングを楽しむ場所として昔から親しまれているイーグルボウルを訪ねた。平成2年10月1日にオープンし、現在23年目となるボウリング場を継ぐために常務取締役として働いているのが眼鏡の似合う秋元博行さんだ。秋元さんが高校生の時は9打席あるバッティングセンターだった。同敷地内にイーグルボウルを建設し、遊べる場所としてお客様に提供する。当時はカラオケブームもあり、現在ビリヤードのある場所にはカラオケボックスがあったことを思い出す。県内には9店舗のボウリング場があり、そのボウリング協会の会長にも秋元さんは選任されている。
 どの業界でも言える事だが大手の「安さを売り」にする同業者には同じことをしても売り上げが下がるだけ。地元ならではの人との付き合いを大切にして、次にどうやってきてもらえるかを工夫、新規のお客様をどうやって増やすかが今後の課題でもあると語る。若者が少ない町のイメージが強い十和田市で、まずはシニア客を増やそうと「健康ボウリング教室」などを企画。触れ合う機会が少なくなる世代にも楽しみながらもコミュニケーションもとれると好評を得ている。幅広い年齢層が集まって、天候に左右される事がないのが強みだと感じた。
 サービス業でもあるが受付、会計時の時にしかお客様と触れ合うことが出来ないので、そのさりげない一瞬の一言が一番大事だと語ってくれた。お酒の席から始めるだけではなく、身体を動かして会話を楽しんだり、スコアを競ったりすることも人との距離を近付ける方法の一つだと感じた。家族割プランやナイトプラン(夜9時以降)、団体割引もやっているので是非、コミュニケーションツールの一つとしてお薦めしたいと語った。

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