小笠原カオル 秘密の部屋

おかげ様で文化賞を受賞いたしました

BUNKA新聞社
編集長 小笠原カオル

 折りしもBUNKA新聞社創立30周年という節目の年に、このたび身に余る光栄である、栄誉ある平成25年度「十和田市文化賞」を受賞いたしました。これもひとえに私をこれまで支えて下さいました多くの方々の応援の賜物と感謝申し上げます。

 私は昭和48年(一九七三)帰郷以来、音楽の鑑賞団体である十和田労音(運営委員長)、十和田市文化協会(事務局次長)、十和田市民大学企画運営委員(委員長)他、私が設立した団体として、十和田映画センター(代表)、ふるさとを歩く会(事務局長)、上十三民話の会(事務局長)、十和田民話フェスティバル(実行委員長)、市民ミュージカル(制作委員長)、十和田まちづくり塾(事務局長)、NPO法人駒ネットワーク十和田(理事長)、NPO法人どんぐりの森・山楽校(事務局長)、とわだ夏おどり実行委員会(事務局長)、十和田の休日乗馬クラブ(事務局長)など、この40年間で多くの文化団体を設立し関わってきました。その中には役目を終え解散した団体もあります。今なお継続し活動している団体もあります。

 また、昭和58年(一九八三)に文化新聞を発行して以来、「ふるさとの歴史・文化・人の掘り起こし」を社是に掲げ発行してきました。

 また『挑戦・古牧温泉杉本行雄物語』(実業之日本社刊)、『杉本行雄の経営思想20ヵ条』、『太子食品創業者工藤榮次郎』、『カオルのざっくばらん対談』、『古道を歩く』(以下文化出版刊)、『実践的アンチエイジング講座』(11月3日出版予定)などの本も出版してきました。

 それらが評価されたものと思っております。

 この栄誉に恥じないよう、身を引き締め精進してゆきたいと思っております。今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

「自然との共生」運動宣言

BUNKA新聞社
編集長 小笠原カオル

 BUNKA新聞社は、昭和58年(一九八三)文化の砂漠といわれていた十和田市に、「ふるさとの歴史・文化・人の掘り起し」を社是に掲げ、文化専門の現『夢追人』発刊しました。

 そしてその実践として、「ふるさとを歩く会」を立上げ、以後10年間70回、ふるさとの歴史・文化を散策すると共に新聞で紹介してきました。また「上十三民話の会」を立上げ民話の蒐集や、ふるさと出身で中央で活躍する音楽家を招聘しての「ふるさとコンサート」を行ってきました。

 平成2年(一九九〇)「十和田民話フェスティバル」及び「市民ミュージカル」を組織し、ふるさとに伝わる民話や伝説を舞台化してきました。
 平成12年(二〇〇〇)まちづくりコーディネーターの資格をとったのを機に「十和田まちづくり塾」を開講。馬でまちづくりをしようと、北海道から6頭の和種馬を買って馬主協会を設立。馬主協会は現在NPO法人として、十和田市馬事公苑を運営しています。
 また、大人と子ども自然塾「NPO法人どんぐりの森・山楽校」を設立。ゲンジボタルの養殖やブナの植樹を行なってきました。
 市民盆おどり大会「とわだ夏おどり」を立上げました。

 今回、どんぐりの森・山楽校のある片淵川上流に、大規模養豚場の建設が持ち上がりました。事業者は「水質汚濁防止法」の排水基準に基づいているから大丈夫だといいます。しかし、藤島川の例を見てもわかるように、その基準では清流に棲むイワナやヤマメ、あるいはホタルが棲めないことがわかりました。こうして自然が壊されて行くんだということを実感しました。

 今、創立30周年に当たって、次のBUNKA新聞社の目標として、十和田の美しい自然を次世代残すと同時に、十和田市が目標とするエコパーク実現のために、「自然との共生」運動を推進することをここに宣言します。

ネット新聞「夢追人」のアクセス数1年4ヵ月で10万件越す

BUNKA新聞社
編集長 小笠原カオル

 本紙のネット版、ネット新聞「夢追人」のアクセス数が、公開して約1年4ヵ月、5月15日で10万2995件と10万件を突破した。
 以下、アクセスのベストテンを紹介しよう。

 まず、ページのトータルでは、①トップページ、②夢追人ニュース、③ローカルニュース、④催物案内、⑤夢追人バックナンバー、⑥小笠原カオル秘密の部屋、⑦編集長のたわごと、⑧十和田の休日乗馬クラブ、⑨どんぐりの森・山楽校、⑩実践的アンチエイジング講座であった。

 次に、4月(4月1日~30日)単月のニュースへのアクセス数では、
 ①首都圏とふるさとをつなぐ東京=十和田、②十和田市立病院院長に丹野弘晃さんが就任、③新渡戸記念館館長は新渡戸家8代目新渡戸常憲さん、④夢追人バックナンバー、⑤八甲田吹奏楽団第13回サウンド・フェスティバル、⑥十和田市現代美術館、⑦実践的アンチエイジング講座、⑧編集長のたわごと、⑨十和田湖奥入瀬から、⑩小笠原カオルの秘密の部屋であった。

 また、アクセス地域では、①青森、②東京、③神奈川、④大阪、⑤埼玉、⑥宮城、⑦千葉、⑧北海道、⑨愛知、⑩岩手と全国に及んでいる。この中で、青森と東京が圧倒的に多い。

 アクセス数10万件は、すでに十和田発信の全国ニュースといっていいであろう。
 今後、フェイスブックなどを活用しながら、今年11月の創立30周年記念の集いまでは20万件まで。そして出来るだけ早い期間に100万件を目指すネット新聞にしたい。

おかげ様で30年/昭和58年(1983)~平成25年(2013)

BUNKA新聞社
編集長 小笠原カオル

ごあいさつ

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 BUNKA新聞社は、おかげ様を持ちまして創立30周年を迎えることとなりました。これもひとえに、これまでBUNKA新聞社を支えて下さった読者の皆様、スポンサーの皆様、執筆者の皆様、そして多くの方々のご支援の賜物と感謝申し上げます。紙面をお借りし改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
 昭和48年(一九七三)、私が十和田に帰って来たとき、十和田の大人たちが酒を飲むと、「十和田は何もない」、「十和田は駄目だ」、文化関係者は「十和田は文化の砂漠だ」が口ぐせでした。そんな大人のグチを聞いて育った子どもたちは、十和田を好きにはなれないだろうと思いました。
 それに輪をかけたのが、昭和58年(一九八三)朝日新聞に連載された、「新・人国記83」青森県編でした。あの人も青森県出身か、この人も青森県かと、毎日ワクワクしながら読んでおりました。ところが終わってみると、107名紹介されたうち、県南はわずか11名、あと96名は津軽でした。
 何だこりゃ!県南には文化人がいないのか!!いや、これは朝日新聞記者の怠慢だ。それまで文章を書いたことのない人間が、無謀にも、よし、それなら俺が掘り起こしてやろうじゃないかということで、昭和58年11月に、「地域の歴史・文化・人の掘り起こし」を社是に掲げ、『Culture Plazaとわだ』として発刊したのが最初でした。
 と同時に、取材するだけでなく、歴史の掘り起こしでは、「ふるさとを歩く会」、「上十三民話の会」、「上北歴史文化研究会」をつくりました。 文化運動では、地元出身で中央で活躍する音楽家を招聘しての「ふるさとコンサート」、手づくりの「市民ミュージカル」、文化協会と一緒に全国から短詩型文学を募集しての「野外文芸館」を行ってきました。
 まちづくりでは、「十和田まちづくり塾」、子ども乗馬クラブ「駒っこクラブ」、「十和田馬主協会」、「どんぐりの森・山楽校」、「とわだ夏おどり実行委員会」など、まちづくり団体をつくってきました。

 県南には出版社がありませんでした。そこで、BUNKA新聞社出版部として「文化出版」を設立し本の出版を行なってきました。
 昨年は、ネット新聞「夢追人」を発刊。すでに8万件以上のアクセスがあります。
 現在は、十和田市現代美術館の開館、バラ焼きゼミナールなど、若い人たちが立ち上がり、たくさんのまちづくり団体が生まれ、十和田市は文化の砂漠だという人は誰一人おりません。
 BUNKA新聞社はこの30年間、十和田市の文化・まちづくりに幾ばくかの役割を果たせたのではないかと自負しております。
 今後とも、皆様方のご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

BUNKA新聞社創立30周年記念事業

 BUNKA新聞社はこれまで、周年ごとの事業を行なうとともに、次の5年へ向けて目標を掲げ、その目標に向かって進んできました。
 前回、25周年で掲げた目標の中心的なものは「ネット新聞」の発刊でした。
 それも、昨年にようやく実現し、ネット新聞「夢追人」は、1年間で8万件を越すアクセスがあり、アクセス数で最も多いのは県内ですが、ちなみに多い順にベスト10を紹介すると、東京、神奈川、大阪、埼玉、宮城、千葉、北海道、愛知、岩手、兵庫と、全国に広がっています。次の5年は、これをどう活用するかが課題となります。

30周年記念事業及び30年~35年の目標

①十和田と東京で、30周年記念の集いを行ないます

 創立30周年記念読者とスポンサー・執筆者の集いを、十和田市と東京で行ないます。
 首都圏には、本紙の読者及び、取材させていただいた方々、東京十和田会の方々、友人がおります。東京での祝賀会は、平成9年(一九九七)に、NTTタウン紙大賞奨励賞を受賞したとき、平成20年(二〇〇八)創立25周年、そして今回で3回目となります。
《創立30周年記念十和田の集い》
 ▽11月9日(金)午後6時30分~
 ▽会場/富士屋グランドホール
《創立30周年記念東京の集い》
 ▽11月16日(土)午後6時30分~
 ▽会場/アルカディア市ヶ谷(私学会館)

②ネット新聞の事業化

 ネット新聞「夢追人」のアクセス数が10万件を越えるのは、もう目の前です。
 このネット新聞の事業化の方策を研究し、事業化します。

③法人化及び後継者の育成

 BUNKA新聞社を、今後40年、50年と継続してゆくには、法人化と後継者の育成が差し迫った喫緊の課題です。

④30周年記念出版

 30周年を記念する出版として、本紙連載中の『実践的アンチエイジング講座』及び、絵本『十和田湖伝説八郎太郎』を予定しています。
 ご存知のように青森県は平均寿命、健康寿命とも全国最低です。アンチエイジングは、単に若さを保つということのみならず、病気にもならず、福祉の世話にもならずピンピンコロリ、健康寿命を延ばすひとつの方法です。青森県の健康寿命を延ばす一助になればと思います。
 故郷の伝説や民話を知っている子どもたちが何人いるであろうか。まず親をはじめ、保育園、学校の先生たちが知らない。故郷の伝説や民話知ることは郷土愛にもつながります。
 今後10年間、地域の伝説や民話を、毎年1冊づつ本にして、小、幼、保に寄贈します。

⑤30周年記念特別号発刊

 30周年記念特別号(11月)を発刊いたします。

⑥おやじバンドコンサートを行ないます

 おやじバンドの全国コンテストが、今年は福岡県で行われます。おやじバンドは、超高齢化社会に入った日本の高齢者の元気の象徴の一つです。BUNKA新聞社のエリアの地域にもおやじバンドが活動しています。そのおやじバンドを一同に会した「おやじバンドコンサート」を行います。

 以上、BUNKA新聞社創立30周年記念事業及び、今後5年間の目標です。今後ともよろしくお願い申し上げます。

70歳の誕生会スナック貸切で

BUNKA新聞社
編集長 小笠原カオル

 平成24年2月10日は、私め小笠原カオルの70歳の誕生日。70年間生きて、これまで誕生会をやったことがなかったので、仲間を呼び、スナック貸切で一晩思いっきり騒ぎました

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平成24年(2012)7月吉日

70歳、BUNKA新聞29年目の新たな創業

BUNKA新聞社
編集長 小笠原カオル

十和田市は駄目なまちだ 足ひっぱりのまちだ

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 私が十和田市に帰ってきたのは昭和48年(一九七三)でした。その頃十和田市の大人たちは、酒を飲むと、十和田市は何もないまちだ、十和田市は駄目なまちだ、十和田市は足ひっぱりのまちだ、というのが口癖でした。
 そんな大人の愚痴を聞いて育った子どもたちは、大きくなったら十和田市を嫌いになるだろうと思いました。
 確かに、当時は政争が激しく、特に市長選挙ともなると、負けた方につくと、次の4年間は仕事が貰えないというのが、もっぱらの噂でした。
 そんなことから、選挙になると票の買収は当たり前で、選挙のたびごとに、誰がどっちについたとかという情報が乱れ飛ぶなど、県内でも騒ぎの里として有名でした。
 食肉センターを舞台に、市長をも巻き込み、市に大きな損害を与えた詐欺事件、黒豚事件もありました。

十和田市は文化不毛の地だ 十和田市は文化の砂漠だ

 また、文化関係者たちは、十和田市は文化不毛の地だ、十和田市は文化の砂漠だというのが、これも口癖でした。それには理由がありました。
 昭和36年(一九六一)十和田市文化協会(当時は文団協)が、文化センター(当時は市民会館)の建設運動を始めました。
 しかし、青写真が出来ながら、十勝沖地震や黒豚事件など様々な理由で2回、3回と引き伸ばされ、一向に建つ気配がないことから、十和田市を卑下して文化の砂漠という言葉が出たのでした。
 しかし私は、20代の頃、東京の劇団におり、公演で北は北海道から、南は沖縄まで全国のまちを見て帰ってきたとき、十和田市は文化の砂漠どころか、十和田湖・奥入瀬渓流がすぐ近くにあるし、八甲田連峰の稜線がきれいだし、街は碁盤の目状に整理されているし、何て美しいまちだろうと思いました。

朝日新聞「新・人国記83」

 私を発奮させるもう一つの事件がありました。
 それは昭和58年(一九八三)朝日新聞に載った「新・人国記83」青森県編でした。
 これは、県内外で活躍する県人を紹介する記事でした。
 これには高橋竹山や淡谷のり子、寺山修司など107名が紹介されました。私はこの人も、この人も青森県出身かと、県人の活躍にわくわくし、新聞を切り取ってファイルしました。
 そして、改めて見ると、十和田市からの紹介は2名のみ。八戸、下北を含めた県南からの紹介されたのは11名のみで、あと96名は津軽地域でした。
 何だこりゃ、県南に人がいないというのか、県南には文化が無いというのか。これは朝日新聞の怠慢だ。それなら俺が十和田市を中心とした地域の文化の掘り起こそうじゃないか。こうして、その年の11月に、「ふるさとの歴史・文化・人の掘り起こし」を掲げ、BUNKA新聞社を立ち上げ、「夢追人」(当時は「カルチャープラザ十和田」)を発刊しました。

文化センターの建設と十和田市文化の夜明け

 昭和61年(一九八六)5月、文団協が市民会館建設を掲げてから実に25年、四半世紀にして、文化関係者の長年の夢であった市民文化センターがオープンしました。
 ここから十和田市が大きく変わりました。
 当時の館長今純一郎さんは、文化センターは単なる貸館ではない。文化を育てる場であると、市民フィルハーモニー管弦楽団、ジュニアオーケストラ、混声合唱団、少年少女合唱団、子ども劇団等文化団体を育成。市民ミュージカルの支援などを行ってきました。
 また、文化団体・サークルなどの、文化センターでの発表会が堰を切ったように行われ、文化センターの利用率は県内でもトップクラスとなりました。
 一方、三本木高校が文藝春秋社の「文の甲子園」で3年連続優勝、同じく三本木農業高校の優勝や、絵画や文芸、写真などの、全国展での入賞者が続出するなど、文化面での市民の活躍が目立つようになってきました。
 まさに、文化センターの建設は十和田市の文化の夜明けでありました。

怒涛のごとく まちづくり団体が生まれる

 私が、市民大学の企画運営委員になったのは平成9年(一九九七)でした。
 この市民大学で、私は意識してまちづくりの講師を呼びました。
 平成9年、「あなたのまちは21世紀に生き残れるか」と題して、旧下田町のインターチェンジ周辺開発でジャスコの誘致に関わった今野修平氏。平成10年(一九九八)、「芸術文化と地域の活性化」と題して、全国生涯学習まちづくり協会の福留強氏。「まちづくりはひとづくり」と題して、日本ふるさと塾主宰の萩原茂裕氏。平成13年(二〇〇一)、「街は舞台だ!日本は変わる」と題して、札幌でよさこいソーラン祭りを立ち上げた長谷川岳氏。平成14年(二〇〇二)、「魅力あるまちづくりと観光の振興」と題して横浜商科大学の羽田耕治氏などです。
 私自身も、平成12年(二〇〇〇)に「まちづくり塾」を立ち上げ、塾生で北海道から和種馬6頭買い、馬でのまちづくりや、どんぐりの森・山楽校などを立ち上げました。
 そして今、バラ焼きゼミナールや夏おどり、産馬通りでサンバを踊ろうなど、様々な分野での、市民のまちづくり団体が次から次へと怒涛のように生まれています。

十和田市現代美術館建設

 平成20年(二〇〇八)市民の賛否両論の中、十和田市現代美術館がオープンしました。
 これが大化けに化け、「美術館ランキング2011」で、何と全国20位にランクされるほどになり、今、全国から十和田市現代美術館を訪れています。まさに文化でのまちづくりです。

観る観光から体験する観光へ

 これまでの十和田湖・奥入瀬観光は、観る観光でした。が、ノースビレッジやノースビレッジ・ウエルネスなどができ、観る観光から体験する観光に変わりつつあります。

こうして全国発信へ

 十和田市は今や、全国に誇れるまちになりました。
 そのすばらしいまちを全国に発信すると共に、全国から訪れていただきたい、出来れば移住していただきたい、そういう思いを込め、ネット新聞「夢追人」を発刊します。

平成24年(2012)1月吉日

ネット新聞「夢追人」発刊にあたって

BUNKA新聞社
編集長 小笠原カオル

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 平成22年(2010)12月4日、新幹線が青森まで開通しました。
 七戸十和田駅-東京駅間約は3時間。もはや東京-十和田は日帰り圏となりました。
 しかし、それからわずか97日後の平成23年(2011)3月11日に、東日本大震災により大被害を受けました。私も、宮城県の三本木トンネルで、新幹線ごと8時間閉じ込められました。
 が、今は力強く復興しつつあります。
 さて、十和田市を中心とした、青森県の太平洋岸内陸部は、天下の景勝地「十和田湖・奥入瀬渓流」、「八甲田連峰」のみならず、文化面では、「十和田市現代美術館」、「寺山修司記念館」、「鷹山宇一記念美術館」、新渡戸稲造の祖父ら新渡戸家三代を記念する「新渡戸記念館」、南部裂織体験の「匠工房」等があります。
 また、十和田市から半径15㌔以内には、温泉が50ヵ所あり、温泉の隠れた名所です。しかも、490円と公衆浴場料金で入ることができます。
 また、平安時代から良馬の産地として中央にも知られ、源義経が木曽義仲を討った宇治川の合戦で、青森県産の名馬「磨墨」に乗った梶原景時と、「生月」に乗った佐々木高綱の先陣争いは有名です。
 現在は、馬のテーマパーク「馬事公苑」がある他、4月には女流騎士が、疾走する馬に跨り矢を射る「桜流鏑馬」、10月には、乗馬祭り「駒フェスタ」が行なわれます。そして、年間を通して八甲田山麓や小川原湖、淋代海岸でのでの乗馬トレッキングも行なわれています。
 十和田市を中心とした地域は、自然、文化、遊びなど、全国に発信する情報がたくさんあります。
 このネット新聞「夢追人」を通して、十和田市を中心とした青森県を知って頂きたい。そして、ぜひ訪れていただきたい。そういう願いを込めて、ネット新聞「夢追人」を発刊します。

平成23年(2011)9月吉日

編集長プロフィール

経歴

昭和17年(1942)
/十和田市に生まれる。
昭和35年(1960)
/三本木農業高校卒業
昭和38年(1963)
/楽劇団「いちょう座」入座
昭和40年(1965)
/楽劇団「いちょう座」と民族歌舞団「わらび座」の合同公演に参加
昭和41年(1966)
/「いちょう座」から参加した若者9人で民族歌舞団「荒馬座」を設立
昭和48年(1973)
/帰郷
昭和55年(1980)
/十和田映画センター設立。同代表
昭和58年(1983)
/十和田文化新聞社設立。同代表
昭和61年(1986)
/ふるさとを歩く会設立。同事務局長
平成1年(1989)
/上十三民話の会設立。同事務局長
平成2年(1990)
/「十和田民話フェスティバル」実行委員長
平成9年(1997)
/十和田市民大学企画運営委員
/「市民ミュージカル」制作委員長
平成12年(2000)
/まちづくりコーディネーター認定(全国生涯学習まちづくり協会)
/十和田まちづくり塾設立。同事務局長
平成14年(2002)
/NHK文化センター自分史講座講師
/子ども乗馬クラブ「ポニークラブ」設立。同会長
/NPO法人駒ネットワーク十和田設立。同理事長
平成19年(2007)
/NPO法人どんぐりの森・山楽校設立。同副理事長
平成20年(2009)
/「とわだ夏おどり」実行委員会設立。同事務局長
平成22年(2010)
/「十和田の休日乗馬クラブ」設立。同事務局長

著書

  • 『挑戦 55歳からの出発・古牧温泉杉本行雄物語』(実業之日本社)
  • 『杉本行雄の経営思想20カ条』(文化出版)
  • 『太子食品㈱創業者工藤榮次郎』(文化出版)
  • 『カオルのざっくばらん対談』(文化出版)
  • 『古道を歩く』(文化出版)

戯曲

  • 民話劇『八郎太郎とばっこ石』(「とわだ民話フェスティバル」1990年上演)
  • 民話劇『キツネのまつり』(「とわだ民話フェスティバル」1992年上演)

  • 平成9年(1997 )第13回NTTタウン誌大賞「奨励賞」受賞

資格

  • まちづくりコーディネーター

現在

  • 伝記作家
  • BUNKA新聞社代表・編集長
  • NPO法人どんぐりの森・山楽校事務局長
  • NPO法人十和田馬主協会理事
  • 十和田の休日乗馬クラブ事務局長
  • 「とわだ夏おどり」実行委員会事務局長
  • 十和田市民大学企画運営委員会委員長

モットー

  • 生涯現役
  • 生涯挑戦
  • 生涯発展途上人間

小笠原カオルの著書

十和田湖はむかし、信仰の湖だった 古道を歩く
『十和田湖はむかし、信仰の湖だった 古道を歩く』
東 正士(案内)・小笠原カオル著
(文化出版刊)
カオルのざっくばらん対談
『カオルのざっくばらん対談』
小笠原カオル著
(文化出版刊)
太子食品工業株式会社 創業者 工藤榮次郎
『太子食品工業株式会社 創業者 工藤榮次郎』
小笠原カオル著
(文化出版刊)
杉本行雄の経営思想20ヵ条
『杉本行雄の経営思想20ヵ条』
小笠原カオル著
(文化出版刊)
挑戦 55歳からの出発・古牧温泉杉本行雄物語
『挑戦 55歳からの出発・古牧温泉杉本行雄物語』
小笠原カオル・笹本一夫 共著
(実業之日本社刊)